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投稿者 : admin 投稿日時: 2013-01-24 (699 ヒット)
 アルジェリアの天然ガスプラントでの日本人殺害事件の報道を見て、改めて、資源供給の有難さを実感するとともに、日本に輸入される天然ガスが、そういうご苦労や犠牲が陰にあり、送られていることを改めて実感しました。亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
 どういうエネルギー資源でも、人的・物的犠牲とは無縁ではいられないのかも知れません。

 さて、最近原子力規制委員会が、国内の原発施設の地質調査で、敷地内の地層のずれは断層なのかとか、活断層かどうかは10万年前ではなく40万年前に遡って判断すべきだなどと意見が出たなどの報道がされています。
 こういう報道を見ると、直下に活断層があると危険が増すかのように感じますが、活断層であれば何がいけないのか、見えてきません。
 原子力規制委員会は、断層が生じると地表面の高低差により、建物が倒壊するというのでしょうか。

 活断層が注目されだしたのは、阪神淡路大震災の原因が活断層が動いたためとされたことによります。
 阪神淡路大震災の時には、神戸の市街地を地震の原因となった活断層が縦断したわけですが、市内でははっきりした断層は地表に現れませんでしたし、活断層と推定される地域、地点の建物倒壊が顕著だった事実もありませんでした。地震後断層が現れたのは、淡路島の田畑だったと記憶しています。この時の報道では、市街地は、ビル等の建設の際に、地中深く掘り返したので、断層が出なかったのではないかと言われていました。
 このことから明らかなように、活断層の真上にある建物だからと言って、必ず倒壊するわけでもないし、活断層を境にして必ず地盤に高低差が生じることもないのです。
 当たり前のことですが、震源は地中にあり、地震の影響は地震の大きさと距離で決定されるので、活断層があること即地震の被害が大きいと断定することはできません。

 さらに言えば、鉄筋コンクリートの頑強な基礎のある建物で、建物の基礎の下に、きちんと地下の岩盤まで到達する基礎杭が入っているのであれば、敷地の一部の地盤沈下で、建物が倒壊する危険は、まずないと思われます。
 つまり、建物そのものが、耐震基準を満たし地中の支持地盤まで杭がきちんと入り、基礎のかぶり厚が十分に確保され配筋が縦筋・横筋ともしっかり入っているのであれば、地盤の一部の沈下はあっても、建物のそのものは沈下せず、基礎のゆがみもないはずなのです。
 これは、3.11の際の浦安の液状化現象では、地面からマンホールが飛び出す状態になり、地盤は沈下したが、他に支持物があった下水管やマンホールが沈下を免れ、沈下しなかった例が当てはまります。
 
 建物の敷地全体が均等に沈まず、建物の一部のみ沈み込むことを不等沈下と言い、不等沈下は、欠陥住宅として問題になります。敷地全体が沈下すれば、建物にはゆがみは生じず、建物の欠陥とはなりません。
 ちなみに日本の場合には、建物が傾いた場合の欠陥の基準は、傾き1000分の3程度、すなわち、ちょっと傾いても欠陥で補修対象です。しかし、3.11の際にも、建物が傾いたのは、軟弱地盤に建った木造家で、鉄筋コンクリートの建物が傾いた例(但し極端な手抜き建物であれば、傾く可能性はある)はありませんでした。

 活断層があるから建物が危険だ、建物倒壊するなどという発想は、建築の視点でみれば、かなりの違和感を覚えます。原子力規制委員会は、一体どういう有識者で構成されているのかと疑問に思うくらいです。

 また、現在の通説であるプレートテクニクスによれば、日本列島そのものが、プレートが沈み込む場所で、地表にゆがみが出やすく、40万年も遡れば、断層が確認できる地域は多くなり、断層が地表に現れないところは、厚い堆積層があるところだけではないか、地盤が固いのは前者なわけですから、断層が全く地表に現れない方がむしろ危険なのではないか(地盤が固くない方が一般に揺れが大きくなる)とか、素朴な疑問を持つのですが、どうなのでしょうか。
 地質学のための地質の議論をしているわけではないはずですから、建築工学の視点をブレずに持ちつつ、現実的な視点から現実的な検討を加えて欲しいものです。このままでは、不毛な議論が迷走するだけのように思えます。

投稿者 : admin 投稿日時: 2012-11-17 (893 ヒット)
御用聞きの話では、邦銀に対する厳しい批評しかしなかったので、あらためて、銀行のあり方について、書きたいと思います。

 さて、都市部に住んでいると、銀行は当たり前の身近な存在ですが、これが地方に行けば、そんなことはなく、信用金庫や農協の方が組織が大きかったりします。窓口の多さと言えば、結局、ゆうちょ銀行になるのでしょうか。
 都市銀行も地方銀行も、網羅する都市がかなり限定され、支店数は知れています。国内を旅行すれば、よく実感できます。
 銀行の金融商品の販売は、そういう意味では限られた地域の、限られた人に向けられたサービスということになります。

 
 ところで、外国の銀行でも、日本に支店を開設でき、いろんな国の銀行の支店が実際あります。ただ、日本人向けのサービスを大々的に手掛ける銀行は、いくつかしかありません。
 結構新しいものが気になるタイプなので、いくつか試した銀行もありますが、本業サービスに関する使い勝手、信頼性からすれば、やっぱり邦銀です。
 匿名性が高い、スイスのブライトバンクというのが、投資顧問に資金運用を任せるようなものだと最近知りましたが、投資顧問に運用を任せた資金の出資者を特定するためには、何段階かに分かれる振込送金を追っていく作業が必要があるため、匿名性は相対的に高くなるということになるのでしょうか。
 海外送金をする場合などは、4000〜5000円もの高い外為手数料を支払っても、やはり邦銀を選んでしまいます。

このように、本業としての信頼性は、やはり邦銀の方があるのですが、どうも、金融商品の取り扱いに関しては、銀行はいただけません。
 金融商品に関しては、証券会社の窓口と大差なく、本当に窓口が専門性を備えているのか、どういうフォローがあるのか、果たしてそこまでして運用すべき資産なのか、預金ではだめなのか、きちんと考えて、対応する必要があります。
当たり前の話ですが、窓口の担当者は、商品を売りたいわけですから、ここのところは、買う側が判断しなければなりません。

投稿者 : admin 投稿日時: 2012-11-16 (968 ヒット)
ついに政局が移動する時期がきました。仮に、次の選挙で自民党が政権を奪還しても、今回の件を教訓に、次の時代に繋がる政治を心がけていただきたいものです。
個人的には、民主党政権で、管氏も、野田氏もそれなりにやることをなさったと思いますが、内閣支持率を気にすると、その場その場でやりたいことがなかなかやれなかったということでしょうか。
 ついでに、辞任した石原氏の都知事の評価される実績としては、排ガス規制と外形標準課税(法人都民税を支払っていなかった銀行などを対象に、導入した税制)の税制改革でしょうか。実際東京の空気は格段に良くなり(正直、総交通量は少ないはずの大阪とでも雲泥の差だと思います。)、税制に関しては、制度そのものが国税に制度格上げされたのですから、一応の成功をおさめたと評価できると思います。どちらも一期目の話ではありますが。

 年齢の問題もあり、ご本人のこれからはともかくとして、現状の都政の体制は一定の評価に値するのではないかと思います。
 いろいろな方が都知事選に立候補表明されていますが、個人的には、今は弁護士より職業政治家が、現実的な政治ができる人が将来を見据えた政策を実施し、将来の布石になるような政治を実現していただきたいと思います。

−− 2012.11.23補足
 今日、告示前なのに、ある知事選予定候補を「知事候補」として応援するビラ(但し、予定を削除すれば、選挙期間中によく見かけるビラそのもの)がポストに入っていましたが、これって、事前運動の禁止にひっかかり、公職選挙法違反?
 政党や選対本部だとダメで、「つくる会」だとよかったのでしたっけ?弁護士会の選挙だと、選対本部を作れない時期に「つくる会」を結成しているような気がするのですが。
 さすがに弁護士だと法の不知は言い訳にならないため、慎重な対応をと思うのですが。
 私はこれ以上、原資の当てなく生活保護等の拡充をされてもと思っている立場のため(セーフティーネットとしての生活保護制度を否定するものではないが、このまま無為に膨張させることは制度破綻すると考えます。)、この候補に関心があるわけではないのですが、ビラの両面には、ほぼいっぱいに候補予定者の経歴、政策しか書いていないのだから、ぎりぎりをねらった脱法と言われても仕方ないような気がします。−−−

 さて、今回は、御用聞きの話をしたいと思います。もちろん、古い話ではありません。現在進行形の話です。今、高齢者の御用聞きとして一番アンテナ精度が高いのは、ズバリ、銀行の金融商品販売担当者だと思っています。

 最近の新聞ネット記事で、ある都市銀行の入社2年目の投信レディ(昔の言葉で証券レディという言葉がありました)のトップクラスの営業成功談が載っていましたが、ずばりそのとおりで、「高齢者は身近でない物事を理解できない」「信頼を得るためには、高齢者にわかる世間話に何時間も付き合う」「投資信託などの金融商品の知識経験があることで勝負するのではなく、親身になって話に付き合うことが、信用されることがポイント」と書いてありました(単刀直入にそうは書いていないのかも知れないが、読む人が読んで要約すれば、そうとしか読めない)。
 確かに、それは正しい見解です。高齢者は保険を売りつける対象ではないし、多額の金融商品を売りつける対象でもありませんが、最近の銀行のキャッチフレーズは、何を根拠にか、運用もきちんとできそうもない世代に、安定資金とリスク資金を半々にしましょうとか、訴える世代が違うのではないかということをやっているような気がします。つまり、普通のやり方では販売できない商品を、販売しようというわけですから、情に訴える方が販売につながるわけです。
 ここ十数年、信託銀行は、多額の退職金を得て、お金を持て余している世代をターゲットに、わけのわからない金融商品を売りつけ、顧客がどんなに損しようが売ったら終わりで知らん顔、75歳になれば内規の年齢オーバーで全額売却させて、変額保険(これも、バブルの後、都銀がさんざん売りつけてかなり問題になった商品です。)に加入させるという定番的パターンをやっています。私が知る限りでも、複数あるわけですから、してやられた人は、多いのではないかと思われます。

 昼間に信託銀行に行けば、お年寄りの窓口相談ばかりで、しかも一件につき長時間相談するのですから、その丁寧さは群を抜くことは認めますが、「そもそも商品をきちんと理解しているとは思えない窓口レディに長時間説明してもらっても、同じではないか」と思うのは、私だけなのでしょうか。自分の用はせいぜい10分もあれば楽に終わるのに延々待たせられた時に、周りを見渡せば、高齢者ばかりで、また、とても金融取引には向かなそうな高齢者が多いので、余計にそう思います。

 さて、高額金融資産保有者に対するリサーチの度合い、商品開発能力は、各銀行で差があります。そのため、ちょっと前まで「150の投資信託のラインナップがある」(どういう特徴があるか言えるのか、どのくらい、運用会社に変化があるのか疑問。150の投資信託を販売する時点で、投資信託の意味を分かっているのか疑問。適切なアドバイサーになりえず、売ったら知らん顔の典型ではないか。)とアピールしたり、更には、「毎月定額のお金が受取れる元本保証の投資信託」(そもそも、元本しか保証しないのであれば、毎月満期が来るように定期預金を設定した方が、確実に利息が付くのでよほど手堅い。また、そもそも高額貯蓄者層は比較的多額の年金をもらうので、毎月定額のお金を引出す必要がさほどないからどの程度、定額受け取りの意味があるのか疑問。ただし、定額受け取りを利息の受け取りと誤解する高齢者には受けがいいという逆の不安がある。)を売り出している銀行もあります。
 「一任勘定の投資信託を新発売」と新聞発表した銀行もありました。最初から、あるいは高齢になったからこそ、購入販売のタイミングが判断できず、多額の金融商品を取り扱えない高齢者が、たまたま退職金など高額の資金を手にしたために、運用をどうしようかと迷い、それに乗じて、銀行として投資信託を購入させようとするわけで、売り時期も判断できない高齢者に大損させるよりも、購入から売却まで全部お手伝いしましょうというものなのでしょう、善意に解釈すれば。
 しかし、残念ながら、そこまで、優れ者のトレーダーがいない、あるいは優秀なトレーダーが運用を任されていないのが日本の現状でしょうか。一任勘定は、腕利きの投資運用者あるいは、そういうシステム(成功報酬の歩合を導入するとか、手数料も良心的であることが前提)があることが大前提で、腕利きでないならば、大損の危険があるわけです。
 弁護士からすれば、一任勘定と言えば、都市銀行が、バブル華やかなりし頃、不動産担保に億単位を貸し付けて販売し、顧客に大損させた、いわくつき商品というイメージがぬぐえませんが、都銀でないから、知らないということでしょうか。

 一任勘定の投資信託を販売するのであれば、あるいは金融商品の取り扱いで儲けるというのであれば、銀行も、外国ファンドに投資し、運用を任せてあとは知らないというわけにはいきません。
 毎年信託報酬として損益にかかわらず信託財産の1%以上も運用会社に支払えば、資産総額は目減りしますし、販売手数料、信託財産留保金を合計3%以上も取れば、更に少なくなります。中間マージンを減らし、総経費を少なくし、運用実績を上げる努力をすべきです。
 多額の金額を販売するわけですから、少なくとも、直接の運用会社たる完全子会社の中に、自前のいいトレーダーを育成する程度の意気込みがあっていいと思います。
 ウォール街もそうですが、多額の金額を扱うトレーダーが大失敗をすると、即、精神科の病院に入院になったりすると冗談のように言われたりしますが、その環境は過酷で、トレーダーは一生の職業にできるものではないと思います。トレーダーの素養としてギャンブルの感性があることと、ある種のギャンブル的嗅覚が働くということが必要ですが、一種体力、精神力勝負なので、やはり若さは必要という気がします。熟年、壮年でもバリバリできるトレーダーは、素質がかなりあるということなのでしょう。
 証券会社ではありませんが、金融商品を広く販売するのであれば、銀行も、あるいはその子会社たる運用会社も、若く、活きのいい、ある程度素質が望める人を最長10年程度使っていく前提で、育てていくしかありません(その後は、窓口担当に回して、世間話以上の説明ができるような体制にしてほしいものです。)。当面の営業成績だけにとらわれず、ぜひ前向きに、長期的に儲けられる体質となる人材育成にも取り組んでいただきたいものです。
 そうしなければ、債権国としての発展はないのではないかと思います。
 日本人には多くありませんが、ギャンブラー的な素質のある人も中にはいます。

 さて、本題です。窓口レディの御用聞きの結果でしょうか、とある銀行が出した金銭信託商品に、5年で元本がゼロになる寄付目的の金銭信託というのがあります。つまり、「あなたが預けたお金を、銀行が責任をもって5年で0円にする金銭信託」が売り出されました。これでは、損した云々の話はでようもありませんが、最早、金融商品ではありません。
 これを読んで、5年でゼロになるのであれば、それはわざわざ信託にする必要はないのではないのかとか、誰かにあげるのであれば、そのまま直接寄付した方がよほど喜ばれるのではないか、せいぜい信託の形をとることで、銀行や投資会社の手数料稼ぎをさせるだけではないのかとか、思うところは当然ありますが、ひとまず、これは問題にしません。

 私は、優秀な御用聞きの意見が反映され発売された商品が、5年でゼロになる寄付目的の金銭信託で、こういう商品でも集客があると判断したことに着目したいと思います。

 本来であれば、寄付は直接するのがいいに決まっています。でも、このような商品が販売されるようになってしまう日本の現状に問題があると思います。
 寄付する体制が、寄付を受ける側になさすぎるのです。「全額誰かに無償でお金をあげます」という金銭信託が広く一般に販売されるほど、日本には、寄付をしたいと思っている高齢者がいるわけです。にもかかわらず、受け入れ態勢がないから、寄付という制度が成り立たないという現状は、この財政難の折、是非ともすぐに打開すべきだと思います。
 寄付が進む条件は、簡単です。
 1 運用目的を限定し、適正な運用をする
 2 運用結果を目に見える形できちんと報告し、決算など運用報告の透明性を図る・・・そのお金が何に使われ、どういう結果をもたらしたのか明らかにする
この2点に尽きます。
 
 東京都が募集した尖閣諸島の募金のが14億円集まり大成功を収めた要因は目的と結果がはっきりしていたことだと思います。
 これに対して、被災地の義捐金は、何に使われたのか分からないし、結果の報告もないわけですから、これでは個人の支援は長く続きません。同様に、ふるさと納税にしても、納税する側はわざわざ面倒な手続きを踏んで遠隔地に納税するわけですから、何に使われたのか、明確にしてもらった方が、寄付の励みになるわけです。プレゼントは、副次的な要素にすぎないと思います。
 日本の銀行の優秀な御用聞き(金融商品を取り扱う能力があるかどうかは別として、お金に余裕があると言われる高齢者向けの御用聞きの能力があることは否定できない事実です)が、寄付に活路があると言っているわけですから、これは、傾聴に値します。
 是非とも、寄付を受け付ける、受け付ければ財政が潤う、市町村、若しくはボランティア団体は、これを実践し、高齢者の素朴な要望に応えていただければと思います。

投稿者 : admin 投稿日時: 2012-10-27 (698 ヒット)
さて、先日、最後の増税とするための施策として社会保障費の削減は必ず実行しなければならない課題と書きました。これについて、もっと詳しく掘り下げたいと思います。
が、その前に、やはり無駄遣いの予算・執行が散見されるようです。
最近のニュースで、
認められた復興関連予算の中に、外務省の「アジア大洋州地域、北米地域との青少年交流」。 震災の「風評被害を抑える」という名目で、41の国・地域の高校生や大学生を招き、被災地との交流を行うために、21億円の予算が出たとのことですが、なんとも迂遠です。どの程度の実効性があったのか(当然のことですが、子どもたちにアンケートを取って、また日本に行きたいと思いましたという回答が多数だったというのでは検証には足りない。)、検証と反省をして、実効性ある対応をしていただければと思います。
復興予算だから何度も通していいいというわけでは、当然ありません。
これを、如何なる名目であっても、きちんと監視していないと無駄な支出が山のようにされかねない教訓として生かし、限られた予算の中で、適切な予算配分と効率的な予算執行を期待したいと思います。

1 人が生活するために、月額いくら使うのか
 さて、あなたの一か月の食費はだいたいいくらか考えたことがありますか。
一般にエンゲル係数では、食費はだいたい同じという前提で、食費の家計の支出に占める割合で、その家庭の生活水準を位置づけます。が、意外に、食費の額は千差万別です。
 弁護士は、その仕事柄、様々な人の家計簿に触れる立場にありますが、夫婦と子どもの3人家族で、月額3万円の食費で十分と言われたことがあります。親から食材を融通してもらうわけでもないが、食費は3万円で十分でそれ以上は食費にかけないというのです(但し、夫は、毎日愛妻弁当とのことでしたが)。確かに、毎月の米の購入額から追っていけば、それなりに自炊が徹底されるのであれば、実現が不可能な食費の額ではありません。
 他方で、決してグルメをしているわけでもないのですが、夫婦だけで月額10万円は必要という方もいます。毎日、自炊をせず、出来合いの総菜を購入し、毎日昼に外食をすれば、まあ、こんなものかなと思います。
したがって、食費の額というのは、生活水準により増減するというよりも、その人のライフスタイル、どの程度自炊をするか、惣菜の購入の頻度、内容、外食の頻度によって変化します。その食費の差は、生活水準からくるというよりも、生活スタイルからくる問題のようです。
私は、日本の、家庭の個性に大きく左右される食生活の状況では、エンゲル係数はあくまで目安で、生活水準の精度としてはさほど高くないと考えています。
 
 また、今は、野菜等生鮮食料品を含めた食料品の100円ショップもあり、そういう店も、様々な工夫がなされ、ただの安かろう悪かろうではない品ぞろえになっています。だから、家計は、やり繰り次第で、工夫の余地があるところです。
 他方、高齢者世帯になると、火事のリスク回避等のため、3食弁当の生活にするというのも、珍しくなくなってきます。そういう明らかに、弁当の支給が妥当する世帯に関しては、私は、食費は現金支給ではなく、食事券やバウチャー制度を利用した、現物支給の方がいいと考えます。弁当の配達は、デイサービスを利用するほどではない高齢者にとっては、地域の見守りと同義であり、有効なコミュニケーション手段であるため、これをうまく利用すれば、行政としても、高齢者の日常を無償で確認できる一石二鳥の手段になると考えます。

 最低限の生活費をどうはじき出すのか。都市部であっても、生鮮品を含む食品価格は、ずいぶん安くなってきています。生活費を考えるにあたっては、いろいろな尺度からの検討が求められます。
食費等についても、高齢者を細分化する余地はあります。また、高齢者等食事を作らない世帯に対しては食費支給をバウチャー制度へ転換することも有益だと思います。

2 生活保護費で支給する、医療費の見直し
  さて、生活保護費の支出の半分を占めるという医療費ですが、現在、
1 生活保護費の一部負担ではなく、立替方式で、一旦負担してもらう
2 ジェネリックの義務付け
という改革案が検討されているようです。
 
現場を見聞きする立場としては、賛成か反対かと言えば、どちらも賛成です。
 医療機関は、子どもと病者と高齢者が、主要なお客さんです。その中でも、病気が続き、就労ができなくなると、必然的に生活ができなくなり、生活保護を受けるというパターンになるので、おそらく、医療費総額に占める割合や、延べ患者数に占める生活保護者の割合は、結構高いはずです。
 そして、これは、逆に医療機関から見れば、「生活保護者は、いいお客様」なのであり、「お客様」獲得のために結構頑張ってしまう医療機関、具体的にはあれもこれもと言ってくるお客さんに対して、懇切丁寧にあれもこれも診察し処方して診療報酬を上げる医師が増えると、医療費増大に直結します。医師のモラルの問題ですが、診療所内の自動販売機の飲料を無償で配布するなどの大阪で問題になった露骨なサービスでなければ、逆にしばしば散見されるものであると私は見ています。
 実は、こういういい加減な対応をした場合、医師側にも火の粉が降りかかることがしばしば見られます。差し迫った必要もないのに、診療をするということは、「ちょっと具合が悪いが、先生がこうすればよくなると説明してくれたため、先生の説明を信じて、治療をしてもらったら、全く効果がなく、かえって症状がひどくなった」という訴えが、しばしば出てきます。患者側に差し迫った愁訴があれば、ちょっとでも病状がよくなれば、「よくなった」と感謝されるのでしょうが、元々さほど悪くないため、ちょっとよくなった程度では患者は納得せず、「無駄な治療を受けさせられた」「効果がない治療を受けさせられた」となるのです。
 世の中、そんなものですので、これを読んでいる医療関係者の方がいれば、是非とも、差し迫った必要はないが治療を勧めたら患者が応じた程度で、余計な治療を行わないことをお勧めします。

 話は飛びましたが、患者側の立場からすれば、こういう無駄な治療がなされる原因は、自分の懐が痛まないことも原因となっていると考えます。自分のふところが痛むのであれば、財布の口を緩める前にちょっと考えるというわけです。
そのため、患者側に、本当に必要な治療なのかどうかを考える、機会を与えるという意味でも、一時的な負担、若しくは一部負担は、実効性ある方策であると思っています。

 
 次に、ジェネリックの利用ですが、現在の薬価制度からすれば、ジェネリックの利用で、普通の風邪薬で、薬代が半額か3分の2程度に下がり、しかもそれなりに薬効があるわけですから、これは推進すべきだと思います。
 ちなみに、薬局では、正規品から簡単にジェネリックを割り出せる端末があり、ひと頃のCMではありませんが、「ジェネリックで」と薬局で頼めば、簡単に探してくれ、処方箋の指定があっても変更してもらえます。人気のある正規品には、複数のジェネリックが発売されているようです。

 窓口の一部現金払いやジェネリックを推進したりすれば、一時的には、医療収入が減ると思われますが、長い目でみれば、現行の健康保険制度や、生活保護による医療費の負担(言うまでもなく、これは医療業界の貴重な収入源であります)制度の維持につながるのですから、ここは、今、制度改革をする方が、業界のためになることは、確実です。
 現在の厚労大臣は、医療関係者だそうですが、決して業界の目先の権益・利益の代弁者と成り下がらないよう、期待したいところです。

2014.8.22 補足
ここ数日、最低賃金法との兼ね合いで、生活保護の問題がインターネットでいくつか取り上げられているのを読みました。

1 生活扶助を住宅扶助に回すことがまかり通っているのか
 
 あるライターの記事で、住居の賃料が高く住宅扶助の範囲内で家賃が支払えず、その分生活扶助の金額を回さざるをえないと書かれてありました。
 しかし、私が知る限りでは、住宅扶助の範囲内の家賃の住居に住まなければ保護支給開始をしない運用がなされています。つまり、家賃が高ければ、まず生活保護の範囲内の家賃の住宅に引っ越すことを指導し、生活保護を開始させます。
 家賃が住宅扶助の範囲を超えているのに引っ越しをさせずに保護を開始・継続するというのは、担当ケースワーカーの怠慢のような気がします。
 都内だと一人暮らしの標準は家賃条件は5万3000円でしたか。この金額で、都内でアパートを探すのは可能で、探せばあります。
 どの人もいろいろ物件を探して決めているのが実情です。

 ですから、生活扶助を住宅扶助に回さなくてはいけない人がいるとすれば、それは原則をはき違えているのであり、そもそも引っ越しを促さなくてはいけないケース、すなわち認めてはいけないものと考えます。

 
2 世帯数だけで、統計的に母子家庭の受給数が少ないと言えるのか

 一般論になりますが、生活保護は老夫婦、独身高齢者の受給が圧倒的なはずです。他に頼れる親族がいないという生活保護の要件は、そういう人にこそ当てはまりやすいのです。
 そのため、世帯数ではなく受給人数で集計すれば、また違った数字になります。また、若年層かつ健常者家族で、生活保護を受給するのは、正当な理由で世帯収入が少ないケース、母子家庭などに限られるわけですから、これが母子家庭の受給を目立たせる結果になっているかも知れません。
 
 子どもが多い寡婦、寡夫家庭の受給総額として、現在の運用では相対的に多くなるのは事実です。
 但し、私は統計を確認したわけではありませんが、寡婦、寡夫家庭においても、働いている親の割合が多いというのであれば、少々希望を感じます。
  理想としては、ご自分に合った仕事を見つけ、息の長い職歴を形成していただくことが一番ですが、私がみている限りでは、そうでなくても、働く姿を子に見せることは、その後の子の人生にも影響すると考えます。

 ちなみに、どちらか一方が働かなくなったことは、ありがちな離婚原因ですし、仕事に対する構えというか、自分に合った働き方を見つけられずに体力的、精神的にだめになり失職するケースは、生活保護を受けるありがちなきっかけです。
 ですから、仮にもらえる金額が少なくても働くということは、働く姿を見せ、労働に対する認識を持ってもらえるので、子に同様の境遇にさせないためにも、意味のあることではないかと思います。

 ところで、究極の職業訓練とは、適材適所、具体的にはその人に合った職種を見つけ出させることにあるのでしょうが、長く働くようになった現代では、長期間の就業を息長く続けられるように、その年齢に応じ、またその人の個性にあった仕事のペース配分を身に着けさせることでもあると思います。
 社会に出れば、学生のように一斉に同じことを競争することはありません。職業に求められる社会的能力は、社会人になって初めて要求されるものであり、また、必要とされる能力が劣る人でも、意欲をもって時間と労力を割けば、それなりにその職種に関するスキルを身に着け、結果、高い能力を持つ人と同じ成果が出ます。
 俗に、やりがいがあれば仕事がきつくてもブラック企業ではないそうですが(異論はあるかも知れません)、年功序列がなくなった現代では、年齢に応じた役職にありつけるわけでもなく、その中で何十年にもわたりやりがいを見いだせる人もさほど多くありません。年齢に応じたペース配分を心がけ、精神的肉体的に負担になりすぎないようにする必要があります。

 
 

投稿者 : admin 投稿日時: 2012-09-22 (857 ヒット)
 中国ニュースの続報として、北京市が日本関連書籍について発禁手続きを指示したとのニュースがありました。

 我が国で、適法手続を踏まずに発禁処分をすれば、これは憲法21条に根拠を持つ、出版の自由、表現の自由の侵害となります。基本、我が国は、法治国家、すなわち法律に基づく行政しかできませんので、裁判所の手続きを踏む以外に、当局が特定の出版物の発禁をする法的根拠がありませんから、日本において当局が北京市のような指示をすることは、不可能です。
 これは、法治国家たる国ではだいたい同様で、例えば、イギリス皇室の写真についても、国家間が発禁処分について協議し解決するのではなく、イギリス皇室がフランスの裁判所に雑誌の出版差し止めを求め、対応したことは、記憶に新しいことと思います。
 また、米国を悩ましたムハマンドの映画についても、公開差し止めは法的手続きを踏まなければできず、イスラム教徒からしたら、どんなにけしからん内容だったとしても、けしからんからと表現すること、つまり映画の製作を禁止することまでは、法的根拠がないからできないのです。

 このように、表現の自由は、先進国においては、非常に保護されている権利です。
 わが国でも、憲法一般を勉強する場合には、憲法21条「表現の自由」については、かなりしっかりと教え込まされます。
だから、北京市の発禁処分は、日本の常識からすれば、「とんでもなく、ありえないこと」であり、現代版焚書かと言いたくなるのですが、ちょっと思うのは、もしかして、中国では、日常的にこんな感じで当局の意思ひとつで出版規制が行われているのではないかという懸念です。
 わが国では、表現の自由の弾圧は、軍国主義が進みつつある際に行われたこともあり、表現の自由を守り、リベラルな環境を維持することこそが、「誤った道に進まない」方策であるかのように、教わります。
 今では、世界中でも数えるほどしかなくなった共産主義最大の国家故、また、属国だったのかどうかの議論は別としても、国内に組入れたチベット、ウィグル等の多民族の問題も抱えるため、出版統制が不可欠という当局の判断もあるのかも知れませんが、これでは、民族間、国家間の相互理解は深められません。
今回のこともそうですが、自分たちの時代にどうしたこうしたというのであれば反論しやすいのですが、韓国もそうですが、中国では、自分たちの祖父母の時代にどうしたこうしたと言われるわけですから、事実を隠すということは、紛争の火種をいつまでも残すということにならないのでしょうか。
 同じ仏教徒としては、経済の豊かさよりも民族や宗教の誇りを優先させるチベット族の人々の言動には、共感を覚えます。日本にいてもそう考えるのですから、中国国内でもこのように考える人がいても不思議ではないと思います。

 なお、お隣の韓国では、最近まで、日本文化の輸入を拒んできました。在日韓国人の著名演出家 故つかこうへい氏(代表作・蒲田行進曲)の韓国公演の際の日本語歌詞の上演が、韓国当局が近年日本語での公演を認めた最初とのことです。
 これは、戦前、日本統治前の朝鮮半島での識字率がさほど高くなかったところに、日本統治開始で学童全員に教育を施した際に、日本語教育を取り入れたため、ハングルよりも日本語の読み書きができる世代が発生したことによると思われます。そのため、これの連鎖を止め、半ば強制的にハングル語の国家に戻すために、日本文化の輸入禁止の措置を取ったと考えています。そして、ようやくハングルが定着したので、韓国も日本文化の輸入が解禁されたというわけです。
 ただし、個人的には、この際に漢字文化まで全部捨てたことについては、やりすぎたと考えています。
 したがって、この韓国の例は、日本語の、国民への定着を阻止するために行われたものであり、中国では、このような事情がないわけですから、日本関連書籍の出版禁止は、やはり表現の自由の侵害で、やりすぎだということになります。

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