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時事問題 : 最後の増税とするために・・・その1 保護費の中の医療費の見直しと支給額について
投稿者 : admin 投稿日時: 2012-10-27 (699 ヒット)
さて、先日、最後の増税とするための施策として社会保障費の削減は必ず実行しなければならない課題と書きました。これについて、もっと詳しく掘り下げたいと思います。
が、その前に、やはり無駄遣いの予算・執行が散見されるようです。
最近のニュースで、
認められた復興関連予算の中に、外務省の「アジア大洋州地域、北米地域との青少年交流」。 震災の「風評被害を抑える」という名目で、41の国・地域の高校生や大学生を招き、被災地との交流を行うために、21億円の予算が出たとのことですが、なんとも迂遠です。どの程度の実効性があったのか(当然のことですが、子どもたちにアンケートを取って、また日本に行きたいと思いましたという回答が多数だったというのでは検証には足りない。)、検証と反省をして、実効性ある対応をしていただければと思います。
復興予算だから何度も通していいいというわけでは、当然ありません。
これを、如何なる名目であっても、きちんと監視していないと無駄な支出が山のようにされかねない教訓として生かし、限られた予算の中で、適切な予算配分と効率的な予算執行を期待したいと思います。

1 人が生活するために、月額いくら使うのか
 さて、あなたの一か月の食費はだいたいいくらか考えたことがありますか。
一般にエンゲル係数では、食費はだいたい同じという前提で、食費の家計の支出に占める割合で、その家庭の生活水準を位置づけます。が、意外に、食費の額は千差万別です。
 弁護士は、その仕事柄、様々な人の家計簿に触れる立場にありますが、夫婦と子どもの3人家族で、月額3万円の食費で十分と言われたことがあります。親から食材を融通してもらうわけでもないが、食費は3万円で十分でそれ以上は食費にかけないというのです(但し、夫は、毎日愛妻弁当とのことでしたが)。確かに、毎月の米の購入額から追っていけば、それなりに自炊が徹底されるのであれば、実現が不可能な食費の額ではありません。
 他方で、決してグルメをしているわけでもないのですが、夫婦だけで月額10万円は必要という方もいます。毎日、自炊をせず、出来合いの総菜を購入し、毎日昼に外食をすれば、まあ、こんなものかなと思います。
したがって、食費の額というのは、生活水準により増減するというよりも、その人のライフスタイル、どの程度自炊をするか、惣菜の購入の頻度、内容、外食の頻度によって変化します。その食費の差は、生活水準からくるというよりも、生活スタイルからくる問題のようです。
私は、日本の、家庭の個性に大きく左右される食生活の状況では、エンゲル係数はあくまで目安で、生活水準の精度としてはさほど高くないと考えています。
 
 また、今は、野菜等生鮮食料品を含めた食料品の100円ショップもあり、そういう店も、様々な工夫がなされ、ただの安かろう悪かろうではない品ぞろえになっています。だから、家計は、やり繰り次第で、工夫の余地があるところです。
 他方、高齢者世帯になると、火事のリスク回避等のため、3食弁当の生活にするというのも、珍しくなくなってきます。そういう明らかに、弁当の支給が妥当する世帯に関しては、私は、食費は現金支給ではなく、食事券やバウチャー制度を利用した、現物支給の方がいいと考えます。弁当の配達は、デイサービスを利用するほどではない高齢者にとっては、地域の見守りと同義であり、有効なコミュニケーション手段であるため、これをうまく利用すれば、行政としても、高齢者の日常を無償で確認できる一石二鳥の手段になると考えます。

 最低限の生活費をどうはじき出すのか。都市部であっても、生鮮品を含む食品価格は、ずいぶん安くなってきています。生活費を考えるにあたっては、いろいろな尺度からの検討が求められます。
食費等についても、高齢者を細分化する余地はあります。また、高齢者等食事を作らない世帯に対しては食費支給をバウチャー制度へ転換することも有益だと思います。

2 生活保護費で支給する、医療費の見直し
  さて、生活保護費の支出の半分を占めるという医療費ですが、現在、
1 生活保護費の一部負担ではなく、立替方式で、一旦負担してもらう
2 ジェネリックの義務付け
という改革案が検討されているようです。
 
現場を見聞きする立場としては、賛成か反対かと言えば、どちらも賛成です。
 医療機関は、子どもと病者と高齢者が、主要なお客さんです。その中でも、病気が続き、就労ができなくなると、必然的に生活ができなくなり、生活保護を受けるというパターンになるので、おそらく、医療費総額に占める割合や、延べ患者数に占める生活保護者の割合は、結構高いはずです。
 そして、これは、逆に医療機関から見れば、「生活保護者は、いいお客様」なのであり、「お客様」獲得のために結構頑張ってしまう医療機関、具体的にはあれもこれもと言ってくるお客さんに対して、懇切丁寧にあれもこれも診察し処方して診療報酬を上げる医師が増えると、医療費増大に直結します。医師のモラルの問題ですが、診療所内の自動販売機の飲料を無償で配布するなどの大阪で問題になった露骨なサービスでなければ、逆にしばしば散見されるものであると私は見ています。
 実は、こういういい加減な対応をした場合、医師側にも火の粉が降りかかることがしばしば見られます。差し迫った必要もないのに、診療をするということは、「ちょっと具合が悪いが、先生がこうすればよくなると説明してくれたため、先生の説明を信じて、治療をしてもらったら、全く効果がなく、かえって症状がひどくなった」という訴えが、しばしば出てきます。患者側に差し迫った愁訴があれば、ちょっとでも病状がよくなれば、「よくなった」と感謝されるのでしょうが、元々さほど悪くないため、ちょっとよくなった程度では患者は納得せず、「無駄な治療を受けさせられた」「効果がない治療を受けさせられた」となるのです。
 世の中、そんなものですので、これを読んでいる医療関係者の方がいれば、是非とも、差し迫った必要はないが治療を勧めたら患者が応じた程度で、余計な治療を行わないことをお勧めします。

 話は飛びましたが、患者側の立場からすれば、こういう無駄な治療がなされる原因は、自分の懐が痛まないことも原因となっていると考えます。自分のふところが痛むのであれば、財布の口を緩める前にちょっと考えるというわけです。
そのため、患者側に、本当に必要な治療なのかどうかを考える、機会を与えるという意味でも、一時的な負担、若しくは一部負担は、実効性ある方策であると思っています。

 
 次に、ジェネリックの利用ですが、現在の薬価制度からすれば、ジェネリックの利用で、普通の風邪薬で、薬代が半額か3分の2程度に下がり、しかもそれなりに薬効があるわけですから、これは推進すべきだと思います。
 ちなみに、薬局では、正規品から簡単にジェネリックを割り出せる端末があり、ひと頃のCMではありませんが、「ジェネリックで」と薬局で頼めば、簡単に探してくれ、処方箋の指定があっても変更してもらえます。人気のある正規品には、複数のジェネリックが発売されているようです。

 窓口の一部現金払いやジェネリックを推進したりすれば、一時的には、医療収入が減ると思われますが、長い目でみれば、現行の健康保険制度や、生活保護による医療費の負担(言うまでもなく、これは医療業界の貴重な収入源であります)制度の維持につながるのですから、ここは、今、制度改革をする方が、業界のためになることは、確実です。
 現在の厚労大臣は、医療関係者だそうですが、決して業界の目先の権益・利益の代弁者と成り下がらないよう、期待したいところです。

2014.8.22 補足
ここ数日、最低賃金法との兼ね合いで、生活保護の問題がインターネットでいくつか取り上げられているのを読みました。

1 生活扶助を住宅扶助に回すことがまかり通っているのか
 
 あるライターの記事で、住居の賃料が高く住宅扶助の範囲内で家賃が支払えず、その分生活扶助の金額を回さざるをえないと書かれてありました。
 しかし、私が知る限りでは、住宅扶助の範囲内の家賃の住居に住まなければ保護支給開始をしない運用がなされています。つまり、家賃が高ければ、まず生活保護の範囲内の家賃の住宅に引っ越すことを指導し、生活保護を開始させます。
 家賃が住宅扶助の範囲を超えているのに引っ越しをさせずに保護を開始・継続するというのは、担当ケースワーカーの怠慢のような気がします。
 都内だと一人暮らしの標準は家賃条件は5万3000円でしたか。この金額で、都内でアパートを探すのは可能で、探せばあります。
 どの人もいろいろ物件を探して決めているのが実情です。

 ですから、生活扶助を住宅扶助に回さなくてはいけない人がいるとすれば、それは原則をはき違えているのであり、そもそも引っ越しを促さなくてはいけないケース、すなわち認めてはいけないものと考えます。

 
2 世帯数だけで、統計的に母子家庭の受給数が少ないと言えるのか

 一般論になりますが、生活保護は老夫婦、独身高齢者の受給が圧倒的なはずです。他に頼れる親族がいないという生活保護の要件は、そういう人にこそ当てはまりやすいのです。
 そのため、世帯数ではなく受給人数で集計すれば、また違った数字になります。また、若年層かつ健常者家族で、生活保護を受給するのは、正当な理由で世帯収入が少ないケース、母子家庭などに限られるわけですから、これが母子家庭の受給を目立たせる結果になっているかも知れません。
 
 子どもが多い寡婦、寡夫家庭の受給総額として、現在の運用では相対的に多くなるのは事実です。
 但し、私は統計を確認したわけではありませんが、寡婦、寡夫家庭においても、働いている親の割合が多いというのであれば、少々希望を感じます。
  理想としては、ご自分に合った仕事を見つけ、息の長い職歴を形成していただくことが一番ですが、私がみている限りでは、そうでなくても、働く姿を子に見せることは、その後の子の人生にも影響すると考えます。

 ちなみに、どちらか一方が働かなくなったことは、ありがちな離婚原因ですし、仕事に対する構えというか、自分に合った働き方を見つけられずに体力的、精神的にだめになり失職するケースは、生活保護を受けるありがちなきっかけです。
 ですから、仮にもらえる金額が少なくても働くということは、働く姿を見せ、労働に対する認識を持ってもらえるので、子に同様の境遇にさせないためにも、意味のあることではないかと思います。

 ところで、究極の職業訓練とは、適材適所、具体的にはその人に合った職種を見つけ出させることにあるのでしょうが、長く働くようになった現代では、長期間の就業を息長く続けられるように、その年齢に応じ、またその人の個性にあった仕事のペース配分を身に着けさせることでもあると思います。
 社会に出れば、学生のように一斉に同じことを競争することはありません。職業に求められる社会的能力は、社会人になって初めて要求されるものであり、また、必要とされる能力が劣る人でも、意欲をもって時間と労力を割けば、それなりにその職種に関するスキルを身に着け、結果、高い能力を持つ人と同じ成果が出ます。
 俗に、やりがいがあれば仕事がきつくてもブラック企業ではないそうですが(異論はあるかも知れません)、年功序列がなくなった現代では、年齢に応じた役職にありつけるわけでもなく、その中で何十年にもわたりやりがいを見いだせる人もさほど多くありません。年齢に応じたペース配分を心がけ、精神的肉体的に負担になりすぎないようにする必要があります。

 
 

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