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時事問題 : いわゆる徴用工裁判について
投稿者 : admin 投稿日時: 2018-11-12 (992 ヒット)
さて、先日、韓国の最高裁が、徴用工及びその遺族からの請求を認容する判決を下し、本日、韓国人から来日したとのニュースがあり、おじいさんのプラカードを持った「若い人々」が道路を行進している写真記事が掲載されました。
 気になったのは、普通の韓国の若者が何のためらいもなく日本にやってきて、これをしたことです。ざっと70年前の話ですから当事者は少なくとも85歳以上で、この人たちは孫か孫世代に当たる方です。

 弁護士という仕事柄、常に自分と同じと考えるのではなく、なるべく相手と同じ土俵で物事を考えるようにしていますが、同じ土俵に立ち得ないものというのは大変扱いが難しいです。

 明治民法の家長制度が改正されたのもつい数十年前の韓国ではありますが、戦前の民法でも時効はあったし、そもそも除斥期間があるし、不法行為法は関係ないしと考えると、戦時という一言で、何でも許容されてしまう、韓国のあからさまな超法規的措置が、本当に嫌だなと思うだけでなく、一見同じような法制度を持ちつつ、実は同じ土俵にいつまでも立てない、またそれを何とも感じない、韓国の若者世代に怖さを感じます。
 70年前のことに孫の世代が、当たり前のようにプラカードを持って来日して70年以上前の債権請求をする一方で、農産物では、日本産の新品種をどんどん自国で栽培し、開発費なしに、勝手に取り入れ、当たり前のように扱う。
 
 この奇妙な現象は、伝統ある漢字教育がなくなり、(どこに根拠があるのか知りませんが)「市民のための文字」と言われるハングルが幅をきかせ、言語的に戦前と戦後に明白な分断ができ、戦前の理解がないためもあるでしょうし、日本より強烈と言われる学歴競争社会の中で何か忘れたものが多いせいなのかも知れないし、歴史的に1000年以上の長きにわたり継続して属国支配を受けてきた民族性、お国柄なのかも知れませんが、隣国ゆえに、関係が切れないこともあり、今後も含め、先は厳しいなと思います。
 
 ずいぶん前のことではありますが、ある金融機関が親の債務を子に対して請求した裁判で、子の代理人で法廷に立った際に、「まるで(末代まで債務を負わなければならなかった)江戸時代のようだ」と言ったら、裁判官にすかさず「言い過ぎだ」とたしなめられたことがありますが(もちろん、言い過ぎだと理解しての発言)、70年以上前の出来事を何の違和感なく、普通に来日して行動するこの感覚が正直怖いと思いました。

 韓国政府が正常に機能しているのであれば、慰安婦問題もそうですが、徴用工問題も、韓国政府が主体性をもって救済法を制定し(過去に韓国で、特定の人々を対象に日本統治下での不動産所有権を否定する特例法を作って所有権を否定したのと同様の考え方です。)、韓国政府が既に受け取った多額の戦後賠償金を、今こそ韓国国民の救済に使うべきなのですが、慰安婦問題ですらこれができずに政権交代となった韓国ですから、慎重に世論を醸造し、機を熟して対応する他ないのでしょうが、果たしてムン氏にこれができるのでしょうか。

 世界的に通用している法理論を、広く韓国国民に周知徹底させるのは、中進国から抜け出たばかりの韓国には難しいのかも知れませんが、この対応ができなければ、そもそも正しい意味での法治国家とは言えません。
 
2018.12.06補足
 日本国内では韓国に対しあまり差別意識はなく、LINEがわざわさ「LINEは韓国の会社ではなく、日本で上場した会社です」と宣伝することに、資本が韓国というだけでなく韓国色が強い会社と逆に感じる程度です。
 そろそろ、韓国も、普通の国の、普通の法的対応を取れる国になって欲しいと考えます。既に解決済みの事柄について、常識的にあり得ない理屈で認容しても、国際的には通用しないし通用させられないことと単純に考えてもわかるはずなのですが。

2018.01.06補足
 とうとう韓国の裁判所が差押手続を認めたとのネット記事が出ました。あーあという感じで、理不尽かつ理不尽この上ない話です。
 きっと、差押裁判所は「判決が出た以上は・・・」と自己を正当化し、執行側は「判決が出た以上は・・・」と開き直り、判決した裁判所は「世論と政権に沿うとこうなる」という自己正当化をするのでしょう。

 韓国では、国家と個人は別との考え方であれば、敗戦時に韓国に残してきた日本人の個人資産の返還請求や、敗戦色が濃くなったどさくさの時期になぜか亡くなった方や、「どこぞ」に売られてしまった日本人の損害賠償請求が認められるのでしょうか。韓国国内限りでは、フェアになるのでしょうか。

 あるいは、今回の判決、差押そのものが違法として損害賠償請求をして、差押えをした個人、若しくは韓国政府に対し、同額の請求権を認め、日本国内や韓国内の資産の差押えを図れたりするのでしょうか。
 あるいは、今回同様の政策的配慮から、日本国内の朝鮮学校、韓国学校を始めとする、朝鮮人に対する日本国内の暗黙の便宜を撤廃できるのでしょうか(実質的な便宜撤廃でも、経済効果からすれば、かなりの金額の回収にはなりそうです)。
 
 同一の国内法であれば、必ず既判力の壁があるので、このようなことは検討の余地もありませんが、時効の明白な問題があり、またそもそも事実誤認の疑問が残る判決に基づく執行ですから、検討の余地もあるかも知れません。そうすると、韓国政府や韓国人の日本国内資産の差押えの余地もでてくるのかも知れません。

 もちろん、基本的にはまかり通らない議論なのですが、前提となる判決にここまで問題があると、このような問題提起の余地もありそうです。

2019.08.04補足
 日韓関係が手詰まりの中、元徴用工問題の解決は糸口を、ムン氏は見つけることはできないのでしょうか。

 74年以上前の問題をほじくり返しての問題に端を発しているわけですから、韓国国内においても、他の問題でなければあり得ない問題です。
 国内法の制定により、この問題を解決するしかないのに、なぜ、これができないのか。
 今の韓国と北朝鮮の異なるところは、曲がりなりにも平和的に周辺諸国と関係を続けてきたことだと思いますし、この74年間で、南と北の国の発展具合を見てわかるとおり、今後の東アジア情勢を考えても、諸国と微妙な距離をとり続ける必要性は、韓国も同じだと思います。
 公衆衛生の未発達により、回虫罹患率が異常に高いという状況は今の韓国にはないはずです。
8月15日を前にして、敗戦国だからと言われても、何でも要求できるということではありません。
 国際問題は、韓国という一つの国家に対して対応するもので、それは統一的になされます。
 確かに韓国内では政権が変わるごとに国家元首の逮捕者や自殺者(もっともこの方の場合、娘さんが新興の有名財閥のトップの妻とのことで、色々あったのかも知れません。)を出し、前政権の施策、合意がいとも簡単に覆され、幻のゴールポスト状態が頻繁に垣間見られる国ですが、当該賠償金を貰っておいて、再請求するのはどうなのか、それは、国家間の合意により支払いを受けた韓国政府にすべきであり、韓国政府が国内法を制定して、国内法として対応すべきだというのは、当然のことであると思います。
 裁判所が、賠償請求の蒸し返しではないと堂々と判断するのでは、一体これは何だと思うだけでなく、他山の石、あるいは反面教師として、我が国の司法はこうあってはならないと願います。

2020.08.03補足
 とうとう韓国国内での公示送達の手続きがなされたとのことですが、結局ムン氏は決断できないのでしょうか。

 批判のための批判を繰り返すばかりか、おばあさんたちのお金まで流用した渦中の慰安婦団体の代議士と同様に、一旦解決した賠償金問題を再燃させるようでは国家として信用に値するのでしょうか。
 何のための賠償金だったのか。全く理解できません。

 先日の炭鉱跡の施設の展示をめぐる韓国の批判もそうですが、独善的価値観と想像の世界(80年あまり前の炭鉱技術が現在と同じと思っているのだろうし、現在に匹敵するほど豊かだったと思っているとしか考えられない。当時の経済水準が圧倒的に低かったことを無視している。)を前提にした批判である点、いつものことだなと思うと同時に、炭鉱というものがどうだったのか、改めて、問い直したいところです。
 
 一般論で考えても、海底炭鉱など地盤が決して堅固ではない炭鉱の炭坑夫は、連携が強固な、集団行動ができなければ、落盤の危機、生命の危機に陥ります。集団行動に組み込めないような人(人々)を多数組み込むことはできないはずですし、普通に考えればそんな選択肢はまず取れないと思うのですが、なぜ、朝鮮人だけを酷使させたことになるのでしょうか。
 また、戦争末期で、本土空襲により、多数の人が死んでいった中で、日本から戻ってこなかったからと言って、なぜそれが虐待の証になるのでしょうか。
 
 この問題がこじれてから、ずいぶん経過しています。
 今こそ、ムン氏は、国内問題として、過去に獲得した賠償金の中から、処理・解決すべき段階に来ています。


2020.8.29補足
 今年も9月1日(関東大震災のあった日)が近づいてきました。関東大震災下であった朝鮮人が多数虐殺されたとの出来事について問題にしたいと思います。

関東大震災朝鮮人虐殺事件というのは、私が学生のころには教科書にも載っておらず、話題になりませんでした。
一回り以上若い世代の人は、井戸に毒が投げ込まれたとのデマが流れて多数の朝鮮半島出身者が虐殺されたと教えられるのだそうです。

しかし、ここで疑問なのは
1 江戸時代から水道が普及し、大正時代の終わりであれば、東京市では水道普及率も高かったはずなのに、誰が飲料用に井戸を使用するのか
  なお、地震により一時的に水道が寸断されても、水道は災害時のライフライン復旧でも最優先に扱われるので、長期間水道が使えなかったとは考えられません。
2 東京市以外でも大正の終わりであれば、井戸の開口部が密閉された手押しポンプが普及していたはずで(つるべ井戸ではない。なお現在は電動汲み上げポンプ。)、毒を入れるのも簡単ではないし、しかも、郊外であれば井戸は民家の敷地の中にあるから、被害がそれほど大きくなかった郊外の民家に押し入り(単独犯ならばともかく)朝鮮半島出身者が集団で井戸に毒を投げ入れたというデマが集団心理として醸造され得るのか、奇想天外すぎないか
3 阪神淡路大震災を経験した者の実感として、地震は、建物が建物が古かったり簡易な造りであれば、より倒壊しやすく、更に関東大震災では、東京市で何カ所も大火災が発生したことからすれば、建物が倒壊した住宅密集地の被害が甚大だったことは確かで、いくら一時的に無政府状態になったとしても、大地震の後、また周囲で数万人もの死者が出て、家を焼け出され、自分達の生活再建だけで精一杯の時期に、精神的体力的にそこまでの気力があるのか。

 本当に井戸のデマがあったのか、百人単位の多数のという部分に、疑問を感じます。
 
 日本の近代史で、しばしば死者を伴う流血事件が起きるのは、土地をめぐる争議です。大正デモクラシー(民主化が広く行き渡り、労働者の意識が目覚める)以降は労働争議が加わります。
 移民(いわゆる、よそ者。大正の終わりでも、人の移動が多くないので、よそ者の定義は今よりずっと狭義で同郷ではない者をいう。)排斥意識は程度の差こそあれ、日本でも見られますが、多数(10名以上)の死者を出す騒動になったことがあるかと言えば、私は寡聞にして聞きません。
 火のない所に煙は立たないと言いますから、虐殺が全くなかったとは断定しませんが、これも釈然としません。

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