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投稿者 : admin 投稿日時: 2013-11-04 (1554 ヒット)
 長くなりそうなので、2つに分けます。


補足1・生物学的見地と家族法 〜流動化する実子の定義

 今後、家族法改正論議の中で、合わせて改正要望が出されるのが必至なのが、代理母出産や父死後の妊娠(死亡前の不妊治療等で採取した精子を使い死後妊娠出産すること。妊娠後死亡の場合を含まない。)の問題だと思われます。
 社会的責任・義務は、生物学的な親子関係から生じるものではないというのが、現行の家族法の立場です。代理母の場合には、父が認知し母とは養子縁組若しくは特別養子縁組により、法的な親子関係を作ることになり、死後妊娠は当事者死亡の壁があり、死後認知の余地もなく現行法上親子関係を認める余地はありません。
 これを解消する法改正の余地があるとすれば、死後認知の適用範囲を広げることと、親子関係を、民法だけではなく規則や施行法による準用の余地を残し(具体的には「大臣の定めるところによる」の文言等を入れる)、時代時代の出産技術の進歩に対応し、親子関係を認める余地を作ることです。
 極論からすれば、家族法は、社会的責務を負える親が子を育てるべきという趣旨で成立しているわけですから、それに相応する責務を負えると認められる事情があれば、弾力的運用もできるはずなのです。
 死後妊娠(これはすでに裁判例あり)、死後卵子(この事例は知らない)の利用は、今後の技術開発によっては途方もない相続問題を秘めるため、必ず期間制限が必要で、その期間制限は時代時代により変化させなければならないものになるはずですが、テクニック的な限定を除けば、「自分の子を育てる」「自分の財産を自分の子孫に残したい」という親や被相続人の理念は、貫けるのではないかと思います。


補足2・養子について

 九州の慈恵病院の赤ちゃんポストは、社会に現実に内在し、かつ主に道徳的観点から、事実も存在も否定されるべき問題を現実的に解決する画期的な対策だと思います(注・子の養育が困難な場合には乳児院、児童養護施設で子どもを受け入れるため、公的な受入体制も実はあります。また、養育のサポートが本来的役割となっており、養子縁組を積極的に行うわけではありません。ですが、子育てが困難な場合には乳児院や養護施設に相談することも有効です)。
 他方、最近、特別養子制度に関し埼玉の病院を巡る詐欺事件が摘発されました。

 我が国では、昭和55年の家族法大改正の際、特別養子制度ができましたが、活用例はそう多くありません。
 特別養子を成功させるには、1、6歳未満の子で、父母が20歳以上で(但しどちらかは25歳以上)、血縁関係が完全に切れるという、特別養子の制度が周知されること、2、子の受け入れニーズが一定以上あること、3、特定の組織に、若しくは特定のあっせん機関に特別養子適格対象者が常時一定程度存在することが必要だと思われます。
 世の中には、子どもが欲しい夫婦もあり、逆に子どもが育てられない親も多いはずで、現実には年間人工中絶件数は1万件以上は確実にあるのに、うまくそれが機能しない。
 少子化の折でもあり、なかなか悩ましいことだと思います。
 
 私としては、特別養子の要件の緩和が必要な時期に来ているのかと考えます。
 今回の家族法改正で、親子関係も改正するのであれば、特別養子も改正対象にして欲しいと思います。

 ところで、ロシアでは孤児院がたくさんあります。以前、チェチェンにモスクワの孤児が集団で移住したという史実を読んだ際に、どれだけ孤児がいるのかと不思議に思ったものですが、孤児の国外養子縁組禁止のニュースで、ロシアでは共産主義の名残りで、育てられない子は社会で育てるということが一般的になっていると知り、なるほどと思いました。
 ロシアほどではないにせよ、未婚の女性が子を産むことが、また信頼できる夫婦に子どもを託すことが一般的になれば、すなわち、特別養子制度が社会的に信頼できるほどの基盤とニーズを備えれば、大量の水子も発生せず、また少子化問題も多少は、解消されるのではないかと思います。

2013.12.11補足
今日、最高裁で、一方に性同一性障害により性別変更があった夫婦の子を嫡出子として認める決定があったとの報道がありました。
 婚姻期間中の嫡出推定が及ぶとの文言解釈と、また家族法の社会的責務を負える親が子を育てるべきという趣旨からすれば、今までの流れを踏襲した結論かと思われます。
 この最高裁判例が出たことで、性別変更して実現した父または母の役割の中で、子育てをする道が更に広がるわけですから、この種の問題を抱える方にとって意義ある判例と考えます。
  先日の家族法改正は、「同じ被相続人を親とする子同士の相続の平等」だけのための限定的な改正になってしまいましたが、この判決は、道徳観により、なかなか法改正が進まない分野において、生物学的な親子関係はともかくとして(嫡出否認の訴えでもないのに)嫡出否認の要件をもって、嫡出推定の原則そのものを否定するような限定的解釈を取らなかった点、評価できます。

2014.3.31
ドラマ・明日ママがいない に関して
さて、珍しく児童養護施設のドラマがありました。養護施設は難しい環境に育った子どもたちが多く在籍するため、行く大人も気を使うのですが、意外にいる子供たちは大人びているなというのが、実感です。
養護施設について社会的認知度が高まるのは、子どもにとっても施設にとってもいいことではないかと思います。
 というか、深刻な虐待になるくらいなら、その手前で、児童養護施設を利用できる、利用したいと思えような体制になってもらいたいと思います。

 世の中の子育て世代の親もいろいろ事情があるわけで、一時的に子育てができなくなることだってあります。また、残念ですが、子どもはいるが子育て能力が欠如に等しいのではないかという親(ネグレクトなど)もいます。
 子育てができない状態を単なる親への非難ではなく、ありのままに事実だけを受け止められる社会になれば、いろいろな事情から社会から孤立してしまい、家庭内に向かって行くことで虐待が始まる親の、若しくは社会から独立している環境を利用し虐待を実行する親がいる子の、セーフティーネットになるのではないかと思います。

投稿者 : admin 投稿日時: 2013-11-04 (1399 ヒット)
先日の婚姻外子(非嫡出子)の相続分1/2を定めた民法900条の違憲判決により、家族法の改正が必至となりました。ここ数年、何件か合憲判決が出てからの、ようやくの違憲判決であり、関係者悲哀こもごもと言ったところでしょうか。

 さて、民法改正議論は、もともと債権法の大改正が本命で、改正作業が着々と進みつつあるのですが、違憲判決により、債権法より早く家族法の改正がなされることになるのでしょうか。
 今回の家族法の改正により、必ず改正が予定されるものとしては、出生において差別されるべきではないということで、父または母を同じくする場合には、父または母の相続に関して、取扱いを平等にするということになります。
 つまり、
1 認知された子の扱い
 実親の相続に関し、他の子と区別されることなく法定相続分を有することになることが固まったわけです。
 扶養義務については、以前から摘出子と同様扶養義務があるので、変わりありません。
2 認知されない子の扱い
 これに関しては認知がない関係上、相続分は発生しません。但し、死後認知の制度等があるのでそれで救済することになります。
 憲法違反が出た後の、最近の東京家裁の審判決定の例はこれでしたか。
 子ができても結婚しないカップルには、それなりの理由があるため、最初から認知はするが婚姻はしないというケースは、あまり見かけません。逆に言えば、婚姻に至らなかった理由が深刻で、認知なんてとんでもないと拒む場合もあります。ですので、両親の感情的な対立が問題にならない死後認知は、実は割と想定できる認知制度の一つとなろうかと思います。

 ちなみに、認知の訴えが親子関係を認めさせる裁判で、それと対極にあるのが、親子関係を否定する裁判、親子関係不存在の訴えです。
 親子関係不存在の訴えについては、生物学的な問題だけではなく、社会生活上の責任・義務の問題が発生しますので、子の福祉の観点から、生物学的な親子のつながりがないからと言って直ちに親子関係は否定されません。その点、子の福祉という配慮が不要な、子からの親子関係不存在の訴えに関しては、社会生活上の実態を抜きにして、不存在が認められやすくなるわけです。

3 父または母を同じくする兄弟姉妹の相続の取り扱い
 900条4号は子がおらず、親死亡後の兄弟姉妹の相続についても記載があり、同じ兄弟姉妹であっても、どちらか一方だけが同じの場合には、相続分は1/2になります。
 実親の相続の際の1/2とは異なり、片方だけ同じくする兄弟姉妹の相続を、両方同じくする兄弟姉妹と同様に扱うべきかという父母両方の血統の問題なので、片方だけが問題になる出生の平等とは違う問題があります。
 認知、再婚前後の子同士の相続の場合が適用場面です。ステップファミリーにはほど遠い、我が国の現状からは、それこそ、会ったこともない兄弟の相続の場面が想定されますので、この区別には合理性ありと判断します。しかし、これも900条なので、場合によっては改正対象となるかも知れません。
 離婚、再婚カップルが多いため、この適用がある場合が増えるかもしれません。
 なお、これも遺言書で対応できる問題で、兄弟姉妹には遺留分がありませんので、遺言書さえあれば相続を完全に排除できます。

 さて、本日の本題です。
 今回の法改正、あるいは法改正以前の問題として、少子化の問題があり、「生前、ほとんど縁がなかったのに降って湧いて出たような遺産が転がり込んだ」という棚ぼた的な相続や、多額の借金が出てきたという、相続は増えつつあると思われます。
 また、両親が早くに死亡したため、30代、40代で、2親等が不在で、3親等以下とは疎遠のため、葬儀の実施すら危ぶまれる場合もあると思われます。

 これは実際にあった話ですが、両親が死亡し、それなりに何かの時のために備えようという自覚のあった若壮年の方が突然死してしまい、死亡保険、入院保険にはきちんと入っており、死後の金銭処理はそれらの給付を受ければ、全く問題なかったにもかかわらず、3親等の親戚が離れて住んでおり、日頃の交流がなかったため、それらの事実が全く伝わらず、処理に困ったということがありました。若壮年の死亡給付金は、それなりに多額ですが、何も手続きをしないのでは給付も受けられないわけで、これでは全く意味がありません。

  
 そこで、お勧めしたいのは、1 遺言、2 何かの時に頼める人を作っておくことの2点です。
 遺言書は、遺留分の制限はありますが、亡くなる側の意思で相続を決定でき、違憲と出た1/2と相続分を定めることもできます。
 また、複雑な相続関係がなく、大した財産がなくても、一から探すと大変なので、遺言を書き、何がどこにあるかヒントを与え、自分の葬儀代はどこから工面できるのか、死亡保険や傷害保険はかけているかなどを明確にするだけでも十分意味があります。遠く離れている親族は全く分からないのですから。

 
 そして、遺言書を書いたのであれば、どこに遺言書があるのか、もしものために誰かに話しておくことが必要です。信用できる相手がいないのであれば、弁護士(信託銀行も同様のサービスがありますが高くて不向きです。)の遺言保管等のサービス、金庫(今時、盗難に遭えば一番に持っていかれやすい金庫に貴重品を保管する人は多くないと思いますが、金庫は大事な物を保管すると思われがちなので、勝手がわからない人でも一番に確認してくれるかも知れません。)等を利用し、もしものための活用をお勧めします。

 
 遺言書は、「争続」の原因と言われますが、自宅の不動産以外にほとんど遺産がない圧倒的多数の相続の場合には、やはり有用です。ちなみに、遺言書は、意思能力が認められる限り最後の日付の遺言が有効となります。簡単に言えば、ボケるまでの間、遺言書は気が済むまで何回でも書き直しができます。
 自筆遺言書の要件は、1 全文自筆 ワープロ不可、2 日付の記載、3署名押印です。封緘は必要ありませんが、しておくケースが多いです。

 ところで、昨今の振り込め詐欺等、高齢者を狙う詐欺が頻発する現状は、高額資産保有層が高齢者に集中し、資金がだぶつき、有効活用されていない現状が背景にあります。戦前であれば「家」で保有し、「家」の中で有効活用された財産が、「個人=高齢者」が保有し、資金が社会に還流していないため起こっている一面があると思われます。
 昨年度決定の孫の教育資金としての1500万円までの贈与税非課税措置だけではなく、同居促進等、贈与税の非課税パターンを拡大し、「使わないお金を使う必要がある世代に移転させる」という、余剰資産の若年層への弾力的な移転が必要です。

 更に、詐欺は特に相談相手のいない高齢者が被害に遭うことが多いことから、老後の資金のために貯めた資金が、投資詐欺、博打詐欺(競馬詐欺、ロト6詐欺)等で失われることがないよう、願わくば、高齢者一人一人に、日常的な相談ができる環境が確保されるような、まだまだ元気なシルバー世代が活躍・交流する場づくりの促進を、行政に希望したいところです。

投稿者 : admin 投稿日時: 2013-08-27 (1510 ヒット)
潘基文国連事務総長が、我が国の政権に対して異例の発言をしたというニュースがありました。
国際連合の慣例で、先進国の国々からは、国連事務総長は選出されません。影響力が大きすぎるのと、国連の組織を、発展途上国を含めた世界の国々対し公正中立の立場に立ち、一国の利益を代表することがないようにするためです。だから、今東アジアで初となる国連事務長を、韓国国籍を有する人がやっています。

国連事務総長の「歴史云々」発言は、日本は敗戦国であり、そういう歴史があるから、国防以外に軍隊を持ってはならないという趣旨でしょうか。
当たり前のことですが、韓国の軍隊は普通の軍隊で、日本のように国連軍の活動であってもその活動範囲で国会が毎回もめるなどのことはなく、小規模ながら毎度紛争地に出かけています。そういう韓国のメディアが、「歴史を知るべき。だから集団的自衛権など容認すべきではない」というのは、余計なお世話のお門違いですから、相手にしなければいいわけです。
しかし、これが、国連事務総長の発言であれば、容認できるものではありません。

また、集団的自衛権の問題を、「国連」の立場で発言をするのであれば、軍隊を持たなかった、当時世界一平和と言われたクウェートが、あっさりと隣国の軍隊に占領され、それがイラク戦争になって行った歴史、その際の国連の関与等を、きちんと認識して発言していただきたかったと思います。
普通の軍隊を保有する韓国が、あるいは集団的自衛権をわざわざ議論しなければならない国は世界でも特殊である中で、「国連」事務総長が発言する、集団的自衛権を否定すべき歴史とは、具体的に何を指すのでしょうか。

もちろん、私自身は、憲法を学び、憲法がある状況で生活しているわけで、平和憲法だとか、これを堅持すべきと教えられて育った世代です。現在の憲法を否定するわけでも、集団的自衛権の行使を全面的に容認するわけでもありません。
が、憲法議論は、国内問題です。自国の中で議論するものと、何の制約もなく集団的自衛権を有する軍隊を持つ他国が、「歴史があるから」と制約を要求するのは、全く意味が異なります。
国連事務総長の立場としては、国内問題に、しかも他国のメディアに対して答えたという意味で、適切ではありません。

中国では、茶番劇のような共産党幹部のメディア公開裁判が行われましたが(もともと、メディア公開する内容が、中国国民向けのアピールのためか、なぜ収賄?とか、受託の有無、職務に関しているのか等、構成要件的にいまいち理解しにくいところがあり、結果茶番劇だなと思ってしまいます。もちろん、収賄は日本では実刑になることはありますが、無期にも死刑にもなりません。)、事務総長の任期が何年あるのか知りませんが、一国の国内問題にここまで首を突っ込む必要性があるのか、全く疑問です。

できれば、出身国のメディアに色目を使う時間があるのであれば、今世界で一番、トピカルでデリケートな懸案事項である、シリア紛争での化学兵器使用について、国境なき医師団のスタッフが現地医師から聞いた「使用あり」との情報で、多国軍を編成して動こうかどうかという中で、国連、あるいは「国連」事務総長こそ、中立的第三者の立場からの本格的な介入の役割を果たしていただければと希望します。
意見対立で調整がつかない安保理の立場ではなく、国連として正確な情報収集を行い、今度はイラク戦争のように、主たる開戦?理由であった「『大量破壊兵器保有』の事実はなかった」と判明し、うすら寒い思いをするという事態に陥らないように、また、平和的和平の途を開くよう対応していくべきであるのではないかと思います。
最終到達点がない戦争は悲惨で意味のない消耗戦であるとわかりきっているはずで、それを誰がどう折り合いをつけるのかというキーパーソンの問題であるとの認識が双方にできれば、本来的役割を言えば、国連が乗り込むのが、一番適切なのですが。これこそが、国連設立当初期待された役割でもありますが、・・・未だ道のりは遠いようです。

投稿者 : admin 投稿日時: 2013-06-12 (1769 ヒット)
さて、前回に引き続き、朝鮮半島の話です。
とは言っても、正直、政治にも、また半島のエリートがどうなっても、あまり興味はなく、手に入る範囲の北朝鮮物の本は、エリートの観点からの本か特定の目的に基づき書かれたものしかなく、納得いく文献はありませんでした。そこで、今回は北朝鮮の庶民クラスに関するニュースを題材に考えたいと思います。

?今年になってウラジオストクで起きた朝鮮人労働者の集団一酸化炭素中毒死事件(火事ではない模様)
 建物の出入り口に外からカギがかかり出られなかったそうですが、ストーブなどの暖房器具が不完全燃焼を起こし、一酸化炭素を出し始めたのにこれでは逃げられないわけで、かなり深刻なニュース。
 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201302/2013022100694

?北朝鮮で、帰宅した妻が、夫から「今日は久しぶりに肉を食べさせてやる」と言われ、不審に思い、家の中を探すと、床下からその家の子ども2名の死体が出てきて、父親が子どもを殺して人肉を料理したことが判明したとの記事
  http://www.asagei.com/12273 
 なお、当時配信されたニュースソースには、もっと詳しい記事になっていたと思います。また、インターネットでは、飢餓状態にある北朝鮮では人肉は日常的に食べるものという話も流れていて、それが真実であれば信じ難いおぞましい意味での怖さを、嘘であればまことしやかな縷言の怖さを感じます

?については、逃げ出すことを警戒するような海外出稼ぎ労働による外貨獲得など、国際的感覚からすれば、これは正に強制労働であり、人身売買に近い深刻な人権侵害ということになります。

?については、どうも全体の流れからすれば、個人のカリバニズムではなく、普通の日常生活の中で話のようです。それが本当であれば、おぞましい話です。人肉を食べること、更に生きている人を殺害して人肉を食べることは人権侵害の最たるものと考えます。人を食べる目的としてとらえると、そこには、倫理観、道徳観もなく、弱肉強食の無差別な殺人がまかり通ってしまい、社会秩序が崩壊するわけです。
 しかしながら、ここ数年、南でそういう事実もなく、朝鮮半島は気候条件からすれば深刻な飢饉になるとは思えないのに、また昨今の農業生産能力拡大、技術進歩からすれば、気象条件が極端に悪くなければまず餓死者はでないはずなのに、また飢饉でもないのに、人肉を食べなければいけないような状況にある地域は、世界の中でも、ほとんどないと思われます。このニュースソースが確かなのであれば。
 平たく考えると、今北朝鮮に必要な支援は、工業化ではなく、農業の抜本的なテコ入れと、経済流通システムの改善のように思われます。食糧支援は一時のつなぎにしかすぎません。

 ずいぶん前から、北朝鮮の政治体制が崩壊するとささやかれていますが、核開発に代表されるように軍事偏重ではありますが、軍事国家を押し進めることで、政治体制の維持が一応なされ、しかも国内外に体制を一新するような有力な対抗馬がいないのですから、政権の崩壊という自己崩壊(事実上の自己崩壊ではない)を待つシナリオの実現はなかなか厳しいようです。
 他方、ドイツのように平和的に国家合併ができるかとすれば、ここ50、60年の経済格差、その他の事情からくる問題が大きすぎ、普通に考えて、厳しいとしか言いようがありません。
 韓国が、真剣に国家統一を考えるのであれば、まず、少なくとも庶民レベルが飢えない生活が維持できるよう、支援すること、つまり、一時的な食糧支援ではなく、抜本的な農業技術支援をすることだと思います。軍事転用目的ではないため、この程度ならば許容範囲内かと思います。

 また、儒教の国・韓国では、人肉が滋養強壮のためにいまだに食され、それをやめようとか、廃止しようとする風潮がないようですが、例えば、このまま朝鮮統一となり、北の貧困と南の極端な繁栄が更に深刻化すれば、南の違法業者が、胎児でない人肉を求め、非合法ながら、北の人口が減っていくということになりかねません。もちろん、そんなことは、あって欲しくないし、そういうことを話題にすること自体おかしいのですが、そもそも、この現代の社会で人肉を現に取引対象をしているのですから、何が起こるかわからず、ある意味、そういうところのモラルは、宗教の壁を越えて、北朝鮮だけでなく、韓国でも徹底してほしいところです。
 http://japanese.joins.com/article/797/151797.html
 人肉を食すのは、日本人的な感覚としては、おぞましいという、直観的な嫌悪感が先に立ってしまいますが、これは当人に殺されるような帰責性がないにもかかわらず殺人を招来することになるため、無差別殺人に他ならず、人権侵害の最たるものと考えます。

 私は、今回のこの記事を構想するに当たって、大陸の食人の文献を当たりました。
 自分できちんと調べるまで、ひと通りの理解しかなかった事件が、実は、全く知らなかった一面があること、ここ50年の中でも、信じられない出来事があったのだと、驚くとともに、話半分であるとしても、すごいことだと思いました。
こんなことが日本で起きたら大騒動ですし、それ以前の問題として扱われ、何をばかばかしいことを真面目に書いているのだということになりますが、現実は、現実ということです。

 このインターネットが、氾濫する時代であっても、こういう話題性が大きすぎる事件については、正しい情報源からの確かな情報であることの確認が必要となります。
 先日、中国当局が、法輪功という宗教団体が、偽物の血を写真撮影で使ったとかで、逮捕されたとの記事が配信されていました。法輪功という団体は、東京地裁にしょっちゅう出かける弁護士であれば、地裁前でよく抗議運動をしているので、なじみのある団体です。
 この団体が訴える中国公安当局の電気ショックによる拷問は、にわかに信じ難いものですが、別の機会に、中国の公安当局が、韓国人の脱北者支援者を拷問にかけた際の、やり方を、韓国の国会議員が国会で公表してその残虐性を非難したとの記事を読み、韓国の国会議員が問題にした拷問の方法によれば、確かにそういうケガ(電撃熱傷)になるなと思い、法輪功の抗議行動の信憑性を感じたものですが、ああいう写真の血は造った血ですかね。
 全く自慢になりませんが、職業柄、いろんな写真をみるため、これでも、そこそこ目は肥えているつもりです。
 朝鮮半島も大陸も、いずれもお隣の国ですし、いい意味で、一人一人が自己実現、自己統治を図れる世の中(なんだか、憲法講義のようですね。これを憲法13条自由権というわけですが、もちろん、それには責任を伴います。自分自身に責任を持つということは、強制されてやった、周りもやっていたからと、無罪放免が簡単に認められるものでもありません。)、また過度な宗教弾圧などする必要のない世の中への暫定的移行がスムーズに行くことを期待したいと思います。北朝鮮の場合には、それ以前のベーシックな農業問題が根底にありますが。

 普段、全く縁のない話題に関しては、全く別の情報ソースから似たような話が出てくるか、複数の新聞報道の平均的な話か、状況からすれば信憑性を認めざるを得ない話しか、軽々に信用しないことにしています。話題作りのための誇大吹聴に惑わされないようにしようとすると、情報が乏しい地域、事件に関する情報の取捨選択は、なかなか難しいですが、ひとまず、地元の人、その国の人の素朴な発言は、傾聴に値すると考えています。

 さて、冒頭のカッコ書きのセリフは、ある事件である人が大衆に向かって放った言葉とのことです。
 内容そのものは誰もが異論を持たない全く当たり前のことですが、当時の状況からすれば、勇気ある一言であり、そのことに敬意をこめて表題としました。

2014.01.18補足
参考文献・食人宴席 抹殺された中国現代史カッパブックス/光文社
 題名はおどろおどろしいですが、内容は、天安門事件の関係者が、文化大革命を題材にした、至ってまじめなドキュメントで、一番参考になりました。中国現代史は、世界史での理解しかないため、また、文化大革命の報道でも必ずしも正確な報道となっているわけでもないようで(一つ一つの情報としては正しいとしてもその情報がその事件の全容を示しているとは限らない)、何気に書かれたひとこと(回教・イスラム教への大弾圧による万単位の死者の発生など)や、大規模な全土レベルの餓死者大発生(北朝鮮の比ではなかった)、太平党の乱の実情など、かなり考えさせられる内容でした。

 過去のことにこだわりすぎるのは決していいことではなく、これをもっておかしいとするのは、正しい対処の方法ではありませんが、一つ言えることは、例えば、宗教の違い等、根本的な部分で絶対的に相容れない価値観を強制することは全く無意味で、異なる価値観を容認すること(憲法でいうところの宗教の自由、思想信条の自由)も当然必要となります。それこそ回教大弾圧のように膨大な犠牲を払わなければ、あるいは払わさせなければ実現できない政策は後年愚策と批判される歴史的事実は、現在でも教訓であり、自戒となりえます。
 ウィグルもチベットも過去に統治した歴史がなく、明らかに相容れない文化宗教が根付いている土地を統治するわけですから、より一層の工夫が必要なわけで、際限ない悪循環に陥る可能性が高い、圧政・宗教思想弾圧による支配は、避けなければなりません。同様なことが民主主義の実現にも言えそうです。
 先日、北京のウィグル人の学者が中国当局に拘束されたという記事が流れていましたが、ちょっと気になるところです。

2014.10.4補足
 先ごろ、北京のウィグル人の学者が、ウルムチの裁判所で無期懲役の判決を受けたとの報道がありました。
 歴史的に考えれば、現代史でも過去の世界史でも、特定の集団の制圧のために、まず指導者層の弾圧により組織的抵抗を阻止し、無秩序・小規模になった組織が暴走の果てに自滅するところを叩くという政策は、しばしばみられるやり方です。
 中国当局が、明確に意図しているがどうかは別として、宗教の自由を否定する、宗教的裏付けがある習慣、風俗を禁止し、住民の怒りを不用意に煽るかと思えば、中国国内で相対的に多いとは言えないウィグル人の知識層の弾圧をする状況をみるにつけ、不毛すぎると思います。
 漢族の風習、やり方の押しつけでは、うまくいかないし、それでは民族弾圧にしかなりません。暴動、事件をテロと断定するだけでは解決できない難しさがあります。
 宗教の自由、表現の自由は、歴史的に世界の各地で多くの血が流れされ、世界的に広く認められるようになったものですが、逆に言えば、これを認めないと、争い、対立が続き流血が続くための妥協の産物でもあるのだと思います。
 宗教の自由や表現の自由は、何人にも認めるべきですし、認められなければなれません。

投稿者 : admin 投稿日時: 2013-05-11 (1543 ヒット)
 ここ数日、中国のメディアが、尖閣諸島ではなく、沖縄そのものが中国の属国であったとの主張で、にぎわい始めました。
 過去に何とかの礼を中原にあった国に取ったら現代でも属国になるというのであれば、チベット、ウィグル、ベトナム、韓国、北朝鮮も全部属国で、中国の領土というに等しいのですが・・・・、そこまで、考えて言っていますかね。
侵略正当化のためのこじつけ議論であり、ある意味、周辺地域にとっては危険極まりない思想でもあります。

 当然のことですが、第二次世界大戦のころに、強制的に領土に取りこまれたウィグルでは、漢民族と文化も風習も全く異なるため、相変わらず独立運動が激しいし、チベットについても、然り。チベットも、中原とは文化も風土も全く異なります。
 そもそも、清王朝は、支配階級が漢民族ではないので、主に漢民族の支配する中国共産党率いる中国が同じ国と言えるのか、かなり微妙です。
 ヨーロッパで言えば、ウィーンが神聖ローマ帝国の首都だったから、そこにあるオーストリアは、現代でも、神聖ローマ帝国の領土全部を主張できると言っているようなものです(ただし、中国が属国と言っているのは、正確には国境線の外の地域で、厳密には領土ではない)。
 全くもって、通らない話です。

 チベット族が多く住む、四川の地震の際には、何を思ったか人民解放軍はインド国境の武装非中立地帯にまで進出。
 北朝鮮のミサイル攻撃のニュースがあった時に、メディアに顔を出していたのも人民解放軍の話題。
 メディア報道の限りでは、チベット族はもっと穏当な共存共栄を願って日々活動しているような気がしますが。
 
 中国属国議論は、韓国、北朝鮮、ベトナムに対する領土議論にもなり、これらの国々の方が中国との結びつきが強かったわけですから、その意味することは、かなり深刻な歴史の問題を抱えるのですが、韓国メディアは何も言わない。
 他方で、韓国大統領は、領土問題も、また、仏像返還問題のように超法規的措置を全く修正することなく、領土議論をする中国に対してではなく、我が国に対して、正しい歴史の認識をすべきだと主張する。

 比較的歴史が浅い国々が多い、欧米にとって、数百年前の話をするだけで唐突感があり、それをアピールすることで、存在感を見せつける効果が高いことは、米国系韓国人の、アメリカ社会や、EUの雄の一つドイツに対する自己のアイデンティティーのアピール方法を見るとよく実感できますが、ま、歴史も、都合よく政治的に利用されるということなのでしょう。
 
 韓国メディアのように、ドイツ、ドイツと、敗戦国ドイツの例を引き合いに出して日本を非難するのであれば(日本独特の神道の独自性、たたり神信仰すなわち非業の死を遂げた人々に対する神格化、お祀りの方がむしろ多い実態を知っていながら、知らないふりをして、表面的な非難を続ける姿勢も正直よくわかりませんが。)、東西ドイツが統一できて、朝鮮は統一できていない、主たる原因の一つでもある経済格差の解消をNGO任せにするのではなく、アングラ系事業でしか外貨獲得できない隣国の国家体質を正常化させ、国家融合できる素地を、メディア、政府で着実に形成すべきと思います。
南北朝鮮とも、祖国統一のスローガンだけは、時代が変わっても、面白いように全くぶれがないのですから。

 私の世代は子ども時代に中国との国交がなかったため、テレビ番組としての最初の中国は、NHKのシルクロードでした。喜多郎のシンセサイザーに合わせ、雄大な大地をラクダに揺られて行くというドキュメンタリーのストーリーは、中国の広大さを感じさせ、そのまま、いつかは行ってみたいところとインプットされたものです。
 漢字文化を捨て、全く新たなハングル国家に生まれ変わった韓国や北朝鮮ではないのですから、何でもつなげて考える歴史は、逆に言えば、何にでも口実を与えることになります。
 従軍慰安婦ではないですが、何も反論しないまま、放置すれば話が恐ろしく誇張され、何十万人というありもしない被害者が続々作られるわけですから、こういうことは議論が出てきた時に、整理しなければなりません。

H25.5.11補足
 中国共産党内の労働者階級の復権の動きは、歪みの補正として必要なことですので、それ自体は問題ありません。できれば、それに勤労とか何とかとプレミアムを付けるのではなく、民主主義の根本である1人につき1つの人権という単純な発想で数で裏打ちする方が望ましいような気がします。
 政治学的な意味での数は、我が国だと選挙の洗礼だったり、参政権がらみで考えがちですが、20世紀の初めには画期的な思想と言われた、社会主義より民主主義の国家の方が今では大半となったのは、1人につき1つずつ平等な権利が付与されるという形式が(民主主義が適正に機能するのはそれだけでは足りない。結局のところ、船頭多くして・・・になったら意味がない。)、単純に受け入れやすかったこともあると思います。
 人権が一人に一つ平等に与えられるという前提で、民主主義が適正に機能するために一番重要なのは、話し合いすなわち意見交換・集約と適切で正確な情報提供に尽きます。俗に議会政治と言われますが、話し合いをして結論を出すことにより、密室政治と異なり、視野が極端に狭くなった政策が実行されることを防止します。更に、それでも問題が生じる場合には、それをどこかで是正する。
 だから、表現の自由、報道の自由は、適切で正しい情報の確保の手段として重要なのです。 

 現金なもので、今の方がより良い環境であれば、誰も過去に戻りたいとは思わないし、独立運動を含め、過去に巻き戻すような運動をしないわけです。望ましい政治とは、全体との均衡も図りつつ、その地域に納得してもらえる政治を実現することではないかと思います。
 これはどの国でも同じことです。

H25.5.25補足
 ここ数日間、メディアに賑わした従軍慰安婦ですが、ようやく終息してきました。日本的にとりあえず謝罪するというパフォーマンスは、世界的ではないし、きちんとした検証、調査もせず、一部の意見だけでやった対応でも国のトップの言動は、とてもつなく重いということですかね。
 しかし、「攫って行った」とか「被害者は20万人」とか、「Slave」というのは、明らかに事実ではないのですから、それは的確な機会を捉え、根気よく言い続けなければなりません。
 第二次世界大戦では戦場にならなかった朝鮮半島から20万人もの女性を戦場に強制的に連れて行ったなどということが、事実なわけがありませんが、必要な範囲で根気強く必要なことを言い続けなければ、今回のようなことになってしまいます。
 最近韓国国籍の女性が、売春の周旋で得たのではないかと言われている1億円以上の利益を隠して生活保護を受給したとして逮捕されました。こういう記事を見るにつけ、いろいろ思うところはありますが、全くの野放し状態での周旋組織が巨大化した結果、多額の利益が上げられていたのであれば、個人の意思がないがしろにされている可能性が高いのですから、これは撲滅するしかありません。

 

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