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投稿者 : admin 投稿日時: 2015-07-31 (996 ヒット)
 夏真っ盛りの日本列島では、庭を少し放置すると草が伸び放題になるのはよく見る当たり前の光景ことですが、これが世界的には当たり前ではない。
東南アジア、東アジアにかけては、夏と言えば、湿度が高く、じめじめしているのが当たり前。時折夕立も降るのが、夏の風物詩ですが、これも、世界的には当たり前ではなく、低緯度の地域でも、極度に乾燥している地域は多い。

さて、世界地理を学ぶ際、砂漠性気候、熱帯性気候、温帯性気候と、今ある気象条件を特徴づけて学ぶが、これは、砂漠になっているところの気候、熱帯雨林が残っているところの気候、森林地帯の気候等、当該地域に存在する地理条件と気候を関連付けて、特徴づけているに過ぎません。
海洋、河川等同じ地理的条件を備えた地域でも、なぜ一方で砂漠となり、一方は熱帯雨林が「残っているのか」、あるいは緑豊かな平野となっているのかと考えると、過去に、あるいは遠い過去に熱帯雨林を人類が開発したことはなかったか、農耕の行き過ぎがなかったか、そこの地層に岩塩がなかったかということがポイントになるのかも知れません。

今年はイスラム国がらみで、テレビに映る、周囲に草木が全く見当たらない湖の映像をみて、日本の風景とはあまりに異なり、違和感を持ちました。
 日本の感覚で普通に考えれば、水があれば草木が生え、砂漠の中のオアシスには草木が生えるのは当たり前だと思っていましたが、西アジアではそれが違う。
 
 更に、最近、子どもの送り迎えにからみ、まとまった空き時間があったため、旧約聖書を半分読破したのですが、2000年も前の記事とはルブアルハリ砂漠のくだり以外は今とはまるで違う光景が描かれていることにも、とても驚きました。
緑豊かな肥沃な大地と川が、農耕が開始され約1万年という時をかけ、森林はなくなり大地は塩化により草木も生えない大地となり、そこの土地は荒野若しくは砂漠となり、気候は砂漠性気候と言われ、夏では50℃を超える毎日となったとすれば、荒野(農耕し尽くした大地)に放り出されるくらいならば、ヘビ(メソポタミアではDragonが信仰されていたようですが、古代中国やアジアではヘビも水神につながるものとされていました。)の甘言に惑わされず、リンゴ(知恵・ヘビつながりで考えれば生活を豊かにさせた治水事業、衣類に象徴される文化の存在)の実は、食べない方がよかったのではという、文明の全否定のような流れから始まる旧約聖書の冒頭部分は、前文明からの遺恨と考えれば、なかなか重みのある内容ともいえます。

*20151209補足
 世界には様々な神話までさかのぼる歴史書、国作りの物語がありますが、歴史書の箔をつけるための手法として、似たような話を繰り返すという手法があるそうです。例えば、古事記の場合には天照大御神のくだりは、神功皇后に被るものがあり、歴史的な信憑性があるのは神功皇后の時代からではないかと言われたりします。
 同じように考えれば(というか、当時の寿命がよくわからないので、世代交代の示す時間が実感できないのですが)、旧約聖書の場合も、別の文献等でも確認できる、実在人物の逸話と重複する部分は、だいだいその時期から時を経ずにその逸話が取り入れられ執筆されたと推定できます。逆に言えば、その前の部分を歴史の箔付け部分だとすれば、該当の記載部分以前の記述については、記述部分の時間経過はさほど気にすべきものではないということになります。


 メソポタミアでの、当時の世界で突出した文明の隆盛、農地の塩化と農耕衰退、それに伴う国力の低下、文明そのものの消滅(正確に言えば、人の流出と先進文明・先進文化の拡散)の一連の流れは、6000年から8000年(いわゆるメソポタミア文明といわれる時期以前の農耕文化の時期を含む)という長い時間をかけてのことですが、後発の、インダス文明では農耕文化の始まりから大地の塩化による文明の消滅までだいたい2000年程度(インダス文明以前の前文化時代を含む)、エジプト文明でもせいぜい2000年程度と言われます。

* 30年くらい前には、インダス文明の消滅はアーリア人の移動によると言われていましたが、抗争があった形跡が見られないことから土壌の塩化が原因と今では言われています。
メソポタミア文明の消滅は、強国の侵略が決定打となったわけですが、侵略を許すほどになった、農業生産力の低下による相対的な国力の低下と、歳入に対する交易比率の上昇による富の質的変換を無視することはできません。

*20150923補足
 ある意味、それが経済の面白さなのかも知れませんが、流通経済の基本は農業生産物の流通にありますが、どの時代どの地域でも、その時代時代にみられる工業品やサービスは基本的には付加価値性により農業生産物を上回る価値が付き、農耕等のいわゆる第一次産業に従事せずとも十分な食料が手に入れられます。
 文明は付加価値性のあるものにより花開き特徴づけられるわけですが、その礎となる農業生産力が低下すれば、歳入低下だけでなく、付加価値に対する対価となる食料供給量の減少により生ずる物価上昇により、結果、従前の経済が立ちいかなくなることになります。
 したがって、どの時代、地域でも食料の値段は比較的低価格(誰でも手に入る価格という意味)で安定するのが基本で、食料は普段目立つものではありませんが、経済サイクルの根幹を支えるもの故、その生産性の低下、特に地域全体での生産性の低下は無視することはできないということでしょうか。

 文明の勃興から衰退まで、時代が下ると短くなるサイクルは、今の、世界中に爆発的に広がった均一化された文明を支える農業生産が、いつまで維持できるのかということを真面目に考えなければいけない時代が、現実化するのもそう遠くないのではと思います。
 メソポタミア、エジプト、インダス文明はすべて麦を主食とし、塩化は麦の栽培の場面で多く起こることと思われがちですが、そうではありません。
稲の栽培で、砂漠化が始まっているのが、現代のタイ東北部です。もともと熱帯雨林が茂っていたところを伐採して田にしたはいいが、土地が塩を多く含み、結果、塩化して土地が荒廃し砂漠化し広がりつつあるのが現状のようです。

 なお、南米大陸には、世界の主要穀物であるトウモロコシとジャガイモの品種改良と栽培化を実現したインカ帝国がありましたが(世界の大陸で、南米だけは、大きな砂漠がないことはある意味、象徴的です)、アマゾン川流域は、高低差がさほどないので、熱帯雨林の伐採、土地の乾燥化、降雨量の激減が始まると、河川の枯渇、砂漠化が始まるのは時間の問題であると言われれば、インダス川流域、中東を見れば、その通りとしか言いようがありません。

* インダス川、チグリス・ユーフラテス川にも、今はありませんが古代の涸川床は確認されており、遠い過去にはそれぞれ大きな支流がありました。

 では、過去の歴史を鑑み、文明衰退をもたらす、塩化・乾燥による土地の荒廃はどのようにすれば避けられるのか。
 中国文明の強国秦を支えた森林豊かな肥沃な大地と詠われた黄土高原が、今や乾燥著しい大地となり、砂漠化が言われ久しくなりますが、現在緑化運動が進められているようです。イラクでも、ここ30年緑化運動を推進してきたようです。
 草木の保水力を利用して、緑を取り戻す運動は各地で地道に続けられています。

 示唆的な出来事としては、最近、中国で、どこかの都市を大々的な都市計画により水の都にすべく、土地を造成して湖沼を設けようと、掘削して水を引いたら水が溜まらず砂漠が出現したとの記事がありましたが、逆に考えれば、この土地は、それまで砂漠化していなかったわけですから、砂漠であっても、年月をかけた地層の堆積があれば、砂漠はなくなるということになります。
 塩化を解消する策として、客土がありますが、その下に塩化した土地があれば、毛細管現象によりいずれは塩分が表土に上がってくるわけで、抜本的な改善策ではありません。今後の研究が期待されるところでしょうか。土壌の塩化解消に比べると、土壌塩化拡大阻止の対策は、取り組みやすいのではないかと思います。
20151227補足
 図書館で読める歴史書(結構いろいろあります)によれば、メソポタミアの人々は、紅海側の湿地帯の灌漑による耕地拡大、小麦栽培から塩害に強い大麦栽培への切り替え、塩が溜まりにくい傾斜地を耕地とするなど、取り得る手段は取っていたようです。
20160417補足
 乾燥した大地に定着する草は地中深くまで根を張り、水分を吸収できるものか、極度に乾燥に耐える種類かが考えられますが、保水力向上を考えるならば、前者が望ましいわけです。ずいぶん前になりますが、黄土高原の緑化を扱ったNHKのドキュメンタリー番組がありましたが、草による緑化を政府主導ではなく草の根で実現できるところが、中国の底力だと信じたいところです。

 問題が大きすぎて、うまくまとめられていないのですが、戦争はない方がいいに決まっているし、戦争に行かない方がいいに決まっていますが、その結果を導くために、どう行動すればいいのかをきちんと国民にわかるように説明するのが、安保法制の議論ではないかと思います。

 ただし、文明の衰退は、戦争をすること、戦争が起きることに原因があるというより、農耕による土地の荒廃、塩化、植生の著しい変動による気候の変化の方が影響が大きかったというのが、歴史的な結論のようです。
 現在のところ沿岸部に砂漠がない東南アジアで砂漠化が起きていることは、差し迫った問題ではないにせよ、稲作をする日本であっても決して他人事ではない問題ではないかと考え、いろいろ書いてみました。

20160410補足
 東南アジアの砂漠化は、日本にたどり着く前のモンスーンの中継地点に、いわばその湿気を、乾いたスポンジのように吸収する乾燥地帯が発生することになるわけで、毎年の風物詩である台風の発生にも影響する可能性があります。
 すなわち、今でこそ、東南アジアに砂漠地帯がなく、それゆえ、台風が発生するとそのまま海上を北上して行き日本列島に到達しますが、その西側の陸地に乾燥地帯が広がり、いわば乾燥したスポンジ状態になってそちらに湿気が吸収されれば、果たして、今のような気象条件が維持されるのか不明で、砂漠化の規模によっては、台風そのものが発生しなくなる可能性もあると思われます。現在でも同様の緯度にあっても、台風が発生する地域は限られており、ハリケーンはアメリカ、台風はアジアに見られますが、他の地域ではありません。また、アメリカ大陸は、最近竜巻は頻繁に起こるようですし、アマゾンの熱帯雨林の消失と砂漠化進行により、どこまで、この気象環境が続くかは不明です。
 台風発生のメカニズムは、海洋条件が大きく影響するのは事実でしょうが、中東、ヨーロッパの例を考えれば、周囲の陸地の地理的要因も大きく影響するのだと思います。
 今すぐどうことしなければならない問題ではありませんが、遠い過去にこれを放置したことによりおそらく気候が変化した地域があるわけですから、これも地道に考えなければならない国際問題なのだと思います。

20160529補足
 世界4大文明と言われるうち、ギリシャ文明だけは立地条件として背後に耕地を持たないため、交易都市というのが正しく、すなわち、エジプトと小アジア及びメソポタミアの海上交易を中継することで、栄えた文化・文明などだと思います(その文献もエジプト由来が多いですし)。
 2000年前のころの、仏教、ユダヤ教、キリスト教の発生、中国の百家争鳴、儒教等は、世界史年表を見ると地域が離れているため、なぜこの時期に集中しているのか疑問でしたが、この時期にメソポタミア、インダスの耕地の消失による文明の消失、流出と他の地域への伝播があったとすれば、整合性が取れ、納得行きます。 

 

投稿者 : admin 投稿日時: 2015-02-13 (1050 ヒット)
 起訴前の刑事事件への弁護士の関与は、すべて伝聞証拠(人から見聞きした証拠)と、見せられたと聞かされる物的証拠の概要から推測できることを、独自に事前分析し、必要があれば、それの弾劾証拠が何か、補強証拠は何かを探ることにあります。また、一方で、不利な証拠の証拠評価も、事前に検討する必要があるので、何事にも分析は欠かせません。
 
 事実に争いがない場合、動機や計画性等は求刑に大きく影響するため、犯行の計画性があるかどうかは意外に重要です。
 これを、本日殺人で起訴された現職警察官の殺人事件を題材に考えたいと思います。(なお、これは、東京からの、新聞記事のみに頼った、ただの推理です。報道内容が正しくなければ同じ結論にはなりません。悪しからず)
 巷では、韓国のナッツリターンの実刑判決が話題になっていますが、弁護士的には、量刑バランスが悪く、あれはないです。司法は政治に影響されてはいけません。

大阪で大阪府警の現職巡査長が殺人で起訴されました。
・そこで判明した事項
遺体は、コートを着ていた。風呂場の水の中にあった。微量の水が肺に入っているが、致死性のものでなく直接の原因はベルトによる絞殺による窒息死。
・現職警察官の供述 
警察と妻に自らの不貞を話すと言われカッとなってやった。証拠隠滅中顔を見たくなくて風呂場の風呂桶に顔から突っ込んだ

・現職警察官の当日の行動 
1 早朝マスクとフードをかぶり、完全に顔を画しマンションに入り、1時間ほど滞在。帰りは非常階段から別の服装で出る。
2 その足で、警察署道場に行き剣道の練習を普段通りした後に、道場のごみ場に凶器のベルトを捨てる。
3 約1時間の間に、携帯を電子レンジで溶かした(つまり肝心なものが解けたということです)、部屋に置いていた自分の衣類を回収する
4 証拠隠滅中顔を見たくなくて風呂場の風呂桶に顔から突っ込んだ。

 1は防犯カメラを意識した対応でしょう。これで、侵入と逃走に使った衣類を秘密裏に捨てる前に、犯罪が発覚しなければ、犯行はごまかせたかもしれません。
 2は要するに、アリバイづくりですかね。時間の経過があればある程度の誤差はごまかせますので、立派なアリバイになります。
 3などは、なるほどな とは思います。チップが電磁波で一気に駄目になるので履歴消滅の方法としては最適かもしれません。電話会社の通話履歴と通話相手(自分)のスマートフォンを差し押さえられることを考慮しなければ。
 4は、明らかに計画だなと思うのは私だけでしょうか。この人が東日本大震災の災害派遣されていなければ、何ということはありませんが、そこで得た知識を持ってすれば、これは、思いつきではないし、思いつきで済ませてはいけないことです。明白な証拠隠滅の意図をもってやったと、言いたいところですね。
 上記事実からすれば、これは用意周到な計画的犯行となります。
 
 個人的には、プロだからこそ、考え付いた手口であり、また、だからこそ、警察官であれば一番使ってはならない手口だと思います。
 
 被害者の方が朝出勤する時間帯にわざわざ押し掛けて殺害した身勝手さ、それをプロならではの手口で証拠隠滅を図ったその行動を、大阪府警は、決して身内に甘くならず、きちんと糾弾する必要があります。
 
 別れ話で文句の一つ二つを言うのは当然のことで、それをプロの手をもって計画的殺害をするというのは、警察官のモラルを問う以前に、人としてどうかと思いますし、被害女性が、慣れない大阪に覚悟をもって一人で就職して地域に溶け込む努力をし、人間関係を形成してきたことを全く気付くこうともしなかったことに、思い上がりを感じます(そうでなければ、通勤前の出かける寸前の被害女性を絞殺するとは考えられない)。
 おそらく不貞が暴露される以上に、過去の災害支援での出向こそが、この方の自慢であり、その間に自分がやってきたことを暴露されたくなかったという面からの計画的犯行のような気がします。

 この警察官の大きな誤算は、殺害後わずか数時間で遺体が発見されたことなのでしょう。
 災害派遣で得た知識を悪用する警察官が出るくらいなら、以後の警察の人事査定で、具体的な実績を伴わない、災害派遣の事実だけを理由にする人事評価は考えるべきです。

 この事件の教訓は、田舎を離れ、都会で一人暮らしをしている人は、身近にいろいろなことを相談する親しい相談相手を作り、また、決して孤立しないようにするということでしょうか。この方の事件が早期に発見解決されたのは、正にそういう事情があったからと思われます。
 周囲にきちんとした人間関係をきちんと構築し、その中で生きていくことも必要です。

 故郷を離れてまで大阪で就職して生きていこうとした被害女性の覚悟とがんばりに敬意を表し、心よりご冥福をお祈りします。

投稿者 : admin 投稿日時: 2015-01-25 (835 ヒット)
 年末は久しぶりにほぼ一日中料理三昧で、サツマイモをこしたり、練ったりと日頃できない料理作りをしました。ごまめはうまくいったのですが、うっかりレシピ通りに作った黒豆が、早い段階で入れた塩により甘さが十分に出せず、ちょっと失敗してしまいました。

 さて、冒頭の「RPG」は、SEKAI NO OWARIの曲名です。子どもが聞きたがり、何回か一緒に聞かされたことがある程度だったのですが(曲名にもバンド名にも抵抗感があったため)、大みそかの紅白のDragon nightは、大変象徴的でした。いろいろ考えさせられました。

 世界平和は、RPG(ロールプレイングゲーム)の中にしか存在しないのか。

 対立する者同士の融和が、限りない夢物語に近いとの現実を理解しているからこそ、逆にあこがれるのか。
 この歌のように、互いに自らのイデオロギー(いわば正義)を否定し合う者同士が、一度でもいいから争いを止め、戦闘を止め、「友達のように」おしゃべりをし、「友達のように」一緒に歌を歌えれば、何か変わるのでしょうか。
 
 イスラム国(ISIL)の殺害予告により、中東の紛争が遠く離れた日本においても現実になってきました。
 ここ数日、いろいろな報道が出て、イスラム国の記事が充実し、情報が豊富に出回ることになり、ようやくどういう組織なのか、大まかなところは理解できるようになりました。
 注目すべき点は以下の点でしょうか。
1 イラクフセイン政権バース党のメンバーがいる。一定の統治組織があり、一部では既存政権より評判がいい。地域住民に一定数受け入れられている。
 その意味で、単なる戦闘員ではないブレインが存在する。イラク戦争は、その侵攻理由だった大量破壊兵器の保有は、事実ではなかったのですから、旧政権側にとっては正に濡れ衣により政権を追われ、その後の政治参加が閉ざされているのであれば、生き残った者が、被害者意識をもってもおかしくはないというわけでしょうか。
2 前政権の残党という形で、政権とは比べものにならない戦闘スキルを持ったメンバーがいる。
 空爆でおそらく主要拠点の空爆をしているにもかかわらず、組織として壊滅していない、一定の地域支配を継続している
3 独自のイデオロギー(イスラム教の主流ではないため信仰という言い方は使わないこととします。)を持っている
 
 個人的には、「ジハード」と言われても、『女たちのジハード』という小説の題名を連想するとか、イラン・イラク戦争での政変直後でがたがただったはずのイラン兵の底抜けの精神的強さくらいしか頭に浮かびません。
 イラクと言えば、イラン・イラク戦から始まり、クウェート侵攻、シーア派への大弾圧等、内外に対して武力行使によりその名を有名にした国でもありますから、その延長線上でイスラム国が存在するのでしょう。また、イラク戦争は、内部抗争の結果ではなく、(実は大量破壊兵器はなかったという意味で)謂われなき外国部隊の侵攻により政権を追われた彼らが、彼ら独自のネットワークで外国人部隊を呼び込んでも再度の政治的行動を起こしても、おかしなことではありません。

 はっきりしていることは、数か月の激しい空爆でも崩壊しない結果からすれば、いくら諸外国が否定しても(長期にわたる空爆などできないのですから)、イスラム国は、確かにそこに根付いており、当事者はともかく、諸外国が口出しできない状態として確立している事実を無視することも現実的ではないと思われます。
 アフガニスタン、パキスタンのタリバン、エジプトのムスリム同胞団、タイのタクシン派(前首相派ですか)も然りですが、いわゆる貧困層を支持母体とし、それゆえ、支持人口比は高いが、政治的経済的な基盤が弱い組織は、どこにでも一定数存在し、支持母体がなくなることはまずないので、存続し続ける傾向にあります。その対策としては、彼らを武装集団にさせない努力が必要で、それをしなければ、中東以上に混迷を極める中央アフリカ諸国の状況になってしまうような気がします。
 本来であれば、政権側は、こういう組織の有能な人材を引き抜いてうまく取り込むべきなのですが、聞くところによれば、イスラム国では、逆に、その地域の政権側の役人をそのまま継続して雇用しているとの話であり、なかなか・・・。

 シリアの内戦は、争うことが争いの目的になっており、イスラム国への空爆は組織の壊滅ではなく、戦闘力の減殺が目的になってしまっており、結果、前者では石油と言う地下資源とパトロンの存在故、破壊行為のスパイラルに陥り終わりが見えなくなっており、更に、後者は住民の支持を一定程度保持する故(逆に言えば、イラク復興の勢力図に不満を持つ住民が相当数存在するため)解決に結びついていない点は、もっと問題視する必要はあるのではないでしょうか。

 イスラム国について言えば、個別の少数民族、宗教的少数派への虐待、虐殺の報道はありますが、支配地域比からすれば、おそらくそれはイラクという国で見れば、大きな問題ではなく、これらの問題解決は、個別対応として地域を限定して個別に救済を図るのが本筋のような気がします。
 イスラム法でも、国際法と同様に、残虐な行為が禁止されているのは、おそらくさほど変わりがないはずで、報道される残虐行為が、追い詰められた政権内で、内部統制が効かない結果生じたのか、残虐行為を積極的に容認した結果生じたのか、どちらか見極める必要があります。
 全体的な流れからすればイスラム国の場合には前者と考えるのが妥当であり、解消が内部統制の正常化で実現するのであれば、残虐行為解消はさほど難しい話ではないのではないかと思います。
 治安が極端に悪化する大きな政変の混乱時には、残虐性、悲惨さはつきものです。ベトナム戦争の例でいえば、サイゴン陥落時の無政府状態に関する報道に心を痛めた人も多かったと思いますが、これは、まさに混乱期のイラク、シリアに通じるともいえます。したがって、混乱が解消されれば、ある程度状況は改善されます。現在のベトナムが、悲惨な状況にあるとの話はありません。

 イラクについて信託統治その他の直接の関与をしないのであれば、一定の自立・私的自治を、当該国民自らに任せる必要がありますが、中東は、もともと、民主主義が発達しているわけでも、法の支配が発達しているわけでもありません。産業の中で石油関連が突出して潤っている極端な偏りがあり、また、気候は一定で、治水その他中央集権を必要とする地理的要因もなく、更に地政学的に中央集権国家を取る必要もないとすれば、傀儡のような即席の政権に政治的、軍事的基盤を持たせても国家存立の地理的必要性が薄いわけですから、結局、政治的な内紛、混乱がなかなか解消せず、イラク戦争後の自立プログラムが進展しない現状になるわけです。
 イラク国内にとっても、周辺地域、また世界としても、問題の解決のために、過去、外部に侵攻を繰り返したイラクにくすぶる国内事情を再度きちんと情報収集・分析をし、イスラム国が何を目指して独立国を求めるのか、それを阻止するのであれば現実的解消策としてどうすべきなのか、適切な解決策を探る必要があるのではないかと思います。

 急がば回れと言いますが、取らぬ狸の皮算用よろしく、傭兵としてイスラム国に関わった者が帰国した時に悪影響だから、これを阻止するというのは、阻止そのものは当然生じる政治力だとしても、そこに時代の流れがあるとすれば、阻止は実現しない場合があります。
 欧米の歴史を紐解けば、アメリカ独立戦争・フランス革命の影響を最小限に抑えるため荒れた歴史はありましたが、長い目で見れば、どれほど警戒しても、時代の流れには逆らえず、欧米で王政が残っている国の方が少なくなっています。歴史の流れは、そうやすやすとは変えられないわけです。

 2014年9月からの空爆で軍幹部クラスが数千人も死亡したという報道が正しく、それでも、イスラム国が組織として残り、支配地域が存在するというのであれば、空爆では無理と悟るべきであり、かと言って、イラク戦争を再度行うわけにもいきません。
 国内問題については外国は不干渉であるべきとの、現在の国際法の基本原則すなわち国家主権に基づけば、もはやイスラム国がコントロールができないと認めるべきであり、空爆以外でのイスラム国へのコントロールのあり方を探るべき時期に来ているのではないでしょうか。

 つまり、問題は、存在を最初から否定してかかるではなく、国際法の枠組みの中で、誰にどの地域の支配を認めるのか、その支配をどういう条件をつけて容認するのか、どこかで折り合いをつけなければならない状況になっていると思われます。流れを止めることはできないが、一定の方向性をつけることは、たぶん可能だと思います。
 もちろん、イスラム国側も、世界規模の統一規範という意味で、ある程度確立している国際法(国際公法)に基づいた対応をする必要はあります。

 国際公法は、慣習法(コモンロー)がもとになっていますが、それだけでなく明文化されているものも多く、世界の各国は「どの国」であっても、国際法を遵守することになっています。(ちなみに、現実的なところで、日本として一番頭の痛い問題は、中国船舶が世界的な航行ルールを無視して航行し、船舶事故を起こすことなのかも知れませんが。)

 イスラム国に拘束された日本人の方のご冥福をお祈りするとともに、残りのお一方の、一日も早い無条件解放(国際法の原則からすれば、殺害または理由なく拘束することはできない)と、中東地域の、争うために争っている不毛な戦いが早く解消されることを祈念したいと思います。

2015.01.31補足
 今ヨルダン人パイロットの生存が取りざたされていますが、これが「戦争捕虜」であれば捕虜については生命身体の安全を保障しなければならないことに国際法上なっており、たとえ、爆撃によりいくら人が死んだとしてもそれを個人として罪に問われることはないことになっています(イラク・シリアで国と国が交戦状態にあるわけではなく、また有志連合の空爆は国際法上の平和維持活動でもないので、このパイロットは、国際法上の戦争捕虜ではない)。
 有名なところでは、東京大空襲で出撃したB29のパイロットが日本軍の捕虜になった際に、あまりの死者の多さに殺せと判断した責任者は、捕虜の安全を保障した国際法の違反により、東京裁判で死刑になりました(軍法裁判等裁判手続きを踏んでいれば、場合によっては違った結果になったのかも知れません)。
 東京裁判の裁判記録は、ある意味、欧米主導で確立した国際公法のルールを具体的に体感できる内容になっており、欧米でない諸国にとっては、反面教師としてのいい材料になると思います(納得の如何に関わらず、国際法の適用を受け入れるのであれば、これに甘んじなければなりません)。

 さて、今週の大きな動きとしては、NATOが、イラク政権に安全保障の協定(?)の受け入れを再度迫ったことでしょうか。
 イラク政権がこれを受け入れると、東欧と同様にNATOが空爆する正当な根拠が生じます。個人的には、曲がりなりにもヨーロッパの一角である東欧と中東では、地理的にも民族的にも大きく異なり、伝統的な考え方も異なるのですから、これにおもねることは避けるべきと考えます。東アジアもそうですが、長い歴史があるということは、歴史に根付いた伝統的価値観、思想、考え方があり、欧米の政治理念を直ちに受け入れて成功することは大変難しいです(個人的には、ハンムラビ法典かと思えるような法の遵守が叫ばれている地域では、欧米の政治思想理念の取り入れは急激な改革になりすぎる。これらの融合にはそれなりに時間がかかる)。極論すれば、カンボジアのポルポト政権のように果ては虐殺へと駆り立てられた歴史すらあります。ですから、まだ、早すぎます。
 イスラエル問題があり、イラク政権はこれを早々受け入れることはないかとは思いますが、撤回は困難なので、NATO受け入れによる欧米の価値観による武力行使を本当に受け入れる覚悟があるのか、慎重に対応すべきところです。
  
 国際法からいえば、刑法に抵触する犯罪を犯した組織(武装、非武装を問わず)を、当該国家の政府が検挙・壊滅させることには正当性があります。が、空爆により救われる市民(そこに住んでいるまたは住んでいた地域住民の意味)が存在しないのであれば、またその組織に対する地域住民の支持が確立しているのであれば、民主主義を標榜する場合には、素朴に考えれば、空爆の正当性はないとも言えます。

20150201補足
 本日、もう一方の日本人もイスラム国に殺害されたとの報道がありました。
 2人目の日本人の殺害を「権威と力を持ったカリフ」の「国」(すなわち組織全体)として行ったとのこと。
 同じ日本人として、この結果は大変残念であるとともに、これでは2014年9月以降今日までのイスラム国の対応と何ら変わりがありません。
 殺すべきでない人を殺し、残虐行為が組織として行われたことは、見過ごせません。メディアで大きく取り上げられていた昨年の人権派女性弁護士殺害の報道を目にしたりすると思うところがなかったわけではありませんでしたが、日本人のことはまた別です。
 紛争地域で過ごす彼らの、死と隣り合わせの日常、すなわちあたかも人を殺すことが自分たちの明日を守ると信じる状況で(こういう異常な状況が続くことが一番の問題なのですが)、日本人も同様(すなわち危険なところには行ってはいけないということ)という改めて認識したわけですが、この結果は、やはり同じ日本人として大変残念です。
 
 今回の件も国際法違反となるわけですから、組織内部での適正処罰がなされなければ、イスラム国の国家承認には程遠いこととなります。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

投稿者 : admin 投稿日時: 2014-10-04 (854 ヒット)
今年の夏の自然災害の大きな事件として、広島の土砂崩れが挙げられます。犠牲になった方々のご冥福をお祈りしつつ、これを話題にしたいと思います。
 このニュースを聞いた時に気になったのは、犠牲者に思ったより若い世代が多いことでした。市街地からやや離れた山のふもとであれば、昔ながらの少々さびれた土地を想像しますが、どうも新興住宅地だったようです。

 人の移動は村から町へ、町から中規模の町へ、中規模の町から都市へと移動があるため、そこそこの規模の街であれば、どこでも、新興住宅地はあります。

 住宅造成の際に、都市計画法による開発許可の必要がないミニ開発をすれば、なし崩し的な開発となるため、災害対策が甘くなる危険性があります。今回はそれだけではなく、土砂の流出量が多く、しっかりした住宅も完全に押し流していますから、砂防ダムを設置すべきであったという話になっています。
 
 しかし、私は、砂防ダムの設置以前の問題として、そもそも開発がある程度進んだ広島の規模の都市で、また極端な人口拡大が望めない状況で、山を切り崩し、新たな土地造成をする必要性に疑問を感じます。
 この場合の根本的な解決策は、広島の市街地の再開発ではないかと思います。
 広島市内は、市電が囲むように走る中心街は、若干シャッター街が見受けられるとともに、夜間人口がやや少なく、空洞化が進みつつあるのかなと感じます。少子高齢化の中では、職住接近、また車を使わなくても日常生活が送れる環境は、必ず必要となってきますので、今回の一番の有効な対策は、これが可能な、住宅地確保を目的とする市街地再開発です。再開発により住宅地を創出すると、新興住宅地と同様、地域のしがらみが薄いコミュニティーができるわけですから、移住しやすい環境もでき、人口を呼び込めるのではないでしょうか。
 今回の災害をきっかけに、是非中心部の都市計画の見直しをして、商業、工業、農業、漁業のバランスの取れた、活気ある都市にして欲しいと思います。

2014.10.11補足
行政による都市計画のかじ取りは、市街化調整区域の指定による開発抑制と市街地等の指定による開発促進が一般的です。
線引きは行政政策に基づきますが、東京近郊の県で、民家やマンションの中に畑が点在する地区でもなぜか市街化調整区域になったりするのは、さすがにどうかと思います。



 地方都市の街並みとしては、北海道伊達市、富山市、福井市などが評価が高いようですが(コンパクトシティとしての、未来型都市の理想形としての意味です。)、残念ながら、どこも今まで行く機会がなく、訪れたことがありません。どこも一度は行ってみたい街です。
 地方自治体の最近の話題といえば、ふるさと納税でしょうが、地元産業振興に直結する名産品の贈呈は、納税も増え、また地域振興も図れるわけですから一石二鳥の施策と評価できます。

 さて、本題です。
 広島の街中を歩くと至るところに原爆関連の観光の案内板がありますが、その中に、原爆投下直後、広島の人々のどの組織がどこで救護活動等をしたのかを表示する案内板があります。その案内板には(探せばいろいろなところにあります。)、原爆投下直後、市内から市街に避難する多数の市民がいたこと、それとは反対に、逆に市外から市内に入り、あるいは市内の中に残った多数の人々が組織的に被災者のために救護活動等をしたことが表示されています(日本語だけのプレートです)。
 当たり前のことですが、原爆投下された広島市民は、ただ単に逃げ惑っていたわけではありません。ケガをしていない者が、ケガ人の手当をして対応したのです。
 どうも、ヒロシマと言えば、「はだしのゲン」「ふたりのイーダ」「千羽鶴の願い」「黒い雨」など、子ども、学生などの立場からの本しか読まず、原爆と言えば、逃げ惑っていた人々しかいなかった印象を持ってしまっており、このプレートは大変新鮮でした。アメリカ軍のカラーフィルムばかりに目が行くから、更にそういう誤解をしていたのかも知れません。
 
 広島市は、町が広く徒歩での移動が大変な街ですが、市電を降り、街歩きをすると、博物館ではわからないヒロシマを感じられます。(ちなみに子連れの観光であれば、広島子ども文化科学館と広島まんが図書館も外せません。楽しみながら過ごしてくれるので、ありがたい施設です)

投稿者 : admin 投稿日時: 2014-06-22 (987 ヒット)
多忙による現実逃避を兼ね、つらつらと最近の生物学のニュースを日頃感じた疑問的に絡めて書いています。意見は個人的見解で、科学的実証はありません。悪しからず。

最近、松山高校の高校生が、アルビノのメダカ同士からアルビノでない正常なメダカが生まれるメカニズムを解明したというニュースがありました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20140618/CK2014061802000140.html
簡単に説明すれば、生殖細胞においても「動く遺伝子」があり、その遺伝子によって、色素に関する特定遺伝子に問題があるメダカ同士でも、正常な色素の遺伝子を持つメダカが生まれることを科学的に立証したとのことです。
 補足*以前はアルビノは色素遺伝子が欠如した状態で、アルビノの個体同士からはアルビノしか生まれないと考えられていました。

 体細胞だけでなく、生殖細胞においても、動く遺伝子が存在するという発見はいかに生物がファジーなのかを如実に表しています。
 補足*このことにより、アルビノは、色素遺伝子が欠如しているのではなく、ゲノム的には存在する色素遺伝子情報に、問題が生じていることがわかり、またその遺伝子情報の問題が、動く遺伝子が原因となることで、遺伝子異常の時間的問題(無から有は生まれないという科学の定理と矛盾するずれの問題)の解決がなされたと考えます。

 個人的には、この遺伝子の存在は、良性腫瘍とガン細胞の分水嶺となる、ガン細胞の異常増殖の特質獲得のメカニズムを説明づけられるのではと期待していますので、将来的には大発見として位置付けられるのではと思うのですが、どうでしょうか。
ガンは、同一組織内で増殖するだけでなく、他臓器へ転移しますが、がん転移には一定のパターンがあります。臓器のつながりや、リンパ液等を介在して転移するだけではなく、臨床的には、血液、リンパ液での直接の繋がりはなく接触しているだけの臓器でもガン転移が起きると聞いた時、何かしっくりこなかったのですが、遺伝子情報に関する動く何かの存在があれば、説明できそうな気がします。
 補足*がん、腫瘍は細胞分裂の際のコピーミスすなわち遺伝子情報の異常複写により発生します。それまで正常だった細胞が細胞分裂により、問題が発生するわけで、そこに何らかの異常が時間的にはアトランダムに発生する仕組み、すなわち遺伝子情報が書き換えられるメカニズムがあるはずです。その内的要因の一つとして、この動く遺伝子の存在が考えられることになります。今までは、発がん性物質等、体内へ働きかける外的要因について研究が進んでいましたが、これからは、遺伝子情報的にどのように変化するか、内的に変化するメカニズムの解明が期待されるわけです。

また、たとえば、体細胞を万能細胞に代えるiPS細胞のがんの高発生率の原因も、動く遺伝子のような働きをする、遺伝子レベルでの自己修正能力により、説明できるかも知れません。
今後の研究に期待したいと思います。

さて、生物学のニュースと言えば、動く遺伝子よりずっとメディアに取り上げられていたSTAP細胞ですが、西洋的な科学が実証より予言・予測を重視する悪い所が出てしまったのかなと思います。
卵巣膿腫の例を考えれば、単細胞である卵細胞ですら突然変異するのですから、理論的には極限条件であればSTAP細胞となる確率はゼロではないと思いますが、証明がない以上、それまでとしかいいようでありません。
 補足*STAP細胞は、外的要因(いわば触媒)により細胞そのものが万能細胞に変化した細胞と言われています。これが細胞分裂により生じるのであれば、分裂前の細胞の性質を有しない点で、がんや腫瘍の成り立ちに似てくることになります。また、卵細胞は胎児の中で作られ、その後卵細胞としては細胞分裂することがないことから、卵巣の中で、別の体細胞に変化する卵巣膿腫のしくみは、細胞の仕組みは異なりますが、STAP細胞に似ているということになります。

何はともあれ、万能細胞として基礎研究試料としての確立した地位を築いているES細胞の存在があるも、臨床利用ができないというギャップが、倫理上の悩ましさとともに、問題を複雑化させています(一部には、その制限を超えて既に臨床が行われているとの記事が時たま発信されているような気もしますが)。
科学は、宗教、倫理の前でどの程度制限を受けるかどうか、たとえばどういう法制限をするのか、いつの時代も科学者に突き付けられた命題が、今も問われています。

2014.6.30 補足を加筆しました。少しわかりやすくなったでしょうか。時間のあるときに、再調査して加筆します。

2014.8.28補足
 STAP細胞の再現は厳しそうです。
 正常細胞が、簡単に万能細胞になるのであれば、生物としての安定性はとても望めないわけですから、38億年の生物(あるいは生き物)の進化の長い歴史は、少なくとも地球上の環境においては、この問題を不可逆的に解決し終えているということなのでしょう。
 ちなみに、人為的な外的要因(触媒作用)により正常な体細胞をがん細胞に変化させた世界最初の成功例は、日本人が成功させたおコゲで皮膚ガンを生じさせたケースです。柳田邦男氏の往年の名作「ガン回廊の朝」には結構詳しく書いてあったと記憶しています。学生時代に読みましたが一気に読めました。
 ガン細胞は万能細胞の対極に位置しますが、体内の細胞分裂の際のどんなコピーミスでも失敗した形はある程度決まっており、ガン細胞・腫瘍になるのですから、腫瘍・ガン細胞というのも、なかなか興味深い存在です。

2014.12.19補足
 STAP細胞の再現断念とのニュースが本日流れました。専門家ではないので、STAP細胞があったのかなかったのかはよくわかりませんが、結果はともあれ、科学には、実験と数限りない失敗はつきものです。社会「科学」を標榜する立場の者としては「失敗は恐れてはならない」と意見したいです。「東方見聞録の著者、かのマルコ・ポーロは生前ほら吹きと評されたが、内容に誇張はあっても事実であり、後世その功績が評価された」ことがいい教訓となると思います。世の中の偉人には、生前叩かれ死後に一転評価される人はたくさんいるわけです。
 本件が話題になるタイミングで、朝日新聞は、同じような話題でマスコミを騒がせた、クローン細胞の黄教授が、現在でも活躍していることを記事にしていました。
 失敗すれば、訂正し改善を試みればいいことです。記録の仕方が悪ければ改めればいいことです。そして、またやる気になった時に、研究を進めればいいのです。理研に限らず、科学の疑問、進歩に、果敢に挑戦していっていただきたいと思います。

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