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時事問題 : 国家的デフォルトを回避するために真剣に考える・・その2農業について考える (2)
投稿者 : admin 投稿日時: 2010-02-13 (709 ヒット)
耕地の話・・・今も行われている土地改良事業、農地法・民法の壁

1 弥生時代の頃より、日本では農業が栄えだし、森林が伐採され、耕地面積が増大するとともに人口が増大し、大和朝廷の勢力が拡大していったと言われています。
  世界的に見ても、一番住みやすい気候になっていると言われている温帯の平地には、大規模原生林は存在しません。1000年以上前に、人間が伐採したからです。人為的な原因です。熱帯に大規模な熱帯雨林が残っているのは、人間の手がなかなか入らなかったからです。人間にとって住みやすい地域が植物にとって育ちにくい環境であるはずがなく、植物学的に、熱帯に原生林が残る要因はないのです。
  余談ですが、今、自然破壊が深刻などと言いますが、程度の差こそあれ、自然破壊は今に始まったわけではありません。象徴的なのは、4大文明の発祥地は今では全部砂漠かあるいは灌木が生い茂る荒れ地であるということでしょうか。気候変動、他の要因もあると思いますが、文明とは突き詰めて言えば、それ自体に自然破壊の要素を含んでいるわけです、いつの時代も。
 
  現在日本では、耕地面積、すなわち農業生産をしている耕地の面積は減少傾向にあります。
  しかし、耕作可能農地は、戦後を通じて拡大しているのではないでしょうか。
  
  耕地面積減少の統計の影で、戦後も継続して事業が続けられてきたのが、土地改良事業です。駅前の区画整理に指定され、換地があったという話は聞くと思いますが、土地改良は、農地が対象なので、あまり耳にしないと思います。
  この土地改良事業とは、簡単に言えば、既存の農地や山林を、耕作を容易にするために、あるいは、耕作を可能にするために、利水事業(水路を造り、耕地に水を通すこと)や、切り土などの造成を行い、土地を整形し、農業機械を耕地に入れやすくしたりする事業です。
  インターネットで調べても、耕作可能面積(作付けがない耕地という意味です。)の統計は出てきませんが、農地の土地改良事業は、平成の時代でも継続して行われる全国的な事業です。
 
  文献での確認がなく、仕事上の経験だけによるものですが、もともと、河川が多く、大規模用水路の建設は昭和の時代までに終了し、更に、延々と続けられた土地改良事業で、耕作可能面積は増大しているはずです。
 全国の棚田を報道する番組、記事を見るにつけ、私は、いつから田んぼになっているのだろうかとか、土地改良事業がどの程度入ったのだろうと考えてしまいます。平地に田んぼを耕す方が、楽ですよね。
 
  ところで、農地(土壌)は、痩せたり太ったりするデリケートなものです。荒れ地を耕地に変える場合には、まず、荒れ地での生育にも適しているジャガイモ、サツマイモなどを植え、土地を肥やしていって、商品化できる作物を作っていきます。私が育ったのは、千葉県松戸の方でしたが、通っていた小学校で、まとまった広さの宅地跡を厚意により借り受けたとのことで、学校挙げて生徒が石拾いから農作業をしたことがあります。(農地の一番の障害は、農具の障害となる、小石を含めたがれきや大木の根などで、石拾いは、農地化のための最初の作業です。)
  いい土壌は、一時的な肥料だけでどうなるものではなく、長い時間をかけた作業が必要です。逆に耕作地を放棄すれば、特に山間部では注意しないと、山の木々が生えてきて、10年程度でも山林と化してしまうようです。せっかく改良した土地でも、耕地の変形、水路の消失が起こり、耕作可能地にするには、再度事業が必要ということにもなります。
  その意味で、過疎化、限界集落の増大は、上質な土壌(宝)の持ち腐れとなるのですが、農地の有効利用は進んでいないようです。
 
  日本では、長年の土地改良事業により、耕作に適した土地がかなり増え(たはずです。)、にもかかわらず、耕作面積は減少しているという、ある意味、宝の持ち腐れ状態にあるといえます。

  現在、国が実施している減反政策すなわち、耕作面積の減少は、作物の総生産高を下げ、需給バランスから市場価格を維持する一つの手段ではありますが、一方で生産現場のコストダウン、効率化がなければ、耕作面積の減少による収入減少、専業農業人口の減少という、負のスパイラルに落ち込むだけです。
  今回の民主党政策の、農業補償の考え方も、価格努力をし、売上げを上げた農家がいい思いをしないことになりますから、農業政策として、耕作面積調整や農業収入補償を継続的に行うことは、長期的政策観点からすれば、避けなければなません。
  そろそろ、減反、耕作面積調整も含め、不作等の季節要因とは無関係の恒常的な農業補償を全面的に実施する「ばらまき政策」から転換しなければなりません。

2 日本の耕地  
  日本の耕地の特徴は、田んぼ1つ、畑一つの面積は狭いが、単位あたりの生産量が高いことです。地理的条件として灌漑設備が整い易いことでしょうか。また南北に長い地理条件から、収穫期に幅があり長いということでしょうか。
  春先に電車で九州を回ると、福岡辺りで桜が八分咲きのころ、宮崎辺りで田植えが終わった田んぼが見える車窓風景に出会います。その位、気候が違います。
  1箇所の地域に大規模な耕作地を確保することは、明治以降に開拓された開拓地、干拓地以外は難しいかも知れませんが、全国的に耕地を展開させることで、気候条件の異なる土地で、時間差で農作業を行い、高収穫を上げることは可能ではないかと思います。
  
  最近は苗床を作らずに、稲もみを田んぼに直播きする方法が実践されているそうですが、農薬、草引きのために、どうやって田んぼに入るのか、稲刈りの効率性はあるのか、考えると非効率だなと思うのですが、どの程度、広がっているのでしょうか。

  大規模農業に、ある意味先が見えてきた中で、小回りの利く小規模点在型の農地の長所を再発見してもよいと思います。

3 さて、日本には小回りがきく小規模農地が点在する特徴があるわけですが、小規模農地を耕作している農家は、後継者不足にあったりし、ともすれば耕作放棄地と化してしまう現状もあります。
  
  ご存じのとおり、戦後、小作民解放のために重要な役割を果たした法律が農地法ですが、農地譲渡の面倒な手続きの原因となっており、また、農地取得要件、農地委員会の許可との関係等もあり、企業が農地を取得できない原因ともなっています。
  逆に、農地を貸せるかというと、民法では、戦後の名残で小作地は建物賃貸借より厚い保護があるため、およそ金を取って貸せるものではありません。
  もめ事を避けるには、農地はただか、ただ同然で貸すのが一番です。

  昭和20年代の農地解放の際に小作人のほとんどは農地を取得し、また、このご時世、小作という言葉すら過去の言葉になりつつある今、敗戦直後に見られた小作の弊害はないわけですから、農地の貸借、所有をもっと柔軟に認めるべきではないかと考えます。
  
  現行法で、会社(公開会社)がまとまった規模の農業をする場合には、農地でないところ、つまり、工場跡地、宅地等農業用の土壌がない土地で、農業を始めなければならないというのは、明らかにナンセンスです。

  大規模農業ではなく、点在農地を利用する農業であっても、ある程度まとまった農地がなければまとまった収穫が望めませんので、農業を生業とすることは、実際上困難です。そのための農地を集めるための手段は必要不可欠です。

  近年、農地法が改正され、農地を取得できうる農業法人が新設され、農村も変わっていくのでしょうが、更に、南北に広い立地を生かし、同種の作物を栽培する農家、法人が一体化して対応できるのであれば、農作業の効率化、集約化、消費地への出荷の効率化も期待できそうです(訂正前の原稿で、同族主体の農業法人を除外しましたが、今後の変貌への期待を込め、訂正します。)
  売買制限が必要であれば、フィリピンの法律のように(フィリピンでは不動産取得そのものの制限ですが)、農地の取得を日本国民に限定すれば十分と思います。日本国民に限定しても、会社が賃借りできる余地があれば、農地の確保は可能です。


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