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時事問題 : 共通の話題 映画ネタについて
投稿者 : admin 投稿日時: 2012-04-21 (1033 ヒット)
最近、縁があってフェイスブックを始めました。
とはいうものの、何をしたらどういう効果、影響が生じるのかいまひとつわからず、未だにほとんど手を付けてないままでいます。
自己紹介のところで、尊敬する人、好きな映画等、趣味趣向を入れる欄がありますが、知らぬ者同士の距離を埋めるために共通の話題を引っ張ることにコンセプトがあるようで、メジャーじゃない人や映画だと最初から入力できないことになっているようです。
20代のころから、尊敬する人はと聞かれた際に「弁護士の正木ひろし先生(故人)」と言っているので、入力しようと思ったら、入らず。。一昔前の人ではありますが、グーグルでは検索できるので、まだまだ業界ではそれなりに名の知れた人だと思っているのですが。残念なことです。
好きな映画は、入力できました。ベッド・ミドラーのメゾがかったアルトの声が好きで、フォーエバーフレンズと入れたのですが、20代にレンタルで借りてみた映画で、映画館で見たものではありません。個人的には、わざわざ、映画館まで足を運んだ、舞踏家の大野一雄(舞踏とは、日本で発展したダンスのジャンルと、第一人者は土方巽と大野一雄だと思っています。たしかどちらも体育教師出身者で、土方巽より、大野一雄の方が結果的にメディア露出度が多い)の記録映画などがいいのですが、最初から入ることはないとわかっているので、試しませんでした。。共通の話題探しという意味では、こういう映画は最初からアウトでしょう。
共通の話題探しというのは、なかなか難しいものです。

今回入力するにあたって、私自身、なんだかんだで、アメリカ映画は、50年代、60年代、70年代前半のアメリカを舞台にしたものを好んでみていることに気が付きました。ちょっと哀愁が漂う感じがいいですね。
「かっこうの巣の上で」という映画は、高校の世界史の授業で見ました。私の通学した高校での選択授業の世界史が、教科書をほとんど使わずに、当時の状況を具体的に知りましょうというコンセプトで、古代ローマなら「ベンハー」などと時代物の名作映画を見て、その後、その時代の関連論文を読み、映画の感想文を書くという、スタイルでの授業で、現代アメリカの象徴として映画鑑賞したのが、アカデミー賞受賞作品でもある「かっこうの巣の上で」でした。
 いい作品ですが、なかなか感想が書けず(というか、全く無縁のテーマで感想が書きにくかった)、適当に感想を書いて出したら、「そういう考え方でいたら、あなたもこの看護婦(物語上の支配的立場の人物)のようになりますよ」とコメントされて返されました。当時は、このコメントの意味も正確には理解できていなかったように思います。

マイノリティ、マジョリティ、あるいは、時代の変化によるそれらの逆転、価値の変化が日々生じ、また、自分自身も日々年を取り、立場も変わり、物の見方、考え方も変わっていきます。

今では、社会(主義)政策が行き届いているのは、どう考えて中国共産党率いる中国より日本ですし、クラスアクション的な巨額訴訟が毎日のように提訴されます。
誰がマイノリティなのか、被害とは何か、どうすれば解決が図れるのか、また訴訟社会の行き過ぎは社会経済の停滞につながらないのか等々、考えさせられます。
価値観の変動は、立場の逆転につながります。
たとえば、「一生養ってもらいたい」というのは、専業主婦が夫に対していうセリフのように聞こえますが、最近の芸能ネタではありませんが、意外に、男性がこういう発言をすることを、しばしば目にします。相手は国等々です。
生活保護費などの社会保障費の急激な増大傾向が進む負のスパイラルの中で、増税しても焼け石に水のような気もする等、いろいろあると思います。

だからこそ、当然のようになってしまっている慣行が本当に当然のことなのか、それを継続していくとどうなるのか、結局は「あの看護師のようになっていないか」と自戒するよう、心がけなければならない、と考えています。これもまた難しいことです。

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