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投稿者 : admin 投稿日時: 2008-02-10 (3066 ヒット)
さて、私は、弁護士の激増には反対と書きましたが、そういうことを書くと、「弁護士業界は現代のギルドであり、閉鎖的職業の専横」と言われますので、弁護士増加を前向きに捉えて(年間3000人増員しなくても、年間1500人の増員は決定的なので)、弁護士が増員されることによる、弁護士のメリットについて触れたいと思います。 

弁護士側からするところのメリットとしては、弁護士会としての組織力が格段についたため、地方行政のみならず、国家行政にも大きな影響力を持つことになることです。
 もともと、弁護士は顧客層が幅広く、支持母体が多岐にわたるので、産業界のように金の力にものを言わせられなくとも、票動員力はあったのですが、自らが巨大組織となることで、組織そのもので主体的に行動できるようになりました。

 また、弁護士業が一生の職業でなくなったために、弁護士経験を生かして、多方面特に政治家などへの転身が広く行えるようになったことも特色かもしれません。
 近年の弁護士出身の国家元首の多さも、弁護士の多方面への活躍の可能性を裏付けるものです。
 韓国の前大統領、イギリスのブレア元首相(正確には国家元首は女王でしょうが。)、アメリカのクリントン大統領、アメリカ民主党のオバマ、クリントン両候補も、皆さん弁護士出身です。
 ちなみに、クリントン候補は、弁護士時代医療過誤を専門にされていたとか。それで、今回の「国民皆保険」の公約がでてきているのかも知れませんね。
 (アメリカでは、現在、日本のような健康保険制度がなく、救急外来の診察のみが無料で、救急外来(ER)制度の破綻が社会問題になっているようですが。)

 弁護士の業務は、企業相手の企業法務だけでは、企業のことしかわかりませんが、一般市民相手の業務の場合には、今までの自分の生活では体験しない、およそ接触しない人々と直接話しをしたりする機会を持つことで、多様な社会層と直接接することになり、国家や地方行政をどうあるべきか、すべきかを考えてしまう、そんな職業です。
 つまり、言ってみれば、市民相手の弁護士など、法律の限界を日々、感じ、また自分の仕事の限界を感じ、「こう法律を変えれば」「こう法律を変えて、こういう方向に持って行って欲しい」と考えてしまいます。
 利権が絡まない分政治家より、またしがらみがない分、役人より、ずっと率直に、国家、地方行政を考えざるを得ない職業なわけです(もちろん、それで誰もが政治家を志すわけではありませんが)。

 こういうことは、今までの、例えば、私が弁護士になった頃の1万2000人体制で、他国と同様に弁護士が政界に進出できたかというと、それは否でしょう。仕事が多すぎ、辞める選択がありませんので。
 だから、現在の弁護士3万人体制が悪いとは思いません。

 なお、一般に、批判される「2割司法」、つまり人口の2割しか弁護士がおらず、他国に比べて、極端に司法サービスが劣っているという批判には、根底において、大きな誤りがあります。
 そもそも、日本には、法律に携わる業種として、弁護士、税理士、司法書士、行政書士がいますが、これ全て、他の諸外国では、「弁護士」が行います。
 したがって、「弁護士の職務領域の就業人口」の比較でいえば、日本は他国にひけをとらない人口(一説には多いという話しもあります)を抱えています。
 行政書士、司法書士、弁理士、税理士などは、そもそも、弁護士の人口が少ないことを背景に資格制度が始まった面が多分にあり、その意味では、いずれ資格を弁護士資格に一本化する統合論が出てくることになるのでしょう。
 
 ただ、現実には、これらの士業も諸外国では弁護士しかやらない業務をやっているのは事実ですから、諸外国との弁護士人口の比較は、「弁護士の職務領域の就業人口」で比較するのが、正しい比較であり、そうであれば、2割司法という批判は、全く該たりません。

投稿者 : admin 投稿日時: 2008-02-10 (1829 ヒット)
2月8日に日弁連選挙がありました。
日弁連とは、日本弁護士連合会のことで、弁護士であれば、大学教授あがりの弁護士だろうと(今はもうこの制度は廃止されましたが)、裁判官、検事あがりの弁護士だろうと、全員強制加入しなければいけない組織です。
私が弁護士になった12年前は、弁護士の数は1万2000人程度だった気がしますが、今や全国3万人に届くのが目前となりました。そろそろ3倍ですかね。すぐに4倍、5倍になるそうですが。
司法書士、土地家屋調査士など他士業の人数とは、比較にならない程増え、いずれ税理士の人数に匹敵する、一大組織・意見・政策集団となるのは確実です。
 弁護士は、増えた方がいいのか、そのままでいいのか。難しい問題です。

ただ一つ言えることは、弁護士会としては、数のパワーが確実に増すという意味で、増員は望ましいことではあるのは間違いありません。一士業の選挙結果が、写真入りで新聞記事になった例は、他に例を見ないし、日弁連選挙でも今までほとんどなかったのではないでしょうか。
個々の弁護士としては、いろいろ意見はあるでしょうが、企業法務を主としてやっている弁護士(今回選出の弁護士がどういう経歴をお持ちかは自ずとわかるでしょうが)には、数のパワーという魅力は捨てがたいでしょう。
一人の弁護士が支払う弁護士会費(単位会、連合会会費を含む)は最低でも年間約50万円、3万人いれば、ざっと150億円。毎年すごい予算が動きます。増員は、予算激増の強力確実な手段です。

 こういうところは、開業医が中核を占める日本医師会とは、性格を異にします。 

 さて、私は、「弁護士は増員すべき」というこのような新聞の意見は真摯に受け止めるべきだと思います。
 しかし、この筆者は、以下のとおり6つ根拠をあげますが、これは理由として適切ではありません。これについて、実際を細かく検討していきたいと思います。

増員理由1 230ある地方裁判所、支部の管轄地域で、弁護士事務所が3以下のところが、90カ所近くある。

 確かに、こういう統計データが出ています。
 しかし、近年市町村の統合合併などで、ずいぶん市町村数は減りましたが、裁判所の支部はほとんど減っていません。
 最近は、過疎が進行し、高齢者が大半を占め、集落の消滅が危惧される、限界集落の問題が話題に上がっていますが、支部の多くは限界集落を抱えています。地方の人口全体も確実に減少傾向にあり、人口が減ると言うことは、人と人とのトラブルも減り、調整弁としての弁護士のニーズも減るのです。
 また、今でこそ、都市部では弁護士がトラブルの調整弁としての役割を期待されるようになりましたが、地方の支部で、どの程度、弁護士が介入すべきトラブルがあるのでしょうか。
私の経験によれば、支部の方が「町・村のことは村・町で解決」「よそ者(その町村出身ではない弁護士)は口を出すな」パターンが多いと感じましたが、そんなに、よそ者に頼るニーズが出ているのでしょうか。
 この統計は、よそ者(弁護士)に調整弁を期待しない地方の特殊性を反映しているものではありません。また、限界集落、過疎を多く抱え、ニーズが減ることはあっても増えることはない支部の特殊性を殊更、無視しています。
  
増員理由その2 法テラスの弁護士の人数が足りない

増員理由その3 法律扶助事業をするのは全弁護士の4割未満

 そもそも扶助事業は、法テラス専属ではない一般の弁護士もやっています。
 私は、法律扶助の事件もやっていますが、事件件数が極端に多い東京でも、法律扶助の事件のなり手がいないということは実際にはありません。
 法律扶助は、一部国費による事業で、「勝訴の見込み」が扶助の条件のため、希望者全員が受けられるわけではありませんが、これは、かの国以上に訴訟社会にしないためには(かの国でも、あらゆる訴えに扶助が受けられるわけではなかったはずです。)、勝ち負けにかかわらず訴訟が乱立する状況になることを阻止するために、必要なことです。
 また、新人の法テラスの人数が少ないのは、設立間もないので養成体制がないこと、養成後のバックアップ体制がないことも影響しています。法テラスは、国の機関でありながら、そこで働く弁護士は、公務員ではありませんし、出向している検事とは歴然とした待遇差があり、弁護士の公益活動たるはずの弁護士会の活動が有給休暇でやるなど、本末転倒な処遇がされています。
 弁護士の場合には、公益活動は既に義務化されている時代に、誰が考えたのか知りませんが、「仕事だけこなせ」では、いくら何でも、人は集まりません。
 ですから、この数字・評価には、法テラスの実態や応募が少ない理由が一切無視されていること、扶助事業のニーズを無視し、短絡的に全弁護士の4割未満しか扶助事業に携わっていないから、司法需要を満たしていないとする点で、誤りがあります。

増員理由その4 国選弁護を担当するのは、全体の半分強

増員理由その5 今後、刑事弁護の比重が増すから心配。

 現在東京では、国選弁護のなり手が多く、回数制限(一人の弁護士が受任できる数を制限しようとするもの)が議論に上がっています。仮に、国選弁護を担当したのが、全弁護士の半分強だった年があるとしても、国選事件がなければそもそも国選弁護事件を担当しようもないわけですから、「国選弁護を担当するのは、全体の半分強」という統計の数字は、何の意味もありません。
 「今後、刑事弁護の比重が増すからこれでは心配」に至っては、全く納得いきません。この社説の筆者は、裁判員制度の利用があった国選弁護であったとしても、受任するのは原則1名の弁護士で、国選報酬は、所要時間で割れば時給1万円いけばいい方で、さっきも書いたように国選弁護には受任制限があるので(だいたい多い人で年間10件程度。但し、地方は、それなりに多い。)、東京では国選で年間70万円くらい貰えれば多い方であることを理解しているのでしょうか。
 今回の裁判員制度の導入で、多額の国費が動きますが、裁判員制度は弁護士に特に予算を組んではいないようです。
 取り調べの可視化が期待できるなど、手続面での進歩がいわれているだけです。
 しかし、先に書いたように、国選弁護を受任する体制は実際にはありますので、裁判員制度が弁護士が原因で機能しないことはないと思われます。

6 単価の安い仕事をやりたがらないだけ。

 これは、実際には、ないですね。そもそも、国選弁護の単価は安いし、法律扶助も単価はかなり安いですが、受任弁護士は存在します。

 誤っている前提で、「弁護士は多すぎない」と論じられても、それは議論ではありません。新聞の記事なわけですから、きちんと調査の上、「弁護士は多すぎない」と論じて欲しいものです。


 今後、日本が国際的に国際社会にとけ込み、また、国内的にも多民族社会になるためには(いいかどうかは議論があるのでしょうが、人口減少時代には移民受け入れで対応するのが諸外国の例です。)、グローバルスタンダードの調整役としての弁護士が必要であるのは明らかです。
 
 今までの「おらが村のお偉いさん」がトラブルを解決したでは、国際的には誰も納得はしないでしょう。ただ、その適正人数については、このまま、激増が妥当なのか疑問です。


 ところで、アメリカ帰りの方などは、日本の、東京の弁護士の感覚では、弁護士同士の話し合いで解決なりするものも、いちいち裁判を起こします。いちいち裁判が起きても、弁護士が少なければ対応できませんから、やはりそういう世の中では、弁護士が多い方がいいに決まっています。

 映画「フィラデルフィア」ではないですが、日本も、アメリカ並みに、何でも裁判をする世の中になる日は、遠くない未来に確実に到来します。

 
 ちなみに、アメリカの弁護費用は、日本の倍以上のようです。弁護士の数が多い(アメリカは弁護士人数×時間×料金で算出される時間制料金なので、無駄であっても多い人数が張り付いた方が多く料金を請求できる)からとも言われていますが。アメリカ並みになるのですから、仕方ないですね。

投稿者 : admin 投稿日時: 2007-11-19 (1869 ヒット)
1 先日出された幼児の足音の騒音について
  この前、上階に住んでいた若夫婦の2歳くらいの男子の幼児の足音が騒音であるとして、30万円の損害賠償請求を認容する東京地裁の判決が出たそうです。
  この判決が出たときには、公園の噴水に騒ぐ子どもの声がうるさいとして、噴水の水の差し止めを求めた仮処分の決定が出たのと同時期だったので、結構ニュースでも取り上げられました。
  日常的に、このような相談を受ける立場としては、少々納得のいかない判決です。
  問題点は、下記のとおりです。
? 子どもが出す騒音とはどういうものか
  2,3歳の男の子の体重は、だいたい15キロ程度。4歳の成長曲線がマックスの幼児で(つまり医学的肥満児クラス)で19キロ程度とされています。
  幼児が思いっきりドンと音を出しても、2,3歳児の身体能力・・・そもそも飛ぶことがほとんどできず、助走、跳躍が期待できないことからすれば、局部集中荷重がなされたところで、体重の倍の荷重は恐らく困難です。
  とすれば、このような幼児が「どすん」とやっても、体重40キロの成人か「どすん」とやる方がよほど床に体重がかかることになり、騒音になるはずです。
  にもかかわらず、大人の廊下歩行は問題なくて、幼児の歩行のみ問題となるという建物は、果たしてあるのでしょうか。
  元気のいい小学生中学生の男の子だったら話がわかりますが、いくら男の子でも幼児の足音だけが、突出して騒音になることはちょっと考えられません。

? 階下に響く音があったのか
  朝のワイドショーでは、どこかの局が実際の騒音を流していました。
  音の大きさは、録音状態によるのでひとまずおいておくとして、問題は足音の間隔です。幼児の身長から考えられるところのだいだいの歩幅を想像するに、小走りで、わざと階下に騒音を出すために「どん」と飛び跳ねているというより、「てけてけ」歩いている程度でした。
  子育てはあっという間に終わるので、あまり印象がないかも知れませんが、あんよを始めたころの幼児(1歳から1歳半)は、会話ができません。医学的には2歳までに走れることが発達の目安になっています。「走るな、歩け」の言葉がわかるのは、2歳後半か3歳くらいのことではないでしょうか。
  判決では、「子どものしつけは必要」などと判示があったそうですが、これって、本当にしつけの問題でしょうか。会話も満足にできない可能性がある幼児に対して、しつけができたのかどうか。
  「てけてけ」するなは、しつけの範囲でしょうか。
  また、夜更かしをして夜間足音がするのは問題があるかのように判示したとのことですが、共働き世帯では、また保育園にはお昼寝タイムがあることから、9時の睡眠などざらだし、夜起きてきて(親にとっては起こされて)水などを飲むことは、この年齢なら結構あると思うのは、私だけでしょうか。
  専業主婦が家で一日中子どもの面倒をみるという昔ながらの生活スタイルだけで、「しつけ」とひとくくりにして欲しくないですね。

? 騒音と認定された理由
  ではなぜ、今回、騒音と認定されてしまったのか。
  騒音計70デシベル(60でしたか?)という客観的事実を否定できなかった点が上げられるでしょう。
  裁判においては事実認定は重要で、町の街頭にある騒音表示に比べると、結構な音がしているような気がします。しかしですね、特定の音源を拾わない街頭騒音と音の発生源を瞬間的に捉える音の測定とでは、場面が違うと考えます。
  私は、通常の使用により不可避的に普通に発生する生活音と、それ以外の騒音は、受忍限度としても分けて考えるべきだと思います。
  今回のような生活音に関連する音については、もう少し受忍限度の範囲を広く捉えて良かったではないじょうか。

  これは、公園噴水の水差止めの例でも言えます。
  公園の設置がその人の居住より後だった場合には、騒音についての制約はそうでない場合より、より厳しくなるのが傾向としてあります。
  しかし、深夜にバイクの音がうるさいのは、予定された使用方法ではないとしても、公共の公園に日中不特定多数人が出入りするのは、公園の通常の使用方法なわけですから、受忍限度は広く解釈してもよかったのではと思います。
  また、公園で、子どもの声が聞こえないように完全な遮音壁など作れば、日照(高い塀ができる近隣の被害)、防犯面(公園に目が届かなくなり、誘拐、その他の犯罪が発生)でのデメリットはどうなるのでしょうか。対立利益についても検討していただきたいものです。
 
2 防音対策
  ともあれ、ご近所トラブルは、常日頃つきまとうものです。
  どうすれば、これをなるべく避けることができるのか。
  今回の原因は、私は建物の構造にあると考えます。まずは、防音対策を取りましょう。
? ジュータンを敷く。
  フローリングにクッション代わりになるものを敷くことで音の衝撃はずいぶん小さくなります。
? 床材の交換
  今は、L45等級などいい床材もある程度安くなってきています。
  遮音性のあるフローリング工事をすることも効果があります。賃貸であれば、大家に階下から苦情があることを伝え交換してもらうようにしましょう。
? 断熱材の床下挿入
  フローリングとコンクリート床の空間の空気は、時に音を拡大させる効果があると言われています。太鼓現象と言われるものです。遮音性のため、断熱材を床に敷き詰める方法も行われています。

3 入居前対策
  しかし、そうは言っても、木造のアパートだったり(特に、居住用をアパートに作り替え、遮音構造を取っていない場合)、古いコンクリートマンションで畳の間だったところをいい加減なフローリングのリフォーム工事をして遮音性が悪く、音が筒抜けだったりする場合などもあります。
  建物の構造からくる騒音は、実際には、否定できません。
  普通に室内を歩いても、フローリングの上に2重にカーペットを敷いても、苦情を言う人は苦情を言います。苦情が出るからには、おそらく何らかの音は聞こえると思われます。
  しかし、このような場合には、自分たちも階下に迷惑がかかっているかも知れないからと、よほどひどい場合でなければ文句を言ったり言われたりしないのが一般的です。
  したがって、文句が出るのは、階下の住人がいない場合、マンション暮らしに慣れていない場合に出る苦情が考えられます。

  先程のケースに戻ると、どうも訴えていたのは高齢者で(早寝をするため、生活スタイルが異なる。) 、1階に住む住人ということですから、一番苦情が出やすいパターンだったかも知れません。
   
  教訓として、子育世帯は、ファミリータイプでしかも高齢夫婦が階下に住んでいない、あるいは住まなさそうなところを買ったり、借りたりするということでしょうか。
そう考えると、少し高めのところを買ったり借りたりする方がいいということになるのでしょう。

  時代は、少子化対策というのに、これでは、先が思いやられるというのは、私だけでしょうか。
  これからは、社会に占める高齢者の割合がますます増えていき、必然的に高齢者主体の社会になることは、避けられません。
  しかし、仮にそうであるとしても、国家基盤の維持という長期的展望を視野に入れ、多数派を尊重しつつ、国策を加味した判断をしてもいいのではないかと考えます。
・・・高齢者世帯も、ゆくゆくは耳が遠くなりテレビ騒音その他の被害を近所にふりまくことも考え、お互い様の意識をもっていただきたいと思います。

  裁判官の多くは、官舎に住みます。官舎は、基本的に造りが頑強で、外廊下以外に足音の騒音などはほとんどないが、造りが古く、配管騒音(排水に空気が混じると音が出ることから、今時の新築建物であれば、空気抜きをきちんと設置することで配管音を防ぐようになっています。)などは逆に残っている特色を理解しつつ、巷の実情も知って貰いたいと、こういう報道をみて思います。

投稿者 : admin 投稿日時: 2007-11-05 (4585 ヒット)
 カルチャースクールがいろいろ開講され、全盛期などと言われています。
ある程度の期間開講が予定されている場合で、「月謝の支払いは、口座引き落としでやります。」といわれる場合があります。

 ところが、口座振替兼入会申込用紙の内容には、かなり問題がある場合があるのでご注意下さい。
 
 用紙の表題は、「預金口座振替届出書兼譲渡承諾書」というものがあります。
 つまり、これは、料金収納代行に対して、収納だけではなく債権譲渡を同時に行うことになります。
 債権譲渡させる程度は、まあ、仕方のないものなのかも知れません。
 
 ところが、最近これに、「異議なき債権譲渡承諾」の文言を入れている業者がありました。
「現在及び将来取得する私に対する債権を上記の会社(代行収納会社)に譲り渡すことを予め異議なく承諾します。」という文言に対して、署名、押印させるのです。

 「異議なき承諾」は、民法上468条1項で明文で規定がある法律用語です。
 異議をとどめない債権譲渡の場合には、例えば、代金に見合う授業日数を受けられなかったなどの債権譲渡人すなわちカルチャースクールの主催者に「抗弁」がある場合でも、開講期間に相当する月謝について、予め債権譲渡がなされると、抗弁を対抗できず、全額につき支払い義務を負うというものです。

 2年契約の場合には、例え月謝性の支払いがあったとしても、下手すると意に反し収納代行会社に対して2年間の月謝支払い義務を負ってしまうので、途中退会がしにくくなるわけです。
 最近会社更生法上の申請をした大手英会話スクールの場合を例にとれば、当初の予定していた受講期間が未了で、授業が成立していないのに、債権譲渡を受けた譲受人に対して、受講期間全期間の支払い義務を免れないことになります。

 もちろん、カルチャースクール側の説明は、月謝制であり、退会は前月10日までに告知すればいいということになっていますが、これ、事実と異なる場合も出てくるわけです。
 特に、事業がフランチャイズ事業で、事業の実施主体の経営基盤が脆弱な場合には、倒産危機をすべて受講側に負わせることにもなりかねません。

 なお、クレジット会社が、料金収納代行ではなく割賦販売として関与している場合には、特商法に基づく抗弁接続などが主張できますから、上記のような不都合はありません。

 上記問題点は、これが純然たる債権譲渡で「異議をとどめない」としていることに、特別法の適用がない問題があります。
 将来発生する債権について「異議をとどめず」、債権譲渡を承諾することなど、机上論と思っていたのですが、こうやって、何も知らないまま、異議なき承諾がなされていったりするのですね。

 「将来発生する債権」に対して、将来にわたって、何も文句がなくちゃんと債務を支払いますというのが、異議をとどめない承諾の意味ですが、将来、何が起こるかわからないから、こんな承諾、知っていれば、やりません。
 が、満足な説明なく、こういうことがまかり通り、最終的に裁判となれば、原則として、署名押印があることをもって「異議なき承諾は有効」とされる厳しい現実が待ち受けています。
 
 口座振り替え手続きについて、そりに署名押印すると何に承諾することになるのか、署名押印欄について前後の文章をよく読み、十分注意して下さい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2007-08-20 (1063 ヒット)
 さて、大地震が起きました。その時、あなたは何をしますか。

私が見たところ、3つのパターンがあったようです。1 それまで継続していた日常生活を続行する、2 非常時に応じた対応をする、3 起こった出来事に呆然として、何もしない、あるいは、できない の3つです。

1 は、例えば、井伏鱒二の小説「黒い雨」の中で、市電に乗り合わせた女性が、原爆投下直後というのに、今日やらねばならない仕事があると言って、爆心地に出向くようなのが典型例です。私も、震災当日、動かない電車の線路をスーツ姿で、鞄を持って歩いていく人を見かけました。とりあえず、出勤しようとした人は、少なからずいました。

次に、2ですが、地震直後より、近所の学校などに避難する、近所の救助にあたるというケースです。当時の神戸には、関東のように、広域、一時を問わず避難場所の指定はありませんでしたが、それでも、近所の学校に人が詰めかけました。
 なお、引火の処理をちゃんとせずに避難を先行させると、延焼が拡大するのは、この前指摘したとおりです。

最後の3は、あまりのことに放心状態になっているわけですが、ともすれば、人はこうなります。

 日頃、2の行動をと言われていますが、思ったより、全然できません。事前の準備と心づもりが必要です。

 
では、警察や消防、行政は何をしていたのか。
 
警察は、交番のお巡りさんは地域巡回をしており、被害の状況を知らせていました。後で聞いたところによると、警察では、地域巡回の他は、大量に運び込まれる、死体検案で大変だったそうです(地震の死者は、病死でないため、原則として行政解剖を行った上で、死亡証明書の発行を受けなければ、火葬できないため。)。
 
消防は、道ががれきでふさがれる、道路が波打っていて通行できないなどで、道路事情が悪かったこともあり、また火事の数が当日、はんぱでなかったせいもあり、当日、消防車の出動は、近所では、ありませんでした。
 
行政は、避難所になった学校への水、電気、電話のライフラインの早期復旧(ガスは遅かった。)、一括ではなく、区画ごとに細分化してゼネコンに道路整備を発注し、早急に道路の復旧を実現し、建物が倒壊したがれきの山の撤去を進めるため、素早い補助金の決定と倒壊診断の実施をしたことなどがあげられるのでしょうか。
 
ちなみに、裁判所も検察庁もすぐに業務は再開しましたが、民事裁判は当事者が出席できないなどの事情があり、すぐには再開されませんでした。

 一市民として、公共サービスに不満がないわけではありませんが、みんながやれることを、やっていたわけで、これについて、文句を言うことはできません。

 
 阪神大震災以降、大地震の被災地には義援金や援助物資の募集が当たり前のように受け付けられ、それとともに、行政主体でボランティアの受け入れ、炊き出しなどが当たり前のように行われることになりました。
 阪神大震災を教訓として、更に一歩進んだ、非常時に則った、あるべき非常時の行政の姿を、再考してもらえればと願っています。

 最近、ある自治体が作成したマンション向けの防災パンフレットを読みました。
 読んだ人が不安を持たないよう細心の配慮がなされた内容で、ある意味、それは功を奏していましたし、それに批判を加えるつもりはありません。 
 しかし、水道が復旧しないため、水くみに、キャリーカートに積んだポリタンクで(水を入れるとポリタンク2つで、5、6キロになるでしょうか。) 往復しなければならず、電気の復旧、エレベータの復旧まで階段で持ち上げなければいけないとか、それができない人は、マンション暮らしができなかったとか (・・・とすら、はっきり書かれていませんでしたが)、だけではないのではないでしょうかね。
 せめて、停電になって警報装置が作動しない場合には、自治会が率先して各戸を周り、異常がないか確認するとか、マンションだからとさっさと火事も放置して避難所に行っては駄目だとか、最低限必要な、実践的なアドバイスは、挙げればたくさんあるはずですが。


 神戸の震災は、実際には、その地形の特殊性もあり、西神、概ね阪急から北の六甲山麓、阪急からJRまで、JR以南、埋め立て地の臨海部のマンション群ではそれぞれ被害の程度、傾向も異なりました。
 また、木造戸建て、コンクリート建物でも被害が異なり、一口には語れません。
 震災から10年以上経過した今、事実を事実として受け止めて、客観的事実分析の下に、あの惨事の教訓をこれからに生かす必要が、全国的にあると思います。そろそろ周期と言われて久しい東海、南海も含め、備えるべき地域は結構あるはずです。

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