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投稿者 : admin 投稿日時: 2014-05-25 (1072 ヒット)
先日、72歳のポール・マッカートニーの体調が回復せず世界ツアーの一部(日本公演、韓国公演?)をキャンセルしたとの報道がありました。
70歳を超えて海外旅行に行ったという話を聞くと元気ですねと言いたくなるのですが、何日もの公演を日本などで行う予定だったというのですから、盛りだくさんのスケジュールで、年齢からして無理をさせすぎではと思うのは、私だけでしょうか。
この方に限らず、ユーチューブでも、往年の名曲を、お年を召した歌手本人が歌っているビデオが投稿されていますから、ニーズはあるのでしょう。

なお、一般的に、筋力に劣る女性歌手の場合には、高齢者でも元気に舞台に立つのはシャンソン歌手や童謡歌手位です。
ホイットニー・ヒューストンの自殺事件は、日本でもいろいろ報道され、世界ツアーが散々で、声が出せないと観客が不満を言っていたなどの報道がありましたが、女声の筋力の限界によりトップソプラノのかなり高音域の声は、加齢により出なくなるはずなのに、それゆえ凋落したと言わんばかりの報道が多く、疑問を感じました。ゴスペルでならし、発声も我流に近いのであれば、高音域の発声限界は、比較的早く来るはずです。若い頃にはよく聞いていた方ですので、この方の周囲が、売れる企画をするのでなく、歌手を続けられる企画ができなかったのかと悔やまれます。
ホイットニーよりかなり年齢は上ですが、童謡の安田姉妹のCDを聞き、感心しました。童謡は子供の発声音域に合わせ作曲されるので、音域が限定され声を出しやすい傾向はありますが、高音がよく伸びていますね。さすがだと思います。

 ともあれ、年齢とも相談して、無理をせずに息の長い活動を行っていただければと思います。

 さて、少子高齢化社会の中、また、政府には、65歳定年制から70歳に延長するような動きもあるようですが(現行では、高年齢者等の雇用の安定等に関する法律により、60歳以下の定年は定められず、また、実質的に65歳まで就労できるように就業規則を定めるように義務付けられています。)、元気な高齢者の実例を見るにつけ、就労そのものはできなくないと思います。抜群のスキル、経験、才能がある方は、ご本人の意欲がある限り、働いてもいいのではないかと思います。
 ただし、この年齢は、新たなスキルを身につけることはできず、長時間の労働には無理が出てくるし、徐々に見当識、環境対応力、環境適応力が低下し、それによる弊害も散見されるようになります。
 ですので、嘱託社員、契約社員という形で締結する雇用延長制度の活用や、高齢であっても対応できる職種に限定した定年制延長をすべきであり、法制度として概括的一般的に定年制延長を裏付けるのは無理だと思います。
 ただし、高齢者層の増加、高齢でもまだまだ働ける人々の増加という現実もありますので、現行の授産施設を発展させるような形でもいいので、高齢者に限定した職場を創造すべきなのではないかと思います。
 具体的には、
1 できれば、裁量労働制とし、体調に合わせ勤務時間を柔軟にできるようにする
2 業務を今まで行った業務に限定すること、もしくは、後進の助言に限定すること・・・言い換えると、やれることを無理なくこなしてもらい、勤労者世代からも受け入れられるような業務に特化すること
3 定期的に就業意思を確認する
4 定期的に健康診断、認知症の診断(これにより認知傾向が判断できる)を受けること
を付加条件として加えて対応することでしょうか。

 弁護士もそうですが、自営の場合には定年はありませんが、年齢により働き方を工夫しなければ体力が続きませんので、仕事スタイルの変更は必須です。また、後進の育成ができなければ、ランニングコストの兼ね合いから、無理して仕事を続けると、結果赤字の累積となりますので、引き際が肝心です。
 つまり、どんな職業に就いても、職を辞める時は工夫が必要ということになります。

投稿者 : admin 投稿日時: 2014-01-28 (879 ヒット)
 さて、日本海をトンヘと教科書に併記する決議が、アメリカ バージニア州議会上院で可決されたことについて、コメントしましたが、ハングル、日本語、中国語が、漢字をもとに発展した言語であることの説明がわかりにくいようなので、わかりやすく、ざっくりと解説してみたいと思います。
 
 もともと漢字は、象形文字が発達した文字で、現段階においては表意文字・意味をあらわす文字として機能しています(後で書く、中国の簡体文は除外して考えます)。

 主に日本国内で使われる日本語は、漢字、かな文字を混用し、かなの利用を主に動詞、形容詞、形容動詞等の活用の部分と助詞で使用し、動詞、形容詞、形容動詞、名詞等の本体の部分つまり活用がない部分は、漢字で表記して使い分けます。このようにすることで、漢字の表意文字の特徴を生かしつつ、表意文字とは無関係な文字部分、活用、助詞等を表音文字(音をあらわす文字、アルファベットは表音文字)であるかなで表記し、文章を筆記する際の利便性を維持しています。また、外来語は、カタカナでそのまま表音文字として使用することもできます。こうやって見ると、日本語は、使用文字が多く、とっつきにくいと思われますが、コツさえ覚えれば、なかなか便利な言語でもあります。
 
 他方、漢字だけで、言語が発達している中国では、表音文字と表意文字の区別がもともとなく、そのため、例えば、computerは、日本語だとコンピューターとなりますが、中国語では電脳(電子頭脳)と、意訳して使用するのが一般ということになると思いますが(すべての外来語がそう当てはまるのかは不明)、そうすると、外国語の翻訳をしなければ使えないということになり、表意文字ゆえの言語の硬直性のジレンマがでてきます。
 そういうことも、近年中国で、利便性のある簡体文が出てきた理由の一つではないかと思っています。日本人にしてみたら、もとの漢字がわからないくらい簡略化されているため、逆にわかりづらくなっている気がしますが、中国にとっては、国際化に耐えうるための方策なのかも知れません。
 
 他方、台湾は対照的に、繁体字が使われますが、こちらは英語が通じるお国柄、漢字にできないものは、そのままアルファベットを使っているような気がします。

 つまり、漢字というのは、日本(1億人以上)でも、中国(10億人以上の漢字を使うすべての地域)でも、台湾でも、多少の誤差はありますが、基本的な文字は同じで、「東海」と書けば、読み方はそれぞれ、日本語、中国語、台湾語と異なりますが、意味は共通で「東の海 = 英訳すればeast sea」を意味します。

 そして、朝鮮半島も同様で、ハングル読みでは「トンヘ」なのですが、文字で書けば同じく「東海」でした。60年あまり前までは。
 ハングルは、日本語でいうかな文字のようなもので、表意文字である漢字の読みを、近世、表音文字に起こしたものです。ですから、すべてのハングル文字、あるいはハングルの表現は、漢字を語源、若しくは漢字の表記をハングルに置き換えており、ハングルの言葉は、基本的に漢字に直すことができます。
 ただし、ここで問題なのは、表意文字である漢字の語源を理解している場合には、ハングルを漢字に直せますが、表音文字であるハングルしか理解していない世代、あるいは、韓国系アメリカ人の一部のように、ハングルしか教えらなかった環境に育った人にとっては、表音文字たるハングルを、表意文字である漢字に直すことはできません。これは、言語の構造上、当然のことでもあります。
 そうすると、もともと「東海」を意味するはずのハングル語の「トンヘ」が独り歩きすることにもなるのかなと思います。
 朝鮮半島が、公文書でハングル文字を使い始めたのは、わずか60年程度のことです。日本統治当初の市民の識字率は低く、文字の習得率も低かったですが、それ以前の時代も(具体的には1500年以上にわたって)公文書は漢字が使用されたはずです。

 つまり、最近60年の、漢字を公用語、公文書から排除した時期はともかくとして、朝鮮半島で、それ以前に、仮に日本海のうち朝鮮半島の近くの近海を、ハングル語でトンヘと言っていたとしても、朝鮮半島の公文書では「東海」と書くわけで、ハングル文字の「トンヘ」の文字が広く使われていた事実はありませんし、漢字圏では、共通文字である文字が優先するため、ハングル語のトンヘという言葉を、そのまま他国が使うことは言語の構造上ありません。
 更にハングル語のトンヘの漢字表記である「東海」が、朝鮮半島を離れ、他の漢字圏に広がっていたかと言えば、およそそんなことは考えられないのです、他の国にとっては日本海は「東海」ではないのですから。
 

 ですから、日本列島を大きく取り囲むこの海域は、「東海」すなわち「トンヘ」ではありません。
 
 地理的、歴史的、何より語源からしても、日本海が正しいことになります。

20141205補足
 総合インテリアメーカーのIKEAが韓国国内の反発に対応する形で、世界的には正式な呼称である日本海の記載がある世界地図のインテリア販売を中止する旨の決定を出したとの報道がありました。
隣国といえど、常識知らずですいませんと言いたくなります。
 ドメスティックな独自の主張が、仮に、伝統的に表音文字を使用するため漢字の故事来歴など、考えも及ばない人々に一定の理解を得られたからと言って、少なくとも漢字の故事来歴を理解する漢字圏では、明らかにおかしいその発想が通用するとは思えないのですが。漢字を忘れたオールハングル国家では、表音文字の発想で、表意文字たる漢字の発想ではおよそまかり通らないこともまかり通るということでしょうか。
 そうは言っても、韓国まだ漢字を手放して100年は経過していないのですから、常識的な反応、対応はできなかったのかと悔やまれます。

投稿者 : admin 投稿日時: 2014-01-25 (974 ヒット)
このコラムでも、何度か取り上げている日本海の呼称ですが、アメリカ バージニア州で採用される教科書では、日本海と併記されるとの法案が州の上院議会で可決したとのことです。
海域の呼称については、地域性があり、ある地域で教える名称を、世界の共通の名称を取る必然性はありません。
 したがって、韓国の場合には、
朝鮮半島を中心に、西の近海を西海 といい、→ 国際的には黄海
           南の近海を南海 といい、→ 国際的には東シナ海
           東の近海を東海 といい、→ 国際的には日本海
と言っているようです。韓国国内にいる分には、こういう言い方の方がわかりやすいのは事実です。
 ちなみに、日本の教科書は、基本的には、国際基準の海域の呼称をしています。

 現在、アメリカのバージニア州議会で可決されたのは東海のみであり、西海、南海については要求すら上がっていない模様。

 ところが、朝鮮半島は、古くから主に中国との間で、東シナ海、黄海を利用し、貿易したわけで、日本との貿易ですら、長らく対馬が窓口であったため、日本海を使っての貿易などほとんどありませんでした。もちろん、1600年頃から長く続いた鎖国の問題もあり、朝鮮半島で、海洋貿易が盛んになる要素は全くなかったわけです。
 だから、日本海を利用した実績は、せいぜい近海の漁業程度で、それで海域の利用をしていたといい得るのかすら、かなりあやしい。
 その中で、なぜ、日本列島を大きく囲む海域、また日本の排他的経済水域が多くを占めるこの海域が、「東海」になるのか、朝鮮半島の人々がそういう呼称を使用していた実績があると言えるのか、全く理解できないし、なぜ今になって、こういう問題が、バージニア州で発生するのか、わからない。
 
 報道によれば、この海域の呼称は争いがある呼称だということから、併記とされたとのことです。
 その南に隣接して、東シナ海があるのに、その北が東海(ハングル語で、トンヘと読む)というのでは、あまりに一般的広範囲すぎ、実用的実際的ではないし、いずれなくなってしまう名称かも知れません。ただ、今回は、「トンヘ」の併記を承認したとのことで、意味の英語訳 east seaではないようです。

 韓国人は、近年、少なくとも1500年以上使用してきた漢字文化を捨て、ハングルの意味が漢字由来であることを忘れつつあり、更には、古文書がすべて漢字表記のため(大ヒット韓流歴史ドラマ「チャングムの誓い」の冒頭の李氏朝鮮の文書《400年位前のもの。李氏朝鮮は、日本統治直前まで続いた政権》は全部漢字で書いてありましたよね)、過去の文化歴史の承継意識は乏しい。

 だからと言って、この明らかに不合理な決議に、漢字文化を捨て漢字の意味もわからないとしても、「トンヘは、東海と書き、東シナ海の北の海域を東海とするのか、おかしいでしょう、この海域は、朝鮮半島の東の海域だけでなく、日本列島を覆うように存在するのですから。また、ハングル語は朝鮮族しか使わないから、ハングル語のトンヘの名称が朝鮮半島以外で使用されることはありえない。」と韓国人や韓国系アメリカ人に言っても、納得されないこと、理解が得られないことに、逆に納得できません。

 太平洋のはるか向こうの、更に、アメリカ大陸の反対側、大西洋に面した州であれば、日本海には、全く縁がない人の方が大半です。
 中国、日本、台湾、朝鮮半島、ベトナム等では長期にわたり漢字文化があり、漢字は表意文字であるため「東海」と書けば、話す言語が違っていても意味の共有(東の海)ができますが、ハングル語は朝鮮族しか使わないから、朝鮮半島以外で「トンヘ」と使うはずがありません。朝鮮半島より南の人が、日本海を東海(東の海をいう。)、トンへというはずもありません。
 更に、実際には朝鮮半島においても、ハングル文字を公的に使いだしたのは最近で、むしろ1500年以上の長きにわたり漢字文化が根付いており、それゆえ、朝鮮半島の歴史においても公文書は漢字のため、「東海」の表記はともかくハングル表記で使用した事実は皆無だったはずです。
 鎖国時代が長く続いた朝鮮半島の歴史もありました。
 ただこれらの事実は、実情を知らなければわからないし、そもそもバージニア州ではこういう極東の事情は教育の対象にはならない。

 だから、ハングル語の名称が海域として、併記するのが当然という結果になるのでしょうかね。
 
 漢字を理解せず、もともとの漢字もその意味の由来もわからなくなった、韓国人が、これらの前提を全部とばして、説明・説得したら、海の向こうの大陸の反対側の大西洋に面した州の住民では、間違った結論になってしまうということなのでしょうか。

 朝鮮半島が、近年わずか60年前くらいに、1500年以上の長きにわたり使用実績のあった漢字文化を、公用語の中から完全に捨てたことは、その自主性を尊重すべきとも言え、他国がとやかくいうことではありません。公文書で漢字を完全排除したのも同様です。
 だからと言って、今までの歴史的事実を曲げて、ある意味隣国とは言っても、太平洋のはるかかなたの、またアメリカ大陸を横断した大西洋側の、ほぼ地球の反対側の国の州だから、わからないだろうと言わんばかりに、明らかに事実でないことを事実のように吹聴し、誤った事実を認めさせることは、承服できないことです。

 こういう出来事があると、反面教師として、改めて、教育の大切さと、文化や歴史の承継の重要性を認識させられます。

2014.2.04補足
 最近の報道によれば、法案が成立する見通しとのことです。
対人コミュニケーションの成功には努力がつきものと言いますが、国際的にも、相手国に自国およびその周辺の理解を求める努力は常にする必要があるようです。
 アメリカは、何の根拠もないのに、従軍慰安婦が20万人いたという石碑が建ってしまう土地柄で、驚くほど、予備知識がないわけですが、理解を得る努力を怠れば、こういうことになるということでしょうか。ハングル文字は、朝鮮半島でも公用文字として60年あまりの使用実績しかなく、トンヘというハングル文字が公用されることはなく、トンヘの呼び名が広域で呼ばれることもあり得ないのは分かりきっている分、納得がいかないものがあります。

2014.2.07補足
 本日、州議会で可決されました。
 本日の韓国紙は、新しい教科書は他の州でも利用するから、トンヘと書かれた教科書が7つの州で使われる可能性があると報じており、日本の新聞では、今までの教科書はそれまで通り使われていくと報じています。
 アメリカの教科書がどの程度の頻度で改訂されるのか知りませんが、一定感覚で改訂があり、また教科書会社がいくつもないのであれば、韓国紙の指摘する「狙い目」「効果」は間違いではないということになります。
 いろんなところに目配りが必要ということにもなります。
 

 

投稿者 : admin 投稿日時: 2014-01-13 (1314 ヒット)
明けましておめでとうございます。
年賀状ハガキの発行枚数は、年々頭打ちだそうですが、それでも何となく続けている年中行事。日頃疎遠な方の近況がわかるのがいいですね。
さて、年明けのコラムは深刻だったり、堅苦しい話はせず、「おかし」な話をおひとつ。
有名な洋菓子やパンが連ねるある日本国内の都市に、「ゴーフルリッツ」というホテルができました。
さすが、お菓子の都市だというのが日本の市民の感覚ですが、これにかみついたのが、かの有名な「リッツ」ホテル。不正競争防止法の問題です。
曰く、ゴーフルのような駄菓子とリッツという名称が一緒にされるのは品位が下がる。
ちなみに、本場フランスではゴーフルとは庶民が食べる煎餅のような駄菓子のこと。格調高いリッツと一緒にするのは、駄目ということらしい。
しかし、日本では、リッツはスーパーで売っているが、ゴーフルは百貨店か路面店などでしか売っていない。国内で、ゴーフルとリッツとどっちが高級かと聞いたらほとんどの人が、ゴーフルと答えるでしょう。所変われば認識も全く異なるということですね。当時は、リッツホテルが国内になかった時なので、更に微妙な感じでしたが、その後時間の経過により、日本国内の意識はヨーロッパになじんだのでしょうか。
なお、ゴーフルリッツというホテルは名称を変え営業を続けたそうです。
不正競争防止法がらみの店名、商品名等の類似性の問題は、アルファベットのロゴの類似性だけでなく、その国の語彙からくるイメージの問題があるので、同じ表記を使っているから類似性があるとも一概には言えないのですが、グローバル化する今日故、当該国の国内の問題と国際問題をすり合わせる必要もあります。

茶目っ気はあると思う、お菓子な話でした。

投稿者 : admin 投稿日時: 2013-12-01 (1454 ヒット)
さて、師走に入り、季節は冬となりました。
今年は、芸術と言えば、日展問題で揺れ、フランスの漫画祭りが、韓国の従軍慰安婦の展示を認め、政治的利用を認めるとか。
http://www.asahi.com/articles/TKY201311300387.html?ref=com_top_pickup
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20131201-OYT1T00198.htm?from=y10
日展問題は、芸術作品の評価の難しさを如実に物語っているような気もします。
朝日新聞が総力をあげて取材しても、買収により賞を取ったという証言が出なかったことに、作品展としての公平性を認めるのか、あるいは、それでも不透明と考えるのか。そもそも、芸術作品の審査の透明性とは何ぞや という気もしますが・・・。
ま、ここ数日の朝日新聞の動向をみると、日展の全分野について問題にしたいようですが、だったら、いっそのこと、日本の伝統芸の免許制度や、伝統芸能に対する文化庁の補助金の使われ方についてメスを入れてみたらいかがか、と思ったりします。それは、誰でも知っていることで、今更だから記事にはならないし、しないのですかね。
日展に関しては、これを機会に、閉塞感をなくし、新しい風を入れ、世界的に通じる展覧会、すなわち、日展入賞作品が、即バイヤーの目に留まるような、権威ある展覧会になってもらうことを期待したいところです。
 
 
 
 さて、フランスのアングレーム国際漫画祭についてですが、ヨーロッパの漫画と言えば、メインは風刺漫画と理解しているので、この漫画祭りがどういう系統のものが、判断しかねるのですが、トピカルでもない68年以上前の出来事を取り上げること自体に、正直納得いかないし、当時の朝鮮半島、1945年以降の朝鮮半島の事情を無視して、「日本軍」だからと取り上げることに、心情的な抵抗がありますが、一体どういう作品が展示されるのか、少々興味があります。
 ファンタジー小説の分野だと、普通に図書館で並べられる韓国人作家の本も存在する昨今ですが、日本国内で公共放送では絶対に放映されないであろうユーチューブの画像が大流行した歌手が観光親善大使になる、韓国です(風刺的な画像としてみれば、いろいろな見方ができそうですが)。相手国の事情を何も考えずに、神経を逆なでさせるだけの作品展示にならないよう、希望します。
 個人的には、芸術、文化について、真面目に政治的に取り上げることこそばかばかしいし、政治的に取り上げないからこそ、風刺漫画の醍醐味があり、意味があると考えます。
 しかし、漫画を、最初から政治目的の利用として捉えるのであれば、それは風刺漫画でもないし、ただのプロパガンダに成り下がってしまいます。また、いくらフィクションだからと言っても、特集として組んでしまったら、史実とかけ離れた作品を集めると、批判となって還ってきます。
社会問題を鋭く取扱い、高い評価を受ける作品ももちろん、あります。しかし、それは、風刺漫画同様、本来政治とは切り離されるべきものです。特定の作家が政治的に利用されたために、その後の創作活動に支障がでることは、我が国だけでなく、しばしばみられた現象です。

2013.12.04補足
芸術作品の評価
 芸術作品の評価の難しさは、今の人気投票だけで、評価できないことの一点にあると思います。
 一般に、時代の半歩先を行けば最先端、一歩先に行けば行き過ぎで全く評価されず、作者は変人扱い、時代の寵児を評価すれば、それは数年後には流行遅れになってしまうと言われます。
このセオリーは、美術史にも当てはまり、後世に爆発的に評価される作家が生前全く売れない不遇の人生を送ったことはよく見られることです。
 とすれば、作品展の評価とは、単なる観覧者の人気投票では足りないし(これは時代の先端ではない)、次の流行、次の展開をどこに読むのかによって、次の流行に対する評価が決まることになりますが、これは人それぞれなので、当たり外れがあり、正確な予測はプロでも難しい。
 はっきりしていることは、画商や収集家の思い入れ(思い込み?)、熱意により、評価される作品も多かったのではないかということです。インターネットが普及している時代なので、写真の画像写りがいいことも評価の対象となるのですが(写真写りがいい作品と肉眼で見ていいと思うのは若干違う)、本当にいいと思えば、本物を見たくなります。
 こうして、いろいろ考えると、作品の評価とは、第三者がどう評価したのかではなく、どの作品を自分がいいと思うかの一言に尽きるのではないかと思います。

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