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投稿者 : admin 投稿日時: 2019-02-20 (75 ヒット)
徴用工問題は韓国内の理不尽不合理な状況が一向に改善されず、全くもって腹立たしい限りです。が、今回は趣向を変え、今一番話題の地球温暖化を考えてみたいと思います。

 現在の地球温暖化対策は、産業の発展により各国の二酸化炭素排出量の増加したことにより、二酸化炭素の大気中の成分比率の増大し、地球全体の大気の温度が上昇するから、各国が、二酸化炭素排出量を減らすべき、更に削減に変わる施策も推進させるというものです。
 
 二酸化炭素を吸収して酸素を排出するのは言うまでもなく植物ですが、最近の研究では、地球規模の大気成分に影響を与えたのは陸上植物ではなく、海洋植物だと言われます。海の広さと陸の広さでは圧倒的に海が広いことも理由のようですが。
 とすれば、森林復元として実効的なのは、海洋植物が生息しやすい一定の海域を富栄養状態にする海洋施設を立ち上げて人為的に海洋植物を増やすことだと思ったりするのですが、そういう研究ってないのでしょうか。
 
 先日、海外の学者によって、過去大航海時代の直後の一時期に、世界が寒冷化に向かったのは、アメリカ大陸の先住民の大量虐殺により農地が放棄され森林が増えたためとしか考えられないとの研究が発表された(要約です。悪しからず)と報道がありましたが、温帯であれば、耕作地が放棄されて森林が形成されるのに、100年単位の気の長い年月がかかることからすれば、常識的にはナンセンスな話です。それならば、アフリカからアメリカ大陸に連れられる途中の航海の最中に大量に亡くなり、そのまま海の藻屑となった人々が、いわば海の栄養素となり、海洋植物が増えたという話の方が、まだ説得力があるのかなと思います。
 なお、この推測は、全く根拠がない話ではなく、例えば、東南アジアで、津波など深海に影響するような災害があるとその後日本海近海では、越前クラゲが大発生したこともありましたし、浅い海に滅多に上がってこない深海魚が揚がる現象も見られます。南洋で相当数の死者を出した太平洋戦争の後、ニシンなどの歴史的豊漁がありました。もともと栄養豊富でない深海に生物の遺骸がやってきたら、それだけでその海層が豊富になり、その結果、当該海層の食物連鎖の上位生物が浅い海に顔を出すということなのでしょうか。

 こう考えると、地球史の研究成果を前提とすれば、世界規模の温暖化だけを問題にするのであれば、二酸化炭素排出削減の他に、海洋植物の育成こそが必要ということになります。

 海と言えば、洋上の観察程度で、海中まではなかなか分からないし、海洋になるとスケールが広すぎて想像がつかないところがあります。温暖化の原因の一つとして、海面温度の上昇も言われ、その原因として深海底を通るジェット海流の寒冷化も言われます。個人的にはこのジェット海流の存在を知った時に(子どもの時には習いませんでしたので)、自転ということかと感心しました。つまり、空気、水等の流体であれば、地球の自転の影響を受けない層(ジェット気流と同様の海流)が存在してもおかしくなく、それは実際には静止に近い状態ではあるが自転する地表からすれば高速で流れているに他ならないという地球自転の面白さを改めて考えさせられました。

 他方で、巷でいう温暖化は、地球規模の乾燥化としての問題意識もあるようです。
 乾燥化は陸上の問題なので、海洋資源では解決ができません。
 
 アフリカの乾燥化は、キリマンジャロの万年雪の極端な減少が象徴的で、これこそが、温暖化の象徴のように言われますが、新たな降雪がないこと、すなわち大陸の乾燥化につながる降水量の減少の方が深刻な気がします。
 BBC制作のオカバンゴ湿原への動物回遊のドキュメンタリー番組(草食動物・肉食動物を問わず一斉にオカバンゴを目指して回遊をする)を見ると、アフリカ大陸は他の大陸で見られない生態系があるとわかりますが、オカバンゴ湿原ですら色々問題を抱えるのを見ると、厳しいなと思います。
 そうは言いながら、アフリカの気象変化は、東アジアにいればピンと来ません。

 これに対し、西アジアの乾燥化については、アフガニスタンで活動するペシャワール会のサイトが、現地日本人スタッフによる、日本との具体的な比較検証があるため、わかり易い情報となっています。
 ペシャワール会の活動では過去殺害された方も出た関係で二ユースになったこともありましたが、近年は、NHK番組にもなりましたが、「緑の大地計画」が話題になりました。
 例年8か月間も雨が降らないような乾燥地域で、山岳地帯からの流れ出る大河を、山田堰等の日本の江戸時代の技術を活用し、最近はやりの「持続可能型社会」の実現の一つとして、地元民の手による継続可能な治水設備の設置をコンセプトに(モノの供与よりも、技術供与を主体とした人に対する地域振興策を中心にする経済支援の施策にもなっています)灌漑事業を行い、耕地を復元するという事業で、誇張でなく大きな成功を見せておられます。
 そのレポートで特筆すべきは、1 小麦が乾燥に強いこと、2 現地に備中鍬(日本史では必ず習う地中を深く掘れる当時画期的であったフォークのような鍬のこと)はなく、深掘りの習慣がないこと、3 日本よりも地中微生物が少ないこと(堆肥作りなどが違ってくるのだと思われる)、4 8か月も雨は降らないが河川に水が流れること、河川の年間流量は一定のため、洪水があると流量が極端に減少する時期が発生することでしょうか。
 4については、緑地の出現により土地の保水力が増え、雲を呼び降雨となり山岳地帯の雪解けを促したというのはわかるのですが、日本では一定時期に雨が降ったら他の時期の降雨量が減少するということは、気象庁のデータでも確認できません。河川の年間流量が一定というのは、主たる水源が雪解け水で、年により気温の変化がないので、雪解け水の量は一定になるということなのでしょうか。メカニズムが気になります。
 3は乾燥すると、耕地がやせるということなのでしょう。乾燥化は、動植物に影響を与えるだけでなく、目に見えないところで、細菌等地中微生物も減少させ、土地そのものが細菌を分解する能力がないので、日本の農地のような循環が期待できず、一層の土地やせにつながるようです。
 
 日本の湿度の高さを、いやがる人もいますが、湿度が高いお陰で、生物だけでなく、微生物や細菌もより多く存在でき、耕地を豊かにしていくわけですから、日本の環境はある意味、世界的に減りつつある地球の地理的恩恵なのかなとも思います。

 ペシャワール会の方々が言う、「農地で食べられるようになれば、出て行った人が戻る。また働き口が見つかれば生活が安定し、人はそれを乱す原因となる紛争の発生を好まず、紛争も回避できるし人は戦争に向かわない」というのは、実践的ゆえ、説得力があります。
 世界情勢が変化しつつある今、戦争を回避する方法を改めて考えさせられます。

 山田堰(筑紫次郎と言われる筑後川にある)の話題が出てきたので、一つ。
 現在の我が国の身近な治水問題としては、九十九里浜の遠浅の海岸線の消失があります。
 その原因は、利根川流域の治水事業の発展により河川流域からの土砂の流出が止まったことと、上流にダムができ、利根川の河口・銚子付近から海への土砂流出が減ったことにより、河口付近の堆積物が減り、海流にのって銚子付近から九十九里浜まで流れていた土砂の流れが止まり、逆に太平洋の荒波による浸食で遠浅の海岸線がなくなりつつあるようです。
 河川氾濫を防止するために護岸工事を徹底し河川による土砂の流出が減ったのですから、治水事業のさじ加減の難しいところでしょうか。
 ペシャワール会のサイトで、暴れ川という表現があり、そういえば、板東太郎(利根川)は、筑紫次郎(筑後川)より暴れ川だから太郎なのだと今更ながらに思いました。


2019.05.02補足
令和が始まりました。
今回は年号が変わるだけなので、気楽に話題にできます。

令和になっても、少子高齢化、増加する外国人問題(排斥でも同調でもなく、アイデンティティーを尊重しつつ、教育を中心にした、日本語、日本文化への啓蒙を図り、相互理解を深める)、インターネットの普及による従来の小売店舗のバーチャル店舗への転換(アマゾンに代表する宅配による小売業の圧迫に対し、人と人とのコミュニケーションが必要な業態はバーチャル対応にするかどうかはともかくとして対面販売や応対を可及的に残す)、世界に対抗しうる付加価値あるいは価格を求められるために生じる製造業の衰退の危機から(これはただ、ニッチに販路を求めればいいだけなのかも知れませんが)、ハイブリット車の普及によるガソリンスタンドの減少等身近なものまで、変化は目白押しです。
いいものを取り入れ、また、将来的にインフラそのものの崩壊に直結するものについては改良を加えて取り入れつつ、よりよき未来につなげていきたいものです。

もちろん、乾燥化の問題は(今年の気温を考えても暖かくなったという感じはしないので、乾燥化に絞ります)、長期的に見れば、そろそろアジアでも真剣に考えなければならないわけで、それは具体的には東南アジア、南アジアの森林回復なのでしょう。
去年、南洋で発達した台風が、南西諸島の島々の上空をたどるルートを取らずに北上した結果、一部新聞報道もありましたが、塩分を多く含んだ降雨になりました(うちの植木鉢の植木にも確かに影響がありました)。
東南アジアの森林の荒廃がなければ、いつものルートをたどり、こういうことかがなかったと思うと、東アジア全体に与える影響(同様の問題は、北上ルートが異なれば中国韓国北朝鮮でも受けるわけです)を考えざるを得ません。

森林の自己再生力の限界を超えれば森林の保持はできません。ひと頃あった、人の手が入らないと緑に沈むという現象はなくなってしまいます。
森林資源の枯渇は、一義的には国内問題であることは間違いありませんが、急激な減少が生じたり、自己回復力の限界を超えた状態なのであれば、それは一国の国内問題ではなくなってしまいます。

中国は、豊富な資金を背景に、世界的な一帯一路を推進していますが、海外の経済圏の構築の前に、自国の環境保全の必要性を理解し、森林破壊が進み、環境保全の必要性が差し迫っている、東南アジアにも緑化目的に限定し、資金を向けてもらいたいところです。

投稿者 : admin 投稿日時: 2019-01-12 (130 ヒット)
 平成30年が終わり、いよいよ、平成最後の年で、新元号最初の年になりました。
 昭和が更に遠くなります。次の年号世代からすれば、昭和はずいぶん遠く感じるのでしょう。
 私は1996年4月に弁護士登録したので、今年2019年4月で弁護士生活満23年となり、24年目がスタートします。スキルやノウハウは蓄積されてもなお、日々変わる社会に応じて法律も異なるし、対応も変わります。似たような案件はありますが、同じ案件はありません。今年も、一つ一つ事件を丁寧にこなしていきたいと思います。

 さて、今年の私の年賀状は、図柄重視の年賀状にして、文字を写真に合った言葉にしたのですが、いただいた年賀状のいろいろな方の近況に接し、やはり文字が多い方が、面白いと感じました。
来年は、年末の忙しさに負けず、一工夫してみたいと思います。
 この一年、よろしくお願いします。

投稿者 : admin 投稿日時: 2018-11-25 (139 ヒット)
 ゴーン氏らの逮捕と解任事件は、衝撃的でしたが、意のままに操れる後任者を代表取締役に据えて、その代表取締役を会社代表として会社相手にむちゃな契約をするが、自らは株式支配率からすれば親会社である会社の代表取締役の地位に収まってしまっているからから誰にも文句を言わせないし言われない環境になっている。単純かつ鉄壁な方法ではあります。毎年の契約の書換えは報酬債権の短期消滅時効の回避なのでしょう。
 金額が二桁少ないのであれば、会社の創業一族の二代目、三代目がしでかす、無茶ぶりとして日本でも存在しますが、金額の桁も立場も違います。
また、この人たちの場合には、本社跡の銀座の一等地を売却するだけでなく、相当な人数の解雇をし、更には必要な人員配置までコストカットして、形式上の「利益」を出し、最近は検査不正まで出てきたわけですから、当時会社を去らなければならなくなった人たちの無念さ、また大幅人員削減により尋常でない多忙さの中で働かなければならなかった従業員作業員の人たちの無念さを考えれば、やってられないというのが感想でしょうか。

 聞くところによれば、ヨーロッパでは、EU統合等による市場規模の拡大により、会社規模も拡大し、それとともに経営陣の高額報酬が当たり前になっており、いわば冨の独占が容認されている状況になりつつあるようですが、今一度、なぜ、過去にフランス革命という市民蜂起が起きたのか、自ら問いただすべき時期に来ているような気がします。アメリカ独立戦争からの飛び火だけが原因ではありません。
 最近シャンゼリゼ通りで焼き討ちがあったようですが、貧富の格差の是正の放置は、いずれその富裕層に対する高い代償として跳ね返ってくるのは過去の歴史が語っています。

 今更言っても詮無きことですが、経営陣が利益の独占をして労働者への還元をしないどころか、経営陣(1人2人の問題ではない)放漫な報酬の取得、実態のない雇用にかけるコストこそ、コストカットすべきとの判断をしないようであれば、それは、日本だけでなく、ヨーロッパであっても、いい経営者とは言えません。

 日産従業員、あるいは過去に日産従業員だった方々の無念を考えれば、日本であれば桁違いの金額と内容で、目を疑った今回の状況を、もっと早く是正して欲しかったと思います。

 ともあれ、ブルーバードはいなかった(製造中止)わけです。

投稿者 : admin 投稿日時: 2018-11-12 (97 ヒット)
さて、先日、韓国の最高裁が、徴用工及びその遺族からの請求を認容する判決を下し、本日、韓国人から来日したとのニュースがあり、おじいさんのプラカードを持った「若い人々」が道路を行進している写真記事が掲載されました。
 気になったのは、普通の韓国の若者が何のためらいもなく日本にやってきて、これをしたことです。ざっと70年前の話ですから当事者は少なくとも85歳以上で、この人たちは孫か孫世代に当たる方です。

 弁護士という仕事柄、常に自分と同じと考えるのではなく、なるべく相手と同じ土俵で物事を考えるようにしていますが、同じ土俵に立ち得ないものというのは大変扱いが難しいです。

 明治民法の家長制度が改正されたのもつい数十年前の韓国ではありますが、戦前の民法でも時効はあったし、そもそも除斥期間があるし、不法行為法は関係ないしと考えると、戦時という一言で、何でも許容されてしまう、韓国のあからさまな超法規的措置が、本当に嫌だなと思うだけでなく、一見同じような法制度を持ちつつ、実は同じ土俵にいつまでも立てない、またそれを何とも感じない、韓国の若者世代に怖さを感じます。
 70年前のことに孫の世代が、当たり前のようにプラカードを持って来日して70年以上前の債権請求をする一方で、農産物では、日本産の新品種をどんどん自国で栽培し、開発費なしに、勝手に取り入れ、当たり前のように扱う。
 
 この奇妙な現象は、伝統ある漢字教育がなくなり、(どこに根拠があるのか知りませんが)「市民のための文字」と言われるハングルが幅をきかせ、言語的に戦前と戦後に明白な分断ができ、戦前の理解がないためもあるでしょうし、日本より強烈と言われる学歴競争社会の中で何か忘れたものが多いせいなのかも知れないし、歴史的に1000年以上の長きにわたり継続して属国支配を受けてきた民族性、お国柄なのかも知れませんが、隣国ゆえに、関係が切れないこともあり、今後も含め、先は厳しいなと思います。
 
 ずいぶん前のことではありますが、ある金融機関が親の債務を子に対して請求した裁判で、子の代理人で法廷に立った際に、「まるで(末代まで債務を負わなければならなかった)江戸時代のようだ」と言ったら、裁判官にすかさず「言い過ぎだ」とたしなめられたことがありますが(もちろん、言い過ぎだと理解しての発言)、70年以上前の出来事を何の違和感なく、普通に来日して行動するこの感覚が正直怖いと思いました。

 韓国政府が正常に機能しているのであれば、慰安婦問題もそうですが、徴用工問題も、韓国政府が主体性をもって救済法を制定し(過去に韓国で、特定の人々を対象に日本統治下での不動産所有権を否定する特例法を作って所有権を否定したのと同様の考え方です。)、韓国政府が既に受け取った多額の戦後賠償金を、今こそ韓国国民の救済に使うべきなのですが、慰安婦問題ですらこれができずに政権交代となった韓国ですから、慎重に世論を醸造し、機を熟して対応する他ないのでしょうが、果たしてムン氏にこれができるのでしょうか。

 世界的に通用している法理論を、広く韓国国民に周知徹底させるのは、中進国から抜け出たばかりの韓国には難しいのかも知れませんが、この対応ができなければ、そもそも正しい意味での法治国家とは言えません。
 
2018.12.06補足
 日本国内では韓国に対しあまり差別意識はなく、LINEがわざわさ「LINEは韓国の会社ではなく、日本で上場した会社です」と宣伝することに、資本が韓国というだけでなく韓国色が強い会社と逆に感じる程度です。
 そろそろ、韓国も、普通の国の、普通の法的対応を取れる国になって欲しいと考えます。既に解決済みの事柄について、常識的にあり得ない理屈で認容しても、国際的には通用しないし通用させられないことと単純に考えてもわかるはずなのですが。

2018.01.06補足
 とうとう韓国の裁判所が差押手続を認めたとのネット記事が出ました。あーあという感じで、理不尽かつ理不尽この上ない話です。
 きっと、差押裁判所は「判決が出た以上は・・・」と自己を正当化し、執行側は「判決が出た以上は・・・」と開き直り、判決した裁判所は「世論と政権に沿うとこうなる」という自己正当化をするのでしょう。

 韓国では、国家と個人は別との考え方であれば、敗戦時に韓国に残してきた日本人の個人資産の返還請求や、敗戦色が濃くなったどさくさの時期になぜか亡くなった方や、「どこぞ」に売られてしまった日本人の損害賠償請求が認められるのでしょうか。韓国国内限りでは、フェアになるのでしょうか。

 あるいは、今回の判決、差押そのものが違法として損害賠償請求をして、差押えをした個人、若しくは韓国政府に対し、同額の請求権を認め、日本国内や韓国内の資産の差押えを図れたりするのでしょうか。
 あるいは、今回同様の政策的配慮から、日本国内の朝鮮学校、韓国学校を始めとする、朝鮮人に対する日本国内の暗黙の便宜を撤廃できるのでしょうか(実質的な便宜撤廃でも、経済効果からすれば、かなりの金額の回収にはなりそうです)。
 
 同一の国内法であれば、必ず既判力の壁があるので、このようなことは検討の余地もありませんが、時効の明白な問題があり、またそもそも事実誤認の疑問が残る判決に基づく執行ですから、検討の余地もあるかも知れません。そうすると、韓国政府や韓国人の日本国内資産の差押えの余地もでてくるのかも知れません。

 もちろん、基本的にはまかり通らない議論なのですが、前提となる判決にここまで問題があると、このような問題提起の余地もありそうです。

投稿者 : admin 投稿日時: 2018-10-08 (142 ヒット)
今年は、天災が続きました。1000年前の我が国の中世平安時代であれば、祟りと怖れられ、日本各地で不遇の最期を遂げた高名な人物を祀るラッシュが到来したのかも知れませんが(菅原道真公などはその典型です)、今は、気象現象とドライに捉え、一層の分析と予測が求められますが、昭和世代ゆえ、機械の分析だけでは説明のつかないことも多いのではと考えたり、考えなかったり。結論的として天災が鎮まってくれればそれでいいと思うのは、人の性ですね。

 今夏は東京国立博物館で、縄文展をやっていました(全国巡回あり)。私の育ったところは、縄文時代に海岸線があった下総台地の端にあったので、貝塚が学区内にあり、そこに行って地面を探せば、縄目の破片が見つかる程度に、縄文遺跡が身近にあり、近くの市立博物館には立派な縄文・弥生土器(弥生土器もあった記憶があります。方墳も手賀沼の付近にある)が小学生の頃は歴史学者になりたいと思ったことを懐かしく思い出しました。
長じるにつれ、手作りの縄文土器とは違う、一般仕様に量産される弥生土器の価値を知り、遺跡調査とは支配層の墓堀りに過ぎず、庶民の痕跡は結局、ゴミ捨て場(貝塚もどちらかと言えば、こちらです)か文献の中にしか存在しないと理解し、文献調査に興味を覚えたのは、高校生になった頃でしょうか。
 その後大学は法学部に入り、司法試験をめざし、いろいろ悩みつつ弁護士になり今に至っています。
 「人間、中身で勝負するもの」と本気で信じていたのは、全く、若さの至りです。それがよかったのか悪かったのか。

 縄文展に行ったついでに常設展を見て、久しぶりに高村光雲の「老猿」を見ました。
 同じく東京国立博物館所蔵で高村光太郎の「手」もいいですが、日本の彫刻で個人的に一番気に入っているのが、老猿です。木の特徴を十二分に生かした彫刻で、小柄のニホンザルの挑戦的な輝きのある顔つきがいいです。10代の終わりから20代の頃は、常設展の入り口付近にいつも置いてあったのでよく見に行き、元気を貰いました。
私にとっては、高村光雲の老猿は、ルーブル美術館のニケと、ミケランジェロのピエタと並び、お気に入りの彫刻です。

 アルバイトではない給料を貰うようになったのは司法修習生になった25歳からなので、社会人となったのは遅かったのですが、反面、この年まで仕事を続けられているですから、結果オーライということでしょうか。ともあれ、無理がきかない年齢になり、情熱とやる気しかなかった、若い頃が懐かしくなります。
 我が身を思えば、若さゆえ、希望をもってやる気に満ち、無理してでも何でもこなしたわけですが、我が身を離れると、子どもは早く自立して自分一人でなんとか働いて生活できるようになってもらう必要はありますが、それが満たせれば、最低限は満たせたかなと考えます。
 もっとも、この「独り立ちして自活できる」というのは、その期間を長く設定すればするほど、簡単なものではありません。
 
 若者に助言するにも、なかなか、悩みは尽きません。

 老猿を眺めながら、若い頃を思い出しつつ、老いて尚輝く感じを、別の角度から眺めるようになりました。

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