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投稿者 : admin 投稿日時: 2006-04-28 (955 ヒット)
 現在、利息制限法と出資法の乖離をなくし、貸し付けの場合には、年利最大20%以上の利息をとってはならないことにしようという法改正の機運が高まり、近々国会審議の見通ししなっています。
 私は、これに賛成です。理由は以下のとおりです。

1 生活費工面目的の借入れの増加
  昔であれば、多額の借金を作ったというと、ばくちやギャンブルで多額の借金を作り・・・、というのを思い浮かべるかも知れません。
  しかし、今は、CM効果なのか、生活費が足りなかったからサラ金から借入れをしたという人も多いのです。
  妙な話ですが、ギャンブルで借金をという人であれば、生活苦からの借り入れでないので、周りの援助があったり、本人がギャンブルをやめればなんとかなる場合もあるのですが、もともと、生活費が足りない人が生活費のために借金をすると、支払いに回せる金銭がないため、なかなか借金が返せず、借金の利息のために借金を重ねる自転車操業の上、破産するというケースが多かったのです。 
  生活費のための借り入れというのは、普通の人が破産するケースに多いパターンです。
  この場合には、利息が今までとは異なり、18%以下の金利であれば、完済にこぎ着けるケースも増えます。
  その意味で、金銭貸借が正常に機能するようになります。

  貸金業者の立場から言えば、18%や20%の利息であれば利ざやが稼げずに、あがったりだという主張をしますが、必ずしもそうではありません。
  弁護士は、破産だけではなく、金融業者と話し合いにより月々の返済金額、返済総額の変更を交渉する任意整理というのをやりますが、任意整理をすれば、大抵の方は完済されます。
任意整理を選択する方は支払い意欲がある人なのですが、「支払っても、支払っても全然減らないから弁護士に依頼にきた」という人もいます。
  貸金業者は、消費者が完済できる貸付、支払方法をセットするのが、商売なのではないでしょうか。破産という救済手段に双方が依存してなりたつ収益構造には疑問があります。
  
2 計画的返済の不可能性
  消費者金融のCMでさかんに「ご利用は計画的に」と言っています。
  しかし、年利20%以上の金利を支払う場合に計画的に利用することは不可能です。
  もともと余裕資金がないのに借りたのに、計画的に生活費を削って20%以上の利息をつけて返済するなど最初から無理なのです。
  これ以上利率を上げても、破産と自殺者と夜逃げが増えるだけです。私は、破産者と自殺者と夜逃げが増えて、正常な地域経済が営まれなくなることは、貸金業者の経営体質悪化以上にゆゆしき問題だと思います。
  銀行は都市にしかないが、貸金業者のATMは全国津々浦々にある、この日本の現状が正常だとは思いません。芳しい産業のない地方で貸金業だけ繁栄しても、消費者金融から貸付を受けた若者、中高層は支払いができなくなった段階で、その地域、その地方から転出その他を余儀なくされるわけですから、地方経済にとっても労働者の流出と表裏一体の問題となり、いいことではありません。
 基本的には、貸付先を生かさず殺さずに収益を回収するのが銀行業の基本などといいますが、実際には逆であるべきだと思います。金貸しこそが「もうけすぎずつぶれず」の共存共栄を目指すべきなのだと思います(外国資本との競争力確保の点を除く。)。
 それには、多くない適正な、きちんとした返済を受けて利益を出すのが、正常というものなのではないでしょうか。
 破産、任意整理をされる方も、皆さん「本当なら、きちんと返済したい」と話されます。
  
2 返済計画を立てられる可能性
  そして、利息を最大20%とする最大のメリットは、消費者にとっては、月々の支払金額を下げられることだと思います。
  もちろん、多額の借り入れをして支払いに追われるようになれば、破産やむなしのケースもありますが、破綻までの期間が長くなることにより、リカバリーの機会も増えるのではないかと思います。

3 貸付方法の多様化による貸金業者の生き残りの可能性 
  最近、銀行系貸金業者が多く手がけている、長期分割リボの借り入れは、支払金額が少なすぎて、元本が減らないことが問題になっています。
  たとえば月々1万円の返済でも、元本の支払金額は数百円しかないので、完済までかなり長期にわたって支払いをしなければなりません。利息の支払総額だけを考えると、現在の消費者金融顔負けの支払総額となってしまい、破綻につながるという懸念がされているのですが、おそらく、制限利息が最大20%に統一されることにより、増えてくる貸付方法だと思います。
  是非は別として(少額リボ払いも駆逐されるべき貸付方法とされるのでしょうが)、この方法をとれば、貸金業者も利益額の確保はできることになります。
  貸金業者も貸付方法について知恵を絞ることにより、収益改善することを検討すべきです。

4 過払い裁判の増加
  そして、私が全く意味がないと思うのは、結局、破綻となった場合には、過払いがあれば裁判で取り戻すのが一般化している現状では、グレーゾーンが貸金業者に利益をもたらさないということです。
  裁判コストだけの増加は、何の意味もありません。

このまま、出資法、貸金業法の制限利率の引き下げの法改正が無事に、立法化されることを強く希望します

投稿者 : admin 投稿日時: 2006-04-25 (1000 ヒット)
新緑の季節は、自殺者や精神的に参ってしまう人が増えると言われています。

 今年の象徴的な自殺記事は連続しておきた警察官の拳銃自殺でしょうか。
 拳銃自殺は、日本では警察官の特権かもしれませんが(拳銃所持許可がなければ、銃刀法違反で被疑者死亡でも必ず立件されるので、死後犯罪者扱いされる。拳銃自殺で犯罪者扱いされないのは猟銃所持許可がある人か拳銃所持を許されている警察官しかいない。)、もちろん、拳銃は国民の税金で配布されていますので、これの私的利用はいかなる目的であっても許されるものではありません。

 さて、新聞記事によれば、ある人は県警本部のトイレで、ある人は部屋の押し入れで自殺を図ったそうですが、この日本で、どこで自殺をすれば、損害賠償請求が少なくなり、遺族に迷惑がかからないのでしょうか。
 巻き添え自殺で第三者を巻き込めば高額な損害賠償請求がありますし、自宅で自殺しても自殺者が出たということで欠陥住宅(裁判例では、自殺者が出た場合には、建物の欠陥と同様に瑕疵と評価され、自殺の事実を告げずに売却すれば、契約解除される場合もあります。)となり、資産の目減りが生じます。最近は、賃貸でも、自殺者が出るとその後借り手がないということで結構な金額の損害賠償請求がされます。
・・・・つまり、この日本では、どこで自殺しても、お金がかかるのです。強いて言えば、公有地で捜索隊を出さなくてよいようなところで、かつ器物損壊にならないようなやり方(基本的には、人が死ぬとそれだけで使えないと言われるので、これがなかなか難しい。)で、私人ではなく職務執行中の役人か警察官に発見されるのが一番安上がりということでしょうか(一般人が自殺に遭遇することは精神的ダメージが大きく、PTSDになったとか言われたら大変ですが、DSM−?のPTSD該当要件を満たす場合も考えられるので)。

 新年度が始まり、環境の変化の中で、対応不順、適応不順となったり、自分を追いつめてしまった人は、そんなに少ないわけではありません。
 こういう場合どうすればいいのか。
 ネットの気に入った掲示板に書き込みをするのでもいいのですが、人と話をするのもなかなかいい気分転換になります。
 いのちの電話をはじめとして、自殺したいと思い詰めている人を対象にした電話相談があります。
 いろいろ、もがいてみると、時には、解決するものです。
  
 

投稿者 : admin 投稿日時: 2006-03-28 (994 ヒット)
天の裁きやのように、絶対的な不動の存在により裁きを受ける場合には、それに対して人は何も文句は言いますまい。
敗戦直後に、東京裁判というものがありました。何回も映画化されているし、今でも詳細がよく知られていますが、「公正な裁判で死刑判決を受けたのだから死刑やむなし」と思う日本人も、敗戦の記憶が完全に薄れたらでてくるのかも知れません。あの裁判も形式的には、刑事手続きを踏んだきちんとした裁判です。ただ、私も結果ありきの裁判だったと思います。
先日、旧ユーゴスラビアのミロシェビッチ元大統領が獄中死しましたが、あれも国際刑事裁判中の話で、自殺あるいは死にたがっていたという記事もでました。
イラクの元大統領は、自分が裁かれている裁判法廷で「これは茶番だ」と言い切って、退廷命令を受けたという記事もありました。
 そう、刑事裁判の中には明らかに茶番、すなわち結果ありきの裁判が存在するのです。

 だったら、なぜ裁判をするのか。それは、人が人を裁く以上、いわゆるリンチ(私刑)と異なり、客観的公正さを担保する必要があるからなどと言われます。
 かといって、イラクの元大統領がいなくなって内戦勃発で死者が多数出て宗教対立は進み、ある民族は独立を掲げ、国としても統一性がなくなり国益が外国資本に吸い取られている状況が作り出されたということは、ま、彼のやったこととは無関係です。どっちの死者が多いかとか、どっちの死者が悲惨だとかも関係ありません。彼は彼のやったことに対して裁かれます。イラクで刑事裁判の考えが浸透せず、刑事裁判によらずに人を裁いたことも問題となるのでしょうね。 
 国際公法、国際司法はヨーロッパの考え方が元になっています。イスラムの教え、共産主義的発想には、ミスマッチの場合があるのです。

 「ばかは勉強しろ」とちょっと前のテレビドラマで主人公が言っていましたが、まさに、国際社会において、国際公法の仕組みを知らなかったり、国際司法を理解していなかったりしたら、置いてけぼりになってしまいます。私は、これぞまさに「ばかは勉強しろ」ということだと考えています。

 麻原事件は、控訴棄却で高裁控訴審は終わりました。弁護人に選任され、被告人に会いに行っても、被告人が会おうとしないとか、会ってもうんともすんとも言おうともしなければ、控訴趣意書はなかなか書きにくいです。・・・控訴趣意書はあくまで被告人の意見を法律的に咀嚼して代弁するため、本人の意向を全く聞かないということができません。本人の意向をまったく聞かずに、控訴趣意書を作成し懲戒処分となった弁護士もいるはずです。かといって、弁護人を辞任しようにも、誰も他になり手がいない状況で、なすすべがなかった一面もあるのではないでしょうか。私だったら、この状態で控訴趣意書を出す勇気はたぶんでないでしょう。
 今回の麻原精神鑑定でも、山口光市母子殺害事件でも、そうですが、被告人の細かい言動が記録されていることに驚きました。一般に自殺防止のため、24時間監視カメラが設置されているとは言われているのですが、24時間録音もあったんでしょうね。文書の検閲もありですし。未決拘禁者のプライバシーはほとんどないということがわかりました(もちろん、公正な裁判を目的とする、刑事訴訟法では、未決拘禁者は無罪推定の原則が働き、過度の人権侵害はされないことが原則となっています。ま、ここら辺が、ヨーロッパ流の刑事裁判を取り入れようと努力した日本司法140年の成果としての限界かも知れませんが)。
 
 芥川龍之介の作品で「蜘蛛の糸」という作品があります。小学校国語の教科書に載っていた作品なので、知る人ぞ知るというところでしょうが、子ども心に難解で、なかなか読書感想文が書けなかったところ、ある友人が「このお釈迦様は偉そうだ。どれだけ偉いのか。お釈迦様は人間でないとしてもこんな簡単に人を裁けるのか」とすぱっと言いきったことを今でも記憶しています。
 死刑廃止制度論者の考えの根幹は、こういったところにもあるのではないでしょうか。

投稿者 : admin 投稿日時: 2006-02-06 (884 ヒット)
裁判員制度に伴って、法テラスという制度が施行されました。

刑事弁護は、弁護士のやる気と力量によって有る程度決まってしまうところが、残念ながらあり、どの弁護士が担当しても、同じ結果となるわけではありません。もちろん、民事事件もそうですが。
現在、資力のない一般の人の刑事弁護は、各地の弁護士会の推薦をもって選任しています。
ところが、今度の法改正で、「法テラス」で国選弁護の振り分けをすることにしました。この制度の従前との大きな違いは、弁護士会は弁護士だけで構成されるのに対し、「法テラス」は、弁護士と検察官で構成されるということです。
簡単に言えば、検察官がある意図をもって、国選弁護事件を振り分けることも可能ということになります。事件の振り分けをアトランダムに振り分けることにするだけで事態はずいぶん変わります。なぜなら、日本の刑事事件の有罪率は高く、自白事件については大差ないものの、無罪を争う事件についてもアトランダム配点し、やる気のない弁護士が当たれば、まず有罪になるからです(現在の弁護士会でどのように事件配点を配慮しているのか程度の問題はあるとしても、やはりこれは将来を危惧すべき事柄です)。

もちろん、刑事弁護を国選に頼らず、私選弁護で、きちんとやれる人はいいでしょう。そういう方も多いですが、そうでない方々もいます。

今、弁護士会の中でも刑事弁護を扱っている刑事弁護委員会は、国選弁護の推薦についての法テラス丸投げを反対していますが、弁護士会全体では、これの丸投げを容認するのが多数となっているようです。資力がないけれど、無罪を争っていて、きちんと弁護をしなければならない人も少なからずいるのですが、そういう人々は今後どうなるのでしょうか。
私は、刑事事件であっても、裁判制度が金持ちに有利な制度であって欲しくないと思うのですが。弁護士の手弁当も限界があります。

細かいようですが、国選弁護の推薦権は、検察官の目が届かない弁護士だけの権利として残しておきたいところです。

投稿者 : admin 投稿日時: 2006-02-06 (829 ヒット)
裁判員制度が着々と準備が進みつつあります。

アメリカの陪審員では、その年齢、男女比、人種などの構成により、評決の結果が左右されると言われ、この事件ではどういう構成になったのかなどと報道されます。具体的には、白人を裁く裁判では、保守的な白人の陪審員が多い方が有利であるという前提に、裁判の有利不利が報道されています。

日本では、裁判員になりましょうという報道はよくされますが、
未だ構成について、どういう形を取るのかの報道は見かけたことはありません。
すごく、気になります。これで判決が左右されるのであれば。

今の日本の刑事裁判では無罪事件は数ヶ月で判決というのがほとんどありません。主たる理由は弁護側にあると言われています。
刑事訴追をする側は、国家予算を使い人海戦術の裁判ができますが、弁護側は、余裕のある依頼者ではない、普通の刑事事件では、弁護士は片手間の、半分ボランティアで、しかも多くて数人のチームを組んでやる程度。刑事訴追側と同程度の所要のべ時間の確保にすら時間が必要なのです。人海戦術の要員を借りたい位のものです。
両者には、当然の、あるべき姿ではありますが、歴然としたハンディがあるため、結構、これがつらいです。
ま、それでも、無罪を取るべき事件で無罪を取らなければならない宿命があるのが、弁護士ですが。

先日、日経新聞の記事に、裁判員制度を利用した模擬裁判で、殺人未遂の事件で、殺意が否定されたとの記事が載っていました。
我々弁護士としては、暗雲漂う法テラスの制度の話が重くのしかかる中で、ちょっと、光明が差した記事でした。

裁判員になる方、どうか「公平な目」で、裁判に参加してください。

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