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さて、今年一番の問題として、私は、国内の世界自然遺産の自主的な登録取消し問題を挙げたいと思います。
世界自然遺産に登録された地域は国内にいくつかあります。観光資源になっているのも事実かと思います。
しかし、世界自然遺産に登録すると、指定地域には人が持ち込んだものを排除して「自然」の状態を維持しなければならない取り決めがあるそうです。
具体的には人が持ち込んだものとは、ゴミなどに限らず、動植物まで含まれ、駆除の対象となります。つまり、当該地域に昔から生息していた動植物は保護するが、近年ヒトが持ち込んだ動植物は全部駆除排除の対象になります。
東北にはブナ原生林の世界自然遺産があります。
ブナの育成状態はネット上でもデータが公表されていますが、近年は凶作が多く、また開花が豊作の年も、結実は凶作、つまり花が咲いても実らない状態に陥っています。もともと、ブナ林は、豊作と凶作を交互に繰り返すそうですが、結実に関して豊作が少ない状態が20年程度は続いています。この20年はちょうどブナの新芽が若木になるのに必要な期間であるため、このデータはブナ林に若木が十分に育っていないことを示します。
若木が育たなければ、現存するブナが寿命を迎えれば森が枯れる事態が想定されます。更にそれ以前の問題として、森の恵みがないので、森に依存して生息する動植物の生存が危ぶまれます。
東北におけるクマ被害については、山の凶作が影響していると言われますが、実がならないブナ林では生息できないわけですから当然かとも思います。
これは、温暖化の中で、従前の植物がその土地の気候に合わなくなりつつあり、本来であれば、森林の中で樹木の植生の交代がスムーズに行わるべきところを、急激な温暖化という気候の変化に森林が追いついていないため生じている、過渡期の現象と考えます。
ところが、世界自然遺産の指定地域の中では、従前の植物が植わる森を維持しなければならないため、他の地域の植物の新規育成が排除されます。
本来であれば、例えば、更に南限若しくは低い地域で生育するブナに変える、あるいは、ブナ林から別の樹木に植生が変わる、変えるのが望ましいし、それが本来のあるべき森林変遷の姿ですが、意味のない人間のルールにより、それが阻害されていいのかというのが、私の疑問です。
樹木は成長や変化が緩慢なため目立ちはしませんが、自然任せだけでは、森林の樹木の種類の交代が追い付かない懸念すらある中、変化を排除するというのですから、長い目で見るとこれは「自然破壊」に他なりません。
「自然を維持する」との名目で、木々の恵みを森の生き物たちが享受し、その生き物たちが木々に恵みをもたらすという森の循環作用の消滅を、ヒトが促進させているようなものです。温暖化による森林の変化は大きなものではありませんが、直接影響を受ける、森に依存して生息する動植物にとっては、死活問題であるとすれば、これらを配慮すべき段階に来ていると思います。
ヒトは所詮ニンゲンにすぎませんが、ニンゲンの強みは、他の動植物に先んじて環境に対応きる能力があるところだと思います。
世界自然遺産の認可に関わる担当機関の方々には、「自然保護」を提唱して、森の枯死すなわち「自然の消滅」という悲劇を生まないように、この「ヒトが持ち込んだ動植物は自然破壊であり、駆除しなければならない」という喜劇のようなルールに縛られることなく、環境に適応した自然の維持を考えていただきたいと思います。
温暖化の影響により、全国的に森林の再生がされているかどうか検証すべき段階に入っていると思います。
現時点の世界自然遺産のルールでは登録取り消ししか、救済方法はありません。
2024.3.16補足
文明の黎明期における古代都市は、どこも当時は森林の中に存在しました。
それが、メソポタミア、エジプト、黄河流域、黄土高原では現在では砂漠が広がり、逆に、中南アメリカ、東南アジア(若干時代は下りますが。)では、緑に飲み込まれていました。
この二つの結果の違いは、南アメリカでは青銅器文化はあっても鉄器文化が入ってこず、人による森林伐採を免れたためと言われますが、東南アジアではもちろん鉄器文化も入っているので、この違いは、単純に森林伐採規模と伐採手法が原因とかと思います。
旧約聖書の記載された動物の、その生態からすれば、当時のメソポタミアの人々が森林を完全に伐採したとは思えませんが、度重なる大規模な戦乱を経て、燃料となる樹木の大量伐採がされたことは想像に難くありません。
どの程度の森林が消滅すれば、かつての大森林地帯が砂漠となるのか。その限界については、大いに興味があるところです。限界を超えないようにしなければなりません。
近年、メキシコ湾流(暖流)の到達地点の南下による、北部ヨーロッパ沿岸部の気温低下や、海水の沈み込み現象の停止などが問題になっているようですが、アフリカのサハラ砂漠の拡大に変化はないことからすれば、暖流の発生場所であるメキシコ湾の変化、更には、その南のアマゾンの熱帯雨林の減少(森林から蒸発する水分の減少による上空の大気の水分の漸減の蓄積)が原因となっているのでしょう。北部ヨーロッパにおいては、温暖化は気候維持に資することになりますが、北米のハリケーンの減少などを見るに、ヨーロッパの乾燥化は避けられないので、やはり問題を解決するに越したことはありません。
他方、太平洋では、ヨーロッパとは対称的に近年黒潮(暖流)が北上していますが、黒潮の大蛇行もあります。気候の変化は決して他人事ではなく、特に、東南アジア、東アジアの森林伐採の限界として、マクロ目線で、どの程度までならば砂漠化、乾燥化が防げ、森林が維持されるのかについては、急激な開発が進む今、事前に考えておくべき事項です。
世界自然遺産に登録された地域は国内にいくつかあります。観光資源になっているのも事実かと思います。
しかし、世界自然遺産に登録すると、指定地域には人が持ち込んだものを排除して「自然」の状態を維持しなければならない取り決めがあるそうです。
具体的には人が持ち込んだものとは、ゴミなどに限らず、動植物まで含まれ、駆除の対象となります。つまり、当該地域に昔から生息していた動植物は保護するが、近年ヒトが持ち込んだ動植物は全部駆除排除の対象になります。
東北にはブナ原生林の世界自然遺産があります。
ブナの育成状態はネット上でもデータが公表されていますが、近年は凶作が多く、また開花が豊作の年も、結実は凶作、つまり花が咲いても実らない状態に陥っています。もともと、ブナ林は、豊作と凶作を交互に繰り返すそうですが、結実に関して豊作が少ない状態が20年程度は続いています。この20年はちょうどブナの新芽が若木になるのに必要な期間であるため、このデータはブナ林に若木が十分に育っていないことを示します。
若木が育たなければ、現存するブナが寿命を迎えれば森が枯れる事態が想定されます。更にそれ以前の問題として、森の恵みがないので、森に依存して生息する動植物の生存が危ぶまれます。
東北におけるクマ被害については、山の凶作が影響していると言われますが、実がならないブナ林では生息できないわけですから当然かとも思います。
これは、温暖化の中で、従前の植物がその土地の気候に合わなくなりつつあり、本来であれば、森林の中で樹木の植生の交代がスムーズに行わるべきところを、急激な温暖化という気候の変化に森林が追いついていないため生じている、過渡期の現象と考えます。
ところが、世界自然遺産の指定地域の中では、従前の植物が植わる森を維持しなければならないため、他の地域の植物の新規育成が排除されます。
本来であれば、例えば、更に南限若しくは低い地域で生育するブナに変える、あるいは、ブナ林から別の樹木に植生が変わる、変えるのが望ましいし、それが本来のあるべき森林変遷の姿ですが、意味のない人間のルールにより、それが阻害されていいのかというのが、私の疑問です。
樹木は成長や変化が緩慢なため目立ちはしませんが、自然任せだけでは、森林の樹木の種類の交代が追い付かない懸念すらある中、変化を排除するというのですから、長い目で見るとこれは「自然破壊」に他なりません。
「自然を維持する」との名目で、木々の恵みを森の生き物たちが享受し、その生き物たちが木々に恵みをもたらすという森の循環作用の消滅を、ヒトが促進させているようなものです。温暖化による森林の変化は大きなものではありませんが、直接影響を受ける、森に依存して生息する動植物にとっては、死活問題であるとすれば、これらを配慮すべき段階に来ていると思います。
ヒトは所詮ニンゲンにすぎませんが、ニンゲンの強みは、他の動植物に先んじて環境に対応きる能力があるところだと思います。
世界自然遺産の認可に関わる担当機関の方々には、「自然保護」を提唱して、森の枯死すなわち「自然の消滅」という悲劇を生まないように、この「ヒトが持ち込んだ動植物は自然破壊であり、駆除しなければならない」という喜劇のようなルールに縛られることなく、環境に適応した自然の維持を考えていただきたいと思います。
温暖化の影響により、全国的に森林の再生がされているかどうか検証すべき段階に入っていると思います。
現時点の世界自然遺産のルールでは登録取り消ししか、救済方法はありません。
2024.3.16補足
文明の黎明期における古代都市は、どこも当時は森林の中に存在しました。
それが、メソポタミア、エジプト、黄河流域、黄土高原では現在では砂漠が広がり、逆に、中南アメリカ、東南アジア(若干時代は下りますが。)では、緑に飲み込まれていました。
この二つの結果の違いは、南アメリカでは青銅器文化はあっても鉄器文化が入ってこず、人による森林伐採を免れたためと言われますが、東南アジアではもちろん鉄器文化も入っているので、この違いは、単純に森林伐採規模と伐採手法が原因とかと思います。
旧約聖書の記載された動物の、その生態からすれば、当時のメソポタミアの人々が森林を完全に伐採したとは思えませんが、度重なる大規模な戦乱を経て、燃料となる樹木の大量伐採がされたことは想像に難くありません。
どの程度の森林が消滅すれば、かつての大森林地帯が砂漠となるのか。その限界については、大いに興味があるところです。限界を超えないようにしなければなりません。
近年、メキシコ湾流(暖流)の到達地点の南下による、北部ヨーロッパ沿岸部の気温低下や、海水の沈み込み現象の停止などが問題になっているようですが、アフリカのサハラ砂漠の拡大に変化はないことからすれば、暖流の発生場所であるメキシコ湾の変化、更には、その南のアマゾンの熱帯雨林の減少(森林から蒸発する水分の減少による上空の大気の水分の漸減の蓄積)が原因となっているのでしょう。北部ヨーロッパにおいては、温暖化は気候維持に資することになりますが、北米のハリケーンの減少などを見るに、ヨーロッパの乾燥化は避けられないので、やはり問題を解決するに越したことはありません。
他方、太平洋では、ヨーロッパとは対称的に近年黒潮(暖流)が北上していますが、黒潮の大蛇行もあります。気候の変化は決して他人事ではなく、特に、東南アジア、東アジアの森林伐採の限界として、マクロ目線で、どの程度までならば砂漠化、乾燥化が防げ、森林が維持されるのかについては、急激な開発が進む今、事前に考えておくべき事項です。
暦ではすっかり秋の季節ですが、残暑厳しい毎日が続いています。
ヨーロッパの戦争は未だに終わらないし、アフリカでは天変地異が連続し、問題山積という状態です。
地球全体の気温の上昇はかなりのものになっていますが、やはり、気になるのは海水温です。海水温が下がらなければ、空気も冷めず、気温も下がりません。地球表面温度の低下は気温上昇の抑制につながりますが、地球表面の6割は海ですから、海面温度を低下させることが、気温上昇の抑制になります。
では、どのようにして、海面温度の上昇を抑制させるのか。
常識的に考えたら(根本的解決方法かどうかは別として短期的視点では)、海水の攪拌または対流による海水温抑制だと考えます。
簡単に考えれば、海面の攪拌装置をつけた船(あるいは、全ての船に攪拌促進装置をつけるなど)の航行により、海面温度の上昇を抑制することもあろうかと思います。
更に進めて、深海部分から対流を起こさせて、海底と海面の海水を混ぜることで、海水温を低下させる方法もあろうかと思います。
海水の対流現象が起きるのは、代表的なところでは津波ですが、南極の氷河の融解でも大規模な対流現象が起きるとの記事がありました(但しその論文の目的は異なる)。
南極の氷河の融解は、比較的深いところで融解し、海水よりも軽い真水が上昇することで対流が生じ、更には氷内部の水疱(空気は水より軽い)が対流効果を高めるのだそうです。
東アジアでは、福島第1原発の処理水の海の放出が問題になっていますが、今、世界的に渇水が問題になる中で、水利権が一切からまない大量の水が存在するのは、世界的にも日本でも例がないことだと思います。
今だからこそ、大量の水を利用した何かができるわけです。
同じように、処理水を海に放出するのであれば、海水温の上昇抑制を図るべく、一定程度の水深で、処理水を、気泡を含む氷の塊にして海に放出し、海面温度を下げる実験をするなど、地球に役立つ使い方というのはあるのではないかと思います。
効果的な海水温抑制のための実証実験は必要でしょうが、今のように汽水状態にして放出するより意義があるのではないかと考えます。
目先の視点、国民の意見にとらわれすぎると見えてきませんが、ここまで気温上昇が進むと、思い切った方策が必要です。大胆な利用方法を是非検討していただきたいところです。
2023.11.5補足
温暖化対策の長期的懸念はあるが(本来寒冷化傾向にあるはずの地球の気候に対する影響が不明なため。)終局的な解決が、地球外に熱を放出すること(いわゆるCO2の排出削減)であれば、海の蓄熱作用(海面をほどよくかき混ぜることにより、温度の低くなった海面に大気の熱を取り込むこと。)により、大気を冷やすとともに、海面表面の異常な高温状態を解消するというのは、現実的だと思いますが、誰も何も提唱しないので、独自に実践方法を考えました。
最近アクシデントにより40時間も船の中に缶詰めになった実体験から、船は基本的には水面を水平にかつなるべく揺れずに進むよう設計されるものであると理解しました。
そのため、いくら船を出しても、海面の撹拌にはつながりません。例えれば、南極海で行われていたクジラ漁で生じる荒波の中では、乗り心地は最悪です。(今は昔ですが、南極海の氷が急激に減少しているのは南極海の撹拌が行われなくなったからでしょうか。だとすれば、ヨーロッパの環境保護団体は美術品に塗料を投げるのではなく、南極海でクジラと戯れ、クジラに海水を撹拌してもらうことではないかと思います。)
そこで海の撹拌は、長さと一定の幅のある備中鍬(鋤ともいいます)様のものを船に係留して撹拌するのもいいかと考えました。
これはまさに海を耕すようなものですが、その範囲が広いため、多額の資金が必要です。最近鳥島近海で起きた津波のような急激に気温が下がる効果は生じないとしても、ニンゲンが実現できる実践的方法なのではないかと思います。
ヨーロッパの戦争は終わらず、また、イスラエルでは紛争というか一方的な破壊なのか、よくわからない事態になりました。
この地域では予算が潤沢な国々は海水を真水に還るプラントで水を確保しているとしても、死海の湖面の異常低下はとどまるところを知らず(海抜より湖面が極端に低く、湖面の低下はその地域の伏流水の枯渇がかなり深刻な状況にあることを示します。)、井戸を掘っても地下水の枯渇により、おいそれとは真水は出ず、どう考えても、地域全体の乾燥化が進行し、そのため温暖化の影響をより大きく受けやすい地域だというのに、対策を放置してニンゲン同士の紛争に熱を燃やしていますが、優先順位が逆だと思うのは、私だけでしょうか。
短期的な問題解決も重要ですが、破壊活動と人身被害では何の解決にもならないのは歴史的真実です。端緒はコロナ禍の経済混乱にあるようですし、長期的な解決策の実践が一層重要になるということでしょうか。
11月に東京は25度を超える夏日が続きました。晩秋に、夏日はとてつもなく異常です。
少なくともアジア地域では一致団結して、異常気候の解消を何より優先的に取り組んでいただきたいと強く希望します。
2024.6.21追記
ガザの報道を見るにつけ思うことは、憎しみや強いイデオロギーが根源にあれば、仮にその人が殺害されたとしても残された人が脈々のその意思を引き継ぐこと、何人殺害してもそれを排除できないこと、また相手の価値観に立ち、あるいは共感を得られる程度の共通認識下に主張しなければ、その主張は砂上の楼閣に過ぎないことを、攻撃側の首脳部がいつ理解するのかということです。
過去の歴史の特定の宗教信者を狙った悲惨な弾圧と、ガザへの一方的と評価しうる無差別としか思えない攻撃は、方法や結果においてどこが違うのでしょうか。
敢えて付言すれば、もはや戦闘状態とは言えない状況下での殺害を、何を根拠に正当化できるのか、そもそも特定の組織構成員であることをもって、なぜ殺害が正当化されるのか、どういう法的正当性が与えられるのか、大変疑問を感じるところです。
ハマスは、ナチスと全く異なる組織であり、超法規的措置を執る正当性は全くありません。もちろん、構成員の疑いだけで、殺害が容認されるはずがありません。
先日解放された捕虜の方の報道を見て、そこに住まう人々の悲惨な状況は無視されて、裕福な社会の基準・価値観からの報道が真実かのように受け止められる現実に、何とも言えない気持ちになったのは、私だけでしょうか。
ヨーロッパの戦争は未だに終わらないし、アフリカでは天変地異が連続し、問題山積という状態です。
地球全体の気温の上昇はかなりのものになっていますが、やはり、気になるのは海水温です。海水温が下がらなければ、空気も冷めず、気温も下がりません。地球表面温度の低下は気温上昇の抑制につながりますが、地球表面の6割は海ですから、海面温度を低下させることが、気温上昇の抑制になります。
では、どのようにして、海面温度の上昇を抑制させるのか。
常識的に考えたら(根本的解決方法かどうかは別として短期的視点では)、海水の攪拌または対流による海水温抑制だと考えます。
簡単に考えれば、海面の攪拌装置をつけた船(あるいは、全ての船に攪拌促進装置をつけるなど)の航行により、海面温度の上昇を抑制することもあろうかと思います。
更に進めて、深海部分から対流を起こさせて、海底と海面の海水を混ぜることで、海水温を低下させる方法もあろうかと思います。
海水の対流現象が起きるのは、代表的なところでは津波ですが、南極の氷河の融解でも大規模な対流現象が起きるとの記事がありました(但しその論文の目的は異なる)。
南極の氷河の融解は、比較的深いところで融解し、海水よりも軽い真水が上昇することで対流が生じ、更には氷内部の水疱(空気は水より軽い)が対流効果を高めるのだそうです。
東アジアでは、福島第1原発の処理水の海の放出が問題になっていますが、今、世界的に渇水が問題になる中で、水利権が一切からまない大量の水が存在するのは、世界的にも日本でも例がないことだと思います。
今だからこそ、大量の水を利用した何かができるわけです。
同じように、処理水を海に放出するのであれば、海水温の上昇抑制を図るべく、一定程度の水深で、処理水を、気泡を含む氷の塊にして海に放出し、海面温度を下げる実験をするなど、地球に役立つ使い方というのはあるのではないかと思います。
効果的な海水温抑制のための実証実験は必要でしょうが、今のように汽水状態にして放出するより意義があるのではないかと考えます。
目先の視点、国民の意見にとらわれすぎると見えてきませんが、ここまで気温上昇が進むと、思い切った方策が必要です。大胆な利用方法を是非検討していただきたいところです。
2023.11.5補足
温暖化対策の長期的懸念はあるが(本来寒冷化傾向にあるはずの地球の気候に対する影響が不明なため。)終局的な解決が、地球外に熱を放出すること(いわゆるCO2の排出削減)であれば、海の蓄熱作用(海面をほどよくかき混ぜることにより、温度の低くなった海面に大気の熱を取り込むこと。)により、大気を冷やすとともに、海面表面の異常な高温状態を解消するというのは、現実的だと思いますが、誰も何も提唱しないので、独自に実践方法を考えました。
最近アクシデントにより40時間も船の中に缶詰めになった実体験から、船は基本的には水面を水平にかつなるべく揺れずに進むよう設計されるものであると理解しました。
そのため、いくら船を出しても、海面の撹拌にはつながりません。例えれば、南極海で行われていたクジラ漁で生じる荒波の中では、乗り心地は最悪です。(今は昔ですが、南極海の氷が急激に減少しているのは南極海の撹拌が行われなくなったからでしょうか。だとすれば、ヨーロッパの環境保護団体は美術品に塗料を投げるのではなく、南極海でクジラと戯れ、クジラに海水を撹拌してもらうことではないかと思います。)
そこで海の撹拌は、長さと一定の幅のある備中鍬(鋤ともいいます)様のものを船に係留して撹拌するのもいいかと考えました。
これはまさに海を耕すようなものですが、その範囲が広いため、多額の資金が必要です。最近鳥島近海で起きた津波のような急激に気温が下がる効果は生じないとしても、ニンゲンが実現できる実践的方法なのではないかと思います。
ヨーロッパの戦争は終わらず、また、イスラエルでは紛争というか一方的な破壊なのか、よくわからない事態になりました。
この地域では予算が潤沢な国々は海水を真水に還るプラントで水を確保しているとしても、死海の湖面の異常低下はとどまるところを知らず(海抜より湖面が極端に低く、湖面の低下はその地域の伏流水の枯渇がかなり深刻な状況にあることを示します。)、井戸を掘っても地下水の枯渇により、おいそれとは真水は出ず、どう考えても、地域全体の乾燥化が進行し、そのため温暖化の影響をより大きく受けやすい地域だというのに、対策を放置してニンゲン同士の紛争に熱を燃やしていますが、優先順位が逆だと思うのは、私だけでしょうか。
短期的な問題解決も重要ですが、破壊活動と人身被害では何の解決にもならないのは歴史的真実です。端緒はコロナ禍の経済混乱にあるようですし、長期的な解決策の実践が一層重要になるということでしょうか。
11月に東京は25度を超える夏日が続きました。晩秋に、夏日はとてつもなく異常です。
少なくともアジア地域では一致団結して、異常気候の解消を何より優先的に取り組んでいただきたいと強く希望します。
2024.6.21追記
ガザの報道を見るにつけ思うことは、憎しみや強いイデオロギーが根源にあれば、仮にその人が殺害されたとしても残された人が脈々のその意思を引き継ぐこと、何人殺害してもそれを排除できないこと、また相手の価値観に立ち、あるいは共感を得られる程度の共通認識下に主張しなければ、その主張は砂上の楼閣に過ぎないことを、攻撃側の首脳部がいつ理解するのかということです。
過去の歴史の特定の宗教信者を狙った悲惨な弾圧と、ガザへの一方的と評価しうる無差別としか思えない攻撃は、方法や結果においてどこが違うのでしょうか。
敢えて付言すれば、もはや戦闘状態とは言えない状況下での殺害を、何を根拠に正当化できるのか、そもそも特定の組織構成員であることをもって、なぜ殺害が正当化されるのか、どういう法的正当性が与えられるのか、大変疑問を感じるところです。
ハマスは、ナチスと全く異なる組織であり、超法規的措置を執る正当性は全くありません。もちろん、構成員の疑いだけで、殺害が容認されるはずがありません。
先日解放された捕虜の方の報道を見て、そこに住まう人々の悲惨な状況は無視されて、裕福な社会の基準・価値観からの報道が真実かのように受け止められる現実に、何とも言えない気持ちになったのは、私だけでしょうか。
最近自然災害を何かにつけて、温暖化のせいにしてそれで終わるような報道が目立つようになりました。
スイスの、雪が全く降らないため、山道にだけ雪をかき集めバックカントリーをしているスキーヤーの報道や、パキスタンの大洪水等が話題になりましたが、温暖化問題を考える際にはまず国内問題も解消する必要があります。
例えば、パキスタンで言えば、世界最難と言われるK2登山の難所で登山待ちが出たとの写真報道がありましたが、おそらくコロナ解禁で外国人が大挙して山岳地帯に登山にやってきた結果の一つと思われます。
大洪水に、これらの北部山岳地帯の外貨獲得政策の影響はなかったのか。今年はきちんと入山規制ができるのか。
これも他山の石となりますが、ヨーロッパアルプス山脈の氷河の急激な消滅という衝撃の現実を前に、限りある資源である山岳地帯の氷河を少しでも残すため、また急激な雪解けをさせないために、パキスタン政府ができること、すべきことがあるはずです。
今年は、是非とも、昨年の二の舞にならないよう期待したいと思います。
温暖化の象徴ではありませんが、冬季北京オリンピックの人工スキージャンプ場は、今の冬季オリンピックの限界を象徴させるものだったと思います。
冬季オリンピック競技のすべては道具を使ったり利用する競技で、自然での競技を予定しないし、人工施設の建設はあたり前だと言われればそうなのかも知れません。が、温暖化の中競技人口がもともと少なく、今後は更に限られることは必至なのですから、冬季オリンピックは一時中断し、冬季競技のうち通年開催可能な競技のみ夏季オリンピックと統一化して存続させ、かつ、夏期オリンピックを気候のいい春や秋の開催に変更する段階に来ていると思います。
素朴に言えば、今の時点で、既に限定的な地域の限定的な競技人口しか存在しないのに、膨大な予算をかけてそのための競技施設を作り、競技を開催する意味があるのか疑問です。
個人的には、ユーラシア大陸西側やアフリカにおいては、戦争継続のため武器商人に支払う予算や冬季オリンピックの予算を、温暖化対策に回すべき、予断を許さない事態が、今この時に起こっているとの意見に賛成です。
その上で、例えば、アフリカであれば、サハラ砂漠拡大の原因となっていると思われる北アフリカの山岳地帯の乾燥化を食い止めるための森林化の促進(但し、単純な植林ではなく、更地から森林へのプロセスを促進するだけの、その温暖化により変化した気候に合致した、草木の育成から始める森林化促進)や、ヨーロッパであれば山岳地帯の氷河の保護・保持なのだと思います。
20数年前本州のスキー場でパウダースノーに出会えるのは数えるほどだと理解していましたが、今ではさほど高度もないスキー場がパウダースノーを売りにしていると知り、乾燥化は他人ごとではないと痛感しています。
スイスの、雪が全く降らないため、山道にだけ雪をかき集めバックカントリーをしているスキーヤーの報道や、パキスタンの大洪水等が話題になりましたが、温暖化問題を考える際にはまず国内問題も解消する必要があります。
例えば、パキスタンで言えば、世界最難と言われるK2登山の難所で登山待ちが出たとの写真報道がありましたが、おそらくコロナ解禁で外国人が大挙して山岳地帯に登山にやってきた結果の一つと思われます。
大洪水に、これらの北部山岳地帯の外貨獲得政策の影響はなかったのか。今年はきちんと入山規制ができるのか。
これも他山の石となりますが、ヨーロッパアルプス山脈の氷河の急激な消滅という衝撃の現実を前に、限りある資源である山岳地帯の氷河を少しでも残すため、また急激な雪解けをさせないために、パキスタン政府ができること、すべきことがあるはずです。
今年は、是非とも、昨年の二の舞にならないよう期待したいと思います。
温暖化の象徴ではありませんが、冬季北京オリンピックの人工スキージャンプ場は、今の冬季オリンピックの限界を象徴させるものだったと思います。
冬季オリンピック競技のすべては道具を使ったり利用する競技で、自然での競技を予定しないし、人工施設の建設はあたり前だと言われればそうなのかも知れません。が、温暖化の中競技人口がもともと少なく、今後は更に限られることは必至なのですから、冬季オリンピックは一時中断し、冬季競技のうち通年開催可能な競技のみ夏季オリンピックと統一化して存続させ、かつ、夏期オリンピックを気候のいい春や秋の開催に変更する段階に来ていると思います。
素朴に言えば、今の時点で、既に限定的な地域の限定的な競技人口しか存在しないのに、膨大な予算をかけてそのための競技施設を作り、競技を開催する意味があるのか疑問です。
個人的には、ユーラシア大陸西側やアフリカにおいては、戦争継続のため武器商人に支払う予算や冬季オリンピックの予算を、温暖化対策に回すべき、予断を許さない事態が、今この時に起こっているとの意見に賛成です。
その上で、例えば、アフリカであれば、サハラ砂漠拡大の原因となっていると思われる北アフリカの山岳地帯の乾燥化を食い止めるための森林化の促進(但し、単純な植林ではなく、更地から森林へのプロセスを促進するだけの、その温暖化により変化した気候に合致した、草木の育成から始める森林化促進)や、ヨーロッパであれば山岳地帯の氷河の保護・保持なのだと思います。
20数年前本州のスキー場でパウダースノーに出会えるのは数えるほどだと理解していましたが、今ではさほど高度もないスキー場がパウダースノーを売りにしていると知り、乾燥化は他人ごとではないと痛感しています。
トルコ大地震の犠牲になった方々に謹んでお悔やみ申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。
命あっての物種です。建物のために人が死ぬようなことは最小限に抑える必要があります。耐震基準を満たしていない建物の犠牲者に関しては、人災であることを肝に銘じ、相互に耐震基準を守っていく必要があります。
なお、日本では、鉄筋コンクリートが急速に普及し始めたのは、関東大震災後と言われます。その前は、石造りの建物は石積み構造だけで、配筋の発想はなかったようです(なお、石積職人の技術による石造の建物は、単純に石を積み上げるだけのものではなく、力学的に有効な工夫をしています)。
つまり、今回のトルコの崩壊建物と同様に、建物強度をその石の厚み(今回で言えばコンクリートスラブ厚)で確保したために、建物により人が亡くなってしまう悲劇が起きました。
10年以上前ですが、関東大震災後に次々と建てられたRC造の復興小学校の解体が近所でありました。解体現場の配筋の数、太さは特筆すべきものでした。また解体前の建物のコンクリート強度も未だあり、ひび割れも見かけられませんでした。私が通学した戦後高度成長期に建築された鉄筋コンクリートの小学校より、余程耐震性能があったかと思います。
これは、当時関東大震災の教訓を生かし建築した結果ということなのでしょう。
トルコ地震においても、今後の教訓として耐震性能の確保は、鉄骨、鉄筋、配筋、メッシュ配筋による強度の補強により耐震性能を確保することが肝心かと思います。
ところで、今時の耐震技術は免震や制震構造であり、レトロなところ(1500年?前の耐震技術)で心柱による制震構造などがあげられますが、国内の多数の建築物は、そこまで予算を掛けられない、ただのSRC造やRC造やS造なわけですから、今回のトルコ地震を、他山の石とし、建物建築時の建築基準法遵守を堅持する必要があります。
近年、トルコ政府が弁護士を弾圧していたことは報道知識として知っていました。
一連の報道記事にあるトルコの建築規制を骨抜きにした官民癒着に、トルコの弁護士弾圧が影響しているのであれば、本件を教訓にトルコの弁護士の方々に、弁護士の存在意義を世論に問い、建築規制の遵守の活動を活発化させていただきたいと思います。
命あっての物種です。建物のために人が死ぬようなことは最小限に抑える必要があります。耐震基準を満たしていない建物の犠牲者に関しては、人災であることを肝に銘じ、相互に耐震基準を守っていく必要があります。
なお、日本では、鉄筋コンクリートが急速に普及し始めたのは、関東大震災後と言われます。その前は、石造りの建物は石積み構造だけで、配筋の発想はなかったようです(なお、石積職人の技術による石造の建物は、単純に石を積み上げるだけのものではなく、力学的に有効な工夫をしています)。
つまり、今回のトルコの崩壊建物と同様に、建物強度をその石の厚み(今回で言えばコンクリートスラブ厚)で確保したために、建物により人が亡くなってしまう悲劇が起きました。
10年以上前ですが、関東大震災後に次々と建てられたRC造の復興小学校の解体が近所でありました。解体現場の配筋の数、太さは特筆すべきものでした。また解体前の建物のコンクリート強度も未だあり、ひび割れも見かけられませんでした。私が通学した戦後高度成長期に建築された鉄筋コンクリートの小学校より、余程耐震性能があったかと思います。
これは、当時関東大震災の教訓を生かし建築した結果ということなのでしょう。
トルコ地震においても、今後の教訓として耐震性能の確保は、鉄骨、鉄筋、配筋、メッシュ配筋による強度の補強により耐震性能を確保することが肝心かと思います。
ところで、今時の耐震技術は免震や制震構造であり、レトロなところ(1500年?前の耐震技術)で心柱による制震構造などがあげられますが、国内の多数の建築物は、そこまで予算を掛けられない、ただのSRC造やRC造やS造なわけですから、今回のトルコ地震を、他山の石とし、建物建築時の建築基準法遵守を堅持する必要があります。
近年、トルコ政府が弁護士を弾圧していたことは報道知識として知っていました。
一連の報道記事にあるトルコの建築規制を骨抜きにした官民癒着に、トルコの弁護士弾圧が影響しているのであれば、本件を教訓にトルコの弁護士の方々に、弁護士の存在意義を世論に問い、建築規制の遵守の活動を活発化させていただきたいと思います。
9月も半ばになり、虫の鳴き声が秋を感じさせるようになりました。
最近のトピカルな話題と言えば家庭連合(旧統一教会)です。凶弾(教団?)に倒れた事件に関し、亡くなった方に謹んでご冥福を祈りつつ、これについて考えていきたいと思います。
このキリスト教系の宗教団体の問題性は、本部が韓国にあり、こと海外である日本での活動がえげつないことだと話題になっています。
家庭連合の問題は、結果として、烏合の衆の有権者も、数が集まれば、政治に物申す力になることを浮き彫りにしました。
選挙は、一人ひとりが投票するだけでなく、組織的に投票し、その組織としての意見表明をすることで、政治家を動かせるということが、「家庭連合」の実例により、改めて確認できました。
個人個人が孤立しがちな現代日本で、何かの意見表明のために横のつながりを作り、それを一つのグループにまとめ上げれば、政治に影響力を与えることができることが、次の政治の一手になり政治のクリーン化になるかどうか、注目して行きたいところです。
さて、この宗教団体の入信勧誘時のセールスポイントは、入信すれば「確実に結婚ができる」なのだそうです。
この団体の信者同士の合同結婚式は、式の直前まで結婚相手が知らされず、男女の性別は超えることはなく、他方、人種言語の違いを超えてカップルリングがなされ、皆が同じ衣装を着て一斉に結婚式をやり、それぞれがすぐに結婚後の共同生活を開始します。
先日、韓国で日本女性が宗教の自由を求めて数千人デモ行進をしたとのことですが、デモに参加した方々が「家庭連合」に不満を抱かず、「家庭連合」の教えを支持することは間違いなく、合同結婚式の勝ち組(結婚相手に外れなかった方)ということになるのでしょう。結婚相手に恵まれず、最悪をたどった負け組は、デモには参加しません。
確かに、今まで全く知らず、人種や話す言語が違っていても、生物学的には同じニンゲンで、この特徴的な教義に則って、積極的に生物学的なふれあいをすることで情が湧くから、なんとかやれる、婚姻生活もそれなりにうまく行くという面はあるでしょうが、長い目で見るとそれだけで続けるのは至難の業です。
言語を含む生活環境、人格的、性格的、経済的な不一致などの理由で、破綻する場合も多かろうかと思います。
カップルは教祖の教えにより抽出し、家庭連合のスタッフの恣意が働かないというのであれば、統計学的に考えれば負け組と勝ち組は前者が多くなるので、デモに参加しなかった負け組の人数を考慮すれば、合同結婚式で韓国に渡った日本国籍の女性はかなりの人数になるのだなと、個人的に心配になりました。
日本でも婚活サイト、結婚斡旋業をする会社も多数あり、中には自治体がマッチングを支援するところもありますが、ここまで踏み込んだことはできません。
成婚率という意味では断トツと思われる「家庭連合」の、結婚相手に愛だの恋だの抱かなくても教義の上に成り立つ生物学的なふれあいがあれば婚姻生活はうまく行く、所詮人間はニンゲンであり、その生物の枷から抜け出すことはできないという発想(教え?)は、婚姻制度の本質を突くものではあり、ある面で無視できない真実です。
勝ち組(それなりの相手と結婚できた方)の影に、どの程度の負け組(どんでもない相手と結婚した方)がいるのかという実数問題はありますが、「家庭連合」の特異かつセールスポイントである合同結婚式は、ニンゲンの一面を突いた考えさせられる事象です。
もちろん、現代社会は、生物学的な営みだけでは到底社会が成り立っていきませんし、これがまかり通っては悲劇的な負け組が多数発生し、弊害が多いから異端の域を出ませんし、冷静に考えれば、ナンセンスであることは誰しも考えつくことです。
日本での宗教弾圧はキリスト教弾圧の歴史で、それについて禁忌の感があり(ただし、それはヨーロッパの魔女狩りで言われる殺害を目的とするものではなく、棄教の強制が目的であったと言われています。)、家庭連合の宗教法人の認可取消しは難しいかも知れません。
ただし、宗教法人法の法人許可を厳格にしたり、今回のように宗教法人の名称変更を制限して、世間の目をごまかして活動を続けることのないようにすることはできると思います。
悪名高きヨーロッパ中世の免罪符制度より質(たち)が悪い、「家庭連合」の霊感商法を容認することはできません。宗教団体に寄付はつきものですが、現世の当人ではどうしようもない先祖由来の負のスパイラルに対する償いと称して、見境なく、信者などから金を巻き上げる、永遠に終わりがない集金システムというのも、全く容認できません。
私も、韓国で宗教の自由の侵害だとデモがあったことに違和感を覚えます。
今後の課題としては、この「家庭連合」の合同結婚式、壺や本の販売について、宗教性を否定し課税扱いとし、その活動内容を、税務署や宗教法人所轄部署に対して明確にさせることも肝要かと思います。
なお、宗教問題は、メンタル面で問題がある時に落ち入りやすく、つけいられやすいと言われます。
人の精神を鍛えるのであれば、可塑性がある未成年の時期が一番適しています。
メンタルを鍛えるとは、その人にとって克服できる程度に精神的負荷がかかる体験をいくつもこなしていくことですが、人間関係における失敗や小さな成功体験の積み重ねが肝心ということです。
「家庭連合」がまき餌にする一つと言われる占いや、あるいは世の中に多数ある効果が疑問視されるような自己啓発セミナーなどに頼るのではなく、地道に対人関係に関し切磋琢磨してスキルを身につけるのが肝心ということになるのでしょう。
2023.2.10補足
2023年が始まりました。
さて、国会ではLGBTが話題になっていますが、日本では性別変更を認める法制度があるので広義の同性婚が不可能ではなく、また女装の歌舞伎や麗人の宝塚などもある反面、身近の問題となれば、受け入れがたい面もあるのだと思います。
LGBTを題材にした作品は色々出版されていますが、マジョリティーの立場からLGBTを含むマイノリティーの問題を描いた、渡辺多恵子氏「ファミリー」を個人的には評価したいと思います。
40年前の作品ですが(リアルタイムで読んでいました。)、クレジットカード社会が舞台で、ゲイカップルの子どもの苦悩を描くなど、現代に通じる重い題材を軽快に描いているので、読みやすいのではないかと思います。
最近のトピカルな話題と言えば家庭連合(旧統一教会)です。凶弾(教団?)に倒れた事件に関し、亡くなった方に謹んでご冥福を祈りつつ、これについて考えていきたいと思います。
このキリスト教系の宗教団体の問題性は、本部が韓国にあり、こと海外である日本での活動がえげつないことだと話題になっています。
家庭連合の問題は、結果として、烏合の衆の有権者も、数が集まれば、政治に物申す力になることを浮き彫りにしました。
選挙は、一人ひとりが投票するだけでなく、組織的に投票し、その組織としての意見表明をすることで、政治家を動かせるということが、「家庭連合」の実例により、改めて確認できました。
個人個人が孤立しがちな現代日本で、何かの意見表明のために横のつながりを作り、それを一つのグループにまとめ上げれば、政治に影響力を与えることができることが、次の政治の一手になり政治のクリーン化になるかどうか、注目して行きたいところです。
さて、この宗教団体の入信勧誘時のセールスポイントは、入信すれば「確実に結婚ができる」なのだそうです。
この団体の信者同士の合同結婚式は、式の直前まで結婚相手が知らされず、男女の性別は超えることはなく、他方、人種言語の違いを超えてカップルリングがなされ、皆が同じ衣装を着て一斉に結婚式をやり、それぞれがすぐに結婚後の共同生活を開始します。
先日、韓国で日本女性が宗教の自由を求めて数千人デモ行進をしたとのことですが、デモに参加した方々が「家庭連合」に不満を抱かず、「家庭連合」の教えを支持することは間違いなく、合同結婚式の勝ち組(結婚相手に外れなかった方)ということになるのでしょう。結婚相手に恵まれず、最悪をたどった負け組は、デモには参加しません。
確かに、今まで全く知らず、人種や話す言語が違っていても、生物学的には同じニンゲンで、この特徴的な教義に則って、積極的に生物学的なふれあいをすることで情が湧くから、なんとかやれる、婚姻生活もそれなりにうまく行くという面はあるでしょうが、長い目で見るとそれだけで続けるのは至難の業です。
言語を含む生活環境、人格的、性格的、経済的な不一致などの理由で、破綻する場合も多かろうかと思います。
カップルは教祖の教えにより抽出し、家庭連合のスタッフの恣意が働かないというのであれば、統計学的に考えれば負け組と勝ち組は前者が多くなるので、デモに参加しなかった負け組の人数を考慮すれば、合同結婚式で韓国に渡った日本国籍の女性はかなりの人数になるのだなと、個人的に心配になりました。
日本でも婚活サイト、結婚斡旋業をする会社も多数あり、中には自治体がマッチングを支援するところもありますが、ここまで踏み込んだことはできません。
成婚率という意味では断トツと思われる「家庭連合」の、結婚相手に愛だの恋だの抱かなくても教義の上に成り立つ生物学的なふれあいがあれば婚姻生活はうまく行く、所詮人間はニンゲンであり、その生物の枷から抜け出すことはできないという発想(教え?)は、婚姻制度の本質を突くものではあり、ある面で無視できない真実です。
勝ち組(それなりの相手と結婚できた方)の影に、どの程度の負け組(どんでもない相手と結婚した方)がいるのかという実数問題はありますが、「家庭連合」の特異かつセールスポイントである合同結婚式は、ニンゲンの一面を突いた考えさせられる事象です。
もちろん、現代社会は、生物学的な営みだけでは到底社会が成り立っていきませんし、これがまかり通っては悲劇的な負け組が多数発生し、弊害が多いから異端の域を出ませんし、冷静に考えれば、ナンセンスであることは誰しも考えつくことです。
日本での宗教弾圧はキリスト教弾圧の歴史で、それについて禁忌の感があり(ただし、それはヨーロッパの魔女狩りで言われる殺害を目的とするものではなく、棄教の強制が目的であったと言われています。)、家庭連合の宗教法人の認可取消しは難しいかも知れません。
ただし、宗教法人法の法人許可を厳格にしたり、今回のように宗教法人の名称変更を制限して、世間の目をごまかして活動を続けることのないようにすることはできると思います。
悪名高きヨーロッパ中世の免罪符制度より質(たち)が悪い、「家庭連合」の霊感商法を容認することはできません。宗教団体に寄付はつきものですが、現世の当人ではどうしようもない先祖由来の負のスパイラルに対する償いと称して、見境なく、信者などから金を巻き上げる、永遠に終わりがない集金システムというのも、全く容認できません。
私も、韓国で宗教の自由の侵害だとデモがあったことに違和感を覚えます。
今後の課題としては、この「家庭連合」の合同結婚式、壺や本の販売について、宗教性を否定し課税扱いとし、その活動内容を、税務署や宗教法人所轄部署に対して明確にさせることも肝要かと思います。
なお、宗教問題は、メンタル面で問題がある時に落ち入りやすく、つけいられやすいと言われます。
人の精神を鍛えるのであれば、可塑性がある未成年の時期が一番適しています。
メンタルを鍛えるとは、その人にとって克服できる程度に精神的負荷がかかる体験をいくつもこなしていくことですが、人間関係における失敗や小さな成功体験の積み重ねが肝心ということです。
「家庭連合」がまき餌にする一つと言われる占いや、あるいは世の中に多数ある効果が疑問視されるような自己啓発セミナーなどに頼るのではなく、地道に対人関係に関し切磋琢磨してスキルを身につけるのが肝心ということになるのでしょう。
2023.2.10補足
2023年が始まりました。
さて、国会ではLGBTが話題になっていますが、日本では性別変更を認める法制度があるので広義の同性婚が不可能ではなく、また女装の歌舞伎や麗人の宝塚などもある反面、身近の問題となれば、受け入れがたい面もあるのだと思います。
LGBTを題材にした作品は色々出版されていますが、マジョリティーの立場からLGBTを含むマイノリティーの問題を描いた、渡辺多恵子氏「ファミリー」を個人的には評価したいと思います。
40年前の作品ですが(リアルタイムで読んでいました。)、クレジットカード社会が舞台で、ゲイカップルの子どもの苦悩を描くなど、現代に通じる重い題材を軽快に描いているので、読みやすいのではないかと思います。