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時事問題 : 世界平和はRPG限定か
投稿者 : admin 投稿日時: 2015-01-25 (836 ヒット)
 年末は久しぶりにほぼ一日中料理三昧で、サツマイモをこしたり、練ったりと日頃できない料理作りをしました。ごまめはうまくいったのですが、うっかりレシピ通りに作った黒豆が、早い段階で入れた塩により甘さが十分に出せず、ちょっと失敗してしまいました。

 さて、冒頭の「RPG」は、SEKAI NO OWARIの曲名です。子どもが聞きたがり、何回か一緒に聞かされたことがある程度だったのですが(曲名にもバンド名にも抵抗感があったため)、大みそかの紅白のDragon nightは、大変象徴的でした。いろいろ考えさせられました。

 世界平和は、RPG(ロールプレイングゲーム)の中にしか存在しないのか。

 対立する者同士の融和が、限りない夢物語に近いとの現実を理解しているからこそ、逆にあこがれるのか。
 この歌のように、互いに自らのイデオロギー(いわば正義)を否定し合う者同士が、一度でもいいから争いを止め、戦闘を止め、「友達のように」おしゃべりをし、「友達のように」一緒に歌を歌えれば、何か変わるのでしょうか。
 
 イスラム国(ISIL)の殺害予告により、中東の紛争が遠く離れた日本においても現実になってきました。
 ここ数日、いろいろな報道が出て、イスラム国の記事が充実し、情報が豊富に出回ることになり、ようやくどういう組織なのか、大まかなところは理解できるようになりました。
 注目すべき点は以下の点でしょうか。
1 イラクフセイン政権バース党のメンバーがいる。一定の統治組織があり、一部では既存政権より評判がいい。地域住民に一定数受け入れられている。
 その意味で、単なる戦闘員ではないブレインが存在する。イラク戦争は、その侵攻理由だった大量破壊兵器の保有は、事実ではなかったのですから、旧政権側にとっては正に濡れ衣により政権を追われ、その後の政治参加が閉ざされているのであれば、生き残った者が、被害者意識をもってもおかしくはないというわけでしょうか。
2 前政権の残党という形で、政権とは比べものにならない戦闘スキルを持ったメンバーがいる。
 空爆でおそらく主要拠点の空爆をしているにもかかわらず、組織として壊滅していない、一定の地域支配を継続している
3 独自のイデオロギー(イスラム教の主流ではないため信仰という言い方は使わないこととします。)を持っている
 
 個人的には、「ジハード」と言われても、『女たちのジハード』という小説の題名を連想するとか、イラン・イラク戦争での政変直後でがたがただったはずのイラン兵の底抜けの精神的強さくらいしか頭に浮かびません。
 イラクと言えば、イラン・イラク戦から始まり、クウェート侵攻、シーア派への大弾圧等、内外に対して武力行使によりその名を有名にした国でもありますから、その延長線上でイスラム国が存在するのでしょう。また、イラク戦争は、内部抗争の結果ではなく、(実は大量破壊兵器はなかったという意味で)謂われなき外国部隊の侵攻により政権を追われた彼らが、彼ら独自のネットワークで外国人部隊を呼び込んでも再度の政治的行動を起こしても、おかしなことではありません。

 はっきりしていることは、数か月の激しい空爆でも崩壊しない結果からすれば、いくら諸外国が否定しても(長期にわたる空爆などできないのですから)、イスラム国は、確かにそこに根付いており、当事者はともかく、諸外国が口出しできない状態として確立している事実を無視することも現実的ではないと思われます。
 アフガニスタン、パキスタンのタリバン、エジプトのムスリム同胞団、タイのタクシン派(前首相派ですか)も然りですが、いわゆる貧困層を支持母体とし、それゆえ、支持人口比は高いが、政治的経済的な基盤が弱い組織は、どこにでも一定数存在し、支持母体がなくなることはまずないので、存続し続ける傾向にあります。その対策としては、彼らを武装集団にさせない努力が必要で、それをしなければ、中東以上に混迷を極める中央アフリカ諸国の状況になってしまうような気がします。
 本来であれば、政権側は、こういう組織の有能な人材を引き抜いてうまく取り込むべきなのですが、聞くところによれば、イスラム国では、逆に、その地域の政権側の役人をそのまま継続して雇用しているとの話であり、なかなか・・・。

 シリアの内戦は、争うことが争いの目的になっており、イスラム国への空爆は組織の壊滅ではなく、戦闘力の減殺が目的になってしまっており、結果、前者では石油と言う地下資源とパトロンの存在故、破壊行為のスパイラルに陥り終わりが見えなくなっており、更に、後者は住民の支持を一定程度保持する故(逆に言えば、イラク復興の勢力図に不満を持つ住民が相当数存在するため)解決に結びついていない点は、もっと問題視する必要はあるのではないでしょうか。

 イスラム国について言えば、個別の少数民族、宗教的少数派への虐待、虐殺の報道はありますが、支配地域比からすれば、おそらくそれはイラクという国で見れば、大きな問題ではなく、これらの問題解決は、個別対応として地域を限定して個別に救済を図るのが本筋のような気がします。
 イスラム法でも、国際法と同様に、残虐な行為が禁止されているのは、おそらくさほど変わりがないはずで、報道される残虐行為が、追い詰められた政権内で、内部統制が効かない結果生じたのか、残虐行為を積極的に容認した結果生じたのか、どちらか見極める必要があります。
 全体的な流れからすればイスラム国の場合には前者と考えるのが妥当であり、解消が内部統制の正常化で実現するのであれば、残虐行為解消はさほど難しい話ではないのではないかと思います。
 治安が極端に悪化する大きな政変の混乱時には、残虐性、悲惨さはつきものです。ベトナム戦争の例でいえば、サイゴン陥落時の無政府状態に関する報道に心を痛めた人も多かったと思いますが、これは、まさに混乱期のイラク、シリアに通じるともいえます。したがって、混乱が解消されれば、ある程度状況は改善されます。現在のベトナムが、悲惨な状況にあるとの話はありません。

 イラクについて信託統治その他の直接の関与をしないのであれば、一定の自立・私的自治を、当該国民自らに任せる必要がありますが、中東は、もともと、民主主義が発達しているわけでも、法の支配が発達しているわけでもありません。産業の中で石油関連が突出して潤っている極端な偏りがあり、また、気候は一定で、治水その他中央集権を必要とする地理的要因もなく、更に地政学的に中央集権国家を取る必要もないとすれば、傀儡のような即席の政権に政治的、軍事的基盤を持たせても国家存立の地理的必要性が薄いわけですから、結局、政治的な内紛、混乱がなかなか解消せず、イラク戦争後の自立プログラムが進展しない現状になるわけです。
 イラク国内にとっても、周辺地域、また世界としても、問題の解決のために、過去、外部に侵攻を繰り返したイラクにくすぶる国内事情を再度きちんと情報収集・分析をし、イスラム国が何を目指して独立国を求めるのか、それを阻止するのであれば現実的解消策としてどうすべきなのか、適切な解決策を探る必要があるのではないかと思います。

 急がば回れと言いますが、取らぬ狸の皮算用よろしく、傭兵としてイスラム国に関わった者が帰国した時に悪影響だから、これを阻止するというのは、阻止そのものは当然生じる政治力だとしても、そこに時代の流れがあるとすれば、阻止は実現しない場合があります。
 欧米の歴史を紐解けば、アメリカ独立戦争・フランス革命の影響を最小限に抑えるため荒れた歴史はありましたが、長い目で見れば、どれほど警戒しても、時代の流れには逆らえず、欧米で王政が残っている国の方が少なくなっています。歴史の流れは、そうやすやすとは変えられないわけです。

 2014年9月からの空爆で軍幹部クラスが数千人も死亡したという報道が正しく、それでも、イスラム国が組織として残り、支配地域が存在するというのであれば、空爆では無理と悟るべきであり、かと言って、イラク戦争を再度行うわけにもいきません。
 国内問題については外国は不干渉であるべきとの、現在の国際法の基本原則すなわち国家主権に基づけば、もはやイスラム国がコントロールができないと認めるべきであり、空爆以外でのイスラム国へのコントロールのあり方を探るべき時期に来ているのではないでしょうか。

 つまり、問題は、存在を最初から否定してかかるではなく、国際法の枠組みの中で、誰にどの地域の支配を認めるのか、その支配をどういう条件をつけて容認するのか、どこかで折り合いをつけなければならない状況になっていると思われます。流れを止めることはできないが、一定の方向性をつけることは、たぶん可能だと思います。
 もちろん、イスラム国側も、世界規模の統一規範という意味で、ある程度確立している国際法(国際公法)に基づいた対応をする必要はあります。

 国際公法は、慣習法(コモンロー)がもとになっていますが、それだけでなく明文化されているものも多く、世界の各国は「どの国」であっても、国際法を遵守することになっています。(ちなみに、現実的なところで、日本として一番頭の痛い問題は、中国船舶が世界的な航行ルールを無視して航行し、船舶事故を起こすことなのかも知れませんが。)

 イスラム国に拘束された日本人の方のご冥福をお祈りするとともに、残りのお一方の、一日も早い無条件解放(国際法の原則からすれば、殺害または理由なく拘束することはできない)と、中東地域の、争うために争っている不毛な戦いが早く解消されることを祈念したいと思います。

2015.01.31補足
 今ヨルダン人パイロットの生存が取りざたされていますが、これが「戦争捕虜」であれば捕虜については生命身体の安全を保障しなければならないことに国際法上なっており、たとえ、爆撃によりいくら人が死んだとしてもそれを個人として罪に問われることはないことになっています(イラク・シリアで国と国が交戦状態にあるわけではなく、また有志連合の空爆は国際法上の平和維持活動でもないので、このパイロットは、国際法上の戦争捕虜ではない)。
 有名なところでは、東京大空襲で出撃したB29のパイロットが日本軍の捕虜になった際に、あまりの死者の多さに殺せと判断した責任者は、捕虜の安全を保障した国際法の違反により、東京裁判で死刑になりました(軍法裁判等裁判手続きを踏んでいれば、場合によっては違った結果になったのかも知れません)。
 東京裁判の裁判記録は、ある意味、欧米主導で確立した国際公法のルールを具体的に体感できる内容になっており、欧米でない諸国にとっては、反面教師としてのいい材料になると思います(納得の如何に関わらず、国際法の適用を受け入れるのであれば、これに甘んじなければなりません)。

 さて、今週の大きな動きとしては、NATOが、イラク政権に安全保障の協定(?)の受け入れを再度迫ったことでしょうか。
 イラク政権がこれを受け入れると、東欧と同様にNATOが空爆する正当な根拠が生じます。個人的には、曲がりなりにもヨーロッパの一角である東欧と中東では、地理的にも民族的にも大きく異なり、伝統的な考え方も異なるのですから、これにおもねることは避けるべきと考えます。東アジアもそうですが、長い歴史があるということは、歴史に根付いた伝統的価値観、思想、考え方があり、欧米の政治理念を直ちに受け入れて成功することは大変難しいです(個人的には、ハンムラビ法典かと思えるような法の遵守が叫ばれている地域では、欧米の政治思想理念の取り入れは急激な改革になりすぎる。これらの融合にはそれなりに時間がかかる)。極論すれば、カンボジアのポルポト政権のように果ては虐殺へと駆り立てられた歴史すらあります。ですから、まだ、早すぎます。
 イスラエル問題があり、イラク政権はこれを早々受け入れることはないかとは思いますが、撤回は困難なので、NATO受け入れによる欧米の価値観による武力行使を本当に受け入れる覚悟があるのか、慎重に対応すべきところです。
  
 国際法からいえば、刑法に抵触する犯罪を犯した組織(武装、非武装を問わず)を、当該国家の政府が検挙・壊滅させることには正当性があります。が、空爆により救われる市民(そこに住んでいるまたは住んでいた地域住民の意味)が存在しないのであれば、またその組織に対する地域住民の支持が確立しているのであれば、民主主義を標榜する場合には、素朴に考えれば、空爆の正当性はないとも言えます。

20150201補足
 本日、もう一方の日本人もイスラム国に殺害されたとの報道がありました。
 2人目の日本人の殺害を「権威と力を持ったカリフ」の「国」(すなわち組織全体)として行ったとのこと。
 同じ日本人として、この結果は大変残念であるとともに、これでは2014年9月以降今日までのイスラム国の対応と何ら変わりがありません。
 殺すべきでない人を殺し、残虐行為が組織として行われたことは、見過ごせません。メディアで大きく取り上げられていた昨年の人権派女性弁護士殺害の報道を目にしたりすると思うところがなかったわけではありませんでしたが、日本人のことはまた別です。
 紛争地域で過ごす彼らの、死と隣り合わせの日常、すなわちあたかも人を殺すことが自分たちの明日を守ると信じる状況で(こういう異常な状況が続くことが一番の問題なのですが)、日本人も同様(すなわち危険なところには行ってはいけないということ)という改めて認識したわけですが、この結果は、やはり同じ日本人として大変残念です。
 
 今回の件も国際法違反となるわけですから、組織内部での適正処罰がなされなければ、イスラム国の国家承認には程遠いこととなります。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

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