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投稿者 : admin 投稿日時: 2007-08-17 (1775 ヒット)
さて、建物倒壊と言えば、全壊、半壊、一部損壊の3つにより、分類されますが、全壊には程度があり、木造建物の場合では、次の分類が正確ではないかと考えます。
1 柱が崩れ(なくなり)、小屋組の痕跡もなく、屋根があるもの
2 柱が崩れ、各階の床から梁まで空間が確保されていないが、母屋から上の小屋組、屋根は存在するもの。
3 柱はゆがんでいるが、完全に倒れておらず、各階の梁までの空間が確保されているもの
4 建物自体は一見すると損害がないように見えるが、傾斜地などにあり、法面の崩壊があり、基礎が露出し、基礎部分が一部崩壊しているもの
・ ・・・・以上、すべて全壊建物になり、建物再築の必要があります。

しかし、中に入っている人の生存の程度には差があります。
1、2は、建物崩壊による、圧死の危険がありますが、3,4では、建物崩壊による圧死の危険はより少なくなります。仮に、全壊建物となっても、できれば、1,2の状態を回避しなければなりません。

3,4で、圧死で死亡するケースは、積み上げていた重い物が頭上に落下したとか、家具が倒れてきたなど、室内家具が原因での圧死が考えられます。
2段に分かれるタンスも、強い縦揺れにより、上段が外れて落ちます。一体型のタンスの場合には、タンスが斜めに倒れてくるだけなので、タンスの全重量が落下点にかかることはありません。しかし、2段に分かれるタンスの上段が外れると、タンスの全重量が落下点にかかるばかりか、左右どちらかの角が先に落下すれば、一点にかかる重量は、より大きくなり、結構衝撃がありますから要注意です。タンスは中に物が入っていると更に重いですから、二段式に分かれるタンスの横に寝ること、一体型タンスであっても、タンスの高さより部屋の幅が広い(狭かったら、タンスが壁にぶつかり、空間を作るからタンスと体がぶつからない。) 部屋でタンスの近くで寝ることは、避けたいところです。

たまには、室内の家具や荷物の保管、設置場所の点検も必要です。

<倒壊原因>
では、1、2になってしまう原因には、どういうものが考えられるでしょうか。
まず、1 違法建築で、耐震性に問題があった場合が上げられます。
そうでないとしても、2 柱にシロアリなどの被害があり、強烈な最初の縦揺れにより、柱自体にかかる垂直方向の加重に耐えられず、つぶれる場合、3 筋交いは、縦揺れには有効ではなく、縦揺れにより筋交いが外れると(なお、古い建物はともかく、現在の建築基準法では、筋交いを固定するための接ぎ手金物の設置が義務づけられているので、直ちに危険というわけではありません。)、次に来る横揺れにより、柱の水平方向に引っ張る力が生じますが、通常は筋交いで抑えるこの力に対して、筋交いがないため耐力がなく、柱の横転を招く場合(言葉で説明するのは難しいですね。)が考えられます。

私が、見たところでも、柱の横転だけではなく、柱そのものがつぶれ建物の形が完全にない建物もありました。家の前で放心状態で座りこむ人の座高ほどのがれきの山となった建物の状況は、大変、悲惨です。

この日本では、安全な建物に住むということは、生命を守ることに直結するわけです。

私の住んでいた建物は、パネル工法の軽量鉄骨2階建で、壁の下部が床と接着していなかったようで、地震により棚から落下した茶碗が割れ、床に落ち、建物がゆがんでできた壁と床の空間にはさまれるように入り込んでしまいました。幸いなことに、壁パネルがそれだけ激しく動いたにもかかわらず、建物完全倒壊は免れ、地震後も住むことができました。茶碗のかけらについては、結構気になって、地震後に、いろいろ試しましたが、びくともせず、結局、そのままにして退去しました。今でも、壁と床の間に、茶碗のかけらが入っていると思います。

なお、この事実により、軽量鉄骨のパネル工法を推奨するものではありませんが、建物が軽いというのは一つのポイントだったと思います。建物が新しければ、南(被害が大きかった浜側)の方でも残っていた建物はありましたから、近年の建築基準法基準を建物が維持していたかどうかで明暗が分かれた気もします。


<死者をなるべく出さないために>

ところで、人間の体は、長時間体の一部に血液循環がなされないと、その部分が壊死するだけでなく、仮に壊死部分を緊急に切断したとしても、毒素(正確には壊死部分の腐った体液、血液)の体内蔓延による臓器不全で、クラッシュ症候群や、再還流症候群により死亡するケースがあります。
救助された直後はきちんと会話もできたのに、手術後突然死んでしまったというのは、当時何回か聞いたことがあります。

そのため、倒壊した建物の中に人が取り残されれば、そこから早く救出することが必要となります。

私の住んでいたところの近所では、町内会の若い人たちが集まって、早い段階で、建物倒壊したがれきの中から住人を救出したところでは、死者は出ずあるいは少なく、すぐに動かなかったところは、同じような被害だったにもかかわらず、死者が出たと聞きました。

日頃から、近所づきあいをするようないい関係を築けたか、寝室の場所(阪神大震災の場合には、多くの人が就寝中だったので)がわかるような近所の人がいたかどうかが分かれ目となったということでしょうか。

近所づきあいは、こういうところでも、大切です。


なお、阪神大震災の教訓から、クラッシュ症候群対策として、体に壊死が見られる人を救出する場合には、がれきから救出する前に、壊死した箇所から心臓方向より一周りを確実に完全に止血してから、救出するようになっているようですが、やはり救助は早いに越したことはありません。

投稿者 : admin 投稿日時: 2007-08-16 (961 ヒット)
防災の日に向けて その1・・・・阪神大震災の教訓

阪神大震災では、地震を原因とする火災が発生し、12時間以上経過しても鎮火されなかったことは知られています。しかし、地震特有の事情により、通常の消火活動ができなかったこと、そのため、火事が容易に燃え広がったことは、あまり一般的に認識されていないように思います。
ここで、防火という観点から、震災当時神戸市灘区に住んでいた私の経験から、日頃の備えについて、コメントしたいと思います。

1 延焼の危険の増加
まず、木造住宅の特色として、防火構造を有する外壁が破損したら、木材がむき出しの構造となります。鉄骨作りでも、木部は意外に多く、外壁が壊れたら、木材がむき出しの状態となります。

つまり、建物が全壊しなくても、外壁が壊れ、外装が破損したら、周囲から発生する火事に弱い構造となってしまいます。
震災では、火災から6時間以上経過した後で、延焼により、町内焼け野原になったところもあります。

関東大震災の後には、火事に強いと、外壁に銅板を貼ることがはやったようですが(東京都中央区には、ところどころに、そういう造りの住宅が残っています。)、延焼の点では、地震によって剥離する可能性があるモルタルよりも、(水切り部分をどの程度開けているかにもよりますが、)難燃性の壁を接着させるサイディングの方が、防災観点からは優れているのではないかと、思いますが、サイディングも剥がれたら同じことなのでしょう。
とすれば、問題は、2ということになります。

2 取り得る消火活動の限定
震災の際には、消火活動が通常のようには行われません。
  
神戸特有の事情だったのかも知れませんが、水道が止まると、河川の水や、学校のプールの水からしか消火ができず、どちらも水量が豊富ではないので、ホースから勢いよく流すほどの水が確保できていなかったように記憶しています。
(もっとも、あの日に、長田ほど大火ではありませんが、近所でも火事は長時間続いていましたが、近所では消防車の出動を一度も見ず、消防士さんが、建物全体が既に燃えさかっているマンションの外廊下を生存確認に走り回っている姿と、消防団の人がホースで消火している姿だけしか見なかったように記憶しているので、道路事情や、人員不足その他で、消防が機能していなかったこともあるかも知れません。)
本来であれば、絶対に延焼しないはずのチョロチョロした炎であっても、あの日は、なかなか消えませんでした。
 
つまり、消火は、放水による消火ではなく、延焼防止が中心でした(江戸時代の延焼防止を目的とした家屋破壊による鎮火活動を想像してください)。
といっても、堅固建物が多く、破壊もままならず、結局は、火の勢いが大きいと、炎から上がってくる火の粉を止められず、延焼が広がったのです。
  
では、火の延焼をとどめたのは、何だったのか。

当日の私の見たところでは、広い道路で周囲が囲まれたブロックに火がついたらブロックのほぼ全部の建物が火事になっていました。だから、ブロックの端や角にある建物から道を越えての延焼を止められるかどうかが、問題だったのです。
 
それは、角にあった(ブロック全体が焼け野原になると、ブロックの端などから道をはさんだ隣のブロックの建物に延焼する。)、大きな常緑樹だったり、鉄骨スレート、あるいはコンクリート造りの建物で、高温に強い針金入りの窓ガラスサッシを使用した建物でした。
 庭の生け垣や、木は、なかなか燃えにくく、燃えても火の粉をあまり出さずに、くすぶるので、火事のいわば防波堤になります。私の住んでいたところは、斜め隣のブロックまでは焼け野原になりましたが、角に木がうっそうとした家があり、そこで、火事が食い止められました(もちろん、その場にいた多くの人が火の粉を消しての消火活動をしたことも大きな要因です。その木もその家も、焼けこげたので、結局解体となりましたが、私は、今でも、当時住んでいた家が燃えなかったのは、あの家と木々のおかげと思っています。)。
 家の周りに常緑樹を植えるのは、意外なところで、効用があるのかもしれません。

 また、聞いたところによると、長田区の一角の賃貸用建物では、大家が医師か歯医師かで、泥棒よけにと、窓ガラスのサッシを全て針金入りの丈夫なものにしていたため、通常のガラスよりも耐熱性が高く、窓ガラスが割れなかったため、火事を免れ(コンクリート建物の場合には、窓ガラスが割れ、割れた窓から火が入って、建物が火事になります。)、結果、この建物からの延焼がなかったため、その建物に続く一角が火事を免れたことがあったそうです。
 
マンションは、コンクリート造りなので、木造の戸建のように外壁剥離による延焼の危険増加は考えなくていいですが、密閉性が高い構造上、一旦火がつくと火力が大きくなり、窓ガラスを突き破って、炎が上がり、マンションがほぼ全棟、全焼したりしました(平時は考えられませんが)。
 窓ガラスを丈夫なものにするのは、防災の点でも有効だと考えます。
  
3 まとめ
 大地震の際には、平時と異なり、放水による十分な消火活動 は、そのキャパ、必要な水量の確保という点からも、期待できない可能性が大きいことから、日頃の備えが必要です。
 その意味で、住んでいる家を、建物が一部倒壊しても、外壁が難燃性の構造を維持できるものにすること、窓ガラスを耐熱性のものにすること、家の周りに常緑樹を植えることなどが、実効的と考えます。


 なお、火事を出さないようにすればいいのではないかと考える人もいるかも知れません。
 しかし、実際に震度7クラスになると、部屋の中の全てのものが、全部跳ね上がり、ぐらぐら揺れるので、部屋の中は物が飛び回る状態で、引火は、火を使っていた人には、防ぎきれない面もあったのではと考えます。私も関東育ちで、年に3回の避難訓練などにより、地震が来たら、火の不始末注意と避難経路の確保というのは、基本的に身に付いていますが、100%の自信をもって、仮に火を使っていても出火しないとは言い切れません。

強いていえば、実践的には、台所やストーブなどの火が燃え移ったら、ステンレスの上にとどまるのであれば、放置し(他に引火しなければそのうち消えます。)、揚げ物等で油を使っていれば、冷めるのを待つ。床、じゅうたんに引火すれば、燃え広がらないうちに、消すことが肝心です。
 火事が広がれば消火が十分にできず延焼することも予想されるので、その家の家財消失だけでなく、がれきに取り残された生命を救うことになるという意味でも、一人一人が、誰もができる初期消火活動をきちんと行うことが特に重要です。
・・・なお、初期消火ができるかどうかは、家人の地震によるケガの程度、物の散らばり具合などにもよりますので、どんな諸条件下でも完全に消火できる自信は、先に書いたように私にもありません。

 消す場合には、消化器、水などで燃焼そのものを止めるやり方と、燃焼範囲より大きい布団などをかぶせて燃焼に必要な酸素をシャットアウトするやり方があると言われています。ある程度の範囲の燃焼があれば、再燃焼を防止するため、燃焼部分を冷やすことも必要です。
 火は、発火温度、酸素(空気爆発を除く。)、燃焼物の条件を満たして、初めて燃焼します。
 地震によるガス管の破損は至る所に生じますので、被災直後はガスのにおいに注意して、火を使用しなければなりません。


 
 地震の備えは、食料と水だけではありません。 
 これから、防災に関することを、いくつか書いていこうと思います。
 
 末筆になりましたが、震災により亡くなった多くの方々に、心より、ご冥福をお祈りします。

投稿者 : admin 投稿日時: 2007-08-14 (1055 ヒット)
暑い夏は、誰しもうっとおしく、時にいらいらするものです。

 数年前の、ある初夏の昼下がり、東京近郊の裁判所にて。
 裁判所の受付で、40、50代の女性が書類書きをしていて、窓口の書記官がそれに応対し、書記官は書記官の理解の中で、彼女にこう書け、ああ書けと指示していました。彼女はもともと、慣れない書類書きで、しかもわかりにくい形式なもので、説明を受けても、何を書いていいやらわからない。「ここ、どうかくのかしら」と最初は書記官に熱心に聞いていましたが、お役所対応をする書記官に、とうとう怒ってしまい、こう言いました。
「もっと、ちゃんと教えて下さい。」
「ちゃんと、説明してますが。」
「あなたには、愛が足りないのよ。もってやさしく、教えてくれたら、どうなの。」
書記官、ここで固まっていました。

 愛をもって、他人に接する。・・・なかなか、難しいことです。
 まして、立場の違う相手に通じるように接するのは。


 10年くらい前、ちょうど、かの有名な黒澤明映画監督が亡くなった際、黒澤映画をほとんどみていなかったので、黒澤世代の先生に聞いてみました。
「黒澤映画は何が一番いいですか。」
「そうだね。「生きる」だね。」
 私は、てっきり、「7人の侍」などが挙がると思っていました。

 ご存じのとおり、「生きる」は非常に地味な映画で、華々しい登場人物は出てきません。
 しかし、縦割り行政、陳情の難しさなど、今観ても社会問題としての描写は正確で、古くさくなく、最後の方で、主人公が一人、達成感を持って渋く喜ぶシーンは、大変地味で、渋すぎますが、何ともいえないものがあります。
 
 今の時代は、欧米並みの、リーダー至上主義の下、例えば、賃金一つをとってみても、リーダー及びリーダーグループと、その他一般の格差が開く傾向にあるようです。
 しかし、少なくとも、戦後日本においては、その他一般の下支えがあって、今日があったといえるのではないでしょうか。これからはともかくとして。
 
 社会の下支えをしている人に対してのサービスを考える、それは公僕たるものの一つの、あるべき理想という気がしました。

 自戒もありますが、役所仕事を「お役所仕事」にせず、人のためになる仕事をするということを考えるひとつのいい映画だと思います。

投稿者 : admin 投稿日時: 2007-02-05 (1536 ヒット)
1 最近の傾向

  戦後始まった核家族化の波は、核家族で育った子どもが親になる時期を迎えるまでになりました。核家族第2世代とでも言っておきましょう。

  さて、核家族第2世代の中には、離婚・死別により片親に育てられた子が親になっているケースがあります。
親から虐待を受けていた場合には、虐待の連鎖がみられる場合があるなどと言われますが、親が離婚していて子を持つに至った方の特徴は、
? 夫婦の間で何らかの亀裂が生じた場合に、すぐに離婚に話が流れる。離婚しやすい。
? 子がいても、子どもに対して執着が薄い。離婚後子どもとの交流が途絶える。
? 夫婦での子育てについて、知識欠如、認識欠如がある
の3点が上げられるのでしょうか。
(もちろん、これは傾向であり、全員に該当するわけではありません。)

  ?と?はリンクします。
  結婚生活がうまくいかないパターンは、すなわち、夫婦生活、日常生活のレベルにおいては、何ら問題ない場合であっても、自分の人生の中で、存在しなかった役割(男性だったら、父親にほとんど会っていないのに、父親の役割を求められる。母親だったら、父親がいない家庭で育ったのに、家庭での父の存在を受け入れ、子育てをしなければならない。)を求められ、しかし、もともと知らないから対応できないというケースです。
  あるいは、父親に育てられた娘が子どもを産んだはいいが、母親に代わる存在はなく(最近の晩婚化・高齢出産のため、育ててくれた祖母はとっくに他界しています。)、子どもに変わったことがあると思うと医者通いをするが、医者は医を売るだけで、子育ての伝授はしてくれず、子育てに支障がでるというケースもあります。

  ?は、離婚した片親との接触が自分もないから、離婚したら、そういうものだと思って、特別な理由がなくても、子どもとの接触自体をしなくなるのが典型的ケースでしょうか。


2 今までの離婚家族
  今までは、大家族の中に戻る、あるいは大家族でないにしても、母親であれば離婚したら親元に戻り、親の協力を得て、子どもを育てることができる状態にありました。
  昔は出産年齢が低く、50歳代で孫の面倒をみるのであれば、それほど大変ではなかったし、子どもも満足に成長したのかも知れません。

3 将来の見通し
  しかし、大学進学率が昔より大幅にアップし、社会にでる年齢が全体的に上がり、その分晩婚、高齢出産が増える傾向は、今後も続くと思われます。
  これは、高齢出産で生まれた子ども・孫を世話する祖母・祖父の年齢が上昇することを意味し、ますます、祖母・祖父が孫の面倒を看ることが困難になっていきます。場合によっては、親になった途端、育児と介護のダブルパンチということもあるでしょう。
  
  そのため、離婚した核家族は、代替を見つけることなく片親での家族を維持するか、あるいは、再婚を選択するかを、強く要求されることになります。
  前者の場合には、子どもはどちらかの親を知らず、またその親の役割というものを知らずに、育ちます。
  後者の場合には、その後再婚相手との実子ができようものなら家族内で微妙な関係に立たされ、また、再婚相手との間に子どもができないならできないで、頼るべき祖母が育児には全くの素人であてにならないため、本来当たり前にわかるはずの親子間で伝わるべき子育て知識の伝授がなく、出産子育ての際に大変な思いをする現実が待っています。

4 対策
  私は、こういう事態を避けるため、反面教師であれ、手本であれ、自分の親というものは如何なる人物であったのか、今後自分がどういう親になるべきかという考察の機会を付与するためにも、少なくとも、離婚後も、離婚し親権を手放した方の親との面会交渉を積極的に実現させるべきと考えます。
  片親不在で成長した子が、自分が親になってもうまく親子関係が築けるためにするために、すなわち、大げさですが未来の孫のためにも、離婚後の親子の面会交渉は積極的に行うべきだと考えます。

5 面会交渉の現実
  しかし、実際には、離婚するくらいなので、当然夫婦間にはわだかまりが残るケースの方が圧倒的で、親権・監護権を有する方が、離婚した相手の面会を拒絶するのは、日常的にみられます(憎しみ会って別れた相手にわずかでも接触したいとは考えませんね)。
  ささいな理由をつけて面会交渉を断るケースも実際には頻発しています。

  ただ、翻って考えると、これはずいぶん悲しい事態であり、今後の将来も見据えると、更にゆゆしき事態だと私は思います。

  離婚は珍しいことではなくなっている現状からすれば、今後将来確実に、面会交渉も満足なされることなく親を知らずに育つ子どもが増えるものと思われます。親を知らずに育った子どもは、「親がなくても子は育つ」と思いこみ、家庭崩壊を容易に選択し、離婚増加の悪循環を引き起こすのではないでしょうか(なお、ここでの離婚増加は、「家庭崩壊」の意味で使用しています。)

  面会交渉を実現させるには、当事者である父母はいやがっているのですから(別れるくらい嫌な相手なのだからこれは当たり前の話です。)、家庭裁判所の積極的な介入、主導が必要です。
  しかし、残念なことに、実際の裁判所は、役所の事なかれ主義よろしく、「お子さんが落ち着いてから」(最初に取り決められないものを後で実現できることは皆無!)「お子さんがおびえているから」(子どもは暗示性が高く、しょーもない親の悪口を吹き込めば少々おびえることもあるが、それだけで父親、母親に会わせる機会すら奪っていいのでしょうか。)で、何年も面会がされないことも、少なくありません。


  こういうことがありました。
  私が、妻側についた離婚事件で、相手方の夫は、親権を最初から放棄、面会も要求しないと言うのです。後でよくよく聞いたら、その人は、母子家庭に育ち、離婚後一度も父に会ったことがなかったそうです(これを聞くまでに一悶着ありましたが、ここでは触れません。)。
  その人はいいました。「俺は、親父の顔を知らない。プレゼントも貰ったことはない。けれど、母ちゃんが、親父から送られた誕生日プレゼントを俺に隠して捨てていると思って、生きてきた。」と。
  親からの愛情が薄ければ、子に与える愛情はどの程度になるのでしょうか。この人は、子どもに会わないまでもプレゼントを毎年贈るのでしょうか。プレゼントは子どもに渡されるのでしょうか。

  些細なことですが、子どもに別れた親からプレゼントが届くかどうかは、全て、周囲が子に対する配慮をどのように考えるかにかかってきます。

  何度も繰り返しますが、憎み別れた相手ですから、子どもは会わせたくないし、話しもしたくない、する話しは悪口しかないという別れた夫婦は多いのです。
  それでも、子どもに対して、相手親に対する配慮をすることは、周囲の働きかけがあって初めて実現されます。


6 お願い
  残念ながら、家庭裁判所の現在の運用は、育て親に比重を置きすぎているきらいがあり、面会実現の手段確保の役割を果たせていません。
  また、家庭裁判所は、家事だけでなく少年事件も扱うため、データの蓄積はあるはずなのですが、こと面会交渉の実現については、研究・検討がなされ積極的に対応するということを聞いたことがありません。はっきり言うと、面会を拒絶するだけの、その場しのぎの事なかれに徹していると思います(面会をノーとさせれば、面会を実現した際に発生するトラブルの可能性を完全に予防できるので、トラブルに裁判所が巻き込まれる可能性が皆無なため、裁判所にとっては、一番いい解決方法であるのも事実なのです。ただし、私の感想を言えば、数時間の面会時間の間にそういうトラブルの発生は全く考えられませんが。)。

  そこで、この記事をご覧になった方で、離婚後の面会についてご意見のある方、体験談などございましたら、当ホームページ記載のメールアドレスまで、ご意見をいただければ幸いです(なお、ご意見の際には、ウェブでの匿名公表の可否、性別、年齢、ご意見を記載下さい)。
  意見がある程度まとまった段階で、面会交渉についての掲示板を設け、皆さんと一緒に、「子どものための面会交渉のあり方」を考えみたいと思います。
  最終的には、ケース研究(家庭裁判所発行の雑誌)等への投稿も視野に入れ、裁判所の外から、面会交渉のあり方を変えて行ければと思います。・・・・まったくの草の根ですね。
  よろしくお願いします。

投稿者 : admin 投稿日時: 2007-01-07 (1202 ヒット)
平成19年になりました。

 さて、昨年は、裁判期日は27日まで入っているやら、法律相談、交渉事件は28日まで入っているやらで、年末の最後の最後まで、かなり忙しく、ばたばたしていました。

 毎年、年賀状は一言添えるのを慣例にしていましたが、今年ばかりは、そういうわけで、一言添えずに年賀状を出してしまいました。・・・・やはり、私のようにすべてを印刷にする場合には、一言添えるのがいいですね。私がもらう年賀状も、一言添え書きがある年賀状の方が印象に残ります。
 今年は省略しましたが、来年からは年賀状には一言添える、もとの形に戻そうと思います。悪しからず、ご容赦下さい。

 平成18年は、下の子どもが3歳になったこともあり、仕事の比重が増えました。充実していたのか、単に仕事に追いまくられるようになったのかは難しいところですが、今年は、仕事に追いまくられず、かつ、仕事上での成果を充実させたいというのが、新年の抱負でしょうか。
 

 今日は、7日。7草粥を作って食べつつ、年末年始の帰省疲れをとり、今年一年の鋭気を養いたいものです。

 今年もよろしくお願いします。

 

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