ˡΧ̳
投稿者 : admin 投稿日時: 2012-09-16 (1052 ヒット)
本日は、息抜きで書いています。ですので、これをあまり真剣に読まないでください。

ある未来の一風景
 未来のある日、とうとう、人類が地球外に移住する日がやってきました。その別の惑星にはある程度大気があり、惑星に到着すれば宇宙空間ほど宇宙線が降り注ぐわけではありませんが、降り注ぐ放射線は地球の比ではなく、また、その惑星に行くまでの宇宙旅行で、どんなに高性能の宇宙服でも、かなりの放射線を浴びてしまいます。
 その中で、早死せずに、生き残った人々は、地球で生活していた際に、ある程度日常的に放射線を浴びていた地域に長年住んできた民族で、生存確率が高かったのも、どちらかと言えば緯度の低い地域に住む民族でした。耐性を獲得し、放射線に対する感受性が、さほど大きくない体質を獲得していました。
 

 深海にすみ、熱水をエネルギー源にする「化学合成生物群集」は別ですが、地球に生きるほぼすべての生物は、太陽光線という原子核の核融合反応によって生じるとされる膨大な熱エネルギー・光エネルギーの恩恵を受けています。言葉を換えれば、誰でも原子力エネルギーの恩恵を受けているともいえます。
 ではなぜ、いわば、太陽の小型版の応用(但し、太陽のような水素の核融合ではない)ともいえる原子力発電を反対するのか。
 人類が取り扱うには、危ないからです。暴れ馬を乗りこなせないのであれば、暴れ馬には乗るなというわけです。
 現在確実にわかっていることは、人類が地球外に恒常的に出るのであれば、放射線への耐性獲得が必要であることであり、数十億年という半永久ともいえる期間継続してエネルギー放出が可能なモデルとしては核融合反応があるということです。

 ガンとは、一般に悪性新生物といい、細胞分裂の際の遺伝子等の細胞情報のコピー(再生)不良により、本来あるべき細胞や組織の機能を喪失したため、腫瘍となるもので、そのうち、自己増殖機能を有しない不良コピーが良性腫瘍、自己増殖機能を獲得した不良コピーが悪性新生物というわけでしょうか。わかりやすく言えば。
 ガンの放射線治療は、腫瘍のある部分に放射線を投射することにより、自己増殖機能を喪失させることに目的があります。ガン治療の場合には、腫瘍となった組織が正常組織に戻ることは、ないのですから。
 ちなみに、細胞分裂の際に遺伝子等の情報にコピー不良が生じても、それがマイナスに向かうのではなく、当該細胞やその組織の機能を向上させるのであれば、それは腫瘍とはいいません。
生物の進化は、ダーウィンの生物進化論だけでは説明がつかず、突然変異の介在は否定できません。突然変異は、優性遺伝子の生き残りというモデルのほかに、細胞分裂の際の遺伝子等の情報に書き換えが行われること(これも一種のコピー不良)によって生じるというモデルも考えられます。

 細胞は、再生を繰り返せば繰り返すほど、再生(コピー)不良が生じますので、自ずとがん発生確率は高くなります。他方で、高齢化すればするほど、新陳代謝、つまり細胞の再生化機能は低下してくるので、悪性腫瘍が存在しても直ちにそれが異常増殖を始めることはありません(つまり、悪性腫瘍が確認されても、増殖速度が速くないので、必然的に生存率が上がる傾向が生じる)。
 細胞分裂に対する負荷(放射線を含む、外的内的ストレス)による遺伝子等の情報の異常書換には、悪い方向だけでなく、いい方向への情報書換えも、理論上あるわけです。
 個体に絞っていけば、メリットよりもリスク回避を取るのが盤石とも言えますが、その盤石なやり方がいいのかどうか、それを種の生存レベルまで話を高めると、また違った見方が出てきても、いいということになります。

投稿者 : admin 投稿日時: 2012-07-17 (1237 ヒット)
プログラムソフトを購入することは、通常、使用許諾権とともに、プログラムソフトの複製物を付与することを言います。つまり、プログラムソフトを購入するのは、CD等の媒体メディアで購入するか、ダウンロードする方法を取ります。
それ以外で、プログラムの複製物を付与せずに、購入(売買)が成立することはありません。逆に言えば、プログラムの使用許諾は、プログラムソフトの複製物と一体として初めて意味があるのであり、プログラムソフトの使用許諾だけ一人歩きすることはありません。

まして、インターネットを介して、特定のサーバーにあるプログラムソフトを利用することは、購入にはあたりません。

これって、日ごろからインターネットを使っている者にとっては、当たり前の話ですが、身近ではない人にとっては、よくわからない。
インターネット上の特定のサーバーにあるプログラムソフトを使う場合でも、そのソフトを購入する必要があるとか(そもそも仮想ソフトではないのか、どういう提供がなされるのか疑問)、リース契約が成立すると真顔で言っている人もいるのです。

確かに、インターネットのしくみ、プログラムソフトの意味、プログラムソフトの複製物の付与がなければ使用許諾権が与えられていてもプログラムは使えないという、いわば常識がなければ、プログラムをダウンロードして使っても、クラウドのプログラムをネット上で使っても、「同じように使えるから、その使用事実に対する法的意味も同じ」ということになるのでしょうか。
しかし、これらは、根本的に異なります。
異なることは、ある程度常識だと思っていますが、そうではなかったようです。

急激に発達したインターネット社会に対応できるよう、義務教育の過程でも、インターネットやパソコンをただ単に使いこなせるだけの教育だけでなく、その簡単な仕組み、できれば、簡単なプログラムの基礎程度まで、教えてほしいと思います。

7月の著作権法改正で、問題になった部分は、サーバーにあるプログラムソフトを利用する場合でも、自分のPCで閲覧するために、一時的にキャッシュとしてデータを取り込む必要があるため、これが、複製にあるのか問題になったからです。
http://www.bunka.go.jp/chosakuken/21_houkaisei.html
文化庁の見解としては、キャッシュは複製に当たらない。また、違法ダウンロードによる損害賠償請求の通知が見知らぬ第三者から届いたら、まず、振り込め詐欺を疑ってほしいというものでした。

ダウンロードもしないインターネット上のプログラムの利用は、そもそもプログラムの複製ではなく、著作権侵害には該当しません。
インターネットを介しての、いわゆるクラウドソフトの利用を最初から想定して、クラウドソフトの購入が必要だとか、リースが必要だとか言ってくる業者も、怪しいと思って、最初から疑ってください。

最近、非常に微妙な、それでいて、何度言ってもあまり理解してもらえないというカルチャーショックを体験し、インターネットやプログラムは、仕組みを知らなければ、「裸の王様」に等しいということを痛感しました。最低限の知識は、やはり必要です。

しかし、機械に弱い世代にはやはり難しい問題のようで、自分の説得力のなさを痛感しつつ、なんでわからないのだろうという疑問を感じるばかりです。
インターネット、コンピューターは、今後はもっと普及するわけですから、若い世代には、インターネットの知識、プログラムの仕組みは当然の理解してもらい、ある程度のプログラム設計の基礎知識程度の習得や初歩的なハッキング(インターネット経由で他のパソコンに入り込んでその情報を入手したり書き換えること)は、できるようにしてもらいたいと思います。
正直、これらのことは知識がなければ、全く理解できないことのようで、つまりそれは裸の王様をみて、服をきていると思わされ、それを何とも思わない人(つまり騙される人)を大量に作ることになります。
また、実際にハッキングするかどうかは別として、その程度の知識と理解があることが、ハッキング撃退のための最良の防御となります。そうすれば、裁判所のHPがハッキング後なかなか復旧しないということは、なくなるのでしょう。
そのためには、必要な知識と経験を身につける必要があり、やはり、教育が必要です。

*「裸の王様」についての補足
 王様が賢い人にしかその形が見えない洋服があると詐欺師に欺されて、王様が自分にはその洋服が見えないと言えず、洋服を着ているとすましこんで裸で城下をパレードし、城下の誰もが、裸の事実を指摘できなかったところ、一人の子どもが裸と指摘したため、ようやく町中が安心してその光景を笑ったというアンデルセンの童話のこと。
 すなわち、権威の威光(但し、権威は詐欺師ではなく王様にあります)により「裸」の事実がねじ曲げられ、誰もが「服を着ていない」という当たり前の事実を指摘できず、何のしがらみのない、素朴な子どもの単純な指摘により、ようやく権威の威光を覆すことができたというアンデルセンの寓話ですが、何も知らないということは、この「裸の王様」と同じです。
 私は、インターネット上のソフトは、プログラムの複製品の引き渡しもなく、購入・リースできないのに、インターネットに接続すれば当該ソフトが使える事実だけを根拠に、購入・リースできるかのように装って販売・リースをさせるやり方は、正にこの寓話と同じだと考えます。

投稿者 : admin 投稿日時: 2012-03-22 (1208 ヒット)
ローマの記事を一つ書くと予告して、ずいぶん日が経ちました。
ちなみに、ローマに行って、一度、見てみたかったのが、ミケランジェロのピエタです。
若い頃に読み、当時は人気のあったマンガの影響ですが、(若い頃に読んだものなど、そう忘れないものですね。)、とこれで、ピンときた人は、私と同世代ということでしょう。
ピエタ。わざわざ行った甲斐がありました。モーゼ像も見たかったのですが、これは時間が合わず、ダメでした。これは少々残念ですが、ま、仕方のないことです。

笑えるのは、ガイドブック(自分で買ったものではなかった)を飛行機内で読もうと中身も見ずにそのままスーツケースに入れたところ、なぜかミラノのガイドブックが入っており、やむなく、インターネットとイタリア語の本の付録のガイドブックと、ホテルでもらったイタリア語の地図で観光する羽目になりました。インターネットは、思いのほか重宝で、逆に気に入ったところに絞った観光ができて、かえってよかったかも知れません。

さて、川の写真を出し、「上流、中流、下流のどこを映した写真でしょう」という学習は小学校低学年くらいで習うことでしょうか。川の特徴は、地形を確認するためには有用です。
ローマの街にはエルヴェ川が流れていますが、この川の水位は、殊の外低く、また、川岸から川底までの深さが7,8メートルくらいあります。すでに廃橋となっている橋の一部の土台がだいだい川底から数十センチのところにとどまっており、かなり前から水位の変動がないと思われるため、この水位の低さはダム等特殊要因の影響ではなさそうです。
 とすれば、この川幅、川底の深さは、上流に近い中流の河川の特徴を示していますが、その割には、周りに山並みが広がらない不思議な光景だなと違和感を覚えました。
 
また、日本の場合には、山崩れの危険があるので、法面(斜面)はいじるなというのが鉄則なわけで、法面は、斜度を確保するか、法面をほとんど確保しないのであれば頑強な鉄骨で補強した土留をするのが一般です。
 ところが、フォロロマーノの山側では、断崖の壁に沿って、ただ単にローマンコンクリートが積み上げられ、特に擁壁補強をしていないようです。気候が少雨のせいかとも思いますが、高さのある断崖を無造作に配筋もせずに、レンガのようなコンクリートで覆うというのは、土砂崩れの危険を配慮しなければならない日本では考えられません。強固な地盤があるからできることです。
 
ちなみに、日本では、建築基準法施行令か規則の別表で、全国の地盤強度を数値化していますが、これを見ると、地盤強度のだいたいの地域性がわかります。

 
 そして、極めつけは、聖クレメンテ教会の地下教会でしょうか。
 現在の教会建物は、前面道路から、数メートル程度下がったところに建てられていますが、教会建物の下に、ちょうど日本でいう通し柱の位置に、柱を置いて、ご存じのように2層の地下があります。11メートル下が最深部とのことですが、一番興味深いのは、最深部はもともと地下ではなかったということです。簡単に言えば、2000年かけて、地表(いわゆるGL)面が、11メートル上がったということになります。
 しかも、最下層で、水が流れている(湧き出ているのではなく、流れているのです!)。上の階では、一切水音がしないのに、この最下層のみが流水の音が響きわたっており、なんとなく感動しました。

 日本で、2000年前といえば、弥生から大和時代のころですが、遺跡を発掘する場合でも、せいぜい数メートルを掘るといったところでしょうか。もともと地下に造る墳墓の発掘は別ですが、そんなに掘らなくても出てくるのです。
それが、河川等の自然による堆積ではなく、都市計画の中の全くの人工の盛り土で、2000年前の建物が11m下に埋もれるというのは、特筆すべきことなのかも知れません。
 
 ただ、確かに、フォロロマーノ等、小高い丘には、大きな松のような木が生えて、下は腐葉土があり、普通の表土が形成され、また盛り土の土壌では考えられない断崖の使い方をしているわけですから、もともとの地盤でかなりの高さの地域もあったことは間違いありません。

 日本に戻って、ローマの水道と地形を確認したところ、断崖絶壁の丘がいくつか点在し、その下に湿地が広がっていたのを、湿地を排水し、そのあとできた低地部分を埋め立てて、現在の姿にしてきたという記述を確認し、この違和感がようやく納得できました。ローマの地形は、ずいぶん珍しい地形だったようです。
 
 ローマの街を、時代時代の中で、その利便性に沿うように、都市の拡大とともに、盛り土を盛んに行い、もともと渓谷と湿地でできていた土地を極端な高低差のない平地にしていったのであれば、建物の表は一階、裏は二階が地面とつながっているとか、同じローマ時代の遺跡遺構の地盤面に高低差がありすぎることなどが、うまく説明できます。

 ちなみに、日本の建築物で、山の斜面をそのまま利用して作った建物として、六甲の集合住宅というのが有名ですが、古来の建築物の例としては、山中の岩山の投入堂とか、永平寺の渡り廊下とか、室生寺等などでしょう。が、やはり日本では基本は切土に建て、平地にしてから建物を作るのが主流です。
 
 最近は、昭和のころの建物の建て替えが始まって、軟弱地盤面の旧建物の地下構造物としての杭の処理等が問題になる時がありますが、私は、これは、このまま残すべきと考えます。抜くのは費用がかかるし、杭が抜けた分だけ、地盤がもろくなるからです。
業者によっては、残置があると土地の価格が下がるから売る時は抜くといいますが、どうですかね。好みがあるのかも知れません。私は、縦方向に固いものが入っている方が、よほど上物にとっていいと思うのですが、そうは思わない人も多いようです。
 
 
 さて、地盤は、ただの土の塊ではありません。
神戸の震災の際に、地下鉄の駅で大開という駅が、一か所だけ駅構内全体が崩落しました。大開の付近が特に地震がひどかったというより、地上から掘削して、地下駅を作り、その上から埋めたために、埋めた分の土砂の重みで崩落したことが原因とされています。 他の地下駅は、すべて地下から掘り進めたとのことですので、大開ではただの土砂がその荷重により駅そのものを押しつぶしたのに対して、地下から掘り進めた方は、同じ深度ながら、地下駅の上の土は、土砂ではなく、一体の地盤として荷重がきちんと地下に伝わり外力が逃げて行ったわけです。土は、地盤として一体性を持たせれば、地盤として強度を発揮するということでしょうか。
 
 震災後、神戸市内から帰宅する際に、国道に抜けるために狭い道路を歩いていたところ、たまたま大開の崩落現場を目の当たりにしました。結構広い道幅全体がごっそり落ちているのは、すごい光景でした。
 私は、あの、道幅の広い通りがごっそり陥没した大開駅の印象が強烈なので、地中埋設物が出てきたという相談を受けても杭であれば、残すべきと回答しています。杭を抜くと、かなり深い部分まで、土砂が流れるのは間違いないのですから。

 住宅瑕疵担保責任法(但し略語、正式名称は、特定住宅瑕疵担保責任の履行の確保等に関する法律)により、すべての建築建物の敷地に地盤調査が義務付けられた関係で、建築当局には、住宅地図並みにきめ細かい地盤強度のデータ蓄積が可能となりました。
 
 できうれば、将来を見据え、地盤強度についてはデータ集積をしていただきたいと思います。この前、たまたま関東平野の水脈図を見る機会がありましたが、水脈図を見ると素人目にも確かに武蔵野の断層がわかりました。詳細なデータの蓄積は、いろいろなことに役立つようです。

 住宅瑕疵担保責任法により、軟弱地盤では、事実上地盤改良をしなければ、建物が建てられなくなりました。したがって、新しい工法では、戸建住宅であっても、以前ほど液状化の影響を受けなくなることになります。
 建築法制は、特に、規制が厳しい分野であり、また、それは、地震が多い日本では、規制緩和に反しても、建築基準法レベルの強度維持は徹底しなければならない措置でもあります。
 ローマのように2000年経てば、人工の盛土もずいぶん強固になるとしても、そんなに待つわけにはいきませんから、できるところから、例えば、新建物の杭だけではなく、取り壊す建物の杭の天端と新建物の基礎を接着させて、さらに強度維持を図る等、していきたいところです。
 
 なお、3.11では、液状化、転圧不足による地盤沈下が起きましたが、盛土した土壌の擁壁の破損による土砂の流出によっても、建物に被害がでました。
 そういう意味では、擁壁の強度確保も、重要です。
 擁壁の建築制限の規定を設けている例としては、関東近県では、東京都の安全条例があります。

投稿者 : admin 投稿日時: 2010-01-17 (1032 ヒット)
この国には、破産法という法律があります。戦後に新設された法律です。
それまでは破産制度はなく、任侠映画などに出てくる「親の借金は、子どもが全部背負う」がそのまま、まかり通っていた何とも言えない時代だったのです。
貨幣経済が発達せず、自給自足ができていた頃は、経済的破綻は社会的破綻であっても、生活破綻ではなく、自給自足を続ければ、なんとか生活が可能だったかも知れません。
しかし、全国津々浦々経済が発達し自給自足ができなくなれば、経済的破綻は見過ごせない状況になったりします。
その意味で、破産制度は、経済的な破綻がその人や家族の人生の破綻ではなく、やり直しのチャンスを与えようという制度であり、経済社会が発達した現代においては、今や、なくてはならない制度となっています。
経済的破綻は、人生の破綻ではないというのは、それなりに希望のある話です。

さて、そのように世の中になじんでいる破産法ですが、どんな場合でも破産をして借金が棒引きできるわけではありません(破産法252条)。
1 破産申し立てにあたり財産を隠した場合
2 破産申し立てを遅らせたり、一部の債権者を優遇するために、好き放題して借金を増やした場合(簡単に書いています。悪しからず)
3 うそをついて経済的信用があると騙して借りた場合
4 破産手続きに協力しない場合
5 浪費賭博その他の射幸行為をして、著しく財産を減少させたり、過大な債務を負担した場合
これら5つの場合には、破産しても原則として免責が認められません。原則として、借金を一生支払い続けていかなければならないことになります(但し、裁量免責によりかなりの範囲で救済されます)。

ところで、免責不許可が問題になるのは、どういうケースを想定しますか。
こういうケースを考えましょう。
年収800万円あったサラリーマンのAさんは、2年前の景気の急激な悪化のため、年収が半分の400万円になりました。ところが、Aさんは、長年年収800万円の暮らしになれていたため、ジムがよいや、年に数度行っていた海外旅行をやめるなどして、支出を減らしても年間700万円の支出は欠かせません。しかも、持っていた高級車が壊れてしまい、修理に100万円かかってしまいますが、仕事に使うため修理する必要がありました。そのため、Aさんは、400万円借金することにしました。しかし、給与以外みるべき資産もなく、がんばって働きましたが、元本はおろか、全ての利息を返すこともままならず、2年後に借金は800万円にふくれあがり、支払い不能になりました。

この場合、免責で問題になるのは、400万円を借りた点です。
年収が400万円に下がった時点で、返済できるあてがないのですから、400万円の生活水準に強制的にでも落とさなければ、収入に比して過大な借入をしたと認定されてしまいます。

早い話が、計画性なく、返せるあてもないのに、ぽんぽん借入を増やし、高い生活水準を維持するのは、破産する場合にでも、問題になるということです。
もちろん、収入400万円のサラリーマンに、400万円貸す無謀な金融機関もあまりなく、これは個人ではあまり想定できないケースです。

ちなみに、ご自分の借入金額が不安な方は、イエローゾーンの目安として、昔の住宅金融公庫の新規融資貸付基準「毎月の返済額が月の収入の25%を上回らないこと」というルールを参考にして下さい。住宅金融公庫では、年収対借入総額ではなく、毎月の返済額を基準に貸し付けをしていました。
長年個人向けに貸し付けてきた実績と、ステップアップ返済等返済プラン設計の失敗・赤字をも経験した、住宅金融公庫が、行き着いた基準ともいうべきルールですので、論理的根拠はさておき、傾聴に値するルールだと思います。
あなたの借入の毎月の返済額(元利込み)が25%を超えるようであれば、返済が負担になってきているはずですから、支出を切り詰め、慎重に生活する必要があります。

投稿者 : admin 投稿日時: 2007-11-19 (1868 ヒット)
1 先日出された幼児の足音の騒音について
  この前、上階に住んでいた若夫婦の2歳くらいの男子の幼児の足音が騒音であるとして、30万円の損害賠償請求を認容する東京地裁の判決が出たそうです。
  この判決が出たときには、公園の噴水に騒ぐ子どもの声がうるさいとして、噴水の水の差し止めを求めた仮処分の決定が出たのと同時期だったので、結構ニュースでも取り上げられました。
  日常的に、このような相談を受ける立場としては、少々納得のいかない判決です。
  問題点は、下記のとおりです。
? 子どもが出す騒音とはどういうものか
  2,3歳の男の子の体重は、だいたい15キロ程度。4歳の成長曲線がマックスの幼児で(つまり医学的肥満児クラス)で19キロ程度とされています。
  幼児が思いっきりドンと音を出しても、2,3歳児の身体能力・・・そもそも飛ぶことがほとんどできず、助走、跳躍が期待できないことからすれば、局部集中荷重がなされたところで、体重の倍の荷重は恐らく困難です。
  とすれば、このような幼児が「どすん」とやっても、体重40キロの成人か「どすん」とやる方がよほど床に体重がかかることになり、騒音になるはずです。
  にもかかわらず、大人の廊下歩行は問題なくて、幼児の歩行のみ問題となるという建物は、果たしてあるのでしょうか。
  元気のいい小学生中学生の男の子だったら話がわかりますが、いくら男の子でも幼児の足音だけが、突出して騒音になることはちょっと考えられません。

? 階下に響く音があったのか
  朝のワイドショーでは、どこかの局が実際の騒音を流していました。
  音の大きさは、録音状態によるのでひとまずおいておくとして、問題は足音の間隔です。幼児の身長から考えられるところのだいだいの歩幅を想像するに、小走りで、わざと階下に騒音を出すために「どん」と飛び跳ねているというより、「てけてけ」歩いている程度でした。
  子育てはあっという間に終わるので、あまり印象がないかも知れませんが、あんよを始めたころの幼児(1歳から1歳半)は、会話ができません。医学的には2歳までに走れることが発達の目安になっています。「走るな、歩け」の言葉がわかるのは、2歳後半か3歳くらいのことではないでしょうか。
  判決では、「子どものしつけは必要」などと判示があったそうですが、これって、本当にしつけの問題でしょうか。会話も満足にできない可能性がある幼児に対して、しつけができたのかどうか。
  「てけてけ」するなは、しつけの範囲でしょうか。
  また、夜更かしをして夜間足音がするのは問題があるかのように判示したとのことですが、共働き世帯では、また保育園にはお昼寝タイムがあることから、9時の睡眠などざらだし、夜起きてきて(親にとっては起こされて)水などを飲むことは、この年齢なら結構あると思うのは、私だけでしょうか。
  専業主婦が家で一日中子どもの面倒をみるという昔ながらの生活スタイルだけで、「しつけ」とひとくくりにして欲しくないですね。

? 騒音と認定された理由
  ではなぜ、今回、騒音と認定されてしまったのか。
  騒音計70デシベル(60でしたか?)という客観的事実を否定できなかった点が上げられるでしょう。
  裁判においては事実認定は重要で、町の街頭にある騒音表示に比べると、結構な音がしているような気がします。しかしですね、特定の音源を拾わない街頭騒音と音の発生源を瞬間的に捉える音の測定とでは、場面が違うと考えます。
  私は、通常の使用により不可避的に普通に発生する生活音と、それ以外の騒音は、受忍限度としても分けて考えるべきだと思います。
  今回のような生活音に関連する音については、もう少し受忍限度の範囲を広く捉えて良かったではないじょうか。

  これは、公園噴水の水差止めの例でも言えます。
  公園の設置がその人の居住より後だった場合には、騒音についての制約はそうでない場合より、より厳しくなるのが傾向としてあります。
  しかし、深夜にバイクの音がうるさいのは、予定された使用方法ではないとしても、公共の公園に日中不特定多数人が出入りするのは、公園の通常の使用方法なわけですから、受忍限度は広く解釈してもよかったのではと思います。
  また、公園で、子どもの声が聞こえないように完全な遮音壁など作れば、日照(高い塀ができる近隣の被害)、防犯面(公園に目が届かなくなり、誘拐、その他の犯罪が発生)でのデメリットはどうなるのでしょうか。対立利益についても検討していただきたいものです。
 
2 防音対策
  ともあれ、ご近所トラブルは、常日頃つきまとうものです。
  どうすれば、これをなるべく避けることができるのか。
  今回の原因は、私は建物の構造にあると考えます。まずは、防音対策を取りましょう。
? ジュータンを敷く。
  フローリングにクッション代わりになるものを敷くことで音の衝撃はずいぶん小さくなります。
? 床材の交換
  今は、L45等級などいい床材もある程度安くなってきています。
  遮音性のあるフローリング工事をすることも効果があります。賃貸であれば、大家に階下から苦情があることを伝え交換してもらうようにしましょう。
? 断熱材の床下挿入
  フローリングとコンクリート床の空間の空気は、時に音を拡大させる効果があると言われています。太鼓現象と言われるものです。遮音性のため、断熱材を床に敷き詰める方法も行われています。

3 入居前対策
  しかし、そうは言っても、木造のアパートだったり(特に、居住用をアパートに作り替え、遮音構造を取っていない場合)、古いコンクリートマンションで畳の間だったところをいい加減なフローリングのリフォーム工事をして遮音性が悪く、音が筒抜けだったりする場合などもあります。
  建物の構造からくる騒音は、実際には、否定できません。
  普通に室内を歩いても、フローリングの上に2重にカーペットを敷いても、苦情を言う人は苦情を言います。苦情が出るからには、おそらく何らかの音は聞こえると思われます。
  しかし、このような場合には、自分たちも階下に迷惑がかかっているかも知れないからと、よほどひどい場合でなければ文句を言ったり言われたりしないのが一般的です。
  したがって、文句が出るのは、階下の住人がいない場合、マンション暮らしに慣れていない場合に出る苦情が考えられます。

  先程のケースに戻ると、どうも訴えていたのは高齢者で(早寝をするため、生活スタイルが異なる。) 、1階に住む住人ということですから、一番苦情が出やすいパターンだったかも知れません。
   
  教訓として、子育世帯は、ファミリータイプでしかも高齢夫婦が階下に住んでいない、あるいは住まなさそうなところを買ったり、借りたりするということでしょうか。
そう考えると、少し高めのところを買ったり借りたりする方がいいということになるのでしょう。

  時代は、少子化対策というのに、これでは、先が思いやられるというのは、私だけでしょうか。
  これからは、社会に占める高齢者の割合がますます増えていき、必然的に高齢者主体の社会になることは、避けられません。
  しかし、仮にそうであるとしても、国家基盤の維持という長期的展望を視野に入れ、多数派を尊重しつつ、国策を加味した判断をしてもいいのではないかと考えます。
・・・高齢者世帯も、ゆくゆくは耳が遠くなりテレビ騒音その他の被害を近所にふりまくことも考え、お互い様の意識をもっていただきたいと思います。

  裁判官の多くは、官舎に住みます。官舎は、基本的に造りが頑強で、外廊下以外に足音の騒音などはほとんどないが、造りが古く、配管騒音(排水に空気が混じると音が出ることから、今時の新築建物であれば、空気抜きをきちんと設置することで配管音を防ぐようになっています。)などは逆に残っている特色を理解しつつ、巷の実情も知って貰いたいと、こういう報道をみて思います。

« 1 (2) 3 4 5 »