「あなた方は、いつまで人を食い続けるのだ」刑法とモラルと宗教心を考える

投稿日時 2013-06-12 | カテゴリ: 時事問題

さて、前回に引き続き、朝鮮半島の話です。
とは言っても、正直、政治にも、また半島のエリートがどうなっても、あまり興味はなく、手に入る範囲の北朝鮮物の本は、エリートの観点からの本か特定の目的に基づき書かれたものしかなく、納得いく文献はありませんでした。そこで、今回は北朝鮮の庶民クラスに関するニュースを題材に考えたいと思います。

?今年になってウラジオストクで起きた朝鮮人労働者の集団一酸化炭素中毒死事件(火事ではない模様)
 建物の出入り口に外からカギがかかり出られなかったそうですが、ストーブなどの暖房器具が不完全燃焼を起こし、一酸化炭素を出し始めたのにこれでは逃げられないわけで、かなり深刻なニュース。
 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201302/2013022100694

?北朝鮮で、帰宅した妻が、夫から「今日は久しぶりに肉を食べさせてやる」と言われ、不審に思い、家の中を探すと、床下からその家の子ども2名の死体が出てきて、父親が子どもを殺して人肉を料理したことが判明したとの記事
  http://www.asagei.com/12273 
 なお、当時配信されたニュースソースには、もっと詳しい記事になっていたと思います。また、インターネットでは、飢餓状態にある北朝鮮では人肉は日常的に食べるものという話も流れていて、それが真実であれば信じ難いおぞましい意味での怖さを、嘘であればまことしやかな縷言の怖さを感じます

?については、逃げ出すことを警戒するような海外出稼ぎ労働による外貨獲得など、国際的感覚からすれば、これは正に強制労働であり、人身売買に近い深刻な人権侵害ということになります。

?については、どうも全体の流れからすれば、個人のカリバニズムではなく、普通の日常生活の中で話のようです。それが本当であれば、おぞましい話です。人肉を食べること、更に生きている人を殺害して人肉を食べることは人権侵害の最たるものと考えます。人を食べる目的としてとらえると、そこには、倫理観、道徳観もなく、弱肉強食の無差別な殺人がまかり通ってしまい、社会秩序が崩壊するわけです。
 しかしながら、ここ数年、南でそういう事実もなく、朝鮮半島は気候条件からすれば深刻な飢饉になるとは思えないのに、また昨今の農業生産能力拡大、技術進歩からすれば、気象条件が極端に悪くなければまず餓死者はでないはずなのに、また飢饉でもないのに、人肉を食べなければいけないような状況にある地域は、世界の中でも、ほとんどないと思われます。このニュースソースが確かなのであれば。
 平たく考えると、今北朝鮮に必要な支援は、工業化ではなく、農業の抜本的なテコ入れと、経済流通システムの改善のように思われます。食糧支援は一時のつなぎにしかすぎません。

 ずいぶん前から、北朝鮮の政治体制が崩壊するとささやかれていますが、核開発に代表されるように軍事偏重ではありますが、軍事国家を押し進めることで、政治体制の維持が一応なされ、しかも国内外に体制を一新するような有力な対抗馬がいないのですから、政権の崩壊という自己崩壊(事実上の自己崩壊ではない)を待つシナリオの実現はなかなか厳しいようです。
 他方、ドイツのように平和的に国家合併ができるかとすれば、ここ50、60年の経済格差、その他の事情からくる問題が大きすぎ、普通に考えて、厳しいとしか言いようがありません。
 韓国が、真剣に国家統一を考えるのであれば、まず、少なくとも庶民レベルが飢えない生活が維持できるよう、支援すること、つまり、一時的な食糧支援ではなく、抜本的な農業技術支援をすることだと思います。軍事転用目的ではないため、この程度ならば許容範囲内かと思います。

 また、儒教の国・韓国では、人肉が滋養強壮のためにいまだに食され、それをやめようとか、廃止しようとする風潮がないようですが、例えば、このまま朝鮮統一となり、北の貧困と南の極端な繁栄が更に深刻化すれば、南の違法業者が、胎児でない人肉を求め、非合法ながら、北の人口が減っていくということになりかねません。もちろん、そんなことは、あって欲しくないし、そういうことを話題にすること自体おかしいのですが、そもそも、この現代の社会で人肉を現に取引対象をしているのですから、何が起こるかわからず、ある意味、そういうところのモラルは、宗教の壁を越えて、北朝鮮だけでなく、韓国でも徹底してほしいところです。
 http://japanese.joins.com/article/797/151797.html
 人肉を食すのは、日本人的な感覚としては、おぞましいという、直観的な嫌悪感が先に立ってしまいますが、これは当人に殺されるような帰責性がないにもかかわらず殺人を招来することになるため、無差別殺人に他ならず、人権侵害の最たるものと考えます。

 私は、今回のこの記事を構想するに当たって、大陸の食人の文献を当たりました。
 自分できちんと調べるまで、ひと通りの理解しかなかった事件が、実は、全く知らなかった一面があること、ここ50年の中でも、信じられない出来事があったのだと、驚くとともに、話半分であるとしても、すごいことだと思いました。
こんなことが日本で起きたら大騒動ですし、それ以前の問題として扱われ、何をばかばかしいことを真面目に書いているのだということになりますが、現実は、現実ということです。

 このインターネットが、氾濫する時代であっても、こういう話題性が大きすぎる事件については、正しい情報源からの確かな情報であることの確認が必要となります。
 先日、中国当局が、法輪功という宗教団体が、偽物の血を写真撮影で使ったとかで、逮捕されたとの記事が配信されていました。法輪功という団体は、東京地裁にしょっちゅう出かける弁護士であれば、地裁前でよく抗議運動をしているので、なじみのある団体です。
 この団体が訴える中国公安当局の電気ショックによる拷問は、にわかに信じ難いものですが、別の機会に、中国の公安当局が、韓国人の脱北者支援者を拷問にかけた際の、やり方を、韓国の国会議員が国会で公表してその残虐性を非難したとの記事を読み、韓国の国会議員が問題にした拷問の方法によれば、確かにそういうケガ(電撃熱傷)になるなと思い、法輪功の抗議行動の信憑性を感じたものですが、ああいう写真の血は造った血ですかね。
 全く自慢になりませんが、職業柄、いろんな写真をみるため、これでも、そこそこ目は肥えているつもりです。
 朝鮮半島も大陸も、いずれもお隣の国ですし、いい意味で、一人一人が自己実現、自己統治を図れる世の中(なんだか、憲法講義のようですね。これを憲法13条自由権というわけですが、もちろん、それには責任を伴います。自分自身に責任を持つということは、強制されてやった、周りもやっていたからと、無罪放免が簡単に認められるものでもありません。)、また過度な宗教弾圧などする必要のない世の中への暫定的移行がスムーズに行くことを期待したいと思います。北朝鮮の場合には、それ以前のベーシックな農業問題が根底にありますが。

 普段、全く縁のない話題に関しては、全く別の情報ソースから似たような話が出てくるか、複数の新聞報道の平均的な話か、状況からすれば信憑性を認めざるを得ない話しか、軽々に信用しないことにしています。話題作りのための誇大吹聴に惑わされないようにしようとすると、情報が乏しい地域、事件に関する情報の取捨選択は、なかなか難しいですが、ひとまず、地元の人、その国の人の素朴な発言は、傾聴に値すると考えています。

 さて、冒頭のカッコ書きのセリフは、ある事件である人が大衆に向かって放った言葉とのことです。
 内容そのものは誰もが異論を持たない全く当たり前のことですが、当時の状況からすれば、勇気ある一言であり、そのことに敬意をこめて表題としました。

2014.01.18補足
参考文献・食人宴席 抹殺された中国現代史カッパブックス/光文社
 題名はおどろおどろしいですが、内容は、天安門事件の関係者が、文化大革命を題材にした、至ってまじめなドキュメントで、一番参考になりました。中国現代史は、世界史での理解しかないため、また、文化大革命の報道でも必ずしも正確な報道となっているわけでもないようで(一つ一つの情報としては正しいとしてもその情報がその事件の全容を示しているとは限らない)、何気に書かれたひとこと(回教・イスラム教への大弾圧による万単位の死者の発生など)や、大規模な全土レベルの餓死者大発生(北朝鮮の比ではなかった)、太平党の乱の実情など、かなり考えさせられる内容でした。

 過去のことにこだわりすぎるのは決していいことではなく、これをもっておかしいとするのは、正しい対処の方法ではありませんが、一つ言えることは、例えば、宗教の違い等、根本的な部分で絶対的に相容れない価値観を強制することは全く無意味で、異なる価値観を容認すること(憲法でいうところの宗教の自由、思想信条の自由)も当然必要となります。それこそ回教大弾圧のように膨大な犠牲を払わなければ、あるいは払わさせなければ実現できない政策は後年愚策と批判される歴史的事実は、現在でも教訓であり、自戒となりえます。
 ウィグルもチベットも過去に統治した歴史がなく、明らかに相容れない文化宗教が根付いている土地を統治するわけですから、より一層の工夫が必要なわけで、際限ない悪循環に陥る可能性が高い、圧政・宗教思想弾圧による支配は、避けなければなりません。同様なことが民主主義の実現にも言えそうです。
 先日、北京のウィグル人の学者が中国当局に拘束されたという記事が流れていましたが、ちょっと気になるところです。

2014.10.4補足
 先ごろ、北京のウィグル人の学者が、ウルムチの裁判所で無期懲役の判決を受けたとの報道がありました。
 歴史的に考えれば、現代史でも過去の世界史でも、特定の集団の制圧のために、まず指導者層の弾圧により組織的抵抗を阻止し、無秩序・小規模になった組織が暴走の果てに自滅するところを叩くという政策は、しばしばみられるやり方です。
 中国当局が、明確に意図しているがどうかは別として、宗教の自由を否定する、宗教的裏付けがある習慣、風俗を禁止し、住民の怒りを不用意に煽るかと思えば、中国国内で相対的に多いとは言えないウィグル人の知識層の弾圧をする状況をみるにつけ、不毛すぎると思います。
 漢族の風習、やり方の押しつけでは、うまくいかないし、それでは民族弾圧にしかなりません。暴動、事件をテロと断定するだけでは解決できない難しさがあります。
 宗教の自由、表現の自由は、歴史的に世界の各地で多くの血が流れされ、世界的に広く認められるようになったものですが、逆に言えば、これを認めないと、争い、対立が続き流血が続くための妥協の産物でもあるのだと思います。
 宗教の自由や表現の自由は、何人にも認めるべきですし、認められなければなれません。




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