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投稿者 : admin 投稿日時: 2015-09-23 (1536 ヒット)
 子の面会交流について、元裁判官から判例時報への二度目の論文掲載がありました。
 なお、この方は、家裁の論点の論文を多く執筆されている方で傾聴に値しますが、裁判官としての短期的見識に基づいて書かれておられるのではと考え、少々、私見を書きたいと思います。

 この論文の要点は、今の家庭裁判所の、離婚した親の、子の面会交流を原則認める との立場を批判し、離婚調停の場で夫婦別席を厳格化する傾向にあるのに、面会交流だけ範囲を広げるのはバランスを欠くとか、子の精神的負担が多いから問題だとの論述を展開し、原則面会交流を認めるという基本的スタンスは問題であると指摘します(しかし、十分な話し合いのないまま離婚調停に突入した場合の、夫婦の修羅場での万一の事態を回避する必要性と、面会交流を一緒にすることはできない)。

 現場の立場からすれば、面会交流は長期的な子の立場に立っても必要で、現在の家裁のスタンスを支持されるべきと考えます。

 このサイトにも書きましたが(すでに記事は削除済みです。悪しからず。)、過去には、面会交流は、子の精神状況を理由にすれば簡単に拒否ができ、面会交渉権が有名無実化しているのではと思われる時期もありました。

 この、原則的に面会交流を認める立場を積極的に裁判所が認めるようになったことで、現実の流れとして
1 法制度上、面会手段の確保があるため、離婚を巡る夫婦の対立が長引くより子との新たな安定的な関係構築を優先したいと考える片親が出てきて、その分離婚手続きが円滑になる
2 母子、父子家庭は、育児と仕事だけで忙しく日々の生活に追われ、概して社会に対し閉鎖傾向にあるが、面会交流という形で、第3の視点が介在でき、監護養育する親自身にも自らの育児に客観性が出てくる
  また、合意通りの面会が実現できないとしても、片親の存在を意識することで、養育の閉鎖性が緩和される
3 面会を求める唯一の手段の制度的確立
4 子が、父あるいは母を知る機会を得られるようになった
という効果があるのではと考えています。
 
 離婚する夫婦は、片方できちんと子どもを育てる決意をもって離婚するわけですが、子育てを片親だけでやっていくのは、実際大変です。
 稼ぎも必要な反面、子どもが病気などすれば職場での調整もせざるを得ず、いろいろ苦労して子育てをするわけです。また、働くことを選択せず、実家に身を寄せ、自分の親の収入で育児をする場合には、自分の親のコントロール下にある精神的なストレスはありますし、親がまだ若く就労年齢で孫の養育に理解があれば別ですが、そのうち、収入もあてにできず介護の負担もかかってきます。
 痛ましい児童虐待のケース、特にネグレクト・育児放棄は、その家族が社会から孤立しているケースが多いという現状の打開策として、片親家庭に強制的に社会の風を吹き込ませるという意味で、面会交流が役立てられればと願うのです。

 この論文では、暴力をふるった親の面会は言語道断であるかのように書かれていますが、いわゆる暴力をふるった親とされる方と話しをしても(実際、双方の意見が食い違うので、なかったようなケースもあると思われます)、感情的になる時期が過ぎ冷静になれば、自分が何をして、また、何をしてはならなかったのか、客観的に理解できる方は多く、また離婚前の家庭崩壊直前のぎすぎすした状況でのやり取りから解放されているため、短時間の面会の中で問題言動に走るほど感情的になることはまず見られません。それでも不安であれば、家裁の面談室やFPICのような第三者の立会の下で段階的に実施すればいいのです。
 また、時期が過ぎても、冷静になれずに、自己の考えに頑なな場合には別の意味で親のケアが必要と判断されるわけで、それを先行させ、効果が見られた段階で、面会を実施すれば済むはずです。

 これに対して、外国の面会交流の研究で、面会交流によって同居していない親を嫌いなったケースが多いとの結果が出たから、そもそも面会交流は意味がないのではないかとの意見があるようですが、この意見こそ、子どものための面会交流との視点が欠如している考え方であると思います。
 養育監護する親に理解がある子であれば、その親に感謝する反面、同居していない親をどうしても否定しがちなるのは当然で、それはそれで、片親での子育てがうまくいった結果だと思いますし、そうでない場合には、その子にとって、同居しない親の存在は、救いになるということだと思います。
 子にとって、親は手本にも反面教師にもなりますが、その存在がなければ親になった時に、親がわからないことになるわけで、個人的には、両親との接触は、子が将来行うであろう次世代の子育てのためにも必要だと考えます。

 子の面会交流は、子の養育環境の形成、子の精神的発達の見地から、検討すべきであり、短期的な視点に立って、養育する親の意見に従うあるいは、日常生活を円滑にするためには養育する親に従うしかない子の、その場での言動だけに注視して、子の面会交流の実施の有無を決するのは、いい結果を生むとは思えません。
 子どもはえてして親の反応に敏感なため、離婚に至った元配偶者への嫌悪感を先入観として植えつけると、面会はうまく行きません。この場合には、養育監護する親の認識を変えることが、一番の解決策です。
 つまり、離婚とセットとなる面会交渉権が制度的に確立していること、その制度趣旨は長期的な子の健全な育成を目的としていることを理解してもらい、面接が子の負担にならないよう、子に事前に働きかけるのが一番の解決策です。
 離婚したから親子であっても一生の縁を切るという考え方は、父または母の代わりとなる存在がいればいいでしょうが、核家族化が進行した現代では、その受け皿となる存在がいないことの方が多く、現実的ではありません。

 長期的な子の健全な育成の視点に立って、よりよい養育のために、面接交流の原則実施を貫いてほしいと思います。
 子どもの精神状態、感性は、身近な大人に影響されることは明らかです。子ども中心の面接交流という理念はいいのですが、長い視点、広い視点での判断も欠かせないことを理解したいところです。