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時事問題 : 対馬の盗難仏像に対する韓国の返還禁止仮処分決定
投稿者 : admin 投稿日時: 2013-02-28 (1068 ヒット)
対馬の盗難仏像について、14世紀の和寇が略奪した可能性があるから日本への返還を禁止するとの、仮処分の決定を韓国の裁判所が出したとの報道がありました。

我が国で、2012年11月の盗難の事実がはっきりしているのに、600年前の事実の疎明がなければ、返還禁止との仮処分を出すことは、現行法上不可能です。常識的に考えて、古文書の存在を要求する方が間違っているわけですし、600年以上前の制作事実をもって所有の法的根拠と認めることはありません。

儒教が国教となって久しく、また、キリスト教徒の割合も多い韓国ですから、そういう感覚がないのかも知れませんが、そもそも、盗んできたものを信仰対象とする人などいるのでしょうかね。
朝鮮半島の仏像は、日本の仏教美術史からすれば、7世紀まですなわち大和時代頃までであれば、盛んに模倣された様式ですが、14世紀にもなれば、我が国独特の丸みを帯びた優美な雰囲気の仏像へと移った平安時代をとうに過ぎた時期であり、当時の日本にとっては完全に時代に合わなない様式になっているのですが。

私も熱心な仏教徒というわけではありませんが、仏教徒の感覚からすれば、信仰対象の仏像を、他から奪ってくることなどありえないし、むしろ、寄進、祈願と言って、当時から、仏像は、願をかけて仏師に新たに作らせる方が一般的で当たり前のことでした。新たに仏師に作らせるのであれば流行の形になるため、朝鮮半島の仏像にはなりえず、更に、そもそも仏像は、売買対象ではありませんでした。

だから、韓国が言う、盗んだというのはあり得ないと思います。

韓国では、仏教が、いくら漢字文化とともに廃れつつあるとしても、仏像に対する当たり前の崇拝心くらいは、忘れずにいてもいいのではないかと思います。最近の世界遺産の登録状況を見てもそうですが、韓国では、漢字で書かれた経典も仏像も、信仰対象ではなく美術的価値しか考えていないようです。
不信心この上なく、日本では、こういうのを「ばち当たり」といいます。

日本人が仏像に対してどれだけ崇拝心を持っているかと言えば、12世紀に東北平泉に、黄金のお堂とお堂に安置された黄金の仏像が建立されましたが、これらを建立した藤原氏が滅ぼされても、仏像が破壊略奪されることなく、また盗難に遭うことなく、その場に安置され続けた例がいい例かも知れません。日本では、これは当たり前のことで、仏に手をつけるということはありません。

韓国の常識的な宗教心と常識的な国際法感覚を持った人が、適切な処置をとることを希望します。

20170126補足
本日、韓国でこの仏像の返還を認めない判決が出たとのことです。

外から見ている分には真相が全くつかめない理由で(一つ一つの出来事の理解はできるが、なぜこのようなことを問題にするのか、可罰的違法性との兼ね合いで、大問題にすべき事柄なのか、政治的空白、政府機能の停止をもたらしてまで、国を挙げてなすことなのか、国として何をしたいとのかがよくわからない)政府機能が麻痺する中で、厳格な法解釈や法律論を離れて世論に迎合しがちな韓国の裁判所が、理解不能な判決をしたように思えます。
これは、よかったのか悪かったのか。
日本ではあり得ないという判決という前提においては、全くもって、理解できない内容であり、日本では決してこうなって欲しくありません。
近年実際にあった窃盗事件の被害品は持主に返還される世の中を維持して行くべきだと思いますし、隣国もそうあって欲しいと願います。
法律の存在意義は、人の支配ではなく、法の支配であること、すなわち恣意的な運用を排除し、国民の行動に予見可能性、予測可能性を持たせ、安定的な秩序を図るようにすることにあります。
そういう意味では、この判決は、世論迎合の、もはや人の支配に近い判決という見方ができます。
韓国については、予測の範囲内ではあるとしても、ひどく失望させられるニュースが続きますが、やっぱり韓国は韓国 という言い方で終わることのないように、せめて同業の、司法の分野だけでも、毅然として対応していただきたいと願います。

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