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日常問題 : ローマ雑記と地盤の話
ローマの記事を一つ書くと予告して、ずいぶん日が経ちました。
ちなみに、ローマに行って、一度、見てみたかったのが、ミケランジェロのピエタです。
若い頃に読み、当時は人気のあったマンガの影響ですが、(若い頃に読んだものなど、そう忘れないものですね。)、とこれで、ピンときた人は、私と同世代ということでしょう。
ピエタ。わざわざ行った甲斐がありました。モーゼ像も見たかったのですが、これは時間が合わず、ダメでした。これは少々残念ですが、ま、仕方のないことです。
笑えるのは、ガイドブック(自分で買ったものではなかった)を飛行機内で読もうと中身も見ずにそのままスーツケースに入れたところ、なぜかミラノのガイドブックが入っており、やむなく、インターネットとイタリア語の本の付録のガイドブックと、ホテルでもらったイタリア語の地図で観光する羽目になりました。インターネットは、思いのほか重宝で、逆に気に入ったところに絞った観光ができて、かえってよかったかも知れません。
さて、川の写真を出し、「上流、中流、下流のどこを映した写真でしょう」という学習は小学校低学年くらいで習うことでしょうか。川の特徴は、地形を確認するためには有用です。
ローマの街にはエルヴェ川が流れていますが、この川の水位は、殊の外低く、また、川岸から川底までの深さが7,8メートルくらいあります。すでに廃橋となっている橋の一部の土台がだいだい川底から数十センチのところにとどまっており、かなり前から水位の変動がないと思われるため、この水位の低さはダム等特殊要因の影響ではなさそうです。
とすれば、この川幅、川底の深さは、上流に近い中流の河川の特徴を示していますが、その割には、周りに山並みが広がらない不思議な光景だなと違和感を覚えました。
また、日本の場合には、山崩れの危険があるので、法面(斜面)はいじるなというのが鉄則なわけで、法面は、斜度を確保するか、法面をほとんど確保しないのであれば頑強な鉄骨で補強した土留をするのが一般です。
ところが、フォロロマーノの山側では、断崖の壁に沿って、ただ単にローマンコンクリートが積み上げられ、特に擁壁補強をしていないようです。気候が少雨のせいかとも思いますが、高さのある断崖を無造作に配筋もせずに、レンガのようなコンクリートで覆うというのは、土砂崩れの危険を配慮しなければならない日本では考えられません。強固な地盤があるからできることです。
ちなみに、日本では、建築基準法施行令か規則の別表で、全国の地盤強度を数値化していますが、これを見ると、地盤強度のだいたいの地域性がわかります。
そして、極めつけは、聖クレメンテ教会の地下教会でしょうか。
現在の教会建物は、前面道路から、数メートル程度下がったところに建てられていますが、教会建物の下に、ちょうど日本でいう通し柱の位置に、柱を置いて、ご存じのように2層の地下があります。11メートル下が最深部とのことですが、一番興味深いのは、最深部はもともと地下ではなかったということです。簡単に言えば、2000年かけて、地表(いわゆるGL)面が、11メートル上がったということになります。
しかも、最下層で、水が流れている(湧き出ているのではなく、流れているのです!)。上の階では、一切水音がしないのに、この最下層のみが流水の音が響きわたっており、なんとなく感動しました。
日本で、2000年前といえば、弥生から大和時代のころですが、遺跡を発掘する場合でも、せいぜい数メートルを掘るといったところでしょうか。もともと地下に造る墳墓の発掘は別ですが、そんなに掘らなくても出てくるのです。
それが、河川等の自然による堆積ではなく、都市計画の中の全くの人工の盛り土で、2000年前の建物が11m下に埋もれるというのは、特筆すべきことなのかも知れません。
ただ、確かに、フォロロマーノ等、小高い丘には、大きな松のような木が生えて、下は腐葉土があり、普通の表土が形成され、また盛り土の土壌では考えられない断崖の使い方をしているわけですから、もともとの地盤でかなりの高さの地域もあったことは間違いありません。
日本に戻って、ローマの水道と地形を確認したところ、断崖絶壁の丘がいくつか点在し、その下に湿地が広がっていたのを、湿地を排水し、そのあとできた低地部分を埋め立てて、現在の姿にしてきたという記述を確認し、この違和感がようやく納得できました。ローマの地形は、ずいぶん珍しい地形だったようです。
ローマの街を、時代時代の中で、その利便性に沿うように、都市の拡大とともに、盛り土を盛んに行い、もともと渓谷と湿地でできていた土地を極端な高低差のない平地にしていったのであれば、建物の表は一階、裏は二階が地面とつながっているとか、同じローマ時代の遺跡遺構の地盤面に高低差がありすぎることなどが、うまく説明できます。
ちなみに、日本の建築物で、山の斜面をそのまま利用して作った建物として、六甲の集合住宅というのが有名ですが、古来の建築物の例としては、山中の岩山の投入堂とか、永平寺の渡り廊下とか、室生寺等などでしょう。が、やはり日本では基本は切土に建て、平地にしてから建物を作るのが主流です。
最近は、昭和のころの建物の建て替えが始まって、軟弱地盤面の旧建物の地下構造物としての杭の処理等が問題になる時がありますが、私は、これは、このまま残すべきと考えます。抜くのは費用がかかるし、杭が抜けた分だけ、地盤がもろくなるからです。
業者によっては、残置があると土地の価格が下がるから売る時は抜くといいますが、どうですかね。好みがあるのかも知れません。私は、縦方向に固いものが入っている方が、よほど上物にとっていいと思うのですが、そうは思わない人も多いようです。
さて、地盤は、ただの土の塊ではありません。
神戸の震災の際に、地下鉄の駅で大開という駅が、一か所だけ駅構内全体が崩落しました。大開の付近が特に地震がひどかったというより、地上から掘削して、地下駅を作り、その上から埋めたために、埋めた分の土砂の重みで崩落したことが原因とされています。 他の地下駅は、すべて地下から掘り進めたとのことですので、大開ではただの土砂がその荷重により駅そのものを押しつぶしたのに対して、地下から掘り進めた方は、同じ深度ながら、地下駅の上の土は、土砂ではなく、一体の地盤として荷重がきちんと地下に伝わり外力が逃げて行ったわけです。土は、地盤として一体性を持たせれば、地盤として強度を発揮するということでしょうか。
震災後、神戸市内から帰宅する際に、国道に抜けるために狭い道路を歩いていたところ、たまたま大開の崩落現場を目の当たりにしました。結構広い道幅全体がごっそり落ちているのは、すごい光景でした。
私は、あの、道幅の広い通りがごっそり陥没した大開駅の印象が強烈なので、地中埋設物が出てきたという相談を受けても杭であれば、残すべきと回答しています。杭を抜くと、かなり深い部分まで、土砂が流れるのは間違いないのですから。
住宅瑕疵担保責任法(但し略語、正式名称は、特定住宅瑕疵担保責任の履行の確保等に関する法律)により、すべての建築建物の敷地に地盤調査が義務付けられた関係で、建築当局には、住宅地図並みにきめ細かい地盤強度のデータ蓄積が可能となりました。
できうれば、将来を見据え、地盤強度についてはデータ集積をしていただきたいと思います。この前、たまたま関東平野の水脈図を見る機会がありましたが、水脈図を見ると素人目にも確かに武蔵野の断層がわかりました。詳細なデータの蓄積は、いろいろなことに役立つようです。
住宅瑕疵担保責任法により、軟弱地盤では、事実上地盤改良をしなければ、建物が建てられなくなりました。したがって、新しい工法では、戸建住宅であっても、以前ほど液状化の影響を受けなくなることになります。
建築法制は、特に、規制が厳しい分野であり、また、それは、地震が多い日本では、規制緩和に反しても、建築基準法レベルの強度維持は徹底しなければならない措置でもあります。
ローマのように2000年経てば、人工の盛土もずいぶん強固になるとしても、そんなに待つわけにはいきませんから、できるところから、例えば、新建物の杭だけではなく、取り壊す建物の杭の天端と新建物の基礎を接着させて、さらに強度維持を図る等、していきたいところです。
なお、3.11では、液状化、転圧不足による地盤沈下が起きましたが、盛土した土壌の擁壁の破損による土砂の流出によっても、建物に被害がでました。
そういう意味では、擁壁の強度確保も、重要です。
擁壁の建築制限の規定を設けている例としては、関東近県では、東京都の安全条例があります。
ちなみに、ローマに行って、一度、見てみたかったのが、ミケランジェロのピエタです。
若い頃に読み、当時は人気のあったマンガの影響ですが、(若い頃に読んだものなど、そう忘れないものですね。)、とこれで、ピンときた人は、私と同世代ということでしょう。
ピエタ。わざわざ行った甲斐がありました。モーゼ像も見たかったのですが、これは時間が合わず、ダメでした。これは少々残念ですが、ま、仕方のないことです。
笑えるのは、ガイドブック(自分で買ったものではなかった)を飛行機内で読もうと中身も見ずにそのままスーツケースに入れたところ、なぜかミラノのガイドブックが入っており、やむなく、インターネットとイタリア語の本の付録のガイドブックと、ホテルでもらったイタリア語の地図で観光する羽目になりました。インターネットは、思いのほか重宝で、逆に気に入ったところに絞った観光ができて、かえってよかったかも知れません。
さて、川の写真を出し、「上流、中流、下流のどこを映した写真でしょう」という学習は小学校低学年くらいで習うことでしょうか。川の特徴は、地形を確認するためには有用です。
ローマの街にはエルヴェ川が流れていますが、この川の水位は、殊の外低く、また、川岸から川底までの深さが7,8メートルくらいあります。すでに廃橋となっている橋の一部の土台がだいだい川底から数十センチのところにとどまっており、かなり前から水位の変動がないと思われるため、この水位の低さはダム等特殊要因の影響ではなさそうです。
とすれば、この川幅、川底の深さは、上流に近い中流の河川の特徴を示していますが、その割には、周りに山並みが広がらない不思議な光景だなと違和感を覚えました。
また、日本の場合には、山崩れの危険があるので、法面(斜面)はいじるなというのが鉄則なわけで、法面は、斜度を確保するか、法面をほとんど確保しないのであれば頑強な鉄骨で補強した土留をするのが一般です。
ところが、フォロロマーノの山側では、断崖の壁に沿って、ただ単にローマンコンクリートが積み上げられ、特に擁壁補強をしていないようです。気候が少雨のせいかとも思いますが、高さのある断崖を無造作に配筋もせずに、レンガのようなコンクリートで覆うというのは、土砂崩れの危険を配慮しなければならない日本では考えられません。強固な地盤があるからできることです。
ちなみに、日本では、建築基準法施行令か規則の別表で、全国の地盤強度を数値化していますが、これを見ると、地盤強度のだいたいの地域性がわかります。
そして、極めつけは、聖クレメンテ教会の地下教会でしょうか。
現在の教会建物は、前面道路から、数メートル程度下がったところに建てられていますが、教会建物の下に、ちょうど日本でいう通し柱の位置に、柱を置いて、ご存じのように2層の地下があります。11メートル下が最深部とのことですが、一番興味深いのは、最深部はもともと地下ではなかったということです。簡単に言えば、2000年かけて、地表(いわゆるGL)面が、11メートル上がったということになります。
しかも、最下層で、水が流れている(湧き出ているのではなく、流れているのです!)。上の階では、一切水音がしないのに、この最下層のみが流水の音が響きわたっており、なんとなく感動しました。
日本で、2000年前といえば、弥生から大和時代のころですが、遺跡を発掘する場合でも、せいぜい数メートルを掘るといったところでしょうか。もともと地下に造る墳墓の発掘は別ですが、そんなに掘らなくても出てくるのです。
それが、河川等の自然による堆積ではなく、都市計画の中の全くの人工の盛り土で、2000年前の建物が11m下に埋もれるというのは、特筆すべきことなのかも知れません。
ただ、確かに、フォロロマーノ等、小高い丘には、大きな松のような木が生えて、下は腐葉土があり、普通の表土が形成され、また盛り土の土壌では考えられない断崖の使い方をしているわけですから、もともとの地盤でかなりの高さの地域もあったことは間違いありません。
日本に戻って、ローマの水道と地形を確認したところ、断崖絶壁の丘がいくつか点在し、その下に湿地が広がっていたのを、湿地を排水し、そのあとできた低地部分を埋め立てて、現在の姿にしてきたという記述を確認し、この違和感がようやく納得できました。ローマの地形は、ずいぶん珍しい地形だったようです。
ローマの街を、時代時代の中で、その利便性に沿うように、都市の拡大とともに、盛り土を盛んに行い、もともと渓谷と湿地でできていた土地を極端な高低差のない平地にしていったのであれば、建物の表は一階、裏は二階が地面とつながっているとか、同じローマ時代の遺跡遺構の地盤面に高低差がありすぎることなどが、うまく説明できます。
ちなみに、日本の建築物で、山の斜面をそのまま利用して作った建物として、六甲の集合住宅というのが有名ですが、古来の建築物の例としては、山中の岩山の投入堂とか、永平寺の渡り廊下とか、室生寺等などでしょう。が、やはり日本では基本は切土に建て、平地にしてから建物を作るのが主流です。
最近は、昭和のころの建物の建て替えが始まって、軟弱地盤面の旧建物の地下構造物としての杭の処理等が問題になる時がありますが、私は、これは、このまま残すべきと考えます。抜くのは費用がかかるし、杭が抜けた分だけ、地盤がもろくなるからです。
業者によっては、残置があると土地の価格が下がるから売る時は抜くといいますが、どうですかね。好みがあるのかも知れません。私は、縦方向に固いものが入っている方が、よほど上物にとっていいと思うのですが、そうは思わない人も多いようです。
さて、地盤は、ただの土の塊ではありません。
神戸の震災の際に、地下鉄の駅で大開という駅が、一か所だけ駅構内全体が崩落しました。大開の付近が特に地震がひどかったというより、地上から掘削して、地下駅を作り、その上から埋めたために、埋めた分の土砂の重みで崩落したことが原因とされています。 他の地下駅は、すべて地下から掘り進めたとのことですので、大開ではただの土砂がその荷重により駅そのものを押しつぶしたのに対して、地下から掘り進めた方は、同じ深度ながら、地下駅の上の土は、土砂ではなく、一体の地盤として荷重がきちんと地下に伝わり外力が逃げて行ったわけです。土は、地盤として一体性を持たせれば、地盤として強度を発揮するということでしょうか。
震災後、神戸市内から帰宅する際に、国道に抜けるために狭い道路を歩いていたところ、たまたま大開の崩落現場を目の当たりにしました。結構広い道幅全体がごっそり落ちているのは、すごい光景でした。
私は、あの、道幅の広い通りがごっそり陥没した大開駅の印象が強烈なので、地中埋設物が出てきたという相談を受けても杭であれば、残すべきと回答しています。杭を抜くと、かなり深い部分まで、土砂が流れるのは間違いないのですから。
住宅瑕疵担保責任法(但し略語、正式名称は、特定住宅瑕疵担保責任の履行の確保等に関する法律)により、すべての建築建物の敷地に地盤調査が義務付けられた関係で、建築当局には、住宅地図並みにきめ細かい地盤強度のデータ蓄積が可能となりました。
できうれば、将来を見据え、地盤強度についてはデータ集積をしていただきたいと思います。この前、たまたま関東平野の水脈図を見る機会がありましたが、水脈図を見ると素人目にも確かに武蔵野の断層がわかりました。詳細なデータの蓄積は、いろいろなことに役立つようです。
住宅瑕疵担保責任法により、軟弱地盤では、事実上地盤改良をしなければ、建物が建てられなくなりました。したがって、新しい工法では、戸建住宅であっても、以前ほど液状化の影響を受けなくなることになります。
建築法制は、特に、規制が厳しい分野であり、また、それは、地震が多い日本では、規制緩和に反しても、建築基準法レベルの強度維持は徹底しなければならない措置でもあります。
ローマのように2000年経てば、人工の盛土もずいぶん強固になるとしても、そんなに待つわけにはいきませんから、できるところから、例えば、新建物の杭だけではなく、取り壊す建物の杭の天端と新建物の基礎を接着させて、さらに強度維持を図る等、していきたいところです。
なお、3.11では、液状化、転圧不足による地盤沈下が起きましたが、盛土した土壌の擁壁の破損による土砂の流出によっても、建物に被害がでました。
そういう意味では、擁壁の強度確保も、重要です。
擁壁の建築制限の規定を設けている例としては、関東近県では、東京都の安全条例があります。
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