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時事問題 : 文系的に 脳を科学する
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-10-05 (786 ヒット)
 高齢者問題は、弁護士の業務としても大きなウェイトを占めており、私も仕事柄、日常的に高齢者に面会しています。

 医学的に言われる認知症は、
脳血管性認知症、アルツハイマー型認知症等に分かれますが、腫瘍や閉塞・虚血などにより血液が行き渡らなくなった脳が萎縮する症状を言います。さらにそれを認知力として測るスケールとして長谷川式等があります。
 もっとも、記憶力、計算力、思考力は個人差があり、基礎点がもともと高い人も低い人もいるのに、長谷川式では一律基準で行うため、長谷川式は、基礎点が高い人(いわゆる高学歴と言われる人に多い)の認知症判断スケールとしては、相対評価はともかく絶対評価は、なじまないのではないかと考えています。
 
 さて、認知症の老人でも、対話はきちんと成立します。会話可能な状況判断力は残っている方は多いのです。医学書に書いてある、認知症になれば数年経つと寝たきりというのは、ある意味正しいが、普通の適切な言葉がけ、環境作り(色々な作業を与えて混乱させるのを避けつつ、本人の状態から可能な日常生活の動作は行わせ、認知力を維持する等)などのケアにより、もっと長生きする方が多いというのが実感です。なお、認知症の方の意欲低下は、ADLの低下により直結します。
 医学書の記載は、病院に入院するような生活環境の方特有の問題のような気がします。

 認知症の高齢者は、特に短期記憶を覚えていられず、記憶に基づいた会話は成立しません。つまり、さっき言ったことを覚えていないので、その時の状況を判断し会話ができても、会話の積み重ねができず、中身のある会話が成立しないのです。
 何度も何度も、同じ会話を繰り返すのは、その話を強調したいとの意思の表れの場合もあるでしょうが、本人の内心では、繰り返しの会話をした時点から、短期記憶のリフレイン(又は書き換え。本来そこでROMに落とし込むべき情報がそのまま消滅し、RAMにも残らない状態、いわば「上書き保存」ができずに終了させ、白紙の状態に戻って会話が始まる)が生じた結果の場合もあるのではないかと考えます。
 但し、昔の記憶は、きちんと残っていて、短期記憶をつなぎ合わせる会話は難しいですが、古い記憶に基づいた会話は成立します。記憶力が完全にないわけではありません。

 この現象について、文献も当たりましたが、納得のいく説明がされた文献に出会えなかったのですが、私なりに一番、納得がいくのは、コンピューターに例えて考えることです。
つまり、OSの中の、
CPUがもともと、本人の備わった先天的、後天的能力、
RAM(ウィンドウを開きすぎたり、使いすぎると、画面が固まってしまう)が、その場の認識力・状況判断力
ROM(使いすぎると、それ以上記憶できなくなる)が、いわゆる記憶力
画面サイズ、解析度が再現性、コミュニケーション能力
と考えると、
認知症というのは、RAMには致命的な問題はなく、遅いながらも処理が可能ながら、ROMがいっぱいになっているのでハードディスク(脳には外付けディスクがないので、ハードの容量がいっぱいになればそれ以上の記憶ができない)に記憶処理ができず、ROMとRAMが連動して本来成立しなければならない会話、対応ができない状態と考えれば、わかり易いのかなと。個人的には、認知症の説明は、コンピューターを使って説明するが、一番すっきりします。
 
 脳科学の理解では、人間の脳は全部が使われることがない、余力があるというのが通説なので、上記の説明は前提を欠くわけですが、コンピューターの場合もそうですが、定期的に必要な「最適化」作業はハードディスクの容量に余裕がなければできません。脳が全部動かないのは、深層心理領域の問題と「最適化」のための余力の関係ではなかろうかと、だから脳の萎縮による稼働領域の減少は認知症に直結するのではないかと、個人的には納得しています。

 さて、例えですが、何か別のことを考えていて、集中できず、試験や仕事でミスを連発するという現象は、OSそのものは正常に作動し、ROMの容量にも問題がなくRAMとの連携もある程度とれているが、画面上に、試験・仕事のウィンドウの他にいろいろなウィンドウを開きすぎて、RAMの容量がいっぱいになり、表面処理速度・精度が低下し、起きたと考えることもできます。
つまり、試験でも、仕事でも、適切かつ迅速に物事を進めるには、余計ことは頭の隅に追いやって、目の前にすべきことに集中するというのが必要だということです。

20171007
 よく、おばあさんが子どもに昔話を聞かせる等のことがありますが、これは、高齢者であっても、昔話であれば鮮明に覚えていることと裏腹な関係があるということになります。
 また、脳機能が低下して新しい記憶を覚えられなくなっても、対応力・状況判断力と確立された古い記憶が比較的最後まで残るということは、それが生物としてのヒトが生存するために一番必要な機能だったからではないかと考えると、生存競争の原理としての取捨選択の奥深さを感じます。

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