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投稿者 : admin 投稿日時: 2009-04-18 (1942 ヒット)
 最近、メディアで、産休・育休の話や、保育園待機児童の増加が話題になっています。

 ご存じのとおり、産前産後の休暇、育児休暇は、労働基準法に定められています。
 私は、出産当時、労働者ではなかったので、産休、育休制度を使うことはありませんでしたが、産後は、4週間程度は休みました(少し出勤していた)。
 母体のためにも、産前はともかく、産後の休養は絶対に必要です。特に、難産で想像以上の体力を使った場合には、ゆっくり休養しなければ体が回復しません。また、初産の場合も、昼夜の別なく数時間ごとに赤ちゃんのお世話をするライフサイクルに慣れないので、その分、やはり休養が必要です。

 休養を十分に取らないと、どうなるか。
 基礎体力の回復が遅れ、風邪を引きやすくなったりするのではないでしょうか。授乳期は、風邪薬を使わないため長引くのです。私も、依頼者に「いつも風邪引いていますね」と言われたことがあります。

 では、育休は取れるかと言えば、出産年齢は、曲がりなりにも働き盛りの年齢ですから、育休取得は現実的に厳しいのではないでしょうか。私の周りでは、育休を取っているのは、公務員が多いです。
 弁護士の場合には、育休取得は現実問題として厳しいのではないでしょうか。出産前から、新規案件の依頼は全部断るとしても、それまでの仕事がなくなることはないし、独立していれば、一旦完全閉鎖して、新たにやり直すというのも大変です。勤務弁護士なら、そこまで大変ではないでしょうが、周りに余分な仕事の負担の与えるため、それはそれで気を遣うので精神的に大変です。

 育休を取らないとすると、次に問題になるのは、「いつ、保育園に入れるのか」です。
 世の中シビアなので、考える人は、産み月まで計算にいれる人もいるようです(私は、そこまで厳密に考えませんでしたが)。
 つまり、住んでいるところの自治体で、4か月の乳児から多く受け入れる場合には4月に4か月になるように産むのが、保育園対策としてはベストなのです。4月は、一番園児の受け入れが多いので、入園できる確率が上がります。
どの自治体も、産休明け乳児を預かってくれる施設は少なく(この月齢は人件費がよりかかることも原因です。)、自治体ごとの方針によって、4か月から7か月くらいの乳児からの受け入れになるので、これは、居住する地域によって異なります。
さて、企業内保育など、職場に接近した保育施設が設立されている場合もありますが、保育園は自宅の近くに入れることをおすすめします。
職場に接近していると、子どもが元気な日はいいのですが、子どもが熱をして急に帰宅することになると、高熱を出した子どもを連れて、時には電車や車に乗せて帰宅させ、病院に連れて行くのは、大変です。子どもが高熱を出している時は、親も体力を消耗していることが多く、7キロの子ども(生後6か月くらいでしょうか)をだっこして帰ったりすると、それだけでぐったりします。職場内保育は、近所の保育園空き待機のために利用する方が実際にも多いのではないでしょうか。

 女性が仕事を続けようと思ったら、母子になるべく負担が少なくなるように、産む前からある程度考えた方が得策なのでしょう。
 
 さて、ここで医師の就業人口の問題について、考えます。
 医師の統計上の人口は、警察官の人口より多いのに、つまり、警察署を地域病院、交番のお巡りさんを診療所に例えれば、医師は日本全国に配置しても十分程度の人口はいるはずなのに、なぜ医師不足が問題になるのか。
それは、
1 最近の専門医制度による医療の縦割化により必要数が増えたこと
2 医師の中の女性が占める割合が高く、就業人口が実際には少ないこと
が原因なのではないかと考えます。
この前、眼科の医療事故があった際に、謝罪会見を開いた担当した眼科医が、学会の専門医の認定を受けていなかったことが大問題であるかのように一部マスコミが取り上げていましたが、もともと、医師はオールラウンドな資格で、医療行為であれば法律上何でもできます。
したがって、たとえば、これまでは、産科医も、麻酔をしたりしましたが、最近は、麻酔のためにわざわざ麻酔科の医師を配置するため、必然的に医師の必要数が増えます。

国家試験合格者に占める女性の割合は32.7%で、医師全体では16.5%だそうです(2004年。http://www.kunikoinoguchi.jp/katsudou/pdf/190609_shiryou.pdf)
ところで、女性が出産、子育てをすると、その分、確実に労働時間が制約され、労働能力が落ちます。
当直がある勤務はかなり厳しいし、そもそも医師になるために家中総出で子育て・教育がなされたような家庭で育った人たちが、自分の子どもを、自分が親から受けた程度の子育て・教育をさせられない家庭で育てる選択肢を選べるのかと疑問を感じてしまいます。子どものことを考えれば仕事を辞めるという考え方も出てくるのは必然で、これは、人生観の問題であり、労働環境の改善でどうなるものでもないと考えます。
とすれば、医師に関しては、子育て世代の女性医師の労働人口、少なくとも労働力の減少を盛り込み、その時期の実労働人口を低く算定した、医師養成計画を考えなくてはならないのではないかと思います。

現状は、医師会が言うように、医師の数が増えれば、医師が生活するために稼ぐ分医療費が増え、健康保険負担が増えるから、増員させないべきという事態ではなくなってきています。

なお、司法試験合格者に占める女性の割合は27%位、女性弁護士は全体の16%となっているそうですが(http://www.sendai-l.jp/chousa/pdf_file/5/5-1/5_1_2.pdf)、私が司法試験に合格した平成5年で女性合格者が2割を超えたことが話題になった程度で、そのちょっと前までは、1割いなかった頃が長かったわけです。
しかも、弁護士の場合には、法科大学院制度になるまでは、大変合格率の低い試験を、周りが就職するのを尻目に、時には家族からもいろいろ言われながら、浪人生活をして敢えて受験したわけです。誰しもそれなりにつらい思いをして合格し、また仕事に対する思い入れがある人が多いせいか、仕事を辞めるという選択肢を取る女性は、そう多くありません。

投稿者 : admin 投稿日時: 2008-11-20 (886 ヒット)
仕事に疲れたとき、物理的、精神的にトリップしたくなるとき、ありますよね。
私の場合、無性に出かけたくなり、一人旅をしている時期がありました。
一人になりたかったからというより、都合がつかずに一人で旅に出るというパターンでしたが。
今は、女性の一人旅で特集が組まれたりと、旅館の一つの客層になりましたが、ちょっと前までは、女一人の宿泊は嫌がられ、敷居の高い時代が長かったような気がします。

さて、一人旅は、プランの作成から始まります。
プランを練って、いろいろ考えることで、気分のリフレッシュが始まります。
まずは、どこに行きたいのか、目的地を1か2つか決め、電車の時刻を逆算して割り出し、電車の時刻にちょうど合う観光地をさらにピックアップするという作業をします。
旅を楽しむのなら、自動車を運転してではなく、電車やバスなどを使いますが、電車、バスは本数が限られているので、目的地をひとつ決定し、その次に、どこに泊まるのかを決め、それから、出発地の時刻と到着地の到着時刻から、出発地と到着地の間でいくつの観光地を回るのかを決めればいいわけです。
都市以外の日本の観光地は、基本的に神社仏閣か景勝地しかありません。でも、疲れを癒すために行くのですから、目的地は旅の目的ではないわけで、それで十分なのです。
旅のプランをたてるときには、安全等も考えれば、基本的には平日に大きな観光地、休日に小さな観光地を回ります。また、バスは、路線によっては通勤通学用に朝晩しかないが、観光バスなら日中走っているところもあり、その時は、思い切って観光バスを利用したりします。

宿泊は、ビジネスホテルがいいかと思いますが、慣れない場合には、ユースホステルもいいですね。ただし、ユースはオーナーのやる気によって、格差が激しく、悲惨なところは学校施設より悲惨なので、前評判だけは確認するとよいでしょう。
さて、宿泊をなぜビジネスホテルにするかというと、ビジネスホテルがある程度の町だと、暖かいおいしい食事を出してくれるところが一軒くらいはあると思われるからです。
一人旅で、食事もさめていたら、さすがに惨めかなと思います。20代の頃より、旅先では郷土料理を食べることを楽しみにしており、地元の店に入るのは、それなりに楽しみです。

さて、徒歩の旅ならば、私の一押しは、奈良の山辺の道です。
奈良県内のハイキングコースは、どこも整備されており、ガイドブックも充実しますので、私もいろいろ回りましたが、やはり、山の中をぶらぶらのどかに歩き、かつ古代ロマンの気分を味わえるのは、ここでしょう。結構距離はありますが、多少体力に自信のある人ならば、1日で踏破できます。私が訪れたのは3月だったこともあり、道を往来する人はほとんどありませんでしたから、ちょっと一人で行くには向かないかもしれません。
私は、司法試験に受かった翌年の春に行きましたが、当時25歳だったこともあり、山辺の道を踏破した翌日に、橿原神宮から、藤原京跡を通過して大和八木に徒歩で行きました。今ではこの強行スケジュールは無理ですね。
奈良の藤原京跡は、何もなくて、ただ草が生い茂る広々としたところで見晴らしがよく、しかも適度に町中にあり、ぱらぱらと人がいて、一人でぼーっとするにはもってこいのところです。

奈良県内で行きたいと思いつつ、行っていないのが、葛城山、生駒山、吉野です。
時間を見つけていつかは行きたいものです。

ちなみに、外国で、一人で行動する場合には、それなりに印象深いですね。ただ、昼であっても夜であっても、常時、夜道を歩いている気分で町中を歩くので、緊張度は違います。国内旅行の、何もしないことを旅行の目的とするのとはちょっと違ってきます。
パリのスーパーで買い物をして、量り売りの計量がわからないときに親切にやり方を教えてくれたのはアフリカ系の店員さんだったし、ロンドンで、Roy Orbisonを題材にしたミュージカル「オンリー・ザ・ロンリー」(だったと思います。) の開演に遅れ、親切な対応をしてくれたのもアフリカ系の切符きりでしたが、こういうところが、ヨーロッパの、インターナショナルなお土地柄ですね。
さて、外国で道に迷った場合、最後の頼みは「どこにでもいる」日本人です。
昔、ガイドブックを頼りに、パリで、空港行きの直通バスで空港に行こうと思って、バス乗り場付近に行ったところ、バス停が見つからず、町を歩くパリジャンヌに聞けば、「空港なら電車で行く。バスでなんか行かないわ。」と言われ、あのときだけはフライト時間に間に合わなければどうしようとさすがに焦ったのですが、結局、町を歩く「どこにでもいる」日本人に尋ね、バス停案内板の場所を教えてもらい、事なきを得たことがあります。

投稿者 : admin 投稿日時: 2008-07-08 (930 ヒット)
ヒトが社会の中で生きるための社会性は、社会で生きていくために必要な能力とも言われます。
社会性は、学校教育の場で自然と身につくもので、これこそ、学校が勉強だけをするところではない、集団教育の意義だと言われたりします。

ところが、実際の学校教育の場には、コミュニケーション力を養成することを目的とする科目は、ありません。不登校児を積極的に受け入れる、一部のフリースクールではあるようですが。

さて、夜回り先生のベストセラー著書の中で、「社会年齢は、外に出て社会(学校)に接触して初めて上がっていく。社会との接触がなければ、実年齢は上がっても社会年齢は上がらない。」(もっとシャープな指摘がありましたが、語弊があるといけないので、こういう書き方をします。) というような下りがあります。
私も、そうだと思います。適度な社会との接触がなければ、社会性は身につかないのです。
しかし、様々な事情から社会年齢が停滞する場合もあります。また、核家族化が進み、一人っ子家庭がここまで増えると、本来であれば、家族の日常生活から普通に体得できた社会性が身につかず、状況打開のための対応力、適応力が、有効に育たないままに、学校、職場に放り出され、そのため、学校、職場でちょっとした環境の変化、あるいは予期しない環境に置かれてしまった際に対応、適応できず、引きこもり若しくは不登校になることはないのでしょうか。

ここまで引きこもり、不登校が社会問題化しているわけですから、学校教育で、自然に任せてではなく、より積極的にコミュニケーション力を身に付けさせるための教科・学科を設けてもいいのではないかと思います。

私は、コミュニケーション力とは、様々な事象に対して、1 正確に状況を把握できること、2 把握した状況を適切に分析できること、3 状況に対しての打開策を検討できること、4 問題解決に向けた解決策を検討できること、5 問題発生防止に向けた予防策を検討できること、5つを意識しながら、対人関係を対応できることをいうと考えます。
つまり、単に会話が成立するだけでなく、言動を通じて自己実現(憲法チックな言い回しですね。)を図れるということが肝心なのです。
これらを、どの程度実践できるかで、危機管理能力、対処能力がずい分違ってくると思います。

現在の学校教育の中で、一番近い科目は、国語の読解力なのでしょうが、国語の教科書に「あなたが、これこれ、こういういじめにあったら、あるいは、引きこもりになったらどうしますか」などというテーマを載せるとは思えません。今は道徳の時間もないですよね。

どんな大人になって欲しいのかという、極めて逆説的な提言かも知れませんが、社会の荒波にも耐えうる程度の大人になってもらいたいという意味で、現在の社会環境は、学校教育の場で、積極的にコミュニケーション力を養う時期に来ているのではないかと思います。

最近刑事事件で、心神喪失の鑑定意見(精神科医が専門の場から精神状態について鑑定すること)が、以前と比べて格段に多く出されるようになりました。
心療内科の医院が町で普通に開業され、来院者が「気分が憂うつ。気分が乗らない」と言えば「抑うつ状態」と診断し、投薬する(保険適用のための便法として、こういう診断名を使うのかも知れませんが)、うつ病、そううつ病という診断名も珍しくなくなってきているようです。
このような社会現象は、犯罪を犯すという極限の行為に対し、今までほとんどでなかった、責任能力(是非弁別能力、行動制御能力)の喪失を容易に認めやすくしているのではないかと思います。刑事事件に近々裁判員制度が導入されることだけが理由ではないでしょう。

心療内科へかかることは、病気の治療なわけですが、心の病気の予防のための体力作りというべきものが、コミュニケーション力を日頃から養うことではないかと、私は考えます。

投稿者 : admin 投稿日時: 2008-06-13 (848 ヒット)
さて、弁護士という職業は、国内の事件を主として取り扱っていても、必ず外国人が絡む問題に遭遇します。英語は苦手なのですが。
年々国際交流が活発化しており、都市部でも地方でも同様だと思います。
 外国人と接していると、まず感じるのは、自分が日本人だなということです。
刑事事件の場合で、勾留されている被疑者に会いに行くと、何か問題が起きると、警察官、職場の人などに対する不満を「日本人」に対する不満と捉え、「日本人は云々」というグチを、聞かされます。
 裁判が終わったら、国外退去処分という人も多いので、できるだけ、「日本人」が悪く思われないようにしなければと思い、接しています。
  
 一般論ですが、英語が第1外国語の国の人々は、英語が上手でない日本人とよく接している人は、我慢強くきちんと会話をつないでくれます。
外国人と話しをする上で、一番注意することはその人の信仰する宗教と国に対する最低限の知識を持つということではないと思います。海外旅行をすると、自己主張の激しい外国人を目にしますが、そういう民族柄のあるお国もあるのでしょうが、そうでない国もたくさんあります。

ところで、私が、仕事で接した外国人ことのある外国人は、地域分類でいけば、南米、北米、中南米、アフリカ、中東、南アジア、東南アジア、東アジア、欧州どこでもあり、逆に言えば、結構日本も国際化しているということですね。

 ただ、出身地域というより、民族の特徴は、信仰する宗教で決まるという感じがします。

 例えば、カトリックを信仰する国々、フィリピン、ブラジル、メキシコなど人々は(歴史的には全部ラテン系といえばラテン系)、何となく陽気で、細かい事にこだわらず、本質的にポジィティブ思考がある感じの人が多いのではないかと思います。
 これらの国々から来た人のお宅で、日本の田舎の仏壇や神棚並に、キリスト像やらマリア像が飾ってあり、その部分だけは特にきれいに清められ、更にはそこに経本の代わりに聖書が置かれているのを見ると、「コリント人への手紙」の朗読より聖書にリアリティを感じました。

 イスラム系の人々は、のんびり見えても、礼拝の習慣があるからか、時間はきっちりしている印象です。
 封建的と言われるアバヤやチャドルも、一度、お宅に伺って家の中で、ワンレンの、いともあでやかな衣装の女性を目の当たりにすると、町中でアバヤやチャドルを見かけても、マイナスの印象が薄らぎます。
 
 民族性は傾向であって、個人の特徴ではありませんが、初対面の人と上手く対応するには、役に立ちます。

投稿者 : admin 投稿日時: 2008-04-07 (1033 ヒット)
 誤飲死亡のケースを、最近になっていくつか聞きました。
 お正月に、お年寄りがお餅をのどに詰まらせて、救急搬送されたなどはよく聞く話です。
 しかし、私が聞いたのは、どれも病院、介護施設での普通に食事をしていた際になった誤飲死亡などが問題となったケースです。

 誤飲のどのケースも、異変に全く気づかなかったとの報告がなされていました。
 しかし、どのケースも、5分から10分前に、患者さん、お年寄りが大きな物音をたてた、あるいはのどを詰まらせていたためよく咬んで食べるように注意した旨の看護士等の報告がついていました。

 一般に人が窒息により死に至るまで5分以上の時間経過が必要とされます。のどに物が詰まってすぐに死亡するわけではありません。
 時間経過を遡れば、その方達は、大きな物音をたてる、どんどんと胸をたたくなどでそれぞれ周りに対して、誤飲をアピールするアクションをしていたとも思われます。

 しかし、その方に精神疾患がある場合、あるいは脳梗塞などで意思をうまく表現できない場合、「いつものように騒いでいる」「大したことはない」と安易に考えるのでしょうか、時間が経過し、気づいた時には、チアノーゼ状態となってしまいます。

 誤飲があっても、すぐに死亡することはないし、救命体制がある施設であれば、適切な措置をすれば問題ないことです。
 精神病棟、介護施設、一般病棟でも脳梗塞後の患者さんなどに対する食事の際には、特に注意が必要です。

 もちろん、咀嚼しにくいお年寄りであっても、食事に興味が出るように流動食ではなく、なるべく形のある物を食べさせようとする介護施設等の努力は、評価できます。
 
 しかし、食事中に騒ぐ方でも、そばで介助、監視する看護士、介護士の方は、誤飲の危険には、特に注意を払っていただきたいと思います。

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