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時事問題 : 地球温暖化を真面目に考える
徴用工問題は韓国内の理不尽不合理な状況が一向に改善されず、全くもって腹立たしい限りです。が、今回は趣向を変え、今一番話題の地球温暖化を考えてみたいと思います。
現在の地球温暖化対策は、産業の発展により各国の二酸化炭素排出量の増加したことにより、二酸化炭素の大気中の成分比率の増大し、地球全体の大気の温度が上昇するから、各国が、二酸化炭素排出量を減らすべき、更に削減に変わる施策も推進させるというものです。
二酸化炭素を吸収して酸素を排出するのは言うまでもなく植物ですが、最近の研究では、地球規模の大気成分に影響を与えたのは陸上植物ではなく、海洋植物だと言われます。海の広さと陸の広さでは圧倒的に海が広いことも理由のようですが。
とすれば、森林復元として実効的なのは、海洋植物が生息しやすい一定の海域を富栄養状態にする海洋施設を立ち上げて人為的に海洋植物を増やすことだと思ったりするのですが、そういう研究ってないのでしょうか。
先日、海外の学者によって、過去大航海時代の直後の一時期に、世界が寒冷化に向かったのは、アメリカ大陸の先住民の大量虐殺により農地が放棄され森林が増えたためとしか考えられないとの研究が発表された(要約です。悪しからず)と報道がありましたが、温帯であれば、耕作地が放棄されて森林が形成されるのに、100年単位の気の長い年月がかかることからすれば、常識的にはナンセンスな話です。それならば、アフリカからアメリカ大陸に連れられる途中の航海の最中に大量に亡くなり、そのまま海の藻屑となった人々が、いわば海の栄養素となり、海洋植物が増えたという話の方が、まだ説得力があるのかなと思います。
なお、この推測は、全く根拠がない話ではなく、例えば、東南アジアで、津波など深海に影響するような災害があるとその後日本海近海では、越前クラゲが大発生したこともありましたし、浅い海に滅多に上がってこない深海魚が揚がる現象も見られます。南洋で相当数の死者を出した太平洋戦争の後、ニシンなどの歴史的豊漁がありました。もともと栄養豊富でない深海に生物の遺骸がやってきたら、それだけでその海層が豊富になり、その結果、当該海層の食物連鎖の上位生物が浅い海に顔を出すということなのでしょうか。
こう考えると、地球史の研究成果を前提とすれば、世界規模の温暖化だけを問題にするのであれば、二酸化炭素排出削減の他に、海洋植物の育成こそが必要ということになります。
海と言えば、洋上の観察程度で、海中まではなかなか分からないし、海洋になるとスケールが広すぎて想像がつかないところがあります。温暖化の原因の一つとして、海面温度の上昇も言われ、その原因として深海底を通るジェット海流の寒冷化も言われます。個人的にはこのジェット海流の存在を知った時に(子どもの時には習いませんでしたので)、自転ということかと感心しました。つまり、空気、水等の流体であれば、地球の自転の影響を受けない層(ジェット気流と同様の海流)が存在してもおかしくなく、それは実際には静止に近い状態ではあるが自転する地表からすれば高速で流れているに他ならないという地球自転の面白さを改めて考えさせられました。
他方で、巷でいう温暖化は、地球規模の乾燥化としての問題意識もあるようです。
乾燥化は陸上の問題なので、海洋資源では解決ができません。
アフリカの乾燥化は、キリマンジャロの万年雪の極端な減少が象徴的で、これこそが、温暖化の象徴のように言われますが、新たな降雪がないこと、すなわち大陸の乾燥化につながる降水量の減少の方が深刻な気がします。
BBC制作のオカバンゴ湿原への動物回遊のドキュメンタリー番組(草食動物・肉食動物を問わず一斉にオカバンゴを目指して回遊をする)を見ると、アフリカ大陸は他の大陸で見られない生態系があるとわかりますが、オカバンゴ湿原ですら色々問題を抱えるのを見ると、厳しいなと思います。
そうは言いながら、アフリカの気象変化は、東アジアにいればピンと来ません。
これに対し、西アジアの乾燥化については、アフガニスタンで活動するペシャワール会のサイトが、現地日本人スタッフによる、日本との具体的な比較検証があるため、わかり易い情報となっています。
ペシャワール会の活動では過去殺害された方も出た関係で二ユースになったこともありましたが、近年は、NHK番組にもなりましたが、「緑の大地計画」が話題になりました。
例年8か月間も雨が降らないような乾燥地域で、山岳地帯からの流れ出る大河を、山田堰等の日本の江戸時代の技術を活用し、最近はやりの「持続可能型社会」の実現の一つとして、地元民の手による継続可能な治水設備の設置をコンセプトに(モノの供与よりも、技術供与を主体とした人に対する地域振興策を中心にする経済支援の施策にもなっています)灌漑事業を行い、耕地を復元するという事業で、誇張でなく大きな成功を見せておられます。
そのレポートで特筆すべきは、1 小麦が乾燥に強いこと、2 現地に備中鍬(日本史では必ず習う地中を深く掘れる当時画期的であったフォークのような鍬のこと)はなく、深掘りの習慣がないこと、3 日本よりも地中微生物が少ないこと(堆肥作りなどが違ってくるのだと思われる)、4 8か月も雨は降らないが河川に水が流れること、河川の年間流量は一定のため、洪水があるとその反面流量が極端に減少する時期が発生することでしょうか。
4については、緑地の出現により土地の保水力が増え、雲を呼び降雨となり山岳地帯の雪解けを促したというのはわかるのですが、日本では一定時期に雨が降ったら他の時期の降雨量が減少するということは、気象庁のデータでも確認できません。河川の年間流量が一定というのは、主たる水源が雪解け水で、年により気温の変化がないので、雪解け水の量は一定になるということなのでしょうか。メカニズムが気になります。
3は乾燥すると、耕地がやせるということなのでしょう。乾燥化は、動植物に影響を与えるだけでなく、目に見えないところで、細菌等地中微生物も減少させ、土地そのものが細菌を分解する能力がないので、日本の農地のような循環が期待できず、一層の土地やせにつながるようです。
日本の湿度の高さを、いやがる人もいますが、湿度が高いお陰で、生物だけでなく、微生物や細菌もより多く存在でき、耕地を豊かにしていくわけですから、日本の環境はある意味、世界的に減りつつある地球の地理的恩恵なのかなとも思います。
ペシャワール会の方々が言う、「農地で食べられるようになれば、出て行った人が戻る。また働き口が見つかれば生活が安定し、人はそれを乱す原因となる紛争の発生を好まず、紛争も回避できるし人は戦争に向かわない」というのは、実践的ゆえ、説得力があります。
世界情勢が変化しつつある今、戦争を回避する方法を改めて考えさせられます。
山田堰(筑紫次郎と言われる筑後川にある)の話題が出てきたので、一つ。
現在の我が国の身近な治水問題としては、九十九里浜の遠浅の海岸線の消失があります。
その原因は、利根川流域の治水事業の発展により河川流域からの土砂の流出が止まったことと、上流にダムができ、利根川の河口・銚子付近から海への土砂流出が減ったことにより、河口付近の堆積物が減り、海流にのって銚子付近から九十九里浜まで流れていた土砂の流れが止まり、逆に太平洋の荒波による浸食で遠浅の海岸線がなくなりつつあるようです。
河川氾濫を防止するために護岸工事を徹底し河川による土砂の流出が減ったのですから、治水事業のさじ加減の難しいところでしょうか。
ペシャワール会のサイトで、暴れ川という表現があり、そういえば、板東太郎(利根川)は、筑紫次郎(筑後川)より暴れ川だから太郎なのだと今更ながらに思いました。
2019.05.02補足
令和が始まりました。
今回は年号が変わるだけなので、気楽に話題にできます。
令和になっても、少子高齢化、増加する外国人問題(排斥でも同調でもなく、アイデンティティーを尊重しつつ、教育を中心にした、日本語、日本文化への啓蒙を図り、相互理解を深める)、インターネットの普及による従来の小売店舗のバーチャル店舗への転換(アマゾンに代表する宅配による小売業の圧迫に対し、人と人とのコミュニケーションが必要な業態はバーチャル対応にするかどうかはともかくとして対面販売や応対を可及的に残す)、世界に対抗しうる付加価値あるいは価格を求められるために生じる製造業の衰退の危機から(これはただ、ニッチに販路を求めればいいだけなのかも知れませんが)、ハイブリット車の普及によるガソリンスタンドの減少等身近なものまで、変化は目白押しです。
いいものを取り入れ、また、将来的にインフラそのものの崩壊に直結するものについては改良を加えて取り入れつつ、よりよき未来につなげていきたいものです。
もちろん、乾燥化の問題は(今年の気温を考えても暖かくなったという感じはしないので、乾燥化に絞ります)、長期的に見れば、そろそろアジアでも真剣に考えなければならないわけで、それは具体的には東南アジア、南アジアの森林回復なのでしょう。
去年、南洋で発達した台風が、南西諸島の島々の上空をたどるルートを取らずに北上した結果、一部新聞報道もありましたが、塩分を多く含んだ降雨になりました(うちの植木鉢の植木にも確かに影響がありました)。
東南アジアの森林の荒廃がなければ、いつものルートをたどり、こういうことがなかったと思うと、東アジア全体に与える影響(同様の問題は、北上ルートが異なれば中国韓国北朝鮮でも受けるわけです)を考えざるを得ません。
森林の自己再生力の限界を超えれば森林の保持はできません。ひと頃あった、人の手が入らないと緑に沈むという現象はなくなってしまいます。
森林資源の枯渇は、一義的には国内問題であることは間違いありませんが、急激な減少が生じたり、自己回復力の限界を超えた状態なのであれば、それは一国の国内問題ではなくなってしまいます。
中国は、豊富な資金を背景に、世界的な一帯一路を推進していますが、海外の経済圏の構築の前に、自国の環境保全の必要性を理解し、森林破壊が進み、環境保全の必要性が差し迫っている、東南アジアにも緑化目的に限定し、資金を向けてもらいたいところです。
現在の地球温暖化対策は、産業の発展により各国の二酸化炭素排出量の増加したことにより、二酸化炭素の大気中の成分比率の増大し、地球全体の大気の温度が上昇するから、各国が、二酸化炭素排出量を減らすべき、更に削減に変わる施策も推進させるというものです。
二酸化炭素を吸収して酸素を排出するのは言うまでもなく植物ですが、最近の研究では、地球規模の大気成分に影響を与えたのは陸上植物ではなく、海洋植物だと言われます。海の広さと陸の広さでは圧倒的に海が広いことも理由のようですが。
とすれば、森林復元として実効的なのは、海洋植物が生息しやすい一定の海域を富栄養状態にする海洋施設を立ち上げて人為的に海洋植物を増やすことだと思ったりするのですが、そういう研究ってないのでしょうか。
先日、海外の学者によって、過去大航海時代の直後の一時期に、世界が寒冷化に向かったのは、アメリカ大陸の先住民の大量虐殺により農地が放棄され森林が増えたためとしか考えられないとの研究が発表された(要約です。悪しからず)と報道がありましたが、温帯であれば、耕作地が放棄されて森林が形成されるのに、100年単位の気の長い年月がかかることからすれば、常識的にはナンセンスな話です。それならば、アフリカからアメリカ大陸に連れられる途中の航海の最中に大量に亡くなり、そのまま海の藻屑となった人々が、いわば海の栄養素となり、海洋植物が増えたという話の方が、まだ説得力があるのかなと思います。
なお、この推測は、全く根拠がない話ではなく、例えば、東南アジアで、津波など深海に影響するような災害があるとその後日本海近海では、越前クラゲが大発生したこともありましたし、浅い海に滅多に上がってこない深海魚が揚がる現象も見られます。南洋で相当数の死者を出した太平洋戦争の後、ニシンなどの歴史的豊漁がありました。もともと栄養豊富でない深海に生物の遺骸がやってきたら、それだけでその海層が豊富になり、その結果、当該海層の食物連鎖の上位生物が浅い海に顔を出すということなのでしょうか。
こう考えると、地球史の研究成果を前提とすれば、世界規模の温暖化だけを問題にするのであれば、二酸化炭素排出削減の他に、海洋植物の育成こそが必要ということになります。
海と言えば、洋上の観察程度で、海中まではなかなか分からないし、海洋になるとスケールが広すぎて想像がつかないところがあります。温暖化の原因の一つとして、海面温度の上昇も言われ、その原因として深海底を通るジェット海流の寒冷化も言われます。個人的にはこのジェット海流の存在を知った時に(子どもの時には習いませんでしたので)、自転ということかと感心しました。つまり、空気、水等の流体であれば、地球の自転の影響を受けない層(ジェット気流と同様の海流)が存在してもおかしくなく、それは実際には静止に近い状態ではあるが自転する地表からすれば高速で流れているに他ならないという地球自転の面白さを改めて考えさせられました。
他方で、巷でいう温暖化は、地球規模の乾燥化としての問題意識もあるようです。
乾燥化は陸上の問題なので、海洋資源では解決ができません。
アフリカの乾燥化は、キリマンジャロの万年雪の極端な減少が象徴的で、これこそが、温暖化の象徴のように言われますが、新たな降雪がないこと、すなわち大陸の乾燥化につながる降水量の減少の方が深刻な気がします。
BBC制作のオカバンゴ湿原への動物回遊のドキュメンタリー番組(草食動物・肉食動物を問わず一斉にオカバンゴを目指して回遊をする)を見ると、アフリカ大陸は他の大陸で見られない生態系があるとわかりますが、オカバンゴ湿原ですら色々問題を抱えるのを見ると、厳しいなと思います。
そうは言いながら、アフリカの気象変化は、東アジアにいればピンと来ません。
これに対し、西アジアの乾燥化については、アフガニスタンで活動するペシャワール会のサイトが、現地日本人スタッフによる、日本との具体的な比較検証があるため、わかり易い情報となっています。
ペシャワール会の活動では過去殺害された方も出た関係で二ユースになったこともありましたが、近年は、NHK番組にもなりましたが、「緑の大地計画」が話題になりました。
例年8か月間も雨が降らないような乾燥地域で、山岳地帯からの流れ出る大河を、山田堰等の日本の江戸時代の技術を活用し、最近はやりの「持続可能型社会」の実現の一つとして、地元民の手による継続可能な治水設備の設置をコンセプトに(モノの供与よりも、技術供与を主体とした人に対する地域振興策を中心にする経済支援の施策にもなっています)灌漑事業を行い、耕地を復元するという事業で、誇張でなく大きな成功を見せておられます。
そのレポートで特筆すべきは、1 小麦が乾燥に強いこと、2 現地に備中鍬(日本史では必ず習う地中を深く掘れる当時画期的であったフォークのような鍬のこと)はなく、深掘りの習慣がないこと、3 日本よりも地中微生物が少ないこと(堆肥作りなどが違ってくるのだと思われる)、4 8か月も雨は降らないが河川に水が流れること、河川の年間流量は一定のため、洪水があるとその反面流量が極端に減少する時期が発生することでしょうか。
4については、緑地の出現により土地の保水力が増え、雲を呼び降雨となり山岳地帯の雪解けを促したというのはわかるのですが、日本では一定時期に雨が降ったら他の時期の降雨量が減少するということは、気象庁のデータでも確認できません。河川の年間流量が一定というのは、主たる水源が雪解け水で、年により気温の変化がないので、雪解け水の量は一定になるということなのでしょうか。メカニズムが気になります。
3は乾燥すると、耕地がやせるということなのでしょう。乾燥化は、動植物に影響を与えるだけでなく、目に見えないところで、細菌等地中微生物も減少させ、土地そのものが細菌を分解する能力がないので、日本の農地のような循環が期待できず、一層の土地やせにつながるようです。
日本の湿度の高さを、いやがる人もいますが、湿度が高いお陰で、生物だけでなく、微生物や細菌もより多く存在でき、耕地を豊かにしていくわけですから、日本の環境はある意味、世界的に減りつつある地球の地理的恩恵なのかなとも思います。
ペシャワール会の方々が言う、「農地で食べられるようになれば、出て行った人が戻る。また働き口が見つかれば生活が安定し、人はそれを乱す原因となる紛争の発生を好まず、紛争も回避できるし人は戦争に向かわない」というのは、実践的ゆえ、説得力があります。
世界情勢が変化しつつある今、戦争を回避する方法を改めて考えさせられます。
山田堰(筑紫次郎と言われる筑後川にある)の話題が出てきたので、一つ。
現在の我が国の身近な治水問題としては、九十九里浜の遠浅の海岸線の消失があります。
その原因は、利根川流域の治水事業の発展により河川流域からの土砂の流出が止まったことと、上流にダムができ、利根川の河口・銚子付近から海への土砂流出が減ったことにより、河口付近の堆積物が減り、海流にのって銚子付近から九十九里浜まで流れていた土砂の流れが止まり、逆に太平洋の荒波による浸食で遠浅の海岸線がなくなりつつあるようです。
河川氾濫を防止するために護岸工事を徹底し河川による土砂の流出が減ったのですから、治水事業のさじ加減の難しいところでしょうか。
ペシャワール会のサイトで、暴れ川という表現があり、そういえば、板東太郎(利根川)は、筑紫次郎(筑後川)より暴れ川だから太郎なのだと今更ながらに思いました。
2019.05.02補足
令和が始まりました。
今回は年号が変わるだけなので、気楽に話題にできます。
令和になっても、少子高齢化、増加する外国人問題(排斥でも同調でもなく、アイデンティティーを尊重しつつ、教育を中心にした、日本語、日本文化への啓蒙を図り、相互理解を深める)、インターネットの普及による従来の小売店舗のバーチャル店舗への転換(アマゾンに代表する宅配による小売業の圧迫に対し、人と人とのコミュニケーションが必要な業態はバーチャル対応にするかどうかはともかくとして対面販売や応対を可及的に残す)、世界に対抗しうる付加価値あるいは価格を求められるために生じる製造業の衰退の危機から(これはただ、ニッチに販路を求めればいいだけなのかも知れませんが)、ハイブリット車の普及によるガソリンスタンドの減少等身近なものまで、変化は目白押しです。
いいものを取り入れ、また、将来的にインフラそのものの崩壊に直結するものについては改良を加えて取り入れつつ、よりよき未来につなげていきたいものです。
もちろん、乾燥化の問題は(今年の気温を考えても暖かくなったという感じはしないので、乾燥化に絞ります)、長期的に見れば、そろそろアジアでも真剣に考えなければならないわけで、それは具体的には東南アジア、南アジアの森林回復なのでしょう。
去年、南洋で発達した台風が、南西諸島の島々の上空をたどるルートを取らずに北上した結果、一部新聞報道もありましたが、塩分を多く含んだ降雨になりました(うちの植木鉢の植木にも確かに影響がありました)。
東南アジアの森林の荒廃がなければ、いつものルートをたどり、こういうことがなかったと思うと、東アジア全体に与える影響(同様の問題は、北上ルートが異なれば中国韓国北朝鮮でも受けるわけです)を考えざるを得ません。
森林の自己再生力の限界を超えれば森林の保持はできません。ひと頃あった、人の手が入らないと緑に沈むという現象はなくなってしまいます。
森林資源の枯渇は、一義的には国内問題であることは間違いありませんが、急激な減少が生じたり、自己回復力の限界を超えた状態なのであれば、それは一国の国内問題ではなくなってしまいます。
中国は、豊富な資金を背景に、世界的な一帯一路を推進していますが、海外の経済圏の構築の前に、自国の環境保全の必要性を理解し、森林破壊が進み、環境保全の必要性が差し迫っている、東南アジアにも緑化目的に限定し、資金を向けてもらいたいところです。
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