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投稿者 : admin 投稿日時: 2010-02-24 (752 ヒット)
先日のコラムがまだ書きかけですが、ちょっと話題を変えまして、最近気になったことを取り上げます。
現在日本は国家破綻状態で、個人で言えばいつでの破産できる状態になっています。
でも、本当に、こういうお金(税金、医療に対する健康保険)の使い方でいいの?と思われる、明らかにおかしな光景を見かけます。

1 夕方のラッシュの先頭に立って早足で歩く白い杖の人

 町中で、白い杖を持って歩く人をたまに見かけます。白い杖は視覚障がい者のトレードマークですが、本当に目が悪いのかと思う光景を目にします。

 驚いたのは、先月地下鉄の永田町で乗り換えた時に、有楽町線から半蔵門線に乗り換える人の流れの先頭に、白い杖の人がいたことです。
 脇目もふらずにまっすぐに半蔵門線のホームにつながるエスカレーター方向に早足で歩いていかれました。こんなに、早く正確に歩けるのに、なぜ白い杖を持っているのかと疑問。

 また、日比谷線の電車の中で、2m位先に白い杖を持っている人がいたので、何気なく見ていたら目があってにらまれたこともあります。
 2m先の人の視線を合わせられるのに、本当に視力障がい者なのか不思議に思いました。

 私自身結構な近眼で、また身近な人で視力障がい者がいた経験からすれば、視力の悪い人は、細かいものが見えないので、視線を完全に合わせることはできません。目が合うことはないわけです。また、いくら慣れた経路だとしても、周囲を確認しながらになるので、集団の先頭を率先して歩くことはまず無理です。

 視力障がい者の方の杖の使い方は独特ですが、よく観察すると、杖のたたき方、たたく範囲で、歩行に必要な空間認識とはどういうものか、改めて認識させられます。
 逆にそういうことを見た経験のある者からすれば、明らかに中途半端に杖をたたいている人が黄色い点字ブロックを真っ直ぐ歩くのを見ても、おかしいなと思います。
 
 この3つのケースは、別の時間、別の場所のことで全部別人でした。

 札幌で多数の健常者に障害の証明を出し大問題になった医師がいましたが(これは耳鼻科で、聴覚障害を偽ったのでしょうか)、東京でもありそうです。
 たぶん、白い杖さえ持っていなければ、全く気にならない光景なのでしょうが、白い杖は逆に目立つので、おかしいなと感じます。
 もちろん、私が見かけた人たちは健常者で、健常者が白い杖を持って歩いていたのかもしれませんが、それはそれで問題ですし、やっぱり、妙です。

 モラルの問題なのでしょうが、ここまでの状況になっていれば、見過ごすことはできません。
 認定を出す行政も、認定の前提の診断書を出す医者も、市民も、必要な限度で必要な措置をしなければなりません。

 行政は、診断書がなければ動きませんから、その意味で、医師のモラルは重大です。
 今回、万一、うその診断書を作成したことが判明した医師には、虚偽診断書作成罪だけでなく、詐欺幇助で立件し、一罰百戒の例としたら、こういう例はなくなるのでしょうか。

投稿者 : admin 投稿日時: 2010-02-16 (733 ヒット)
組織構成員の話

 ここまで書いてきて、農地をいろいろ調べたのは遙か学生時代に遡ることに、はたと気づきました。今でも、農地の宅地転用申請はしばしば見かけますが。
 この項のために、改めて確認すると、最近、農地法もずいぶん変わりました。
 改正された農地法をどう使うか、あるいは農地法をどのように更に改善するのかを探る段階に来ているのかも知れません。
 
 さて、耕地が確保されるのであれば、次に組織化の問題です。

1 農業用機械は便利ですが、どれも高額で個人で所有・維持するのは、コストを上げる一因となっています。
  南北に広い(長い)耕地の特徴を考えれば、田植用の機械、稲刈り機を全国的に持ち回ってレンタルすれば、効率的に対応できるのではないでしょうか。

  ところで、レンタルとリースは、混同して使われることもありますが、2つは契約内容が大きく異なります。リースは、リース代金という総額を決め、月払いでリース代金を支払っていく仕組みで、一般にはリース総額は購入代金より高めで、しかも、中途解約してもリース総額全額の支払い義務を負い、所有権がないので物自体はリース会社が引き上げるという、何も残らない上に購入する以上に負担を負う一面がある契約です。個人的には、税制上のメリット程度しかないと考えています。
  これは、どの業態のリースにも言えることで、たとえば、一般的に行われているコピー機のリースも、購入した方がずっと安いのです。
  他方レンタルは、日本語に直せば賃貸で、日割り、月割り計算に基づく形式的には割高に見えても、借賃料しかかかりません。メンテナンスは、レンタルする側がやってくれます。
 私は、全国展開としての農機具のレンタル(リースではありません)を活性化させることにより、コストダウンの有効に図れると考えます。

 同様に、農作業はどの作物も、繁忙期と閑散期があり、人手が必要な際に、人材の供給をやってくれるところがあれば、いいですね。大型農機具の扱いが困難になっている高齢者には、農機具のレンタルとともに助っ人の派遣まであれば、ずいぶん楽そうです。
 ちなみに、農業機械の実習は、農業高校だけでなく、少年院でもやっています。相当ぐれていた子どもでも、農業実習に向いていそうと判断されると、農業実習ができる少年院に送られます。そこで、トラクターの免許を取得したりします。
 
2 最後に人材の話ですが、農村に若者を定着させるためにも、収益を上げられる農業を実現すること、組織化により個人が安定的な収入を確保できるようにすること、効率化の工夫をした上で高い品質の商品を継続的に供給できる体制にすることが必要でしょう。
  口で言うのは、簡単ですが、やはり、農業も、川上にいながら、日々変化する川下に対応して生産をしなければならず、また、スキルの確立・維持により安定した高品質の作物を維持しなければなりません。
  その意味で、南北に長い産地同士の交流や、特定のJA、青果市場、スーパー、販売先だけに目を向けるのではなく、販売先にこだわらず、全国的に高値で農産物を市場に送り込める体制を作る方がいいのでしょう。歴史が長い古い組織なので、息の長い、かつ、たゆまぬ変革意欲を持ち続けなければ、変わっていかないようです。

 ここまで生鮮品の産地表示義務が厳しくなかった頃、商社マンは、キャベツなどの特定品目の野菜が高騰する、あるいはそれが見込まれると、すぐに中国に行き、その野菜を買い付け市場に流して利益を出すなどと言われていました。
 同じように、日本の農作物の生産現場でも、海外に目を向けた生産出荷ができるようになれば、いうことありません。
 組織の中には、国内外に目を向けられる積極的な営業マンがいてもいいですね。

投稿者 : admin 投稿日時: 2010-02-13 (709 ヒット)
耕地の話・・・今も行われている土地改良事業、農地法・民法の壁

1 弥生時代の頃より、日本では農業が栄えだし、森林が伐採され、耕地面積が増大するとともに人口が増大し、大和朝廷の勢力が拡大していったと言われています。
  世界的に見ても、一番住みやすい気候になっていると言われている温帯の平地には、大規模原生林は存在しません。1000年以上前に、人間が伐採したからです。人為的な原因です。熱帯に大規模な熱帯雨林が残っているのは、人間の手がなかなか入らなかったからです。人間にとって住みやすい地域が植物にとって育ちにくい環境であるはずがなく、植物学的に、熱帯に原生林が残る要因はないのです。
  余談ですが、今、自然破壊が深刻などと言いますが、程度の差こそあれ、自然破壊は今に始まったわけではありません。象徴的なのは、4大文明の発祥地は今では全部砂漠かあるいは灌木が生い茂る荒れ地であるということでしょうか。気候変動、他の要因もあると思いますが、文明とは突き詰めて言えば、それ自体に自然破壊の要素を含んでいるわけです、いつの時代も。
 
  現在日本では、耕地面積、すなわち農業生産をしている耕地の面積は減少傾向にあります。
  しかし、耕作可能農地は、戦後を通じて拡大しているのではないでしょうか。
  
  耕地面積減少の統計の影で、戦後も継続して事業が続けられてきたのが、土地改良事業です。駅前の区画整理に指定され、換地があったという話は聞くと思いますが、土地改良は、農地が対象なので、あまり耳にしないと思います。
  この土地改良事業とは、簡単に言えば、既存の農地や山林を、耕作を容易にするために、あるいは、耕作を可能にするために、利水事業(水路を造り、耕地に水を通すこと)や、切り土などの造成を行い、土地を整形し、農業機械を耕地に入れやすくしたりする事業です。
  インターネットで調べても、耕作可能面積(作付けがない耕地という意味です。)の統計は出てきませんが、農地の土地改良事業は、平成の時代でも継続して行われる全国的な事業です。
 
  文献での確認がなく、仕事上の経験だけによるものですが、もともと、河川が多く、大規模用水路の建設は昭和の時代までに終了し、更に、延々と続けられた土地改良事業で、耕作可能面積は増大しているはずです。
 全国の棚田を報道する番組、記事を見るにつけ、私は、いつから田んぼになっているのだろうかとか、土地改良事業がどの程度入ったのだろうと考えてしまいます。平地に田んぼを耕す方が、楽ですよね。
 
  ところで、農地(土壌)は、痩せたり太ったりするデリケートなものです。荒れ地を耕地に変える場合には、まず、荒れ地での生育にも適しているジャガイモ、サツマイモなどを植え、土地を肥やしていって、商品化できる作物を作っていきます。私が育ったのは、千葉県松戸の方でしたが、通っていた小学校で、まとまった広さの宅地跡を厚意により借り受けたとのことで、学校挙げて生徒が石拾いから農作業をしたことがあります。(農地の一番の障害は、農具の障害となる、小石を含めたがれきや大木の根などで、石拾いは、農地化のための最初の作業です。)
  いい土壌は、一時的な肥料だけでどうなるものではなく、長い時間をかけた作業が必要です。逆に耕作地を放棄すれば、特に山間部では注意しないと、山の木々が生えてきて、10年程度でも山林と化してしまうようです。せっかく改良した土地でも、耕地の変形、水路の消失が起こり、耕作可能地にするには、再度事業が必要ということにもなります。
  その意味で、過疎化、限界集落の増大は、上質な土壌(宝)の持ち腐れとなるのですが、農地の有効利用は進んでいないようです。
 
  日本では、長年の土地改良事業により、耕作に適した土地がかなり増え(たはずです。)、にもかかわらず、耕作面積は減少しているという、ある意味、宝の持ち腐れ状態にあるといえます。

  現在、国が実施している減反政策すなわち、耕作面積の減少は、作物の総生産高を下げ、需給バランスから市場価格を維持する一つの手段ではありますが、一方で生産現場のコストダウン、効率化がなければ、耕作面積の減少による収入減少、専業農業人口の減少という、負のスパイラルに落ち込むだけです。
  今回の民主党政策の、農業補償の考え方も、価格努力をし、売上げを上げた農家がいい思いをしないことになりますから、農業政策として、耕作面積調整や農業収入補償を継続的に行うことは、長期的政策観点からすれば、避けなければなません。
  そろそろ、減反、耕作面積調整も含め、不作等の季節要因とは無関係の恒常的な農業補償を全面的に実施する「ばらまき政策」から転換しなければなりません。

2 日本の耕地  
  日本の耕地の特徴は、田んぼ1つ、畑一つの面積は狭いが、単位あたりの生産量が高いことです。地理的条件として灌漑設備が整い易いことでしょうか。また南北に長い地理条件から、収穫期に幅があり長いということでしょうか。
  春先に電車で九州を回ると、福岡辺りで桜が八分咲きのころ、宮崎辺りで田植えが終わった田んぼが見える車窓風景に出会います。その位、気候が違います。
  1箇所の地域に大規模な耕作地を確保することは、明治以降に開拓された開拓地、干拓地以外は難しいかも知れませんが、全国的に耕地を展開させることで、気候条件の異なる土地で、時間差で農作業を行い、高収穫を上げることは可能ではないかと思います。
  
  最近は苗床を作らずに、稲もみを田んぼに直播きする方法が実践されているそうですが、農薬、草引きのために、どうやって田んぼに入るのか、稲刈りの効率性はあるのか、考えると非効率だなと思うのですが、どの程度、広がっているのでしょうか。

  大規模農業に、ある意味先が見えてきた中で、小回りの利く小規模点在型の農地の長所を再発見してもよいと思います。

3 さて、日本には小回りがきく小規模農地が点在する特徴があるわけですが、小規模農地を耕作している農家は、後継者不足にあったりし、ともすれば耕作放棄地と化してしまう現状もあります。
  
  ご存じのとおり、戦後、小作民解放のために重要な役割を果たした法律が農地法ですが、農地譲渡の面倒な手続きの原因となっており、また、農地取得要件、農地委員会の許可との関係等もあり、企業が農地を取得できない原因ともなっています。
  逆に、農地を貸せるかというと、民法では、戦後の名残で小作地は建物賃貸借より厚い保護があるため、およそ金を取って貸せるものではありません。
  もめ事を避けるには、農地はただか、ただ同然で貸すのが一番です。

  昭和20年代の農地解放の際に小作人のほとんどは農地を取得し、また、このご時世、小作という言葉すら過去の言葉になりつつある今、敗戦直後に見られた小作の弊害はないわけですから、農地の貸借、所有をもっと柔軟に認めるべきではないかと考えます。
  
  現行法で、会社(公開会社)がまとまった規模の農業をする場合には、農地でないところ、つまり、工場跡地、宅地等農業用の土壌がない土地で、農業を始めなければならないというのは、明らかにナンセンスです。

  大規模農業ではなく、点在農地を利用する農業であっても、ある程度まとまった農地がなければまとまった収穫が望めませんので、農業を生業とすることは、実際上困難です。そのための農地を集めるための手段は必要不可欠です。

  近年、農地法が改正され、農地を取得できうる農業法人が新設され、農村も変わっていくのでしょうが、更に、南北に広い立地を生かし、同種の作物を栽培する農家、法人が一体化して対応できるのであれば、農作業の効率化、集約化、消費地への出荷の効率化も期待できそうです(訂正前の原稿で、同族主体の農業法人を除外しましたが、今後の変貌への期待を込め、訂正します。)
  売買制限が必要であれば、フィリピンの法律のように(フィリピンでは不動産取得そのものの制限ですが)、農地の取得を日本国民に限定すれば十分と思います。日本国民に限定しても、会社が賃借りできる余地があれば、農地の確保は可能です。

投稿者 : admin 投稿日時: 2010-02-13 (714 ヒット)
農業の3要素

 農業をする場合には、いろいろな条件がありますが、ざっくり3大要素をあげるとすれば、「耕地」「作業員・組織」「種、苗」ではないでしょうか。

 
 日本の農業の問題を、この3つの観点に分けて考えていきます。

投稿者 : admin 投稿日時: 2010-01-17 (803 ヒット)
さて、現在の国家財政が泥船状態の、お先真っ暗となっていることを解説しました。
ただ、それだけでは何の解決にもならないので、気休め程度に、私なりの提案を。

国家財政基盤は主に税収に依拠しており、税収を増やすには、国民から税金を多く徴収すればいいのです。また支出を減らすのも一つの方向です。

現在、識者の中には、税収を上げるために、消費税を諸外国並に10%程度に上げるべきとの意見もあります。
逆に消費税を上げれば、景気が冷え込み法人税がかえって減るのではという意見もあります。

しかし、原則としては、やはり国内産業の活性化とそれによる税収アップを狙うのが、王道であることも間違いありません。
日本は人件費が高いので、他の面でのコストダウンを強力に推し進めなければ輸出産業としては育成されません。
したがって、今後成長産業として、期待できるものとしたら、今まで高コスト体質であった産業が狙い所かも知れません。

私的には、医療と農業ではないかと思っています。
1 医療を輸出産業(外国からの患者の医療収入があり、国内消費にとどまらないという意味で使っています。)にするために
 
 日本の理系トップクラスの多くは、医学部に進学する現状の中、明らかに市場は活性化してもいいはずなのに、市場原理が中途半端にしか働かない保健医療制度の中で、温室育ちが増え、国際競争力を失っていると思うのは、私だけでしょうか。
 また、現在でも労働人口は、長寿高齢者の医療費として毎月の健康保険料の中から20%程度負担している状況で(保険料徴収通知を確認すれば、長寿高齢者のために負担する保険料が記載されています。)、今後労働人口は減り、医療人口と直結する老齢人口の増大するため、今後確実に、健康保険料は値上げが見込まれます。下手すると保健医療制度は破綻となります。
 破綻回避のために、現在では、健康保険料滞納者に対して健康保険証を発行せず、事実上自費での受診を強いていますが、ベースとなる総医療費が今後増えるのが確実なので、これだけでは破綻は回避できません(本来であれば、こういう世帯を解消するために、保険料の軽減、そのために診療報酬の引き下げは欠かせないとも言えますが、今回は診療報酬が値上げされました。政治家は思惑で動くので、よくわかりません。)。

 そこで、私は、? 医療行為の一部除外・開放と、? 混合診療の容認、? 終末医療の一部保険撤廃、自費移行、? 自殺未遂常習者の自費移行を通し、率直に言えば、医療は、国内外の金持ちで儲けてもらって、一般国民に対しては、? 最終的には保険診療報酬の引き下げと、保険料及び負担率の現状維持(このままでは、確実に上がります。) を進めて欲しいと考えます。

 今、終末期医療のために、ICUが占領され、救命救急医療が十分に機能しない現状があります。
 また、高齢者が意味不明なほど大量の薬を処方される現状も無視できません。
 これは、全部、医療費として計上されているのですが、本当に必要なのでしょうか。薬の処方に関しては、医師から薬局に、もっと権限委譲して、本当に効率的な処方をすべきのような気がします。
 そうしたら、高齢者が薬を貰うために1分間の診療を受けて、薬代とは別に、健康保険料込みで総額5000円の診療報酬を支払う事態は回避できるはずなのです、制度上は。
 その上で、薬剤師の問診を充実させ、問題がある場合には、かかりつけ医の診察に誘導する程度に作り替える方が、余程、効率的でリーズナブルで、精神的時間的に忙しすぎる医業業務の改善になります。
 同様に、痰吸引行為など、日常頻繁に発生する行為で、いちいち医療関係者の到着を待っていられない病状緩和行為に関しては、早急に医療行為から外し、研修を義務づけた上で、介護施設職員でも可能なように法改正して貰いたいです。これに関しては、既得権益の固執としか思えないのですが、日医(日本医師会)の反対により実現していません。

 混合診療の容認は、自費(自由診療という制度は今でもあります。) に踏み出せない医療機関に、たとえば、丸山ワクチン (日本医大の丸山教授が開発した、30年くらい前に流通していた、ガンの進行を緩和する効用がある抗がん剤で、なかなか厚生省(当時)の保険認可が下りず、保険適用薬ではないが事実上、混合診療を容認された薬剤。) のように、はっきりとした効能はないとされるが、海外であるいは国内で緩和作用があるとされる薬がある場合には、「薬自体は高いが、高額な医療費の支払いを覚悟するのであれば使いましょう」 (その分、医療機関の儲けになりますね) という一部自費対応を促す、きっかけになります。
 混合診療の弊害として日医が主張する、「全ての国民に均一化された医療を実現できなくなる」というのは、実際、保険料不払い世帯への保険証の不発行により、現在でも実現できていないし(本来であれば、病気にかかる人は経済的弱者となるので、こういう人こそ救済すべきとも言えるはずなのですが。)、保険適用に値する薬剤、医療方法が開発されれば、それは従前通り厚生労働省の担当が適切に認可業務を行えば問題は回避されるはずですし、それはしなければなりません。
また、度が過ぎる程金持ち相手の診療しかしない医療機関に対しては、診療義務を規定した医師法を根拠に、コントロールする余地もあります。

 今topicalで、我々弁護士も頭の痛い問題として、終末期医療と医療同意の問題がありますが、この問題を後ろから後押しする制度として終末期医療行為の一部保険撤廃が考えられます。
 今の日本の医療技術は、胃ろう(咀嚼できなくなっても、切開して胃に直接高カロリーの栄養食を送り込むこと)などの方法により、高齢者が寝たきりの状態になり、意識がなくなっても、ICUで万全の看護をすれば、かなり長期にわたり生存可能です。
 そのため、終末医療は、医療費の中でもお金がかかる医療の一つとなっています。意識もなく呼吸をしている状態を継続させることがその人にとって幸せかどうかは不明ですが。
 ただ、胃ろうをするためには、体を切開する必要があり、本人の意識がない、あるいは認知症になっている等すれば、第三者が医療同意をしなければなりません。悩ましいのは、同意を求められた者は、図らずも当人の生殺与奪の選択の場面に直面してしまうのです。
 しかも、なまじ健康保険が使えるため、経済的理由は拒否の理由とはならず、「ただ生きているだけ」の状態を、残された者が望むかどうかにかかってしまいます。
 第三者であれば、尚更、複数人の利害を調整しなければならず、難しい決断を迫られます。せめて、経済的理由などあれば、逆に楽です。
 個人的には、身動きもできず、褥瘡の苦痛を我慢しながら生き長らえる気はありませんので、緩和ケア以外の終末期医療は受けたくないですが、それは、他人に強制できません。

 結論として、医療を輸出産業にするためには、もっと市場原理(健康保険制度という温床に浸かりきっている状態からの脱却)を取り入れなければ、国際競争力はつきません。
 それに伴い、現状よりも医療技術が発達すれば(私には、あまりの閉鎖業界のため、まだまだ口伝がまかり通っている世界のように思えます。)、十分輸出産業として耐えうるし、理系のトップクラスの多くが医師になる現状からすれば、もともと優秀な人材が揃っているはずだから、人材的にも問題ないはずなのです。
 
2 農業の輸出産業としての発展のために
  これについては、項を変えます。

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