ˡΧ̳
投稿者 : admin 投稿日時: 2024-12-25 (58 ヒット)
 職業柄、いろいろな人から、心に残るエピソードを聞くことがあります。
  私にとって、心の中の山の風景は、丹沢の山々の後ろにそびえる富士山であり、その先に見える秩父多摩、孤高の筑波山(周りに山がないため)と言ったところです(吹きさらしの、当時見晴らし抜群のマンションに住んでいた)。
 面会のたびに出身地の風景を話してくださった、ある高齢者の心の中にある山は、赤城と榛名で、季節の移り変わりは、山の彩りとともに感じ、心の中にある生まれ育った町は、東京都下のベットタウンとは比べものにならないほど大きく、映画館もある賑やかな町で、シーズンには山登りをされたそうです。
 もちろん、何十年もたった今では、その町に映画館はなくなり、近くの裁判所支部に行っても、公園には子どもの姿も全くない状況なのですが、心の風景は、色褪せることなく、色鮮やかに伝わってきました。
 そのデフォルメされた風景は、絵画で言えば、例えば鳥瞰図のように、的確に心に残る風景を強い視点で描き、人を捉えて離さない。
 結局のところ、言葉とは、人の想像力をかき立てる最適な表現の一つです。

 パリオリンピックで舞台となったパリのルーブル美術館のニケは、私が最も気に入った彫刻の一つで、オリンピックのプレ映像でも紹介されていました(個人的意見としては、ミケランジェロのピエタ、高村光雲の老猿と並ぶ彫刻です)。パリっ子はそうでないかも知れませんか、観光客は、ニケの部屋の一階入り口からは入りません。ちょうど端にあるので、2階からニケの翼を眺めながら階段を降りていきます。後ろから見ると翼はいくつか補強されてつなげられていますが、それがあっても、かなり大きな1つの石(岩)を削って作られているのに、翼の一枚一枚の羽のディテールの細かさ、また、今にも羽ばたこうとしている一瞬の躍動感を捉えた表現は、あれだけの大きな作品であるにも関わらず、他を圧倒するものがあり、大変感動しました。
 正面から見ても、かなりスケールの大きな作品で圧倒されるものがありますが、個人的には、後ろの細部と今にも羽ばたく感じがわかるので、横から眺めるのが最適かと思います。
 躍動感をうまく表現した作品として、似たようなものでは、絵画ではドガ、陶器ではリヤドロ(スペイン)などがありますが、日本では、あの一瞬の、ふわっとした躍動感を切り取った作品は、あまりないかと思います(なぜでしょうか)。
 
 さて、心の風景とは、今は存在しない風景であり、埋もれていくものなのかも知れませんが、それは将来につなげるヒントでもあります。
 つい最近、日本の一人当たりのGDPが、韓国に抜かされたとの報道がありましたが、働き方改革で労働時間に規制がかかり(もともと働かなかった人は関係ないですが)、生産性が下がったわけですから、下がって当然だと思います。
 目指すべき働き方改革とは、本来、周囲がメンタルに気を配りながら(労働時間が一定時間を数ヶ月にわたって超えた場合には、必ず定期的に産業医のメンタルチェックを受ける等)、働きやすい環境を整えることだと思います。
 仕事でも何でも、ある程度時間をかけなければ生み出せない何かがあり、それは特に若い時にどの程度の時間を掛けたかどうかにより、その後の人生が変わってくるのは事実なので、働き方改革の名の下に、思ったことができないのも、残念に思います。
 私の個人的意見としては、心底嫌になって、全くやる気が起きなくなるなどの前兆を、的確に見つけられるようにメンタルチェックを適宜していけば、生じる過労働の弊害は大幅に減るのではないかと思います。

 同様に、地方の過疎問題は、仕事がないことが一因なのですから、住宅地の集約化(人が増えることにより、コミュニティ内での仕事の需要が発生する)、農業団地化(特定の地域を指定して当該地区全域を農業専用地域にして、管理の一体化、一元化を図る)、また働き方に柔軟性を持たせるようにして、公務員と兼業できるようにし、収入の安定化を図り、人の定着と、産業の安定化を行うことなのでしょう。
 具体的には、里山あるいはその周囲などを農業団地化して、出入口を限定化してゲートを設けるなどして、農業団地に指定した地区の出入り口での、セキュリティーを高め、なかなか防げない農作物の一体的な防犯対策を行うべき時期に来ているようです。
 また、人の住む地域、農業専用地区を指定することで、山林、森林との棲み分けをして、山との共生を図るという感じでしょうか。
 
 人の定着が望める、集約された農業、漁業、林業の確立は、緑が復活した現在だからこそ、実現できるものであり、それは現金収入が得られるからと、山林を伐採したりや田畑を潰して太陽光パネルにしては、到底得られない人の営みを作り出します。
 経産省も資源エネルギー庁も長い目で見て、太陽光パネル(年々性能が上がっています)は、田畑山林などを潰すのではなく、家屋設置を推奨するなどの工夫も、考えていただきたいです。実際、コスト面でそれが可能な状況になりつつあります。

 少子高齢化が言われていますが、それでも団塊ジュニアが現役世代の今でしかできないこと、人が多くないとできないことが、数多くあります。
 おそらく、それは、少子化に完全に移行する前の今、農林水産業の地区を集約化し、かつ採算が取れる形で、安定化するように社会や地域を作り替えることではないかと思います。

 今年は、新しい記事を書く余裕がなく、これもとりとめない記事になりました。
 やはり年に一回程度は、芸術関連の記事を書きたいところです。
 
 皆様が、よい年を迎えられますように祈念します。

投稿者 : admin 投稿日時: 2024-03-09 (609 ヒット)
 さて、今年一番の問題として、私は、国内の世界自然遺産の自主的な登録取消し問題を挙げたいと思います。
 世界自然遺産に登録された地域は国内にいくつかあります。観光資源になっているのも事実かと思います。

 しかし、世界自然遺産に登録すると、指定地域には人が持ち込んだものを排除して「自然」の状態を維持しなければならない取り決めがあるそうです。
 具体的には人が持ち込んだものとは、ゴミなどに限らず、動植物まで含まれ、駆除の対象となります。つまり、当該地域に昔から生息していた動植物は保護するが、近年ヒトが持ち込んだ動植物は全部駆除排除の対象になります。
    
 東北にはブナ原生林の世界自然遺産があります。
 ブナの育成状態はネット上でもデータが公表されていますが、近年は凶作が多く、また開花が豊作の年も、結実は凶作、つまり花が咲いても実らない状態に陥っています。もともと、ブナ林は、豊作と凶作を交互に繰り返すそうですが、結実に関して豊作が少ない状態が20年程度は続いています。この20年はちょうどブナの新芽が若木になるのに必要な期間であるため、このデータはブナ林に若木が十分に育っていないことを示します。
 若木が育たなければ、現存するブナが寿命を迎えれば森が枯れる事態が想定されます。更にそれ以前の問題として、森の恵みがないので、森に依存して生息する動植物の生存が危ぶまれます。
 東北におけるクマ被害については、山の凶作が影響していると言われますが、実がならないブナ林では生息できないわけですから当然かとも思います。

 これは、温暖化の中で、従前の植物がその土地の気候に合わなくなりつつあり、本来であれば、森林の中で樹木の植生の交代がスムーズに行わるべきところを、急激な温暖化という気候の変化に森林が追いついていないため生じている、過渡期の現象と考えます。

 ところが、世界自然遺産の指定地域の中では、従前の植物が植わる森を維持しなければならないため、他の地域の植物の新規育成が排除されます。
 本来であれば、例えば、更に南限若しくは低い地域で生育するブナに変える、あるいは、ブナ林から別の樹木に植生が変わる、変えるのが望ましいし、それが本来のあるべき森林変遷の姿ですが、意味のない人間のルールにより、それが阻害されていいのかというのが、私の疑問です。
 樹木は成長や変化が緩慢なため目立ちはしませんが、自然任せだけでは、森林の樹木の種類の交代が追い付かない懸念すらある中、変化を排除するというのですから、長い目で見るとこれは「自然破壊」に他なりません。
 「自然を維持する」との名目で、木々の恵みを森の生き物たちが享受し、その生き物たちが木々に恵みをもたらすという森の循環作用の消滅を、ヒトが促進させているようなものです。温暖化による森林の変化は大きなものではありませんが、直接影響を受ける、森に依存して生息する動植物にとっては、死活問題であるとすれば、これらを配慮すべき段階に来ていると思います。

 ヒトは所詮ニンゲンにすぎませんが、ニンゲンの強みは、他の動植物に先んじて環境に対応きる能力があるところだと思います。

 世界自然遺産の認可に関わる担当機関の方々には、「自然保護」を提唱して、森の枯死すなわち「自然の消滅」という悲劇を生まないように、この「ヒトが持ち込んだ動植物は自然破壊であり、駆除しなければならない」という喜劇のようなルールに縛られることなく、環境に適応した自然の維持を考えていただきたいと思います。
 
 温暖化の影響により、全国的に森林の再生がされているかどうか検証すべき段階に入っていると思います。
 現時点の世界自然遺産のルールでは登録取り消ししか、救済方法はありません。

2024.3.16補足
 文明の黎明期における古代都市は、どこも当時は森林の中に存在しました。
 それが、メソポタミア、エジプト、黄河流域、黄土高原では現在では砂漠が広がり、逆に、中南アメリカ、東南アジア(若干時代は下りますが。)では、緑に飲み込まれていました。
 この二つの結果の違いは、南アメリカでは青銅器文化はあっても鉄器文化が入ってこず、人による森林伐採を免れたためと言われますが、東南アジアではもちろん鉄器文化も入っているので、この違いは、単純に森林伐採規模と伐採手法が原因とかと思います。
 旧約聖書の記載された動物の、その生態からすれば、当時のメソポタミアの人々が森林を完全に伐採したとは思えませんが、度重なる大規模な戦乱を経て、燃料となる樹木の大量伐採がされたことは想像に難くありません。
 どの程度の森林が消滅すれば、かつての大森林地帯が砂漠となるのか。その限界については、大いに興味があるところです。限界を超えないようにしなければなりません。

 近年、メキシコ湾流(暖流)の到達地点の南下による、北部ヨーロッパ沿岸部の気温低下や、海水の沈み込み現象の停止などが問題になっているようですが、アフリカのサハラ砂漠の拡大に変化はないことからすれば、暖流の発生場所であるメキシコ湾の変化、更には、その南のアマゾンの熱帯雨林の減少(森林から蒸発する水分の減少による上空の大気の水分の漸減の蓄積)が原因となっているのでしょう。北部ヨーロッパにおいては、温暖化は気候維持に資することになりますが、北米のハリケーンの減少などを見るに、ヨーロッパの乾燥化は避けられないので、やはり問題を解決するに越したことはありません。
他方、太平洋では、ヨーロッパとは対称的に近年黒潮(暖流)が北上していますが、黒潮の大蛇行もあります。気候の変化は決して他人事ではなく、特に、東南アジア、東アジアの森林伐採の限界として、マクロ目線で、どの程度までならば砂漠化、乾燥化が防げ、森林が維持されるのかについては、急激な開発が進む今、事前に考えておくべき事項です。

投稿者 : admin 投稿日時: 2023-09-13 (738 ヒット)
暦ではすっかり秋の季節ですが、残暑厳しい毎日が続いています。
ヨーロッパの戦争は未だに終わらないし、アフリカでは天変地異が連続し、問題山積という状態です。
地球全体の気温の上昇はかなりのものになっていますが、やはり、気になるのは海水温です。海水温が下がらなければ、空気も冷めず、気温も下がりません。地球表面温度の低下は気温上昇の抑制につながりますが、地球表面の6割は海ですから、海面温度を低下させることが、気温上昇の抑制になります。

では、どのようにして、海面温度の上昇を抑制させるのか。
常識的に考えたら(根本的解決方法かどうかは別として短期的視点では)、海水の攪拌または対流による海水温抑制だと考えます。

 簡単に考えれば、海面の攪拌装置をつけた船(あるいは、全ての船に攪拌促進装置をつけるなど)の航行により、海面温度の上昇を抑制することもあろうかと思います。
 更に進めて、深海部分から対流を起こさせて、海底と海面の海水を混ぜることで、海水温を低下させる方法もあろうかと思います。
 海水の対流現象が起きるのは、代表的なところでは津波ですが、南極の氷河の融解でも大規模な対流現象が起きるとの記事がありました(但しその論文の目的は異なる)。
 南極の氷河の融解は、比較的深いところで融解し、海水よりも軽い真水が上昇することで対流が生じ、更には氷内部の水疱(空気は水より軽い)が対流効果を高めるのだそうです。
 
 東アジアでは、福島第1原発の処理水の海の放出が問題になっていますが、今、世界的に渇水が問題になる中で、水利権が一切からまない大量の水が存在するのは、世界的にも日本でも例がないことだと思います。
 今だからこそ、大量の水を利用した何かができるわけです。
 
 同じように、処理水を海に放出するのであれば、海水温の上昇抑制を図るべく、一定程度の水深で、処理水を、気泡を含む氷の塊にして海に放出し、海面温度を下げる実験をするなど、地球に役立つ使い方というのはあるのではないかと思います。
 効果的な海水温抑制のための実証実験は必要でしょうが、今のように汽水状態にして放出するより意義があるのではないかと考えます。
 
 目先の視点、国民の意見にとらわれすぎると見えてきませんが、ここまで気温上昇が進むと、思い切った方策が必要です。大胆な利用方法を是非検討していただきたいところです。

2023.11.5補足
 温暖化対策の長期的懸念はあるが(本来寒冷化傾向にあるはずの地球の気候に対する影響が不明なため。)終局的な解決が、地球外に熱を放出すること(いわゆるCO2の排出削減)であれば、海の蓄熱作用(海面をほどよくかき混ぜることにより、温度の低くなった海面に大気の熱を取り込むこと。)により、大気を冷やすとともに、海面表面の異常な高温状態を解消するというのは、現実的だと思いますが、誰も何も提唱しないので、独自に実践方法を考えました。
 最近アクシデントにより40時間も船の中に缶詰めになった実体験から、船は基本的には水面を水平にかつなるべく揺れずに進むよう設計されるものであると理解しました。
 そのため、いくら船を出しても、海面の撹拌にはつながりません。例えれば、南極海で行われていたクジラ漁で生じる荒波の中では、乗り心地は最悪です。(今は昔ですが、南極海の氷が急激に減少しているのは南極海の撹拌が行われなくなったからでしょうか。だとすれば、ヨーロッパの環境保護団体は美術品に塗料を投げるのではなく、南極海でクジラと戯れ、クジラに海水を撹拌してもらうことではないかと思います。)
そこで海の撹拌は、長さと一定の幅のある備中鍬(鋤ともいいます)様のものを船に係留して撹拌するのもいいかと考えました。
 これはまさに海を耕すようなものですが、その範囲が広いため、多額の資金が必要です。最近鳥島近海で起きた津波のような急激に気温が下がる効果は生じないとしても、ニンゲンが実現できる実践的方法なのではないかと思います。

 ヨーロッパの戦争は終わらず、また、イスラエルでは紛争というか一方的な破壊なのか、よくわからない事態になりました。
 この地域では予算が潤沢な国々は海水を真水に還るプラントで水を確保しているとしても、死海の湖面の異常低下はとどまるところを知らず(海抜より湖面が極端に低く、湖面の低下はその地域の伏流水の枯渇がかなり深刻な状況にあることを示します。)、井戸を掘っても地下水の枯渇により、おいそれとは真水は出ず、どう考えても、地域全体の乾燥化が進行し、そのため温暖化の影響をより大きく受けやすい地域だというのに、対策を放置してニンゲン同士の紛争に熱を燃やしていますが、優先順位が逆だと思うのは、私だけでしょうか。
 短期的な問題解決も重要ですが、破壊活動と人身被害では何の解決にもならないのは歴史的真実です。端緒はコロナ禍の経済混乱にあるようですし、長期的な解決策の実践が一層重要になるということでしょうか。
 11月に東京は25度を超える夏日が続きました。晩秋に、夏日はとてつもなく異常です。
 少なくともアジア地域では一致団結して、異常気候の解消を何より優先的に取り組んでいただきたいと強く希望します。

2024.6.21追記
 ガザの報道を見るにつけ思うことは、憎しみや強いイデオロギーが根源にあれば、仮にその人が殺害されたとしても残された人が脈々のその意思を引き継ぐこと、何人殺害してもそれを排除できないこと、また相手の価値観に立ち、あるいは共感を得られる程度の共通認識下に主張しなければ、その主張は砂上の楼閣に過ぎないことを、攻撃側の首脳部がいつ理解するのかということです。
 過去の歴史の特定の宗教信者を狙った悲惨な弾圧と、ガザへの一方的と評価しうる無差別としか思えない攻撃は、方法や結果においてどこが違うのでしょうか。
 敢えて付言すれば、もはや戦闘状態とは言えない状況下での殺害を、何を根拠に正当化できるのか、そもそも特定の組織構成員であることをもって、なぜ殺害が正当化されるのか、どういう法的正当性が与えられるのか、大変疑問を感じるところです。
 ハマスは、ナチスと全く異なる組織であり、超法規的措置を執る正当性は全くありません。もちろん、構成員の疑いだけで、殺害が容認されるはずがありません。
 先日解放された捕虜の方の報道を見て、そこに住まう人々の悲惨な状況は無視されて、裕福な社会の基準・価値観からの報道が真実かのように受け止められる現実に、何とも言えない気持ちになったのは、私だけでしょうか。

投稿者 : admin 投稿日時: 2023-02-25 (746 ヒット)
 最近自然災害を何かにつけて、温暖化のせいにしてそれで終わるような報道が目立つようになりました。

 スイスの、雪が全く降らないため、山道にだけ雪をかき集めバックカントリーをしているスキーヤーの報道や、パキスタンの大洪水等が話題になりましたが、温暖化問題を考える際にはまず国内問題も解消する必要があります。
 例えば、パキスタンで言えば、世界最難と言われるK2登山の難所で登山待ちが出たとの写真報道がありましたが、おそらくコロナ解禁で外国人が大挙して山岳地帯に登山にやってきた結果の一つと思われます。
 大洪水に、これらの北部山岳地帯の外貨獲得政策の影響はなかったのか。今年はきちんと入山規制ができるのか。
 
 これも他山の石となりますが、ヨーロッパアルプス山脈の氷河の急激な消滅という衝撃の現実を前に、限りある資源である山岳地帯の氷河を少しでも残すため、また急激な雪解けをさせないために、パキスタン政府ができること、すべきことがあるはずです。
 今年は、是非とも、昨年の二の舞にならないよう期待したいと思います。
 
 温暖化の象徴ではありませんが、冬季北京オリンピックの人工スキージャンプ場は、今の冬季オリンピックの限界を象徴させるものだったと思います。
 冬季オリンピック競技のすべては道具を使ったり利用する競技で、自然での競技を予定しないし、人工施設の建設はあたり前だと言われればそうなのかも知れません。が、温暖化の中競技人口がもともと少なく、今後は更に限られることは必至なのですから、冬季オリンピックは一時中断し、冬季競技のうち通年開催可能な競技のみ夏季オリンピックと統一化して存続させ、かつ、夏期オリンピックを気候のいい春や秋の開催に変更する段階に来ていると思います。

 素朴に言えば、今の時点で、既に限定的な地域の限定的な競技人口しか存在しないのに、膨大な予算をかけてそのための競技施設を作り、競技を開催する意味があるのか疑問です。

 個人的には、ユーラシア大陸西側やアフリカにおいては、戦争継続のため武器商人に支払う予算や冬季オリンピックの予算を、温暖化対策に回すべき、予断を許さない事態が、今この時に起こっているとの意見に賛成です。

 その上で、例えば、アフリカであれば、サハラ砂漠拡大の原因となっていると思われる北アフリカの山岳地帯の乾燥化を食い止めるための森林化の促進(但し、単純な植林ではなく、更地から森林へのプロセスを促進するだけの、その温暖化により変化した気候に合致した、草木の育成から始める森林化促進)や、ヨーロッパであれば山岳地帯の氷河の保護・保持なのだと思います。
 
 20数年前本州のスキー場でパウダースノーに出会えるのは数えるほどだと理解していましたが、今ではさほど高度もないスキー場がパウダースノーを売りにしていると知り、乾燥化は他人ごとではないと痛感しています。

投稿者 : admin 投稿日時: 2023-02-25 (791 ヒット)
 トルコ大地震の犠牲になった方々に謹んでお悔やみ申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。
命あっての物種です。建物のために人が死ぬようなことは最小限に抑える必要があります。耐震基準を満たしていない建物の犠牲者に関しては、人災であることを肝に銘じ、相互に耐震基準を守っていく必要があります。

なお、日本では、鉄筋コンクリートが急速に普及し始めたのは、関東大震災後と言われます。その前は、石造りの建物は石積み構造だけで、配筋の発想はなかったようです(なお、石積職人の技術による石造の建物は、単純に石を積み上げるだけのものではなく、力学的に有効な工夫をしています)。
つまり、今回のトルコの崩壊建物と同様に、建物強度をその石の厚み(今回で言えばコンクリートスラブ厚)で確保したために、建物により人が亡くなってしまう悲劇が起きました。
 10年以上前ですが、関東大震災後に次々と建てられたRC造の復興小学校の解体が近所でありました。解体現場の配筋の数、太さは特筆すべきものでした。また解体前の建物のコンクリート強度も未だあり、ひび割れも見かけられませんでした。私が通学した戦後高度成長期に建築された鉄筋コンクリートの小学校より、余程耐震性能があったかと思います。 
 これは、当時関東大震災の教訓を生かし建築した結果ということなのでしょう。
 トルコ地震においても、今後の教訓として耐震性能の確保は、鉄骨、鉄筋、配筋、メッシュ配筋による強度の補強により耐震性能を確保することが肝心かと思います。
 
 ところで、今時の耐震技術は免震や制震構造であり、レトロなところ(1500年?前の耐震技術)で心柱による制震構造などがあげられますが、国内の多数の建築物は、そこまで予算を掛けられない、ただのSRC造やRC造やS造なわけですから、今回のトルコ地震を、他山の石とし、建物建築時の建築基準法遵守を堅持する必要があります。

 近年、トルコ政府が弁護士を弾圧していたことは報道知識として知っていました。
 一連の報道記事にあるトルコの建築規制を骨抜きにした官民癒着に、トルコの弁護士弾圧が影響しているのであれば、本件を教訓にトルコの弁護士の方々に、弁護士の存在意義を世論に問い、建築規制の遵守の活動を活発化させていただきたいと思います。

(1) 2 3 4 ... 25 »