潘基文国連事務総長、異例の発言〜とのニュースを考える

投稿日時 2013-08-27 | カテゴリ: 時事問題

潘基文国連事務総長が、我が国の政権に対して異例の発言をしたというニュースがありました。
国際連合の慣例で、先進国の国々からは、国連事務総長は選出されません。影響力が大きすぎるのと、国連の組織を、発展途上国を含めた世界の国々対し公正中立の立場に立ち、一国の利益を代表することがないようにするためです。だから、今東アジアで初となる国連事務長を、韓国国籍を有する人がやっています。

国連事務総長の「歴史云々」発言は、日本は敗戦国であり、そういう歴史があるから、国防以外に軍隊を持ってはならないという趣旨でしょうか。
当たり前のことですが、韓国の軍隊は普通の軍隊で、日本のように国連軍の活動であってもその活動範囲で国会が毎回もめるなどのことはなく、小規模ながら毎度紛争地に出かけています。そういう韓国のメディアが、「歴史を知るべき。だから集団的自衛権など容認すべきではない」というのは、余計なお世話のお門違いですから、相手にしなければいいわけです。
しかし、これが、国連事務総長の発言であれば、容認できるものではありません。

また、集団的自衛権の問題を、「国連」の立場で発言をするのであれば、軍隊を持たなかった、当時世界一平和と言われたクウェートが、あっさりと隣国の軍隊に占領され、それがイラク戦争になって行った歴史、その際の国連の関与等を、きちんと認識して発言していただきたかったと思います。
普通の軍隊を保有する韓国が、あるいは集団的自衛権をわざわざ議論しなければならない国は世界でも特殊である中で、「国連」事務総長が発言する、集団的自衛権を否定すべき歴史とは、具体的に何を指すのでしょうか。

もちろん、私自身は、憲法を学び、憲法がある状況で生活しているわけで、平和憲法だとか、これを堅持すべきと教えられて育った世代です。現在の憲法を否定するわけでも、集団的自衛権の行使を全面的に容認するわけでもありません。
が、憲法議論は、国内問題です。自国の中で議論するものと、何の制約もなく集団的自衛権を有する軍隊を持つ他国が、「歴史があるから」と制約を要求するのは、全く意味が異なります。
国連事務総長の立場としては、国内問題に、しかも他国のメディアに対して答えたという意味で、適切ではありません。

中国では、茶番劇のような共産党幹部のメディア公開裁判が行われましたが(もともと、メディア公開する内容が、中国国民向けのアピールのためか、なぜ収賄?とか、受託の有無、職務に関しているのか等、構成要件的にいまいち理解しにくいところがあり、結果茶番劇だなと思ってしまいます。もちろん、収賄は日本では実刑になることはありますが、無期にも死刑にもなりません。)、事務総長の任期が何年あるのか知りませんが、一国の国内問題にここまで首を突っ込む必要性があるのか、全く疑問です。

できれば、出身国のメディアに色目を使う時間があるのであれば、今世界で一番、トピカルでデリケートな懸案事項である、シリア紛争での化学兵器使用について、国境なき医師団のスタッフが現地医師から聞いた「使用あり」との情報で、多国軍を編成して動こうかどうかという中で、国連、あるいは「国連」事務総長こそ、中立的第三者の立場からの本格的な介入の役割を果たしていただければと希望します。
意見対立で調整がつかない安保理の立場ではなく、国連として正確な情報収集を行い、今度はイラク戦争のように、主たる開戦?理由であった「『大量破壊兵器保有』の事実はなかった」と判明し、うすら寒い思いをするという事態に陥らないように、また、平和的和平の途を開くよう対応していくべきであるのではないかと思います。
最終到達点がない戦争は悲惨で意味のない消耗戦であるとわかりきっているはずで、それを誰がどう折り合いをつけるのかというキーパーソンの問題であるとの認識が双方にできれば、本来的役割を言えば、国連が乗り込むのが、一番適切なのですが。これこそが、国連設立当初期待された役割でもありますが、・・・未だ道のりは遠いようです。




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