尖閣諸島問題

投稿日時 2012-09-16 | カテゴリ: 時事問題

今回の尖閣諸島の国有化は、国内の、島を開発する動きを抑制し、ひとまず何もしないようにするための処置であり、韓国の竹島問題と異なり、我が国が挑発行為をしたものでもありません。
ただ、中国では、尖閣諸島の問題がクローズアップされるだけで、ただそれだけで、反日デモになる政治的脆弱性があり、今回もそれがでてきたというところでしょう。

ただし、尖閣諸島問題については、同じ大陸棚でガス田として一つのものである可能性のある大陸側での開発計画が進んでいる関係があり、資源エネルギーが関係するため、将来的に無視できる話ではありません。
ですから、尖閣諸島の問題は、いずれは対処しなければならない問題となるはずです。

今回は、現在発生している暴動鎮圧に向けた国際的対応をするだけでなく、そろそろ、尖閣諸島を問題「棚上げ」にして政治を動かすということが難しい時期になりつつあるわけですから、長期戦略の転換も含めて考えるべき時期になっているというべきでしょう。

つまり、この問題の落としどころ(国威高揚の示威的行動をエスカレートさせれば、最悪の事態を招くであろうことは、理性的に考えれば、誰でも十分理解できるはずです。)を、真剣に考える時期に来ているわけです。

尖閣諸島の問題には、海底資源の活用問題と中国漁船による出漁の問題があります。

まず海底資源開発の問題は、どういう理由をつけるのかは別として、この問題を解決するには、この海域全体の大陸棚資源の中国との共同開発プロジェクトの立ち上げと、双方の面目が立つ利益分配でしか解決できないのではないかと思います。
つまり、日本と中国が共同して、大陸側と尖閣諸島側両方で、共通するガス田の共同開発を行い、相応の利益分配をすることを前提に、開発に向けた協議をすることしかないと思います。
開発するだけの資本は、中国もありますが、大陸側の海域の開発する技術力、特に海洋汚染を発生させないように開発をする技術力は日本の方が圧倒的にあるはずです。近年中国国内でも、公害や海洋汚染に目を向け始め、開発すれば知らん顔では済まされないほど汚染に厳しくなっており、他国の開発技術が必要であることは否定できないわけで、その意味でも双方の共同開発は、双方の国に有意義なものだと考えます。

その上で、出漁の問題については、断固拒否をしなければならないのでしょう。
近年の尖閣諸島をめぐる小競り合いは、こちらの問題ですが、頭の痛いところです。
ここで拒否をしなければ、たぶん、毎年来るし、問題の先送りはできません。
南沙諸島の問題を見ると、中国食糧問題もからんでいるような感じも見受けられ、これを容認すれば、全くよろしくありません。
これでは、黄海で中国漁船の取り締まりに手を焼く韓国の状況に陥ってしまいます。死者を出さなければ取り締まれない常態は、断固として避ける必要があります。
その意味で、戦略的に、台湾に対しては、柔軟に対応するとの表明を早くから出したのが、よかったのか、わるかったのか。中国に、台湾と中国は別の国で、その扱いが違うことを理解させられるのか、今後は戦略的なうまいカードの切り方が求められます。

2012.9.17補足
ニュースでは1000隻の漁船が集団で尖閣諸島沖に向かってくるとのことです。
予想されたことではありますが、今回、海上保安庁の船で取り締まりが十分に対応できなければ、結果、魚釣島に施設建設が急がれることになるのでしょう。
日本の対応が後手に回っているとはいえ、ここの取り締まりを破られれば、領土問題が不透明となるわけで、日本としても、今年の出方で、漁船取り締まりのための施設建設は回避できません。
ここのところをわかっているのかどうか。日中の話し合いでの解決の糸口があれば、それに越したことはないのですが。

もっとも、中国政府高官の、日本製品の不買運動容認発言については、日本のメーカーの製品の海外生産、とりわけの中国工場への依存度は高く、日本のメーカーの撤去が、中国では結果的に自国製品(メード・イン・チャイナ)の不買運動になり、結果、中国の工場、の撤退になり、中国人失業者が更に増加し、社会的不満を抱くデモ隊要員が増えるという悪循環が生じるのではないかと考えたりします。反日デモは、散発的に、しかし地域的にはかなり盛り上がる中国政府に対するデモに繋がる深刻な問題も内在していますが、失業問題はこれとは別に存在します。こういうことは、あまり、考えないのですかね。
中国は、いまや世界第二位の経済大国で、多民族問題と、国内に深刻な貧富の格差問題を常に抱え、よく国が分裂しないものだとも思いますが、中原を統一する国家(但し、ウィグル、チベットは、もともと中原に含まれない。) が2000年の間、ほぼ絶え間なく存在してきた実績からすれば、このまま分裂せずにいくのでしょう。ただし、貧困層と裕福層という対立は当面の間解消されないし、潜在的、継続的な社会不安(いわゆるチャイナリスク)は残るということでしょうか。
 日本国内の事情としては、これを契機に、せめて国内消費する分程度は、日本の工場に戻ってこさせられないのかと希望したりもします。もう少し円安になれば、これが現実化するのでしょうか。

 反米デモといい、反日デモといい、携帯電話等の小型端末機によるインターネットの爆発的普及により、世界に情報が瞬時に駆け巡り、ちょっとしたことで、思いもかけない大きな事件に発展する時代になりました。まさに、全世界が情報の共通化をしているわけですが、それだけに、宗教、民族、歴史的事実含め、不用意な煽動に惑わされない、あるいは悪意による民衆煽動を封じ込められるほどの、相互理解と共通認識・理解の構築が必要です。ついでに用意周到な根回しが。
この時代では、身近ではない国際問題でも、広く市民に対して、相互理解と共通認識を普及させることが急務になっているわけです。
 国際的な共通認識・理解の構築とは、国家間の歴史の共同研究であり、また民族的、宗教的な相互理解を高めるための教育を施すことです。暴徒化するデモ隊は、感情の赴くままの民衆行動の現れですが、感情的行動の抑制には、民衆が理性的・知性的である必要があります。
明治時代以来の、すべての国民に教育をという政策は、市民が、知識の習得により感情的行動を抑制することにはかなり効果が発揮されたと思っています。
また、国際的コミュニケーション力をつけるためには、何がその民族、その宗教にとってデリケートな問題なのかを含め、あるいはよく知らないのに深く言及してはならない事柄等の基本的な事項は理解しておく必要があります。私は、こういうことも教え込むのも、教育だと思います。

国際交流の場で一般市民に対してこれを行うことは、なかなか、息の長い話ですが、地道にやるしかありません。チャイナリスクを軽減するには、これが必要です。

ずいぶん前になりますが、キリスト教の奉仕活動について、ある外国人と話をした際に、日本人の発想で、「奉仕活動だとしても、彼女のしてくれたことに、あなたは感謝すべきで、お礼をしたらどうか」と言ったところ、神への奉仕活動なのだから礼をする必要はないと当然のように言われ、大変考えさせられた経験があります。宗教に基づく価値観・倫理観は、明らかに宗教ごとに異なります。このように広く知られているノブレス・オブリージュも、知識として知っていても、実際に与える側、受け取る側でどういう受け止め方がされるのかは、経験してみなければわかりません。

2012.9.18補足
この時間にこれを書いてしまっては、時間がなくなると思いつつ、
補足。
本日、午前と午後に地下鉄に乗り裁判所に行きました。午後に乗った際には駅売店の新聞見出しは午前より過激になっているし、霞が関には街宣車も多く、一体どうなるかと思いきや、確認すると、新聞見出しより、ネットニュースの方がよさそうです。
大きな国だけあり、民衆感情のコントロールがきかなくなったら、こういうものになるということでしょうか。今回の暴動やデモ発生の地域は、経済発展の広がり具合とほぼ一致するというところなのでしょうか。
他人事だと思ってみれば、毛沢東の共産主義の時代と異なり、経済発展とともに如実に経済格差が出始めた象徴的な様と、諸子百家争鳴後の焚書坑儒や、共産党時代の百家争鳴後の文化大革命等、他では見られない知識階級の弾圧の方向に進んでしまう中国の歴史・政治のかじ取りの難しさを考えさせられます。
もちろん、他人事ではないので、暴動の早期沈静化を願ってやみません。
何万人も暴徒化して、他国の資本だからと襲撃をするのは、中国ぐらいでしょうが、ここまで大きくなれば、文化大革命の記憶も真新しく、当局の政策に合致しない意見を中国国内で言えるはずはないのでしょう。それでも、良識ある中国人の良識ある行動(意見を言うなということではありません。)を期待したいと思います。




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