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時事問題 : いまどきの不平等条約・・・犯罪人引渡条約について
投稿者 : admin 投稿日時: 2010-01-13 (3098 ヒット)
数日前の日経新聞に、我が国とEUとの間の犯罪人引き渡し条約に、「死刑が適用となる罪を犯した被疑者についてはEU側が引き渡しをしないことができる」という一方的な条項が入ったとの記事がありました。
既に二国間条約を締結している香港との間では、そういう条項が入っておらず、これは不平等条約だと指摘する記事です。

不平等条約は、一旦締結がなされるとなかなか不平等を撤廃できません。古くから日本の国際政治外交で、足をひっぱり続けた代物です。
我が国の国際公法の歴史は、関税自主権の否定(我が国の関税の税率を、取引する外国が一方的に決定できるとするもの)の撤廃、治外法権の限定、属地主義の不適用(国内で犯罪を犯した外国人であっても、日本法による日本の裁判権に服しないというもの)の撤廃と、明治大正は正にその不平等克服に明け暮れたという歴史的一面があります。
義務教育レベルの社会の教科書の近代・現代史を素直に読むと、日本の外交は、西洋の法律に無知であった江戸時代の幕府高官がやってしまった失態をいかに改善するかに腐心した歴史であることが、よくわかるように書かれてあると思います(受験、その他の余計なことを考えず、素直に歴史の教科書を読めば、ですが。)。
 
さて、今回の問題のEU側の意向は、かみ砕いた表現に直すと「死刑制度が存続するような野蛮な国には、犯罪者は渡せない」という西洋的考え方から、西洋的考え方に至っていない日本に対して、当該犯罪人に対して「死刑制度」の適用を否定したいとの意図が根拠になっていると思われます。
つまり、「西洋人に対しては死刑は御法度。死刑はさせないことを条件でなければ、犯罪人を引き渡せない」というわけです。
この発想から、「死刑が適用となる罪を犯した被疑者についてはEU側が引き渡しをしないことができる」という一方的な条項を入れなければ、犯罪人の相互引き渡し条約には応じないとなったのです。
 
しかし、一般に、犯罪人引き渡し条約が問題になるのは、静岡で発生した南米のひき逃げ犯人の件もそうですが、人が死んだりする重大犯罪で、当然のことですが、重大犯罪であればある程、法定刑に死刑が含まれるのです。
とすれば、「死刑が適用となる罪を犯した被疑者についてはEU側が引き渡しをしないことができる」という一方的な条項を入ることによって、日本は、EU側に重大犯罪の犯人引き渡しを求めても、犯人引き渡しが実現されないという、全く不合理・不平等な条約になってしまいます。
もちろん、EU側にしてみれば、不平等条約の根本にある思想、すなわち西洋的レベルに到達していない法制度しかない国に対しては、不平等の取り扱いをするのは当然であるとの発想の下に、こういう要求をしているので、彼ら自身は、不当な要求をしたとは考えていません(今までの不平等条約もこういう発想が根底にあったと解説されていますね)。

ただ、不平等を甘受する日本側がすれば、どうなのでしょうか。
日本側の担当者は、外国のロースクールなどで西洋の法律を学び、根底に、西洋的思想をたたき込まれ、西洋的発想「死刑廃止」に達することなく未だに後進的な死刑制度を残している我が国に問題があると思ったのでしょうか。あるいは、世論の流れから、とにかく、犯罪人引き渡し条約の締結を急ぐべきと思ったのでしょうか。

締結を急いだ事情は不明ですが、条約は、一旦締結されると、締結したもの勝ちで、50年、100年も効力が生じて、不平等を甘受したものが不平等を甘受し続ける、誠に過酷な現状があります。
国際公法は、条約が基本ですので、一旦条約を締結してしまうと、他国が嫌だと言っても、相手が撤廃に同意しなければ条約の効力はなくなりません。その意味では、条約の締結・批准、すなわち、「合意」は大変大きな意味を持ちます。
これを撤廃して貰うには、「西洋並に」死刑制度が廃止されたときしか、ないでしょう。

死刑制度の廃止が世界的流れであるのは否定できないとしても、この条項により、犯罪人引き渡しがなく、日本に裁判権まで否定されるのは痛い問題です。ノルマントン号事件(1886年)でも、日本に裁判権がないことが一番の問題であったとされています。

死刑制度の廃止前、不平等条約撤廃前に、外国人による大量殺人事件、外国逃亡があれば、これも世論としても、大問題になってしまいます。

条約を締結・批准するにあたっては、我が国のメリット、なぜ、世論が条約締結にこだわっているのか、それによって世論の要求が満たされるのかどうか、正確に見極めた上で、条約の文言に隠された将来的なリスクまで見極めることが必要です。
ここまで考えれば、将来の火種となりかねない不平等条約の締結は、我が国に害あって利なしとわかりそうなものですが。

なお、新聞記事にはなりましたが、インターネットでの確認は取れませんでした。批准が未了で、不平等条約の文言が入った条約の発効が回避できるのであれば、これは問題になりません。そうなったのであれば、いいのですが。

ちなみに、我が国の中世・平安時代(794年から1192年まで)には、300年以上の間、律令制の下、死罪の執行がなく、その意味で死刑制度がなかった、世界的にも特筆すべき時期がありました。
ですから、死刑制度の廃止そのものは、西洋的なものとも言えません。平安時代の初期はともかく、後半の治世はどうであったかは、よく知られているところです。以後死刑がなくなったことはないと言われています。

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