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時事問題 : 草木の生えない大地・・・・乾燥化と塩害の進行
投稿者 : admin 投稿日時: 2015-07-31 (996 ヒット)
 夏真っ盛りの日本列島では、庭を少し放置すると草が伸び放題になるのはよく見る当たり前の光景ことですが、これが世界的には当たり前ではない。
東南アジア、東アジアにかけては、夏と言えば、湿度が高く、じめじめしているのが当たり前。時折夕立も降るのが、夏の風物詩ですが、これも、世界的には当たり前ではなく、低緯度の地域でも、極度に乾燥している地域は多い。

さて、世界地理を学ぶ際、砂漠性気候、熱帯性気候、温帯性気候と、今ある気象条件を特徴づけて学ぶが、これは、砂漠になっているところの気候、熱帯雨林が残っているところの気候、森林地帯の気候等、当該地域に存在する地理条件と気候を関連付けて、特徴づけているに過ぎません。
海洋、河川等同じ地理的条件を備えた地域でも、なぜ一方で砂漠となり、一方は熱帯雨林が「残っているのか」、あるいは緑豊かな平野となっているのかと考えると、過去に、あるいは遠い過去に熱帯雨林を人類が開発したことはなかったか、農耕の行き過ぎがなかったか、そこの地層に岩塩がなかったかということがポイントになるのかも知れません。

今年はイスラム国がらみで、テレビに映る、周囲に草木が全く見当たらない湖の映像をみて、日本の風景とはあまりに異なり、違和感を持ちました。
 日本の感覚で普通に考えれば、水があれば草木が生え、砂漠の中のオアシスには草木が生えるのは当たり前だと思っていましたが、西アジアではそれが違う。
 
 更に、最近、子どもの送り迎えにからみ、まとまった空き時間があったため、旧約聖書を半分読破したのですが、2000年も前の記事とはルブアルハリ砂漠のくだり以外は今とはまるで違う光景が描かれていることにも、とても驚きました。
緑豊かな肥沃な大地と川が、農耕が開始され約1万年という時をかけ、森林はなくなり大地は塩化により草木も生えない大地となり、そこの土地は荒野若しくは砂漠となり、気候は砂漠性気候と言われ、夏では50℃を超える毎日となったとすれば、荒野(農耕し尽くした大地)に放り出されるくらいならば、ヘビ(メソポタミアではDragonが信仰されていたようですが、古代中国やアジアではヘビも水神につながるものとされていました。)の甘言に惑わされず、リンゴ(知恵・ヘビつながりで考えれば生活を豊かにさせた治水事業、衣類に象徴される文化の存在)の実は、食べない方がよかったのではという、文明の全否定のような流れから始まる旧約聖書の冒頭部分は、前文明からの遺恨と考えれば、なかなか重みのある内容ともいえます。

*20151209補足
 世界には様々な神話までさかのぼる歴史書、国作りの物語がありますが、歴史書の箔をつけるための手法として、似たような話を繰り返すという手法があるそうです。例えば、古事記の場合には天照大御神のくだりは、神功皇后に被るものがあり、歴史的な信憑性があるのは神功皇后の時代からではないかと言われたりします。
 同じように考えれば(というか、当時の寿命がよくわからないので、世代交代の示す時間が実感できないのですが)、旧約聖書の場合も、別の文献等でも確認できる、実在人物の逸話と重複する部分は、だいだいその時期から時を経ずにその逸話が取り入れられ執筆されたと推定できます。逆に言えば、その前の部分を歴史の箔付け部分だとすれば、該当の記載部分以前の記述については、記述部分の時間経過はさほど気にすべきものではないということになります。


 メソポタミアでの、当時の世界で突出した文明の隆盛、農地の塩化と農耕衰退、それに伴う国力の低下、文明そのものの消滅(正確に言えば、人の流出と先進文明・先進文化の拡散)の一連の流れは、6000年から8000年(いわゆるメソポタミア文明といわれる時期以前の農耕文化の時期を含む)という長い時間をかけてのことですが、後発の、インダス文明では農耕文化の始まりから大地の塩化による文明の消滅までだいたい2000年程度(インダス文明以前の前文化時代を含む)、エジプト文明でもせいぜい2000年程度と言われます。

* 30年くらい前には、インダス文明の消滅はアーリア人の移動によると言われていましたが、抗争があった形跡が見られないことから土壌の塩化が原因と今では言われています。
メソポタミア文明の消滅は、強国の侵略が決定打となったわけですが、侵略を許すほどになった、農業生産力の低下による相対的な国力の低下と、歳入に対する交易比率の上昇による富の質的変換を無視することはできません。

*20150923補足
 ある意味、それが経済の面白さなのかも知れませんが、流通経済の基本は農業生産物の流通にありますが、どの時代どの地域でも、その時代時代にみられる工業品やサービスは基本的には付加価値性により農業生産物を上回る価値が付き、農耕等のいわゆる第一次産業に従事せずとも十分な食料が手に入れられます。
 文明は付加価値性のあるものにより花開き特徴づけられるわけですが、その礎となる農業生産力が低下すれば、歳入低下だけでなく、付加価値に対する対価となる食料供給量の減少により生ずる物価上昇により、結果、従前の経済が立ちいかなくなることになります。
 したがって、どの時代、地域でも食料の値段は比較的低価格(誰でも手に入る価格という意味)で安定するのが基本で、食料は普段目立つものではありませんが、経済サイクルの根幹を支えるもの故、その生産性の低下、特に地域全体での生産性の低下は無視することはできないということでしょうか。

 文明の勃興から衰退まで、時代が下ると短くなるサイクルは、今の、世界中に爆発的に広がった均一化された文明を支える農業生産が、いつまで維持できるのかということを真面目に考えなければいけない時代が、現実化するのもそう遠くないのではと思います。
 メソポタミア、エジプト、インダス文明はすべて麦を主食とし、塩化は麦の栽培の場面で多く起こることと思われがちですが、そうではありません。
稲の栽培で、砂漠化が始まっているのが、現代のタイ東北部です。もともと熱帯雨林が茂っていたところを伐採して田にしたはいいが、土地が塩を多く含み、結果、塩化して土地が荒廃し砂漠化し広がりつつあるのが現状のようです。

 なお、南米大陸には、世界の主要穀物であるトウモロコシとジャガイモの品種改良と栽培化を実現したインカ帝国がありましたが(世界の大陸で、南米だけは、大きな砂漠がないことはある意味、象徴的です)、アマゾン川流域は、高低差がさほどないので、熱帯雨林の伐採、土地の乾燥化、降雨量の激減が始まると、河川の枯渇、砂漠化が始まるのは時間の問題であると言われれば、インダス川流域、中東を見れば、その通りとしか言いようがありません。

* インダス川、チグリス・ユーフラテス川にも、今はありませんが古代の涸川床は確認されており、遠い過去にはそれぞれ大きな支流がありました。

 では、過去の歴史を鑑み、文明衰退をもたらす、塩化・乾燥による土地の荒廃はどのようにすれば避けられるのか。
 中国文明の強国秦を支えた森林豊かな肥沃な大地と詠われた黄土高原が、今や乾燥著しい大地となり、砂漠化が言われ久しくなりますが、現在緑化運動が進められているようです。イラクでも、ここ30年緑化運動を推進してきたようです。
 草木の保水力を利用して、緑を取り戻す運動は各地で地道に続けられています。

 示唆的な出来事としては、最近、中国で、どこかの都市を大々的な都市計画により水の都にすべく、土地を造成して湖沼を設けようと、掘削して水を引いたら水が溜まらず砂漠が出現したとの記事がありましたが、逆に考えれば、この土地は、それまで砂漠化していなかったわけですから、砂漠であっても、年月をかけた地層の堆積があれば、砂漠はなくなるということになります。
 塩化を解消する策として、客土がありますが、その下に塩化した土地があれば、毛細管現象によりいずれは塩分が表土に上がってくるわけで、抜本的な改善策ではありません。今後の研究が期待されるところでしょうか。土壌の塩化解消に比べると、土壌塩化拡大阻止の対策は、取り組みやすいのではないかと思います。
20151227補足
 図書館で読める歴史書(結構いろいろあります)によれば、メソポタミアの人々は、紅海側の湿地帯の灌漑による耕地拡大、小麦栽培から塩害に強い大麦栽培への切り替え、塩が溜まりにくい傾斜地を耕地とするなど、取り得る手段は取っていたようです。
20160417補足
 乾燥した大地に定着する草は地中深くまで根を張り、水分を吸収できるものか、極度に乾燥に耐える種類かが考えられますが、保水力向上を考えるならば、前者が望ましいわけです。ずいぶん前になりますが、黄土高原の緑化を扱ったNHKのドキュメンタリー番組がありましたが、草による緑化を政府主導ではなく草の根で実現できるところが、中国の底力だと信じたいところです。

 問題が大きすぎて、うまくまとめられていないのですが、戦争はない方がいいに決まっているし、戦争に行かない方がいいに決まっていますが、その結果を導くために、どう行動すればいいのかをきちんと国民にわかるように説明するのが、安保法制の議論ではないかと思います。

 ただし、文明の衰退は、戦争をすること、戦争が起きることに原因があるというより、農耕による土地の荒廃、塩化、植生の著しい変動による気候の変化の方が影響が大きかったというのが、歴史的な結論のようです。
 現在のところ沿岸部に砂漠がない東南アジアで砂漠化が起きていることは、差し迫った問題ではないにせよ、稲作をする日本であっても決して他人事ではない問題ではないかと考え、いろいろ書いてみました。

20160410補足
 東南アジアの砂漠化は、日本にたどり着く前のモンスーンの中継地点に、いわばその湿気を、乾いたスポンジのように吸収する乾燥地帯が発生することになるわけで、毎年の風物詩である台風の発生にも影響する可能性があります。
 すなわち、今でこそ、東南アジアに砂漠地帯がなく、それゆえ、台風が発生するとそのまま海上を北上して行き日本列島に到達しますが、その西側の陸地に乾燥地帯が広がり、いわば乾燥したスポンジ状態になってそちらに湿気が吸収されれば、果たして、今のような気象条件が維持されるのか不明で、砂漠化の規模によっては、台風そのものが発生しなくなる可能性もあると思われます。現在でも同様の緯度にあっても、台風が発生する地域は限られており、ハリケーンはアメリカ、台風はアジアに見られますが、他の地域ではありません。また、アメリカ大陸は、最近竜巻は頻繁に起こるようですし、アマゾンの熱帯雨林の消失と砂漠化進行により、どこまで、この気象環境が続くかは不明です。
 台風発生のメカニズムは、海洋条件が大きく影響するのは事実でしょうが、中東、ヨーロッパの例を考えれば、周囲の陸地の地理的要因も大きく影響するのだと思います。
 今すぐどうことしなければならない問題ではありませんが、遠い過去にこれを放置したことによりおそらく気候が変化した地域があるわけですから、これも地道に考えなければならない国際問題なのだと思います。

20160529補足
 世界4大文明と言われるうち、ギリシャ文明だけは立地条件として背後に耕地を持たないため、交易都市というのが正しく、すなわち、エジプトと小アジア及びメソポタミアの海上交易を中継することで、栄えた文化・文明などだと思います(その文献もエジプト由来が多いですし)。
 2000年前のころの、仏教、ユダヤ教、キリスト教の発生、中国の百家争鳴、儒教等は、世界史年表を見ると地域が離れているため、なぜこの時期に集中しているのか疑問でしたが、この時期にメソポタミア、インダスの耕地の消失による文明の消失、流出と他の地域への伝播があったとすれば、整合性が取れ、納得行きます。 

 

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