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時事問題 : コミュニケーション力を養う
投稿者 : admin 投稿日時: 2008-07-08 (930 ヒット)
ヒトが社会の中で生きるための社会性は、社会で生きていくために必要な能力とも言われます。
社会性は、学校教育の場で自然と身につくもので、これこそ、学校が勉強だけをするところではない、集団教育の意義だと言われたりします。

ところが、実際の学校教育の場には、コミュニケーション力を養成することを目的とする科目は、ありません。不登校児を積極的に受け入れる、一部のフリースクールではあるようですが。

さて、夜回り先生のベストセラー著書の中で、「社会年齢は、外に出て社会(学校)に接触して初めて上がっていく。社会との接触がなければ、実年齢は上がっても社会年齢は上がらない。」(もっとシャープな指摘がありましたが、語弊があるといけないので、こういう書き方をします。) というような下りがあります。
私も、そうだと思います。適度な社会との接触がなければ、社会性は身につかないのです。
しかし、様々な事情から社会年齢が停滞する場合もあります。また、核家族化が進み、一人っ子家庭がここまで増えると、本来であれば、家族の日常生活から普通に体得できた社会性が身につかず、状況打開のための対応力、適応力が、有効に育たないままに、学校、職場に放り出され、そのため、学校、職場でちょっとした環境の変化、あるいは予期しない環境に置かれてしまった際に対応、適応できず、引きこもり若しくは不登校になることはないのでしょうか。

ここまで引きこもり、不登校が社会問題化しているわけですから、学校教育で、自然に任せてではなく、より積極的にコミュニケーション力を身に付けさせるための教科・学科を設けてもいいのではないかと思います。

私は、コミュニケーション力とは、様々な事象に対して、1 正確に状況を把握できること、2 把握した状況を適切に分析できること、3 状況に対しての打開策を検討できること、4 問題解決に向けた解決策を検討できること、5 問題発生防止に向けた予防策を検討できること、5つを意識しながら、対人関係を対応できることをいうと考えます。
つまり、単に会話が成立するだけでなく、言動を通じて自己実現(憲法チックな言い回しですね。)を図れるということが肝心なのです。
これらを、どの程度実践できるかで、危機管理能力、対処能力がずい分違ってくると思います。

現在の学校教育の中で、一番近い科目は、国語の読解力なのでしょうが、国語の教科書に「あなたが、これこれ、こういういじめにあったら、あるいは、引きこもりになったらどうしますか」などというテーマを載せるとは思えません。今は道徳の時間もないですよね。

どんな大人になって欲しいのかという、極めて逆説的な提言かも知れませんが、社会の荒波にも耐えうる程度の大人になってもらいたいという意味で、現在の社会環境は、学校教育の場で、積極的にコミュニケーション力を養う時期に来ているのではないかと思います。

最近刑事事件で、心神喪失の鑑定意見(精神科医が専門の場から精神状態について鑑定すること)が、以前と比べて格段に多く出されるようになりました。
心療内科の医院が町で普通に開業され、来院者が「気分が憂うつ。気分が乗らない」と言えば「抑うつ状態」と診断し、投薬する(保険適用のための便法として、こういう診断名を使うのかも知れませんが)、うつ病、そううつ病という診断名も珍しくなくなってきているようです。
このような社会現象は、犯罪を犯すという極限の行為に対し、今までほとんどでなかった、責任能力(是非弁別能力、行動制御能力)の喪失を容易に認めやすくしているのではないかと思います。刑事事件に近々裁判員制度が導入されることだけが理由ではないでしょう。

心療内科へかかることは、病気の治療なわけですが、心の病気の予防のための体力作りというべきものが、コミュニケーション力を日頃から養うことではないかと、私は考えます。

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