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投稿者 : admin 投稿日時: 2017-10-20 (919 ヒット)
 アポロ計画の後、途絶えている月計画は、月の着陸はできても、月への定住は夢のまた夢という感じになっています。
 
 さて、JAXAが、月の地下に大きな空洞を発見したとのニュースがありました。
 地球より薄い大気しかなく、その分放射線(宇宙線)が多く降り注ぐ、月地表にあって、ヒトが存在するには、その照射量を減らすことは、いろんな意味で必要です。
 被曝量の低減の有効手段は、厚い遮蔽物で覆うことですが、アスファルトやコンクリートなど、遮蔽物の密粒度が高ければ、放射線を通しにくくなることは、東日本大震災の経験で分かっていますが、まとまった広さの地下空間は、その放射線を遮蔽するシェルターの役割が期待できるのはないかというわけです。
 だから、月基地に適切ではないかと。
 
 萩尾望都の「スターレッド」のようだと考えたのは、私だけでしょうか。
 この話の舞台は火星で月ではありませんが、火星に移住したヒトが命をつなげたのは、火星表面に開いた巨大な穴があったためで、火星で生まれた3世代目か4世代目からは火星に適応したヒトに進化するというのが、物語のベースで、話の核心の一つとして地下空間の存在があり、生命はそこでしか誕生しないという前提の下、話が展開されます。
そこで提起される、宇宙では否応なしに浴びる放射線(宇宙線)の被曝量軽減の問題は、ヒトが宇宙に出て行くためには、切実な問題なわけで、生活空間すべてを鉛の容器で覆うわけにはいかない現状からすれば、有用な場所というわけだったのですが、実際に月で同じようなものが発見されたわけです。
 とすれば、この発見は、月移住のための足がかりになる大きな発見なのかも知れません。

 あと何十年で、月に進出できるのか、中秋の名月を思い浮かべつつ、未来に夢を託したいところです。

投稿者 : admin 投稿日時: 2017-10-05 (788 ヒット)
 高齢者問題は、弁護士の業務としても大きなウェイトを占めており、私も仕事柄、日常的に高齢者に面会しています。

 医学的に言われる認知症は、
脳血管性認知症、アルツハイマー型認知症等に分かれますが、腫瘍や閉塞・虚血などにより血液が行き渡らなくなった脳が萎縮する症状を言います。さらにそれを認知力として測るスケールとして長谷川式等があります。
 もっとも、記憶力、計算力、思考力は個人差があり、基礎点がもともと高い人も低い人もいるのに、長谷川式では一律基準で行うため、長谷川式は、基礎点が高い人(いわゆる高学歴と言われる人に多い)の認知症判断スケールとしては、相対評価はともかく絶対評価は、なじまないのではないかと考えています。
 
 さて、認知症の老人でも、対話はきちんと成立します。会話可能な状況判断力は残っている方は多いのです。医学書に書いてある、認知症になれば数年経つと寝たきりというのは、ある意味正しいが、普通の適切な言葉がけ、環境作り(色々な作業を与えて混乱させるのを避けつつ、本人の状態から可能な日常生活の動作は行わせ、認知力を維持する等)などのケアにより、もっと長生きする方が多いというのが実感です。なお、認知症の方の意欲低下は、ADLの低下により直結します。
 医学書の記載は、病院に入院するような生活環境の方特有の問題のような気がします。

 認知症の高齢者は、特に短期記憶を覚えていられず、記憶に基づいた会話は成立しません。つまり、さっき言ったことを覚えていないので、その時の状況を判断し会話ができても、会話の積み重ねができず、中身のある会話が成立しないのです。
 何度も何度も、同じ会話を繰り返すのは、その話を強調したいとの意思の表れの場合もあるでしょうが、本人の内心では、繰り返しの会話をした時点から、短期記憶のリフレイン(又は書き換え。本来そこでROMに落とし込むべき情報がそのまま消滅し、RAMにも残らない状態、いわば「上書き保存」ができずに終了させ、白紙の状態に戻って会話が始まる)が生じた結果の場合もあるのではないかと考えます。
 但し、昔の記憶は、きちんと残っていて、短期記憶をつなぎ合わせる会話は難しいですが、古い記憶に基づいた会話は成立します。記憶力が完全にないわけではありません。

 この現象について、文献も当たりましたが、納得のいく説明がされた文献に出会えなかったのですが、私なりに一番、納得がいくのは、コンピューターに例えて考えることです。
つまり、OSの中の、
CPUがもともと、本人の備わった先天的、後天的能力、
RAM(ウィンドウを開きすぎたり、使いすぎると、画面が固まってしまう)が、その場の認識力・状況判断力
ROM(使いすぎると、それ以上記憶できなくなる)が、いわゆる記憶力
画面サイズ、解析度が再現性、コミュニケーション能力
と考えると、
認知症というのは、RAMには致命的な問題はなく、遅いながらも処理が可能ながら、ROMがいっぱいになっているのでハードディスク(脳には外付けディスクがないので、ハードの容量がいっぱいになればそれ以上の記憶ができない)に記憶処理ができず、ROMとRAMが連動して本来成立しなければならない会話、対応ができない状態と考えれば、わかり易いのかなと。個人的には、認知症の説明は、コンピューターを使って説明するが、一番すっきりします。
 
 脳科学の理解では、人間の脳は全部が使われることがない、余力があるというのが通説なので、上記の説明は前提を欠くわけですが、コンピューターの場合もそうですが、定期的に必要な「最適化」作業はハードディスクの容量に余裕がなければできません。脳が全部動かないのは、深層心理領域の問題と「最適化」のための余力の関係ではなかろうかと、だから脳の萎縮による稼働領域の減少は認知症に直結するのではないかと、個人的には納得しています。

 さて、例えですが、何か別のことを考えていて、集中できず、試験や仕事でミスを連発するという現象は、OSそのものは正常に作動し、ROMの容量にも問題がなくRAMとの連携もある程度とれているが、画面上に、試験・仕事のウィンドウの他にいろいろなウィンドウを開きすぎて、RAMの容量がいっぱいになり、表面処理速度・精度が低下し、起きたと考えることもできます。
つまり、試験でも、仕事でも、適切かつ迅速に物事を進めるには、余計ことは頭の隅に追いやって、目の前にすべきことに集中するというのが必要だということです。

20171007
 よく、おばあさんが子どもに昔話を聞かせる等のことがありますが、これは、高齢者であっても、昔話であれば鮮明に覚えていることと裏腹な関係があるということになります。
 また、脳機能が低下して新しい記憶を覚えられなくなっても、対応力・状況判断力と確立された古い記憶が比較的最後まで残るということは、それが生物としてのヒトが生存するために一番必要な機能だったからではないかと考えると、生存競争の原理としての取捨選択の奥深さを感じます。

投稿者 : admin 投稿日時: 2017-08-19 (627 ヒット)
1 韓国のムン大統領が賠償合意をした当時知り得なかった損害であるから、個人請求権は消滅しないとのコメントを発表しました。
 日本の民法では、不法行為法においては、当時知り得なかった損害賠償請求については、行為時から時効が発生しないことになっているため、このムン氏の発言は、不法行為を念頭においての発言で、一見、言い分があるように見えます。

2 70年以上前の損害賠償請求ができるのか

 しかし、我が国の不法行為法では、知ったときから3年だけでなく、行為時から20年経てば時効にかかるため、損害賠償請求はできません。不法行為については、何年経っても損害賠償請求できるのであれば何年経っても法的安定性が図れないので、世界的にも不法行為も一定の時効にかかるとしている方が多いはずです。
 なお、韓国の裁判所に係属しているのは、どうも賃金請求のため、我が国では賃金債権は2年で時効になる関係上(なお2年で時効にかかりますが、労働債権に限り付加金という裁判上の制度を使えば請求額の2倍まで認容されます。また会社が倒産しても一定の条件はありますが、国による立替払制度があったりするので、我が国では、どちらかと言えば、一般債権より手厚く保護されているとも評価できます。)、全く問題にならないという結論になります。
 余談ですが、先日国会で成立した、改正民法(施行は3年後)では、債権の時効は、知った時から5年または権利行使可能になった時から10年と状況によっては短くなりますが、労働債権の時効に変更はありません。不法行為の時効も変更されません。

 では、ムン氏がいう戦時の特殊性を問題にできるのか
 過去に、日本が韓国に巨額の賠償金を支払いつつ、賠償金を個人に分配していないわけですから、韓国政府が、特別法を作り、韓国政府自ら、当該個人に賠償を行うことは、可能です。
 ムン氏が言うように、徴用労働に対して個人的請求権が消滅していないというのであれば、日本から巨額賠償金を獲得した韓国政府こそで、韓国の国内法を整備して韓国民に対して賠償する義務があるわけです、正確に言えば。
 そもそも、韓国は太平洋戦争の相手国ではなく、我が国と交戦した事実はありません。この賠償金は、植民地政策に対する賠償金であり、戦時法は、日本本土と同様、植民地においても適用され、戦時国内法の下、徴兵、勤労の義務が課されました。問題になっているのは、その法制に基づく労働の対価を請求できるのかということです。
 日本政府が、本土と同様に植民地においてもなした国策すべてに対して巨額賠償した以上、それ以上のことを望むというのは、国際公法の概念を大きく逸脱します。

 ムン氏は弁護士とのことです。しかし、国際私法と国際公法はその枠組みで重複しますが、その考え方は異なります。
 国際公法は、時に、国家という枠で国民の権利を守り、また国民の権利を代位する役割を担いますので、国民を代表・代理して国家間の取り決めを行うことができます。その意味で、国家間の合意は、当該国民の権利を制限することができます(その制限を受けた当該国民は自国政府に対して賠償を求めていく枠組みで、整合性が図られます)。
 にも関わらず、ここで私法の不法行為の理論を持ち出した時点で、おかしいということになります(賃金請求であることは一旦無視します)。

 ちなみに、戦中戦後のどさくさの出来事に対する個人請求権が未だに保護されるのであれば、朝鮮という植民地にある財産を放棄させられた日本の国民の方が剥奪された財産はよほど大きいわけですから、請求権は遙かに大きいはずです。
朝鮮半島の日本国民は、韓国政府の下、民事上の損害賠償請求を全面放棄された形になっているわけですから。

 一連の騒動は、日頃、国際公法に触れることのない、弁護士らしい発言とも言えますが、今一度、国際公法の観点から、賠償に関する一連の合意内容(条約)を、きちんと確認して欲しいところです。
 
 過去の経緯、国際公法から離れて、過去に国際公法上解決済みの問題を、韓国内の立法政策の問題として対応するならばともかく、国際公法と国際私法の問題を混同し、時効問題を無視した超法規的な賃金請求、損害賠償請求が正当かのように、私法の不法行為の理論を展開するというのは、弁護士としても、条約の相手方である国家元首としても、いかがなものかと個人的には思います。

投稿者 : admin 投稿日時: 2016-11-06 (730 ヒット)
1  築地市場の豊洲移転はニュースとしてだいぶ下火になってきましたが、明らかになったのは、地下水の出現と、盛り土予算がどこに消えたのかということだけ。
築地の場内市場は、流通ルートの変容にともなう物流量の縮小に伴って移転を機に廃業したのか、あるいはこの時期に早め休業を選択したのかは不明ですが、閉店している店が目立っています。

 臨海部において、高層建物の地下にピットホールを設けて、建物荷重の反作用として存在する地下水圧の上向きの力(建物からすれば浮力)を、ピットホールで水抜きさせて逃がすのは、基礎杭工法を前提にすると当然のようですから、地下空間があることが悪いことでもないし、ピットホールの本来の役割を考えると、水が溜まるのは本来の機能がきちんと果たされているわけですから、問題になるはずもない。
 立地条件はもともと判明していたこと。
 ならば、早く、移動の号令をかけて欲しいというところです。
 
 さて、建築問題として、熊本地震と鳥取地震がありましたが、熊本地震では、築浅の木造建物が倒壊したケースもあったということですが、それが、現在の建築基準法では義務づけがないが、普通やらない施工をした結果の倒壊であれば、そこは法律を変えていくべきかと思います。
 ところで、建築基準法というのは、つくづく面白い法律だと思います。窓のない部屋(正確には採光の条件が満たされない部屋)は、我が国では居室と認めないとか、根拠がありそうで根拠がない壁倍率なる定数(ここでいうのは、壁倍率の数値算定に根拠があっても、壁倍率なるものに、どういう科学的位置づけがあるのかという意味です)が建築の基礎になって、風力、地震力、積載荷重に対する耐力の有無を判定する等、誰が考えついたのかは知りませんが、国民生活の、建物の対する理想と、実際に建物を建てる大工が使える内容にする妥協が、いい具合に盛り込まれています。
 建築法制は税法並に短期間で法令改正を繰り返す分野ですが、理想論と現実の妥協が、いい感じで詰まっていると思います。
 
 最初に問題にした豊洲問題は、建築基準法制定時の想定を遙かに超える、特に鉛直に長い建物の出現(計算上、単位当たりの荷重が非常に大きくなる)は、また地下水の揚水が当時より激減した現状では、想定外であった地下水圧の問題まで配慮しなければならなくなったというわけです。

20170512補足
 地下水についての話として、観測データの豊富な検証経験と見識をもって簡単に書かれている文献として、岩波新書「地下水は語る-見えない資源の危機」という本があります。
 地下深い所の水の流れ、特に、揚水過剰で渇水が起こると渇水状態にある地域に向け、新たな地下水の流れができるというのが、大変興味深く、地下水の揚水過剰が継続すると、当該地域だけでなく、もっと広域に渇水が生じ、結果、地方全体が本当に干上がる状態が生じるのだと、素人にも想像できました。
 地表の水資源の状況は、その地形に大きく左右されますが、永久凍土でもない限り、地下水脈は、例えばサハラ砂漠直下であっても、きちんと存在するとされており、地下水くみ上げが地下環境に与える影響は、同じ仕組みと考えられます。
 
  
2 市場の問題と連動する問題として、東京都の支出するオリンピック施設会場をどこにするのか、問題になっていますが、私は個人的には長沼案に賛成します。
 オリンピックは、世界的な祭典ですが、日本で行う祭りの意味は、基本的には死者を慰めるものが祭りの発祥であることも多いのです。 
 また、この島国で社交的ということはありませんが、自然災害が多いこともあり、年2回の彼岸、盆(迎え火で迎え、送り火で送る)と死者をもてなす機会が、やたら多い国ではあります(あのオリンピック誘致のレセプションの「日本はおもてなしの国」という表現は疑問を感じますが、別の意味で手を合わせてもてなすことが多いことは事実なのでしょう)。
 今回、津波災害の犠牲者が多かった東北でオリンピックを行うこと、また水の競技(特に今回は外海でやるものではない。)を行うことに、一つの意義を感じます。

 世界的に祭りの位置づけがどうなのかまでは知りませんが、日本の事情を理解していただければ幸いかなと、そうすれば、ある意味、オリンピックが、日本古来の、また本来的な、最上のおもてなしになるのではないかと思います。

投稿者 : admin 投稿日時: 2016-07-28 (815 ヒット)
 知事の辞任により始まった都知事選挙ですが、個がアピールできるゆえ、組織が先行する参議院議員選挙より、気になるところです。
 都政に希望する内容は以下の通りです。

1 人口減少を見据えた都市計画
 日本全体が人口減少する中で、東京及び首都圏だけはその影響が小さいと言われます。
 農村が農村として機能していた時代は、都市は農村の余剰人員の受け皿機能を果たしました。
 都市経済という名の、商業経済主体それも、流通経済とともに情報そのものが一大産業になり、都市の優位性が更に増すことで、地方が余剰人員を超える人を流出させるようになると、地方そのものが衰退し、やがて地方から人材を受け入れて発展してきた都市機能そのものが立ちいかなくなるというのは、蓋然性の高い未来像であるわけです。
 したがって、都市機能として、地方からの人材を受け入れやすくする体制作りはこれからも必要ですが、それだけではなく、確実に衰退が見えていく地方をどう盛り上げるのかを、東京という都市の中で考えていくべき時代が来ているのだと思います。
 
 そういう観点からすれば、地方との共生関係維持は避けて通れない命題であり、今後どのように関わり合っていくか、知恵を絞っていただく展開を期待したいところです。

2  将来人口の育成
 将来の人口予測で、豊島区が消滅するとの予測がありますが、これを防ぐには、流入以外の方法での人口確保を、それも基本的には将来の労働人口になりうる人材を多く育成する必要があります。
 インターネットが発達し、高度な情報化社会になった現在であっても、日本語の読み書き・そろばん(計算)は必須です。むしろ、余計必要になっている部分もあります。
 具体的には、義務教育の国語、算数とコンピュータ(プログラミングを含む)と社会性だけは、きちんと身に着けてもらう必要があるわけです。
 小学校、中学校の段階でも、子ども一人ひとりの知能の発達度合に違いがみられ、個々人の個性特性に応じた能力才能を伸ばすべきで、学力を画一的に点数化することに問題があるのは事実ですが、個の尊重とは言っていられないのが、読み書きそろばんです。
 学力テストの結果で、今一度考えていただきたいのは、適切な比較により学力が低い相対的な原因を探求し、それで終わらせるのではなく、読み書きそろばんの学習をどこで、どうやってバックアップして、教えていくかを再考する段階ではないかと思います。
 悩ましい問題で、かつ息の長い話になりますが、実効性ある失業者対策として、是非とも、きちんとした義務教育の実施、労働能力足りうるメンタル的、社会性的な素養の育成をしてほしいところです。これに力を入れていただきたいと思います。
 全国的な相対比較で言えば、東京は、全国一福祉が充実している都市だと思いますので、どこかの政党のように、福祉福祉と声高に叫ぶことは、今の時代には当てはまらず、逆に、例えば、生活保護受給者の減少のために、きちんとした義務教育、社会教育を施す方を考えるべきだと思います。

3 世界の中の日本
 多くの日本人が犠牲になったダッカテロ事件では、日本人に対しても宗教的なアクションが容赦なく向けられる時代になったことを痛感させられました。東京も日々国際色豊かになりつつあり、日本人も国際性を身に着けなければならない反面、逆にその多様な人々も、日本という社会に溶け込んでいただかなければならない時代が来ています。
 その時に、日本のルールにどうなじんでもらうのかの工夫とともに、イスラム教とは何か、過激派の思想とは何かをきちんと理解する必要があります。
 例えば、今回の襲撃がJICAの下請け会社が何をしているのかわからないことからくるものだったのであれば、バングラデシュで、彼らが何をしているのか、日本側がもっとアピールをする必要があったと言えます。
 日本にいる日本人の立場からすれば、バングラデシュの地域貢献のために行ったはずなのに、なぜ命を奪われなくてはならないのか、やるせなを感じます。
 なお、話題のAIIBの最初の融資先はバングラデシュになったとのニュースが少し前に流れましたが、もともとインフラ投資は、収益性が不安定で、民間投資になじみにくいため、日本では政府の円借款で行ってきたと理解していましたが、うまくいくのでしょうか。二つのニュースが流れた時期が同じだったので、少々気になります。

4 列島の中の日本
 今年に入って、熊の出没が話題になりましたが、数年前から、サル、鹿、イノシシの繁殖が言われてきました。この出来事が、日本の国土の3分の2を占める山林で、戦後の自然破壊、動植物の減少がピークだった時代から緩やかに豊かになり、とうとう食物連鎖の頂点である大型ほ乳類が、全国的に増えた証であるとすれば、自然が戻ってきたということになるのでしょうか。とすれば、これはある意味いい話になるのでしょうか。
 もちろん、自然が戻ってくれば、戻ってきたなりに、それに応じた自然との上手な付き合い方が必要です。ヒグマとの共存を目指している北海道知床地方では、役所には動物専用の担当職員の方がいるそうですが、自然の危険からニンゲンを守りつつ、自然を維持する方法が必要になるのだと思います。
 時代は日々移り変わるということなのでしょう。

 とりとめのない話になりましたが、どなたが当選されてもいいので、都政においても、今以上の福祉を拡充するというよりも、教育と人口問題はとりわけ力を入れ、失業者と生活保護者の減少を実現する政治を希望します。

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